君は誰のもの「それでは、今年も一年お疲れ様でした〜!」
カチンッとグラスのぶつかり合う音が響く。朝晩とめっきり冷え込む12月末。夢野幻太郎は出版社の少数の人間で行われる忘年会に参加していた。
編集長と数人の作家と担当。顔を見た事ある顔もいれば、今日が初めましての顔もいる。
参加する気は無かったのだが、今年は編集長の押しに負けて断れなかった。
担当である野田さんからは「お疲れ様です」と苦笑いをされた。
編集長や他の作家達との挨拶も程々に、隅の方でひっそりと酒を飲む。
「夢野先生お疲れ様です〜!」
と、急に声を掛けられて幻太郎はビクッと肩を揺らす。
話しかけて来たのは作家の世界では名前を知らない物は居ないと言われる大物作家だった。そういえば、担当が「今年は珍しく参加されるんです」と言っていた気がする。
「お疲れ様です、柴田先生」
「嫌だな、堅苦しいのは止めてくださいよ。歳も近いんですから」
「いやいや、こんなにも有名な先生と敬語を外して話すなんて恐れ多い事」
「酒の席なんですから。夢野先生が参加されるなんて珍しいですねえ」
「柴田先生こそ。この様な酒の席はあまり好まないとお聞きしていますが」
「今年はその気になったのでね。…時に夢野先生、ひとつお伺いしても?」
「はい、なんでしょう?」
「夢野先生には、恋人が居るという噂は本当ですか?」
「…どこでそれを?」
「いやね、ウチの担当が言っていたんです。「夢野先生には御付き合いしている方がいる」ってね」
「へえ。その様な嘘が出回って…」
「写真もあるんですよ、ほら」
ピラ、と見せられた写真。その写真は桜花と幻太郎が仲睦まじく街中を歩いている写真だった。
「…どこで……」
「細かい事はいいんですよ、先生。賭けをしませんか」
「賭け?」
「飲み比べをしましょう。夢野先生が俺よりも多く飲めたら何も致しません。だが、俺の方が多く飲めたら彼女を俺にください」
「彼女は物ではありません」
「喩えですよ喩え。どうです先生?ここは一勝負」
「お断りします」
「そうですか。では私が彼女に何かアクションを起こしても問題ありませんね?」
「何故そうなるのです?それは違うでしょう」
「勝負から降りるんですから。何しても構わないという事です。負けるのが怖いんですか?だから初めから乗らないという手を取ろうとしたんですか?」
「そうでは無いです」
「いや、そうだ。俺が勝負に勝ち、彼女に何かするのが怖いのか?そうだなぁ、まずはあの綺麗な身体が俺の手でどう動くのか隅々まで見てみたいなぁ」
「…分かりました、いいでしょう。すみません、生2つと熱燗2つ」
「…そうこなくっちゃ」
普段の幻太郎ならこんなにも安い挑発には乗らなかっただろう。普段飲まない場で酒を飲み空気に酔っていたのだろうか。幻太郎は勝負を受けてしまったのである。
それはそうと、この柴田という男。人のモノを横取るのが趣味と言ってもいいくらい人の恋人を取るのが好きな男である。
人気作家、夢野幻太郎の恋人。柴田が興味を持つには充分過ぎた。
「さァ、始めようか」
ーーーーーーーー
「夢野先生、起きてくださいよ」
数時間後、顔色を一切変えずに酒を飲む柴田と顔を真っ赤にして潰れて眠る幻太郎の姿。
「あれぇ!?夢野先生潰れちゃった?」
「え〜!珍しい!今迄お酒飲んでも潰れる事無かったのに〜」
「はは、話が盛り上がってしまったのでそのせいかもしれません」
編集長と柴田の担当が吐いた台詞を軽く受け流す柴田。それを幻太郎の担当、野田はハラハラと見つめていた。
夢野先生は負けず嫌いだ、きっと柴田に上手く乗せられて飲んだんだろう、と。
「……っ」
「誰がタクシー呼べます?俺が夢野先生送りますんで」
「え、いやそれなら私が…。柴田先生にお手を煩わせる訳には」
「いいのいいの、俺も帰ろうと思ってたしついで。野田ちゃんみたいな細い女の子に夢野先生介抱出来ないでしょ」
「ですが……」
「いいからいいから。それじゃ編集長、皆さん。良いお年を」
そう言って、幻太郎の腕を自分の肩に回し立ち去ろうとする。その時。
「……あっ」
と、野田が入口の方を見て声を上げる。その声に全員がつられて目を向けると、そこには女性が立っていた。
「「「!?」」」
『すみません、幻太郎います?』
「あ、ここです!ここ!」
『あ、野田さんお疲れ様です。連絡ありがとうございます』
「🌸さん!すみません突然…」
『いえ、幻太郎がすみません』
ペコリと担当に頭を下げる女性。白のコートにゆるっとした茶色のシャツワンピース。ウエストよりも少し高めの所でベルトを閉め、スタイルの良さを引き立たせた格好。覗く手足が白く、黒色の艶のある髪、少し明るめの紅いリップ。まるで現代の白雪姫の様だ。
「君は…?」
「あの、私が呼んだんです、編集長。夢野先生の顔色が悪かったので、家まで送ってくれる方が必要だと思ったので親しい方に連絡しました」
おずおずと手を挙げて名乗り出る幻太郎の担当、野田。
「流石担当!仕事が早いねぇ!」
『編集長ですか。いつも幻太郎がお世話になってます』
「いやいや!ところで君は一体?」
『あぁ、申し遅れました。私、夢野幻太郎の婚約者です』
ピタッ、と場の空気が止まった。
「「「こ、婚約者!?」」」
『ええ。いずれ幻太郎からお話があると思いますが。今書いている原稿が終わるまで内緒にしてようって話だったんですが…。聞かれてしまったので、しょうが無いですよね』
ニコッと花が咲く様な笑顔で微笑む。その笑みに一同が見蕩れたのは言うまでもない。
『そういう訳ですので、そこのお兄さん。幻太郎を送ろうとしてくれて有難うございます。でももう大丈夫ですので』
「い、いや、君一人だと歩いて先生を運ぶのは大変だろう?俺も一緒に…」
『車で来てますので大丈夫ですよ。店の前に停めていて他の方に迷惑が掛かるので、…もう良いですか?』
と、少々強引ではあるがグイッと幻太郎の腕を柴田から外し、スルリと自分の肩に絡ませた。
「あっ」
『失礼。さっきから大丈夫と言ってるのに此方に寄越してくれないものですから』
「いや、だから運ぼうと…」
『まだ分かりません?貴方の手を借りる程のことではありません。結構です』
「…ぅ…?🌸……?」
『あ、起こしちゃった…。おはよう幻太郎、随分と飲んだのね。車まで歩ける?』
「ん…」
『良い子。もう少し頑張ってね。…そんな訳でお兄さん。この方は私の殿方なので。失礼』
ニコッと柴田に微笑み居酒屋を去る桜花。その背を編集長らはボーッと見つめ、柴田は悔しそうな顔をし、野田はペコペコと去っていく桜花の背にお辞儀をしていた。
ーーーーーーーー
『…あれ程外で飲まないでって、言ったよね私』
「…すみません」
『どしたの、幻太郎にしては珍しい』
「いえ、別に…」
車を運転しながら、桜花は幻太郎に問う。あまりハッキリしない返事に溜息をつきながらも『いいよ、もう』と理由を聞き出すのを諦めた。
『私の家行くよ、いいね?どうせ明日二日酔いで体調悪くなるだろうし、乱数ちゃん達との忘年会は私の家でも出来るし』
「はい…」
『…寝てていいよ』
「嫌です」
『何で』
「…🌸は小生の何です?」
『え、何急に』
「いいから」
『…あ、さっきの聞いてたの?』
「いいから…っ」
『…彼女よ、今は。でもいずれ私か幻太郎、どっちかがプロポーズして婚約者になるのよ』
「そ、ですか」
『だって私も幻太郎も、お互いの事を好きじゃ足らない位に想っているから。遅かれ早かれ、きっとそうなる…。まだ分かんないけどね』
「………」
『何、あの作家に何か言われた?』
「…飲まなきゃ取られたんです」
『何、私で賭けしてたの、マジか〜』
ケラケラと笑う🌸。そんな彼女に「笑い事じゃない!」と幻太郎は言い放つ。
「だって、小生が勝負に乗らないと🌸に手を出すと言われて、凄く焦って、なのに何故貴女は平気で居られるんです…っ」
『落ち着いて幻太郎。私に何かあっても大丈夫だよ。だってそうなる前に幻太郎が助けてくれるでしょ?』
「それは、そうですが」
『それと。私は幻太郎以外の人なんて誰も見えないよ。貴方しか愛してないから』
「…!」
ーーーーーーーー
「さ、着いたよ」とマンションの駐車場に着き、助手席の扉を開ける🌸。幻太郎はふらついた足取りで車から降りる。
それをすかさず転ばぬ様にと🌸が支え、彼女の部屋まで歩く。
部屋の鍵を開け、靴を雑に脱ぎ捨て、桜花のベッドに幻太郎を横に寝かせる。『水取って来るから待ってて』と去ろうとする彼女のワンピースの裾をクイッと引っ張った。
「まって、🌸」
『んー?』
「きす、したい」
『…えっ』
「だめ?」
『や、ダメじゃないけど…』
「おねがい」
何時もより酔いが回っているせいだろうか、舌っ足らずに幻太郎はおねだりをする。
『…わかった。でも待って。その前にお水飲んで、服も楽なのに着替えないと「いい、はやく」わっ!?』
グイッと🌸の腕を引っ張る。急に腕を引かれてバランスを崩した🌸は幻太郎の上に覆い被さる様に倒れた。
幻太郎からの強いお酒の香り、いつも以上に火照っている身体。こっちまで酔いそうだ。
そのままグッと顔を寄せられ、吸い付くように唇を奪われる。アルコールを多く含んだ息にクラッと目眩がした。
「…んっ」
『ふ、ぁ』
ちう、ちゅっと短いキスを繰り返される。それが擽ったくてフワフワして、身体の奥がゾワリと刺激された。
『げ、たろ、すとっぷ』
「いやです」
『ん、』
数十分程、されるがままにキスを続ける。短いキスも深いキスもした。
トントンッと胸板を軽く叩かれ、幻太郎はそっと唇を離した。ツウッと透明の糸が伸び、プツンと切れた。
『…げんたろ、水持ってくるから』
「足りない」
『え』
「足りない、🌸」
プチプチと、頼りない手付きでもしっかりと、桜花のワンピースの牡丹を外していく。
『ちょっと』
「いいだろ…減るものじゃない」
牡丹を半分位外した所で、ピタリと手を止め首元へ顔を持ってくる。ヂュと鈍い痛みが走る。チラリと目をやるとそこに咲く紅い花。桜花の白く陶器の様な身体にはよく映えた。
「っはは…。綺麗に付きましたねぇ」
『あ、こら、』
「ふふ、どうせ明日の乱数達との約束は夕方です。時間はたっぷりあります。…さあ、愛し合いましょ?」
ーーーーーーーー
プルルルルップルルルッという電話の着信音で目が覚めた。
「…はい…?」
「あ、もしもしげんたろー?今どこいるの?」
「乱数…?」
「あれ、今起きたの?もうおやつの時間なのに珍しーっ」
「おやつ…?え、今3時ですか!?」
「そ〜だよーっ!仕事早く終わったから、約束までまだだけど幻太郎の家に行こーって思って連絡したのに既読付かないから電話しちゃった!で、どこいるの?」
「え、あ、すみません乱数、今…『んん…げんたろ?』あっ」
「…あぁ〜、成程ねぇ…。…約束してた時間に🌸の家行くからそれまでに用意しといてねっ!帝統の事は任せといて!あっ、🌸にあそこの通りにあるケーキ屋さんの新作買ってくねって言っといて〜!」
「じゃーね!」と一方的に電話を切られる。
「…後で詫びを入れなければ…」
『げんたろ?』
「あぁ、おはようございます🌸。…乱数達が来るまであと二時間あります。用意を終わらせてしまいましょう?」
『ん…。そだね』
寝ぼけ眼の彼女に軽く接吻をする。
「さぁ、年越しの準備を始めましょう」
ーーーEndーーー