あの事件から三年、私は中学校の入学日を迎えていた。覗く緑が多くなってきた桜は、そよ風に乗って教室の窓から入ってきた花弁が頬を撫でる。
入学式の緊張がとけたのか、担任になる先生の学校案内の説明を聞いていると、だんだんと眠くなってくる。あくびを隠すために首を丸めると、まだ体に似合わない制服の詰襟部分が刺さって息苦しさを感じた。成長期だからと、少し大きいサイズを着ているせいだ。
ふとあのときの、写真のダボついた制服姿の鶴丸さんを思い出した。
彼が中学生になってからは、あまり遊ぶことがなくなったのだが、今年
当時は他の公園で遊んでいた友達達は普通に鶴姉が男子だと知っていたらしい。というか、そもそも女の子だと勘違いしていなかった。私の方はそうしてかなり恥ずかしくなって勝手に気まずい思いをしたりしたが、鶴丸さんはその事実を知り、ひとしきりわらったあと、いつも通り遊んでくれたのだった。
そうして思い出に浸っている間に、いつの間にかクラスルームは終わっていた。
入学から数日、毎朝中学校に通学するのに少しずつ受け入れてきた頃、楽しみにしていた部活動説明会の日がやってきた。
「ねえ、一期くんは部活の目星をつけた?」
隣の席の光忠さんが声をかけてくる。この数日の間に親しげに話してくれる彼が、スッとした鋭い瞳で笑いかけてくれる。イケメンなのに積極的に優しく話しかけてくれて凄いなと思う。
「私は運動部が良いかなと思っているくらいでしょうか?」
「そうなんだ。んー、僕はどうしようかな。まだ全然分からないや」
「まあ、この後部活説明会ですし、体験期間もあるらしいので、まだまだ迷っていていいと思います」
「確かにそうだね」
そんな会話をしていると横やりが入ってきた。
「なあ。一期ってあの鶴丸国永の舎弟だったってマジ?」
「舎弟?」
「そう、あんたと同じ小学校のやつらが「いってたよ。の俺鶴丸さんの剣道かっこいいと思っていてこの学校への入学感激したんだよね。超羨ましい!」
まだあまり話したことがないが、仲良くなりたくはないリストに入っている男子生徒が声をかけてきた。
そんな期待に胸を膨らましているうちに、部活説明会兼新入生歓迎会の時間になったのだった。
重厚な「ありがとうございました」という声が体育館に響く。野球部の部活紹介が終わったのだ。
拍手を送りながら、野球観戦や草野球をしていた事を思い出し、野球結構好きだしいいかもなと思っていた。
「次は剣道部の皆さんです」
学年主任の先生の言葉が響く。
剣道着を着た部員数人が壇上に上がる。うち二人は防具を身に着け竹刀を手に持っていた。前列に防具組、後列には他の部員が一列に並び、「よろしくお願いします」と部員全員の力強い挨拶が鳴り渡った。
防具の二人が向かい合ってしゃがみ、お辞儀をする。
「始め」
合図とともに二人が、竹刀を振りながら機敏に立ち上がる。
鬩ぎ合う竹刀が、パンッという音とともに打ち合う。片方が力を抜き、体を傾けながら後退した。力を入れていた相手はバランスを崩したのか、少しばかり隙が出来る。すかさず竹刀を振りかぶりメーンという言葉とともに頭を貫いたのだった。
時間にして、五秒にもみたなかっただろう。一瞬の油断が終わるその戦いに、目が釘付けになった。
「挨拶が遅くなったが、部長の源(みなもと)だ。俺たちは去年、全国にあともう手が届かなかった。自分が全国にのしあがって見せるという野心のあるやつはもちろんだが、剣道に興味があるからやってたいという新入生も大歓迎だ。日本刀、忍者や侍にあこがれるやつも大歓迎だ。これから剣道をやってみたいという場合でも大歓迎だ」
片方の生徒は通常の剣道の構えと違い、日本刀のように腰の左側に収めている。「始め」刀が鞘から勢いよく滑り出るかの如く、相手に打ち込まれる。しかし、間一髪で竹刀でふさがれはじかれた。力をうまく逃がしきれない瞬間に、反撃に転じる。力を逃した勢いで回転しその瞬間、決着がついた。一人は同をうち、一人は頭に一撃を入れたのだった。
一分にも満たない一瞬の結末に、息をのんだ。イメージする剣道とは違ったが、映画でみる歴史ものの戦闘シーンのようで、目が釘付けになったのだった。トリッキーな戦いをしていた先輩と目が合った気がした。
「実際の剣道とは違う形式で戦ったわけだが、かっこいいなと少しでも感じてくれたら嬉しい。体験入部待っています」
ありがとうございました。という声とともに袖に履けていった。
あの緊迫した一瞬にも似た試合を自分でもしてみたいと、興味を持った。
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今日から一日授業が始まるので、午後は国語と地理という眠くなるダブルコンボでかなりつらかった。しかし、放課後の体験入学の「ことを考えると、やる気が出るのだった。
ホームルームも終わり、教室内は体験入部の為の準備を始める生徒の活気で包まれはじめた。
「ねえ、一期くんは今日はどこに行くか決めた?」
……あの凛々しい立ち姿がかっこよかった。
「私は、剣道部か野球部で迷っているんです。
」
「そうなんだ。僕も剣道部かっこいいなと思っていたんだ。一緒に行かない?」
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道場の入り口につくと、道場には鍵がかかていて入れなかった。どうしようかと後ろにいる光忠君に相談をしようとしたとき。入れてもらおうとすると後ろから声をかけれられた。
「おっ、もしかして体験入部希望の新入生か?鍵開いていないよな、待たせてごめんな」
活発な雰囲気で竹刀を感じる生徒がそう言いながら、道場の鍵を開けてくれた。
「全然大丈夫です!楽しみでホームルームが終わってすぐに来ちゃったんです」
「僕たち、剣道は未経験なんですが説明会での先輩方のカッコいい姿に惹かれて、興味を持ったんです」
「おお、そうだったのか。俺は獅子王だ。よろしくな」
「はい、よろしくお願いします」
光忠くんとそろって返答する。
「そろそろ先輩や顧問の先生たちも来ると思う。少なくとも体験入部の間は動きやすい恰好なら、なんでもいいと今のうちにササっと部室使ってジャージに着替えて良いぜ」
そう言って部室に案内してくれる獅子王先輩。
獅子王先輩は鍵を職員室に返しに行くとのことで、私たち2人で先に着替えて戻ってくると、ちょうど他の先輩方が道場に来たところだった。
「よお、お疲れ~」、
この時まで、私は忘れていた。鶴丸さんがずっとやっていたお稽古のこと、彼は小学校こそ違うが中学は同じ地区だったということ、そして成長とともに外見だけでなく声も低くなるということを。
ハツラツとしつつも落ち着いた感じに低めに響く声、スッと背筋が伸びた黒い制服に、雪の様な白が映える。
すっかり男だった。
顔立ちは相変わらず繊細で、鶴姉と呼んでいた頃の愛らしさを残している笑顔だ。しかし、改めて恋だとかの想像が無縁の性別なのだと思い知らされて、なんだか悲しかった。
「んん、君、もしかして一期か?」
センチメンタルに浸りながらも、凝視はしていたので、速攻で存在がバレた。いや別に隠すつもりはなかったのだけれど。
「お久しぶりです鶴丸さん。中学同じだったんですね。ビックリしました」
「おお、驚いたか?あと部活に入るなら鶴丸先輩な」
その言葉とともに、成長した手で髪の毛をグシャグシャにかき混ぜるように撫でられる。
「ええっ、いきなりやめてください。気を付けますから」
腕をどかそうとするが、何気に力が強いうえに十センチ以上身長差があるせいで、抵抗できず、されるがままでいる。
「やっぱり君は驚かせがいがあるなあ」
「鶴丸さんは相変わらずですね。からかわないで下さい」
すまんすまんと手癖で直してくれるが、いかんせん雑なのでボサボサのままな気がする。
「鶴丸、知り合いか?」
その一声で、今は二人きりではないことを思い出した。鶴丸さんの後ろにもう一人先輩がいた。
「えっと、あの先輩すみません。粟田口一期です。よろしくお願いします!」
「備前光忠です。よろしくお願いします」
そろって元気に返事をする。
「ああ、よろしく。俺は部長の源膝丸だ。今日は見学メインだ。ゆっくりしっくりしていってくれ」
「挨拶が遅れてすまない、副部長の五条鶴丸だ。よろしくな。君たちは剣道は初めてか?」
源部長は親しみやすい笑顔で、鶴丸さんは先ほどとは変わりキリっとした表情で答えてくれた。
「はい、僕たちは今日の部活紹介がかっこよくて、頑張ってみたいと気になってきました」
「私は一応、チャンバラとかでは遊んだことはあるんですが」
強がって多少なりとも経験がある事をアピールしたかったのだが、逆効果だったらしい。鶴丸さんのすまし顔が一気にくずれ、腹を抱えて笑い出した。
「あっはっはっ、君は本当に面白いな。確かに昔チャンバラで遊んだこともあったが、アレと剣道は別物だぞ」
笑いすぎて言葉が切れ切れになる。何もそこまで爆笑しなくてもいいではないんだろうか。
「もう、そこまで言わなくていいじゃないですか」
思わずムスッとした声が出た。
「いや悪かったって、あまりにも真剣にいうから面白かったんだ。言っても、今日の部活紹介の時の稽古も剣道のやり方とは違ってくるんだがな」
「剣道は、野球やサッカーと違って今までやったことの無い人も多い。だから、実際の試合の形式とは違っても、まずは竹刀で打ち合うことに興味を持って欲しいと思ってああいう形になったんだ」
源部長が補足してくれる。
あの緊迫した稽古はそんな意図があったのかと、感心した。
「しかしかっこよかったか、嬉しいものだなあ。実は膝丸の相手をしたのは、俺だったんだぜ」
「えっ」
「おっと、もうこんな時間だ。着替えに行こうぜ膝丸」
あの凛とした姿が彼だったのだと脳が理解するより前に、鶴丸さんは部長の背中を押して部室の方に向かっていったのだった。
少なくとも、竹刀を握っている彼はあれだけカッコいいのだとしたら、もう女の子のようだと錯覚することもないのだと思うと、ほっとするような、でも残念なような気持になった。
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「おぉ、一期。一番初めの時より素振りがそれっぽくなってきたじゃないか。感覚がつかめてきたか?」
「鶴丸先輩、ありがとうございます!竹刀を持っていることにだいぶ慣れてきました」
「そりゃあ良かった。でも軌道がまだ左にぶれている。右手の力をもう少し抜いたほうが良い」
「はい、ありがとうございます」
私が再びお礼をすると、鶴丸さんは「頑張れよ」と言って光忠君の様子も確認し行った。 体験入部の期間、もともと気になっていた野球部や、人気のサッカー部などにもいってみたが、結局は剣道部に入ることになった。
バットを振るよりも、サッカーボールをけるよりも、竹刀を握らせてもらった時が一番ドキドキして心が躍ったからだ。決して、鶴丸さんがいたからではない。というのも一ミリくらい理由としてあるかもしれないが、
別に、慣れ親しんだ鶴丸さんがいたからではない、と思う。
ちなみに剣道部は大会こそ別だが、部活は男女で分かれておらず、。つまり、女子の指導も源先輩や鶴丸さん、獅子王先輩などが行うのだ。逆もしかり。
顔立ちの良い彼は、女子生徒に人気らしい。同じクラスで剣道部の佐藤さん曰く、一年剣道部女子のほどんどは鶴丸さんか源先輩目当てらしい。彼が近くに来るとドキドキしちゃって上手く返事が出来ないとも言っていた。ああ彼女はまだ鶴丸さんの外見の良さしかしらないんだなと思うと、少し得意げなきもちになったのだった。
アドバイス通り、右手が力み過ぎないように素振りを続ける。上から下に振り下ろすという単調な動きかもしれないが、気を引き締めないとぶれるし、何より筋力がまだ足りないのか、後半はだんたんと腕が重たくなってくる。
でも今日はまだ振るえそうだと思い、気を引き締めて素振りに励むのだった。
基礎練習が終わり、先輩に打ち込む掛かり稽古の時間になった。今回相手してくださるのは、獅子王先輩だ。
掛かり稽古は素振りなどと違い、みんな一緒に行うのではなく一人三十秒ほどの持ち時間がある。順番に回ってくるので、多少暇な時間があるが、他人の稽古を見るだけでも勉強になるのだと源先輩に何度も言われている。
獅子王先輩に向かって打ち込んでいる他の一年生の様子を見てまっていると、ふと列の前方にいる佐藤さんの様子が目に入った。どこかをぼーっと眺めているような。その先には何があるのかと気になったところ、その先にいたのは、鶴丸さんだった。
その時は、ああ彼女にとっては部活よりも憧れの先輩を熱心に見つめる方が大切なんだなと思うにすぎなかった。
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剣道着に着替えるだけでも汗がにじんで体が重くなる、そんな夏休みがやってきた。
授業こそないが、その代わり全国中学校剣道大会に向けて部活動は一日あるという、体力的に厳しい日々が始まる。おまけに宿題もある。
基礎練習だけでも既にシャワーを浴びたかのように汗が流れ落ちている。正しいフォームを意識しての素振りで集中力が、うだるような暑さで体力が削れて辛さが勝ってきたところ、ちょうど顧問とマネージャーの休憩の案内がする。
「よーし、いったん休憩だ」
「スポドリ取りに来てくださいねー」
三年生から順番になるので、しばらく座って待っていることにした。
「あっ、後ろ」
「後ろ?」
隣の光忠君が少し焦った様子で話しかけてきた。なんだろうと思っていると、ヒヤッとした感覚が首筋に走る。
「ひゃっ」
うなじの形にそって、コロコロ転がるソレの冷たさがだんだんと心地よくなってくる。
「ごめん、一期くんの後ろにいたからもしかしてと思って声をかけたんだけど、間に合わなかったね」
あぁ、あの人だなと振り向こうとすると、影が落ちてきた。上を向くと弓なりに歪んだ金糸雀色と目が合った。
「冷たいだろ、驚いたか?」
「もう、鶴丸先輩はまた。ヒヤッとしました」
なんとなく仕返しをしたくなって、彼が持っているスポドリを奪って容器の蓋を開ける。
「おいっ、それは俺のだぞ」
目を見開いて焦る様子が面白い。その表情に十分満足したので、伸ばした手の平にポンと容器を返すことにする。さんざん人肌に触れたので、すっかり生ぬるくなっているんだろうなと思うと、ちょっとすっきりした気分になった。
「ふふっ、鶴丸先輩と一期くんって仲が良いですよね」
穏やかな声が、隣から聞こえた。
*****
全校登校日、夏休みも中盤となった。全国中学校剣道大会もすぐそこに迫っているので、午後からはガッツリ部活がある。のだが、朝から校庭の草むしり、ホームルーム後に友達とプールに入ってきて、私は結構ぐったりしていた。
ちなみに、同じように過ごした光忠君はピンピンしている。彼は体力魔人なのだ。
弁当を食べて、満腹になったからか少し眠い、片腕を枕にして、机の上でだらっとしている。このままだと、瞼がくっついてしまいそう……
せめてあと十五分はこうしていたいと微睡んでいると、女子グループのきゃーという黄色い声が急に聞こえてきて、驚いて目が覚めた。
すぐに声の大きさは小さくなったのだが、不思議と会話が耳に入るようになる。
「鶴丸先輩なんだー。かっこいいもんね」
「うん」
どうやら、佐藤さんを囲んで盛り上がっているらしい。
「全中終わったら、部活に来なくなっちゃう前に告白したいなって」
「えー、頑張れー」
「でも鶴丸先輩ってイケメンじゃん。彼女とかっているのかな」
彼女たちの会話に、心が冷えた気がした。そわそわと落ち着かなくなって、寝ている気分ではなくなって、起き上がる。これ以上聞いてはいけない予感がして、早めに部室に向かおうとするが、間に合わなかった。すぐ傍にきていた女子グループの子達と手が合う。
「ねえ一期君って鶴丸先輩と仲良かったよね。彼女っているのかなぁ」
「えっと」
言葉が上手く出てこなかった。
鶴丸さんに彼女がいるかもしれないなんて、初めて考えさせられた。
「ごめん、分からないです」
返答に自分でも表情がこわばっている感覚がある。
「そうなんだ。変なこと聞いちゃってごめんね」
私の様子が不自然だと感じたのか、気まずそうにして彼女達は元いた教壇の方に戻っていった。
確かにあれだけ綺麗で、うざい時もあるけど、面倒見がよくて優しいし、剣道が強い人なんだから、彼女がいてもおかしくない。
だとしたら、一体どんな女の子なんだろうか。やっぱり可愛いのかな、この中学の子かな、そうすると同級生と後輩どうなんだろう。
本当にいるかも分からない鶴丸さんの恋人像をグルグルと考えてしまう。
他の人にも様子がおかしいと思われたのか、近くで友達と話していた光忠君が心配して声をかけてくれた。
「さっきから顔が青いけど、大丈夫?」
「ちょっと、具合が悪いのかもって……」
「えっ、そうなんだ。大丈夫じゃないね。今日の部活休んだ方が良いんじゃない」
「いや、部活には行きたいだけど、どうしよう」
三年生の先輩方がやめる前なのだから、少しでも一緒に部活動をしてたいという気持があり、今の状態で鶴丸さんと会える気がしなかった。
「うーん、正直休んだ方が良いと思うけど、どうしてもって言うなら、ちょっと休んでみて、もし良くなりそうだったら参加すれば?」
「それでお願いします」
「オーケー。顧問の先生にそう伝えておくよ。でも部活に行きたい気持ちは分かるけど、無理はしないでね」
「ありがとう」
その後、道場に向かう光忠君についでだからと保健室に連れて行ってもらい、ベッドで横になって休むことにした。
心配をかけてしまったな、という思うと同時に彼はやはり気が利いてかっこいいのだなとも思わされた。そんな彼も彼女がいそうだ。
でも、鶴丸さんの時と違って、嫌な気持ちにはならず、むしろ応援したい気持ちでいっぱいだ。
なぜだろうと考えているうちに、清潔なベッドの感覚と午前中の疲れにより、眠りに包まれていったのだった。
何かが触れる感覚で意識が浮上する。まだ微睡みの状態から抜け出しがたく、瞼は伏せたままだが、おでこに温かい何かが触れているようだ。
「熱はないようだな」
鶴丸さんの声だ。わざわざ様子を見に来てくれたんだろうか。
今、どんな表情をしているんだろうと気になって、瞳を開けた。
「そんな顔しなくても、大丈夫ですよ」
心底心配だとでもいいたげな顔で見つめてくる。
「そりゃあ、心配するさ。今ちょうど休憩中でな、気になって見に来たんだ」
「そんな、大丈夫ですよ。それに少し寝たらだいぶ良くなった気がします。今なら部活にも参加できそうですし」
上半身を起こして元気アピールをする。よく見ると、鶴丸さんは剣道着のままだった。
「なら、いいんだが……。あんまり無理はするなよ」
「はい」
「……まあ元気そうなら良かった。俺は先に部活に戻るから」
「はい、様子を見に来てくれてありがとうございました」
背筋がスッと伸びた後ろ姿のまま、出ていく鶴丸さんを穏やかな心地で見送る。
一寝入りしたからか、自分の事を思ってみてきてくれたからか、あの嫌な気持ちは晴れていた。
***********
全国中学剣道大会が終わった。団体戦は全国五位、個人戦では源先輩が全国準優勝、鶴丸さんが全国四位であった。他の先輩方も、全国の強豪と十分渡り合えていて、さすが尊敬できる先輩方だなと嬉しくなった。
手に汗握る試合ばかりで、鶴丸さんが全国で竹刀を握る姿を目に焼き付けた。
それからすぐに、三年生の先輩方は受験に向けて引退していった。その後は新人戦があったのだが、私は中学校から始めたからか、あまりいい結果は残せなかったのは悔しい出来事だったが、来年に期待だなという鶴丸さんの声掛けに顔を出してくれたのも嬉しかった。来年はもっと強くなりたい。
部活動でのかかわりがなくなると、彼と会わないまま、いつの間にか卒業式をむかえていた。
噂によると、佐藤さんが鶴丸さんにバレンタインでチョコを渡したらしいのだが、上手くいかなかったんだとか。ちなみに私は同じ剣道部の女子メンバーからの連名と母親からチョコを貰えている。
閑話休題。
式も終わり、卒業生の先輩方は別れを惜しんで友達と、後輩と、先生と話している。最後に挨拶がしたいと、一年生のみんなでグラウンドで道部の先輩方を探しているのだが、なかなか見つからない。それにしても、あの女子が大きく丸くなって大きな声で言いあっているのは何だろうか。
「もぅ、鶴丸くんボタンの一つくらい良いじゃん」
そうだそうだという甲高い声のハーモニー。
「いやいや、君一人じゃフェアじゃないし、全員に何か渡したら俺はすっぽんぽんになっちまうからな。まったく感傷に浸る暇もないぜ」
あれは、もしかしなくても鶴丸さんの嘆く声なんじゃないだろうか。
光忠君もそう思ったみたいで、二人で目を合わせてうなずく。
「みんなで行けばあの女子たちにも勝てるはずです。頑張りましょう」
一同で気合を入れてこの軍団に向かっていくことになった。
作戦はこうだ。出来るだけ近寄って、塊の外側から大きな声で鶴丸さんの名前を呼んで、私たち剣道部一年が来たことをアピールするのだ。
「鶴丸先輩、卒業おめでとうございます!本当にお世話になりました‼」
あらかじめ決めていたフレーズを全員で言う。
「おぉ、来てくれたのか。すまん、ちょっと通してくれ」
賞状筒を手にして、もみくちゃにされてしおれている鶴丸さんが出てきた。
「見送りに来てくれたのか、皆ありがとうな」
ぽんと頭に手をのせて、髪をぐちゃぐちゃにかき混ぜてくる。同じように体験入学の時頭を雑に撫でられたこと、それから部活で面倒を見てもらったことが走馬灯のように一気に思い返され、切なさで胸がいっぱいになった。
「君なら強くなれる。頑張れよ一期」
はじめてみるような穏やかな笑顔と温かい声色に涙がにじむ。
「ありがとうございました」
「ああ」
離れる掌が名残惜しい。
頭こそ撫でないが、鶴丸さんは他の一年生にも同じように声をかけていく。一年生致道で改めて祝いの言葉を送った。
さて他の先輩方も探そうとすると、鶴丸さんが再びもみくちゃにされた悲惨な声が聞こえたのだった。
************
鶴丸さんの言葉通り、私は三年生になる頃には全国と渡り合えるようになった。
源先輩や鶴丸さんだけではなく、一つ上の学年の師子王先輩たち、そして顧問の先生のご指導のおかげだ。
その間わたしは副部長を務めることになったり、初めての彼女が出来たけど別れてしまったり、勉強に追われたり、忙しい毎日を過ごしていた。
鶴丸さんが卒業した後、最初の頃は懐かしさからか彼のことが頭にちらつくこともあったが、忙しさからかだんだんと思い返すことも少なくなっていったのだった。