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    なつのおれんじ

    @orangesummer723

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    なつのおれんじ

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    泡沫の日常 / そねさに
    2018-11-25

    マグカップに珈琲を注ぐと、湯気と共に豊かな香りが立ちのぼった。
    戸棚から白い陶器の瓶を取り出し、蓋を開けると、中に入っているはずの角砂糖が無いことに気づく。先日同じように珈琲を淹れた時に切らしてしまったのを思い出し、おれは溜息をついた。
     ここのところ出陣も無かったせいか、どうも気が抜けている。普段なら切れた時点で補充しているのだが、すっかり忘れていた。
    ……しっかりしなければ。そう自分を叱咤しながら、戸棚に角砂糖の予備がないか探し始める。しかし、戸棚をガサゴソと漁ってみても、予備はどこにも見当たらなかった。
    (参ったな……)
     自分が飲む分には必要ないのだが、これは彼女のために淹れたもの。
    彼女は甘い珈琲を好むので、できれば砂糖たっぷりのものを用意してやりたかったが、無いものは仕方ない。マグカップを盆に乗せて立ち上がると、おれは再び溜息をついた。

     長い廊下を、珈琲をこぼさないようゆっくりと進んで行く。執務室に到着し、仕切り戸を指で軽く叩くと、はぁい、と軽やかな声が返ってきた。静かに戸を開けると、机に向かっていた彼女が振り返った。
     この本丸を取り仕切る審神者、つまりおれたちの主。そして、おれの恋人でもあるひと。
     彼女は仕事がひと段落した時の、安らかな表情を浮かべていて、その顔を見ると思わず自分の頰も緩んでしまう。
    「遅くなってすまん。珈琲を淹れてきたんだが、砂糖を切らしてしまってな。今日は苦くてもいいか?」
    「あら、そうだったんですね。大丈夫ですよ、たまには大人の味も楽しみたいと思ってたとこですから!」
     主はおれからマグカップを受け取ると、ふぅふぅと吐息で冷まし、様子を見つつ珈琲をひとくち飲んだ。
    「……ふふ。やっぱり大人の味がしますねぇ。でも、美味しい」
     そう言って主は微笑んだ。なにか嬉しい事があると、彼女は桜の花が舞うように美しく、そして儚く笑う。この笑顔も、挙げればキリがない彼女の好きなところの一つだ。


     二人で炬燵に腰を下ろし、一息つく。炬燵の上には茶請けがいくつか置いてあって、主はその中から迷わず饅頭を選んだ。それをひとくち食べ、珈琲を飲んで、満足そうな表情を浮かべている。
     何気無いない仕草も愛おしい……ぼんやりそんなことを考えながら、彼女を眺めていると、不意に目が合った。
    「長曽祢さんがそんなにぼーっとしてるの、珍しいですねぇ。珈琲、飲まないんですか?」
    「あ、いや、もちろん飲むさ。ただ今は……あんたに見惚れていて、気が抜けていただけだ」
     そう言うと、彼女はきょとんと目を丸くした。そしてすぐさま、頰が赤く染まっていく。
    「見惚れるだなんて、もう! 長曽祢さんってば、突然そういうこと言うんだから。わたし、心臓が持ちません!」
     彼女は赤面させた顔を隠すようにして、小さな手で顔を覆った。
    「そ、そうなのか⁉︎ 意識して言ったつもりはなかったんだが……」
    「それ、一番タチが悪いパターンです」
     鋭いツッコミを彼女から貰い、おれは思わず声を上げて笑ってしまった。
    それにつられて、顔を手で覆ったままの彼女もクスクスと笑い出した。

     彼女が戦争を忘れ、年相応の笑顔を見せてくれるこの瞬間が。たとえ泡沫のような儚いものだとしても、おれは二人で過ごす時間がなによりも好きだ。願わくば、この幸せがいつまでも続きますようにと、おれは心の中で小さく祈る。
     その祈りが成就することはないと、わかってはいたが、人の心を得たおれには、ただ祈ることしかできなかった。

     脳裏に過る戦場の景色をかき消しながら、おれは彼女の体を抱きしめた。
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