「なあ、拓也」
下から声が上がってくる。裾をくんっと引かれ、振り返った。途端にそわつき出すから吹き出してしまいそうだったが、次にくる言葉がなんなのか想像つくから黙って見守ることに。
「どうした?」
「…好きだ。おれと…付き合ってください」
何度もしてくる告白を口にするだけで頬を赤く染める姿はとても可愛いものだ。髪も長いし目も大きいし、あどけなさたっぷりの可愛い顔。おんなじモノがついてても、全然まったく抵抗ゼロでオッケーだと思えてしまう。
が、それは俺たちが同年代の場合の話だ。
高校生の俺と小学生のコイツとじゃ土俵に上がることすら難しいだろうな。だから今日も、おんなじセリフを返すんだ。
「お前が結婚できる年齢になってもまだ俺のことが好きだったら、カレシにでも旦那にでもなってやるよ」
ってな。
毎度おなじみの返答を貰った輝ニが表情をぱあっと明るくさせ、スクールバックを抱きかかえながらコクコクと頷いてみせる。慎也の小さい頃を彷彿とさせる仕草に兄心が湧いて出た。150センチないぐらいの頭をわしゃわしゃとかき混ぜて「おいっやめろよ!」と言われるまでが恒例だ。
「その言葉、忘れるんじゃないぞ」
「ああもちろん」
果たし状でも突きつけられたかと思うが、差し出されたのは暖色が揃ったミニブーケ。持ち帰るたびに母さんが「なんてセンスの良い子なの!」と目をきらめかせるけど、正直男児から男子高生に花束ってどうなんだとは思っちまう。
けど、こんなにも俺の事を想って用意してくれるそれを無碍になんかできない。礼を伝えながら受け取って、もう一度頭を撫でた。今度は優しく、ぽんぽんと。
何度目かの春を越え、緊張しながら腕を通してた初めてのリクルートじゃないスーツはこないだ新調したばかり。年度末のデッドヒートを乗り越えた俺の休日は、実家でのんびりするのが定番になっていた。ここでかわいー彼女でもいたら生活に花があるのに、スマホ片手にだらだらとソファに身を沈ませてる。鬱陶しそうな母さんの目線が痛い。夕飯もあやかろうと思ったけど、もうそろ「いつまでいるの?」って言われそうだ。
案の定言われた言葉は「拓也のご飯ないわよ」で。たははと笑いながら誤魔化して、根が生えかけだした腰を上げた。
「んじゃあ、帰るね」
「気を付けてね〜、お仕事頑張って」
「うん、ありがと」
玄関先まで出てくれた母さんに見送られながら、キーケースにつけてる合鍵で施錠する。現実に引き戻されるこの瞬間がたまらなく寂しい気持ちになる。20代男性、ホームシックを味わう、ってな。
「拓也っ!」
透き通るような声が俺の身体を通っていく。すとん、って空気に消えた凛とした声音にノスタルジックな感情を抱いた。
「こっちを見ろ、拓也」
「………え?」
「…たくや」
一瞬吹き上がった風に乗った黒髪がさらさらと落ちていく。顔に当たっても邪魔そうにせず、一心に目線が注がれていた。
女子高生が、俺んちの前に立っている。ただの女子高生じゃないぞ。とんでもない美少女だ。しかも俺の名前を読んで。一輪のバラを持った女子高生が。
「………えっ……どちらさま…?」
「まあ、そうなるよなぁ…」
くすくすと笑いを漏らしながら一歩を詰めてくる。月9のワンシーンみたいだけど、一方はダル着でもう一方は制服ってんだから下手したらお巡りさんを呼ばれてしまう。
「あの…えっとぉ……本当に、申し訳ないんだけどさ……人違いじゃ…」
「何も違わないさ…神原拓也さん、貴方に会いに来た」
「……」
トドメの一言に逃げ場はない。背中には門扉、手の届く距離まできたJK…物理的にも逃げられない。
「…本当に誰かわからないのか?」
「いや、俺にこんな可愛い女子高生の知り合いなんて…」
瞬時にセクハラ発言ではないかと冷や汗が吹き出たが、どうやら気を悪くさせたわけでもないようで。頬をほんのり染めながら「…かわいい」と零した口元を手で覆いだした。慌てて咳払いをした後、片手でシルクみたいな長髪を首元で纏めてみせた。
「……これで、わかるだろうか」
「………え」
一気に脳裏を駆け巡ってくる記憶の波に後ずさった。背中がぶつかった門扉がガシャンと音をたてる。
輝二だ。
紺色のバンダナとTシャツにパーカーがトレードマークだったガキンチョが。毎度毎度ブーケなんか用意するませた子供が。新品であろう制服のスカートを膝丈まで折って、カッターシャツの上には水色のリボンを結んで、色艶の良い髪を耳にかけながらはにかんでいる。
「えッ…ええぇえッ?!」
「音量を落とせよ、近所迷惑だろうが」
桜の花びらみたいな小さな爪がのった細い指を唇につけ、「しー」と俺を宥める男児だった…いや、女の子は、記憶の片隅にひっそり存在していた懐かしい物だった。
「うわっ…こーじかお前!」
「ふっ…やっと気づいたのか?」
「うわぁ~懐かしい!デカくなったなぁ~」
「デカくって…もう少し言葉を選んでくれ…」
いじける姿は子供のころのまま。実際、高校生なんて子供なんだけれども。ほー!へぇー!と、久々に会った親戚みたいな反応をしながら、頭の中で過去の記憶と目の前の人物を照らし合わせる。
「いやぁ…まさか、女の子だったなんてなぁ…」
「…私は一度も男だなんて言ったことないだろ」
「それっ!あんときのお前、自分のこと”俺”って言ってたじゃんっ」
「……黒歴史だから蒸し返すなよ」
「少し歩かないか」と誘う輝二の後を追って、駅までの道のりを歩きだした。
なんでここにいるのかと聞けば、泉に教えてもらったらしい。俺とセットで行動していた金髪にはじめは警戒心むき出しで接していたが、俺と泉がただの幼馴染だとしるやいなやコロッと態度を変え懐きだした。どうやらここ数年も関わり合いがあったようだ。
「泉から、週末なんかは実家にいるって聞いてたんだ」
「知ってたんならもっと早く遊びに来いよ~寂しいじゃねーかっ」
「待ってたんだよ」
「何を?」
歩みを止めた輝二に、裾をくんとひかれる。開いたままの身長差で、でもあの頃よりも現実味を帯びた距離感。
「もうすぐ16になる」
「おっおう…進学おめでとう…?」
「ありがとう…じゃなくてっ!次の誕生日で、約束の歳だ」
桜並木にも負けない満面の笑みで、暖色のブーケの代わりが差し出された。
「好きだ…私と、結婚してください」
セリフを盛り上げるみたいに、ひらひらと花びらが舞い落ちる。
「バラ一輪って…」
「安心してくれ。16になったら108本の花束で迎えに来くるつもりだ」
「待って??」