私は憤怒した。よくもまあそんな怪しげなものを口にしたなと、怒りの声を上げたくなった。
「おい拓也ッ」
「こーじ…」
ぽっこり浮いた喉仏が上下して「素直になる薬」なんて怪しさ満載の液体が体内に入っていったのをこの目で確認済みだ。自白剤とかの方がまだ幾分かましだろう。向けられた広い背中を思い切り蹴とばすか、それとも喉に指を突っ込んでしまおうか…。食道を通り、胃が吸収する前にどうにかしようと考える私の方に拓也が向き直り、そのままその腕の中へと閉じ込められてしまった。
「…た、拓也…?」
「うん、なあに?…輝ニって…へへっ、ほんっと可愛いよなぁ〜…もっと顔見せろよ…」
怒りが削がれていくのもうなずけるだろ。なんでこんな反応を見せてくるんだ…。
………可愛いな、おい。
そこからはもう拓也無双。「こーじ」と、蕩けるような甘い声音で名前を呼んだかと思えば唇が塞がれる。ただ合わさるだけの挨拶の様なキスのあと至近距離でうっとりと笑い「好き」と言葉にされた。背筋を駆け上ってくるのはただ一言「こいつは誰だろう」。
私自身、あけすけに感情を表に出すほうではない。喜怒哀楽で言う”喜”の反応は薄いと思う。だがそれは拓也も似たようなもんだ。コイツは喜怒哀楽の表現力は百点満点だが、そのかわり、圧倒的に「甘える」ことができない。最初からその機能が備わってないのかもしれん。それが神原拓也という男で、それが当たり前なんだと、10歳の頃からついさっきまでそう思っていた。
それが一気に覆ったのだから、言葉が出なくなっても仕方ないだろ…?
「お、お前…どうした…」
「名前」
「へ…?…名前が、どうしたんだ」
もみくちゃにされた頬がやっと解放され、抱きしめられたままの状態で見上げる。戸惑いながら復唱してみれば不機嫌そうに眉をひそめてきた。
「名前、呼んで」
「…た、たくや…?」
「おうっ!なぁに?こーじ♡」
「……」
人が変わったみたいな受け答えに動揺と胸のときめきが隠せない。なんだ、なんだこれ…!嘘だろ…まさか、これがコイツの”素直”なのか?!
にやけないように唇に力を込めてるからひくひくと動いてしまう。そこに柔らかい物が触れた。
舌だ、拓也の舌。
「ちょっ、拓也待って…!」
「やぁだ…俺、もっと輝ニとちゅうしたいんだけど…」
「ちゅうって…ッん!」
これじゃキスってより食事だな、そう考えてしまうぐらいの深い口づけ…ちゅう、をされた。言葉ごと丸のみにされ身体がふるりと震える。落ち着こうと鼻で呼吸を試みるが、拓也の匂いが流れ込んできて心臓が更に脈打った。
「…あ~…へへっ、かんわい…。こーじぃ…輝二が好き…可愛い…めちゃくちゃ可愛い…」
「まっ待て!待ってくれ…!」
「うんっ、俺待てるぜっ!」
犬かよお前は。ヴォルフを彷彿とさせる仕草にまた心臓が高鳴る。処理が追い付かない、壊れそうだ。
「え、偉いなぁたくや」
「ホント?!うわぁ…あはっ、やっべ…すっげぇ嬉しい…なあ、もっと褒めてよ。あと、頭っ…頭撫でて?」
「グゥッ」
もしかしたらコイツは、私の息の根を止めたいのかもしれない。心臓がつぶれたかと思った。
動物(コイツの場合大型犬か…)に褒美をやるように頭を撫でてみれば、心底嬉しそうな満面の笑みが向けられた。引き締まった尻の下からあるはずのない尻尾が見える。ぶんぶんと勢いよく振られる幻覚に思わず吹き出してしまった。そんな私を咎めるわけでもなく、優しい微笑みが降ってきた。
「輝二の笑った顔、大好き…なあ、もっと笑って…?」
「へっ」
「あははっ…その顔も好き♡」
「…なんだよ、そんな褒めたところで何もできないぞ」
「輝二がいてくれるだけで満足だもん」
はちきれてしまうんじゃなかろうか。持ち堪えてくれ、心臓。死因が拓也の可愛さだなんて絶対に嫌だ。
言葉だけで腰砕けになってしまう。力の入らない身体を支えるようにして、背中と腰もとに回された腕に引き寄せられる。眼差しが絡み合ったまま破顔が向けられた。
「~ッ耐えられんッ!お前っ少しは黙って、」
「名前呼んでっ」
「はいはい神原拓也くんッ!」
吐き捨てた七文字にすら満足そうに笑って「はぁい♡」って返事するんだから質が悪い。昨日の自分たちを思い出してみろって。一緒に映画を見ながら「この女優可愛い」「そうか?私はこっちのほうが美人で好きだな…」「俺らって趣味合わねぇよなぁ」「だなぁ」…とか話してたんだぞ。まさかこんな…私に対して、眼差しと言葉でこんなにも全力で「好きだ」「可愛い」と表現されるなんて思わないだろっ!
「た、拓也っ!とにかく、落ち着け…!一旦冷静にだな…」
「やだ、離れたくない…もっとぎゅってさせて…」
「きゅうっ」
変な悲鳴が上がってしまった。多分、口から心臓が飛び出た音なんだと思う。もしくは四肢が爆散した音だ。
つむじから始まり、額、瞼、鼻先と唇が寄せられる。段々と降りて行き首筋に厚みを感じさせるそれが添えられた。この流れは…と、期待してしまう。だが、ちゅっちゅう…と吸われるだけで一向に事が始まりそうにない。痺れを切らし、口の前で「たくや…?」とか細く鳴けば嬉しそうな顔を向けられた。
「輝二…こーじぃ…。へへ〜……だーい好き♡」
コイツの顔なんて見飽きるぐらい見ているはずなのに、なんでこんなにときめいてしまうんだろう。うるさいぐらいの鼓動が拓也にも伝わってるんじゃないだろうか。情事の匂いが一切無い触れ合いに私の理性が揺らいでしまう。
「…た、たくや…」
「ん~?」
「そのっ…あっあのな……えっと、な…」
「ははっ…ちゃんと聞いてっから、お前の声もっと聞かせてよ」
”お前”?!お前って言ったのか…?!付き合いだしてからその呼称がなくなった事に気が付いてはいた。拓也なりの誠意なんだと思い特に気にしなかったが…。久々にそう呼ばれると胸の奥がむずむずしてくるな……結構好きなんだよ、お前って呼ばれるの。
このまま行為に及んだらどんな拓也が見れるんだろう。好奇心半分、喜びと期待がもう半分。熱い背中へ手を回し私からも抱きしめ返す。今日の下着、上下揃ってないがまあ大丈夫だろうな。さっさと寝室に連れてかれたい。
「ぎゅうってしてくれんの?うわぁ、すっげぇ嬉しい…もっとさ、もーっと…ぎゅってしよ…?」
ああもう…ッ!私の好きな男がこんなにも可愛いなんて…!!
「おーい」
「……」
「おーい拓也ー?」
「………当分俺に触れんといてください…」
「くくっ…昨日はあんなに可愛かったのに…」
「ッ、だぁ~っ!やめろってばっ!」
「くっあははっ!…ふふっ…好きだぜ、拓也」
「…んだよ…。……俺も…好き…だけどさぁ…」
「ぎゅうってしなくてもいいのか?」
「てめ…っ!やっぱりおちょくってんだろッ!!」