夢現 たぶんそれは、ほんとに些細なことだったのだろう。
何となくそんな気持ちになって、興味本位で触れ合って、お互いに持った熱を弄ぶように始まったものだ。それがまさか、恋人の真似事までに発展して、体まで繋がろうなどとは、この時の二人は想像もしていなかったのだった。
遡ること二週間程前。
とにかく暑かった。冷房設備が整っているテイワット学園でも節電も兼ねて設定温度は基準値、それはじんわりと暑さを感じるくらい。机の上にハンディ扇風機を置いている者もいた。水分補給も許されているため、各々の飲み物も置いてある。その教室の窓際に座る金髪緑目の青年、神里家に仕えているトーマは晴れている夏空を頬杖をついて見上げていた。
(今晩は何か、冷たいものがいいかな。無難に素麺、それとも冷やし中華……)
彼の頭の中には今晩の献立が浮かんでいる。主人たちの口に入るものだからよくよく考えているのだろ。二つほど下の学年にいる綾華と社会人である綾人、この二人の主の為にトーマは授業終了のチャイムが鳴るまで考えていた。結論は出ていないが固まってきたことでカバンからメモ帳を取り出して買い物リストを作り始める。あとは二人に意見を聞いてみようと端末を取り出してメッセージだけ送信していた時だった。
「トーマ、何してんの?」
顔を上げれば深い蒼の瞳と視線が交わる。オレンジ色の髪が少し眩しく幼いような顔立ちの青年がトーマの机の前に立っていた。トーマは口角を上げて買い物リストを見せながら口を開く。
「今晩の献立を考えていたんだ。今日は暑いしね」
「なるほどねえ。ふんふん、素麺か冷やし中華ってとこ?」
「そう、今二人にどっちがいいか聞いているんだ。どちらになっても明日の夕飯に出来るし」
「トーマは毎日考えてて偉いね。というか、いいお嫁さんになりそ〜なんて」
冗談を口にする青年にトーマはムッと口を尖らせた。そして彼に見せたリストを取り上げてそっぽを向く。
「ふざけたことを言うやつには今日の昼飯は渡さないよ」
「ああっ、ごめんって!冗談だよ、冗談。だからトーマのお弁当、俺にも頂戴。ね?」
慌てて謝罪する彼にトーマは溜息をもらす。両手を合わせて可愛らしく小首を傾げ眉尻を下げながら言う姿を見てはトーマは心中でそのあざとさに溜息をつく。そしてはい、とひとつの弁当箱を包んだ包みを渡せば彼は笑みを綻ばせた。
「助かった〜!俺の楽しみなんだよね、トーマのお弁当」
「自分でも作れるくせによく言うよ」
タルタリヤ、と呼ばれた彼はきょとんとした後に笑ってみせる。少し貼り付けたような笑顔をトーマは誤魔化しだと直ぐに解るのだが。
クラスメイトでもあるタルタリヤにはこういう部分がある。兄弟が多く、弟や妹の面倒を見ながら学業に励みアルバイトもしているが自分よりも家族を大切にする傾向が極端でお手製の料理は家族に惜しみなく振る舞うくせに自分にはコンビニやスーパーで売っている惣菜パンやおにぎり、弁当で済ませがちなのだ。トーマは特別タルタリヤと仲が良い訳では無かった。何せタルタリヤはこの学園内でも『問題児』の一人である。
喧嘩が強く、売られた喧嘩は進んで買い、負け知らず。それは学園内外問わず行われる為、たまたま買い物を済ませたトーマが喧嘩終わりで口端を切っていたタルタリヤを見かけたことから二人の距離は縮まったのだった。これについては綾人も綾華も知っている。面倒見がいいトーマは「大丈夫だから」と言うタルタリヤを無理矢理にでも神里屋敷に連れて帰り、手当をしたことから主である二人にも認知されているのだ。ただ、何故喧嘩をするのかはわからない。それを問うとぺたりと貼り付けた笑顔で「君は知らなくていいよ」と言ったのだった。
恐らく一番親しくしているのはトーマであるがタルタリヤはそんなトーマにも本心を晒さないのである。トーマも触れてほしくないのだろう、と深入りしないでいた。