これは夢だろうか、だったらとんだ悪夢だな。拓也はそう思いながら、部屋の入り口に佇んでいた。目線の先にはベット、そこに腰掛けた長髪の青年。
「こ、輝ニ…さん…」
「ああおかえり、邪魔してるぞ」
輝二が自室にいることは知っていた。待ち合わせした大学構内にて事前に鍵を手渡したのは紛れもなく拓也自身。今からバイトだからと別れた時には、まさかこんなことになるとは思わなかった。
ベットに腰掛けた輝二が、グラビア雑誌を広げている。
「……スゥ……それはッ、」
「借りものなんだろ?お前の友達とやらが返してくれって声かけてきたから知ってるぞ」
深呼吸した後に続くはずだった言い訳は、被せてきた声で形にならない。なにを慌てて…と揺らす肩に合わせて黒髪がさらりと流れ落ちる。普段拓也が使っているヘアバンドで前髪を上げた状態でくつろいでいた。くつろぐのはいい、なにも問題はない。だがその手元。
白くて長い指がページをめくる。
「…ふぅ~ん」
「……」
油が切れたロボットみたく身体が動かない。
交際を始めて半年を迎えた二人は、友人の時と変わらない関係性を続けていた。二人で出かけることは何度もあるが、恋人らしいことと言えば、キスとちょっとした触れ合いぐらい。そろそろ次に…と考えていた時、借りたものとはいえ、恋人の部屋に、開封済みの袋とじがついてる雑誌が置いてあるのは面白くないだろう。拓也は焦った。なぜ、友人が輝二に声をかけたのか。交際は伏せているが、家主がいない部屋に上がるぐらい仲が良いことが分かったから「源くん、拓也の部屋行くんだったら回収してきてよ」と、何の気なしに頼んだだけである。
「待って、マジでごめんほんと待って…!」
「……」
ぺらりと再びページが捲られ、弾かれたようにその足元にしゃがみ込んだ。
「…なぁ…」
「…んー?」
「…こっち見てよ…」
やっと交わった目線にほっとしながら、オニキスの瞳の奥が伺えずごくりと唾を飲み込んだ。
選択肢はふたつ。男同士、印刷された女体を楽しむか、浮気じゃないと必死に叫ぶかだ。
「……こっ」
「拓也さぁ…」
「はいっ!」
目線で射止められた拓也は空回りすら感じる声量で返事をし、形の良い唇から続く言葉に耳を傾けた。
「こういうのが好きなのか?」
「ッ」
突き出してきた1ページ。比較的布面積が多いナース服だが、ボディラインを強調するようなぴっちりとしたデザイン、隠されているからこそいやらしくも見える。短く息を飲み、なんて返そうと頭を回している拓也に「違うのか?」と首をかしげて見せる。さらりと、黒絹が揺れた。
「…じゃあ、これか?」
先ほどの女優とは打って変わって童顔低身長の女性は、その豊満な身体にこれまたぴったりのYシャツを着こみ黒いタイトスカートに入ったスリットから真っ赤なランジェリーが覗いている。
これは…なんの時間なんだろうか。頭痛すら感じ始めた拓也に追い打ちが続く。セーラー服、背中ガバ開きのニットワンピース、水着を飛ばしてぴっちりしたショート丈の白Tシャツ。
だらだらと冷や汗を流しながら何も言えないまま、一冊が終わってしまった。借り物と知ってるからか放り投げることはせず、シーツの上に雑誌をそっと置いた。ぱさりと鳴った小さい音に大げさに肩がびくついてしまう。
「…で、結局何がいいんだ?」
目の前で長い脚を組んだ輝二の顔が見れない。いつの間にか叱られる子供みたいに正座した拓也の目線はひざから上がらなかった。しばらく続いた沈黙ののち、輝二がため息をついた。何か言わねば、そう奮起した拓也が声を荒げた。
「俺は輝二がいいッ!!」
数分ぶりに見た輝二の顔は、声量に驚いたものだった。たじろぎながら「お、おう…」口にした後、くすりと笑って見せた。
「必死かよ」
「だっ、だってさぁ!…こんな、浮気みてぇなの……嫌だろ」
顔を背けたくなったが、そんな不誠実なことはしたくないと真剣な眼差しを向けた。伝わってほしい、お前の言う通り、輝ニに必死なんだぞと。
「それ借りたのさ、輝ニと付き合う前だし…正直借りたのなんか忘れてた、ってか…多分そいつがこの部屋でみて忘れて帰ったやつでさ…だから……ああくそっ言い訳がましいよな!」
重々しくならないように、でも誠意を込めた「ごめん」を贈る。輝ニが数度瞬きをして、再びくすりと笑った。
「なんか勘違いしてないか」
「勘違い…?」
「まあいい…。とりあえず、これらに興味はないんだな」
「あっああ!興味なんかない!微塵もないッ!」
ねじ切れんばかりに首を縦にふり、賢明に肯定して見せた。必死な様子に笑われてしまうと思ったが、輝ニは浮かない顔。気にしてないように見せて、実際は不快だったのかと不安がよぎった。
「…なんだ、興味ないのか」
なぜか落胆したような声音に疑問が湧く。
「この中で好きな物があるなら着てやろうかと思ったんだが…」
「へ?」
「興味ないなら、いらないか」
そう言って、殺す気のないあくびをする気の抜けた輝ニに向かって、悲痛ともとれる一所懸命な声が上がる。
「めちゃくちゃ興味しかありませんッ!!」
必死かよと、輝ニがもう一度笑った。