イベント。
時にそれは楽しく、瞬時に地獄をみせる。
ガチャで爆死したり、地獄のような鬼難易度ステージに奥歯を噛み締めて泣く。
すべては自分の運のなさと、指揮系統がおぼつかないため。しかしその口惜しさはドクターのなかにきちんと蓄積してゆく。
溜まった負の財産は、再び遭遇するステージのために取って置いているのだ。
そう例えば、シルバーアッシュの故郷、イェラグへ行ったときの事だとか。あの時はまだ目ざめたばかりで、オペレーターの育成と指揮が揃っていなかった。
勿論それは言い訳で、ちゃんと仕事のタスク管理をしていれば突破できたかもしれない。
けれども結果として負けた事実が、ドクターにしっかりと根付いていた。
もう同じことを繰り返したくない。
そう思っているのは、こちらだけかもしれないけど。
シルバーアッシュは、あれからロドスのオペレーターになり、ドクターへ友人という枠を設定してきた。しかしながら、そのラインを自ら乗り越えて、恋人というポジションに収まっている。
ドクターはもう同じイベントで、ちゃっかり彼氏面してる大型フェリーンに負けたくなかった。
案外と負けず嫌いなんだなと自分でも思ったけど、相手がシルバーアッシュだからかもしれない。
できれば、あの澄ました顔で放つ真銀斬のお世話にならず、イベントを終えたいと考えている。
脳内で予測した配置では、可能なはずだ。あとはその時を待ちながら、オペレーターの育成に励むのみ。
待っていろ、シルバーアッシュ。
そう思いながら、今日も資材を集めにドクターは出かける。
◆
「貴方って案外と負けず嫌いなのね」
たおやかな笑みと共に、イェラは紅茶が満ちたティーカップを手に収めた。
「そうかなって言いたいけど、自覚はあります」
近日中に控えている、再びイェラグでのイベントに向けてロドス艦内に顔を見せてくれたイェラに作戦を相談していた。
途中までしか作戦を説明をしていないが、今回は絶対にシルバーアッシュを招集しないというドクターの鉄の意志を早くも感じ取ってくれたらしい。
「そうなのね。もしかしてなのだけれど、それはエンシオディスに対して…だからなのかしら」
「それも自覚があります」
「随分、正直に話してくれるのね…ふふ」
柔らかな声音で微笑みつつ、イェラはしなやかな動作で紅茶を飲んでいる。
ドクターは複雑な気持ちで、マグカップに満ちている紅茶を眺めていた。
正直に話すのには理由がある。
イェラには『嘘がつけない』からだ。
思考を読むような雰囲気もあるし、先の出来事を見透かしていると思うこと数十回。アーミヤのように感情をかんじるのではなく、未来予知のような類いがしてならない。
「あらドクター、そんな難しい顔をしないで頂戴。ここはイェラグではないから、私の力はそんなにないのよ」
「…でも私の言いたい事は分かってくれたんだね」
「貴方の言動をみれば、それくらい分かるわ。今回は絶対にエンシオディスを打ち負かしてみせるって」
「そう、はっきり言われると…」と口ごもってしまったドクターを眺めて、イェラは再び柔らかい笑みを溢した。
「はっきりと言うべきときは、言ったほうが良いわよ。特にエンシオディスのような型の者は。まぁ、ドクターならよく知っていると思うけれど」
紅茶を啜(すす)りながら「ウッ」と声が出てしまった。やはりイェラには、全てがお見通しのようだ。
シルバーアッシュが友人というラインを易々と越えて、彼氏面をしてるのも分かっているのだろう。
なんだか居たたまれなくなり、マグカップを持って俯いてしまった。
「あら、耳先まで赤くなって。そんなに照れなくても良いのよ」
「…シルバーアッシュと喧嘩してるとか、憎たらしいからとか…個人的な感情だけで君たちに動いてもらう訳じゃないんだって事は言いたいな」
「よく理解しているわ。それに元はと言えば、エンシオディスが原因だもの」
イェラの的確なアドバイスは、やはり全てを知っているとしか思えず、どうにも落ち着かない。
ついじっとしておられず、飲みかけのマグカップを置いてからフードを被り直した。
「君たちに迷惑かけないよう、最適な作戦を練るから協力してほしいな」
「勿論よ―」と言いつつ、またイェラは柔らかい声で微笑んできた。
そうして氷のつぶてがフードに当たったと感じた瞬間、ぱさりと素顔がひんやりとした冷気にさらされる。
「あっ、イェラ!」
「ふふ…ごめんなさい。ドクター、貴方は照れると愛らしさが更に増すのね」
「そんなお世辞いってもダメだよっ、それに力は使えないんじゃなかったの?」
イェラは青の瞳を細めてから、指先をくるりと回した。氷の塊ができあがった後、細かい粒子になり、たちまちドクターの頭上へ雪が降る。
「これくらいの事は出来るのよ、ここでも」
「ならシルバーアッシュが、この作戦に出たいってゴネたら、がっちがちに凍らせてくれる?」
白い指先で口元を抑え、イェラは「まぁ!」と声を上げた。
「随分と楽しそうな役割ね、喜んで引き受けるわ。心配しないで、ちゃんと手加減するわよ」
やはり人とは遠い存在、本気を出したらあのシルバーアッシュでさえ氷漬けになるらしい。常にふてぶてしい姿のまま固まるのを想像したら、面白くなってきた。
「なんか、すこし気が楽になってきた。ありがとう、イェラ」
今回は絶対に負けない。シルバーアッシュを頼らず、作戦を完了させて勝つビジョンは見えている。
「いいえ。ところで、この内容をみると今回の作戦には名前がついてるのね」
詳細を書いたタブレット端末画面をイェラは白い指先でさした。
「そう。まぁ、仮として私がつけたんだけど」
「…敵に塩を送らない作戦?」
「君なら知ってると思うけど、ある島国の言い伝えみたいなやつ。敵であっても情けは必要で、大切な栄養物資の塩は届けるっていう」
イェラは愉快そうに「これはこれは」と呟いた。
「随分とエンシオディスは貴方に嫌われているのね」
「嫌ってはないけど。ほらいつも、全力でかかってこいって言ってるし…それに今回は敵対するんだから」
「情けは無用という訳ね。ドクターの全力をお見舞いする…その手伝い、是非させて頂くわ」
イェラに向かい手を差し出す。たおやかな仕草でイェラは手をとってくれた。
雪山を思わせるような、はっきりとした冷たさが、やはり人とは違う存在であると教えてくれている。
「よろしく、頼りにしてるよ。ところでプラマニクスには…」
握手を解いたイェラは青の瞳を細め、にこりと笑んだ。
「心配しないで。エンヤには私から話しておくわ、勿論エンシアにも」
訊ねたい数歩先まで答えられドクターは口をつぐんだ。
不満げなのも分かっているらしく、イェラは愉快そうに紅茶を嗜(たしな)んでいる。
「イェラ。絶対、未来みえてるでしょ」
「あら、違うわよ。貴方たちが分かりやすいのよ、こういう時は」
貴方たちの部分には、勿論シルバーアッシュも入っているのだろう。訊ねても墓穴を掘るだけな気がしてドクターもイェラと同じように、すっかり冷えた紅茶を啜る。
シルバーアッシュとの全面対決まで、あと少しの日にちしかない。ドクターは「頑張らなきゃ」と口にし、一気に紅茶を飲み干した。
『敵に塩は送らない作戦』
情けを排除した、お互い真剣勝負を開始するまで、あと少し。
「待っていろ、シルバーアッシュ」
おしまい!