人通りが多いのは、さすが休日と言ったところか。見渡す限り人の波で、拓也は思わずため息を吐き出した。せっかくのデートだというのに、移動するのも一苦労。
「人多すぎ…」
「だな…まあ、仕方ないさ」
「疲れてない?」
「…さっき来たばかりじゃないか、そんなわけないだろ」
すぐ隣を歩く輝ニが呆れ顔のままそう返した。
待ち合わせ時間に指定したのは11時。前回のデートで、10分前に到着した時すでに輝ニが待っていたから今回は20分前に出向いた。程なくして「早いな」と現れた輝ニの姿に内心で「これから早めに行くか、遅めの時間指定をしなくては」と考えていた。
賑わいをみせる大型ショッピングモール内をふらふらと散策して、適当な時間帯にフードコートかファミレスで腹ごなしをして、ゲームセンターで白熱したバトルを繰り広げ夕方には解散…至って健全な、学生らしいデート計画は始まったばかり。
なのに、だ。出鼻をくじくような混雑に思わずげんなりしてしまう。人混みが得意な人はいないだろう。
「まあしゃーないか…うっし、行くぞ」
「ああ」
脇に降ろされていた手の甲を軽く小突いて合図を送り、意図を組んだ輝ニの指が拓也のそれと絡みあった。頬を僅かに緩ませて力を込める。
疲れてないだろうか、気分悪くなってないだろうか。細心の注意を払っていたお陰で違和感に気がついた。
「…輝ニ、どうかした?」
「……」
端の方へと身を寄せて覗き込んだ表情は僅かに強張っており、何かあるのだと悟った。バツが悪そうに顔を背けた輝ニが、ゆっくりとその唇を開いた。
「……靴、がな…その……痛くて…」
「靴?」
目線を足元へと下げれば、見覚えのないパンプスが揃っていた。彼女にしては珍しい、淡い水色のそれはおそらく新品なのだろう。汚れも傷もないパンプスが表情を曇らせている原因らしい。白いレースに覆われた、ロング丈のフレアスカートの裾の隙間から見えた細いアキレス腱が、擦れて赤くなっている。
「うわ…わりぃ。俺、気づかなくて…」
「なんでお前が謝るんだ」
「でも…」
「そんな顔をするなよ、私のせいなんだから。丁度いいな、すまないが肩を貸してくれないか?今のうちに絆創膏貼っておくから」
そう口にしながら拓也の肩をとんとんと突いた。ふむ…と思案した拓也が、屈む事はせず、その場へと跪く。頼んだ行動ではないことに目を瞬かせ「どうした?」と声をかけた。
「ここ、足乗せろよ」
「……は?」
「あ、靴は脱いでね」
「いやっ……え?」
自らの折った膝をぽんと叩いて上げられた顔を、戸惑いながら見下ろした。
「俺も絆創膏もってっから、貼ってやるよ」
「いや、いやいや…自分でやるさ」
「うさぎさん柄がいいとか言うなよ〜?面白みもなんもねぇ無地のやつだけど勘弁な」
「話を聞けっ」
いいから。いらないって。いいから。押し問答が繰り返される。埒が明かないと、拓也が強行突破を測った。
「足、触んぞ」
「あーーーくそっ、わからず屋め!」
「へへっ、どうとでも」
くるぶしを指の腹で撫でたあと、輝ニの言葉に笑いを漏らしながらそっと足首を掴んだ。やけになり、パンプスを脱いだ後おずおずと足を上げる。パンプス用の白い靴下の面積の少なさに驚きながら、位置取りが安定するまで行動を見守った。
肩からかけられたショルダーバックから、のど飴と丸まったレシートが押し込まれた小さいポーチの中から絆創膏を取り出して、赤く擦りむけた腱の部分へと充てがう。出たゴミをくしゃくしゃとポーチに入れ、もう1枚をひらつかせた。
「はい、お次どーぞ」
「……」
羞恥心はあるのだが、両足に貼り終わるまで許してくれなさそう。諦め、逆の足を差し出した。
「…よし、貼れたぜ」
「ありがとう」
完了と、晒された足の甲をぽんぽんと叩く。パンプスを履き直そうと足を上げかけたところへ、何故か拓也の手の平が邪魔をしてきた。
「…もういいだろ?なにして、」
「なんかさぁ〜…おとぎ話みたいだよな、今の俺たち」
「……は?」
間の抜けた声を出しながら、クスクスと笑う表情へ怪訝な顔つきを向ける。楽しそうに笑顔を見せてくれるのは良いのだが、彼が何を言っているのかまったく理解できなかった。
「ほら、今日の輝ニさぁ…ひらひらの白いスカート履いてるし…なんか、お姫様みてーだなぁ、って」
「ハッ…てことは、さしずめお前が王子様、てか?」
「……だめ?」
「……」
即答出来なかった。
今日の服装は、兄輝一へ協力を仰ぎ、泉と念入りに打ち合わせをした結果用意したコーディネートだ。「男って、揺れるものに弱いんだよ」という輝一のアドバイスを元に髪の毛もハーフアップにして、以前拓也が「あれ、似合いそう」と言っていたワンピースに近いデザインのスカートを選び、それに合わせて慣れないパンプスまで用意した。母、里美に話してみれば顔を輝かせ「靴は母さんが用意してあげるねっ」と新品が玄関に並んでいたのだ。その際慣らしてから履くようにと伝えたのだが、一刻も早く見てほしかった輝ニはその言葉を無視してそのまま履いてきてしまったのだ。
お姫様と王子様。自分たちには面白いほど似合わない名称に呆れつつも、正直嫌な気はしない。一瞬脳裏を過ぎった白色のタキシード姿の拓也に慌てて頭をふり「馬鹿だろ、お前は」と吹き出した。
バカバカしい、本当に、馬鹿だなぁ。そう言いながら、頬は赤らんでいるし、見るからに上機嫌な輝ニの姿に、拓也はふっと笑みを漏らした。