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    ジョン道

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    ジョン道

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    架空小説レビュー杯より、避雷針さんの人魚解体を書かせていただきました。

    人魚解体 砂浜には一匹の人魚が打ち上げられていた。

     思っていたより醜いな、というのが所感である。胴体は魚というより蛇のようだし、妙に大きな尾びれがなんだか馬鹿馬鹿しい。胸から上は手羽先のようにぶにぶにとした皺で覆われていて、顔はギョロリとした目と歯の生えそろった口以外は膿んで不明瞭だった。

    ──目はともかく、瞳だけは綺麗だな

     青空を煮詰めたような青すぎる瞳。どこを見ているのか不明瞭で、というよりきっとどこも見ていないそれは、白濁した肉に宝石が埋まっているようだ。

     もう初夏だと言うのに人のいない海岸には潮の匂いのする風が吹いていて、それが生臭い匂いを広げていく。
     鼻腔の粘膜が刺激され、つん、と目元のあたりに圧迫感が生じた。少しだけ、涙が滲む。

     昔、職場で貰った魚を余らせてしまった時のことを思い出す。もともと廃棄の商品だったのだからすぐに食べなくてはいけないのは当然で、一週間経ったそれはとびきり気の滅入る異臭を放っていた。

     今目の前にあるものは、その比ではないのだが。

     さて。
     さて、なのである。これを、どうしたものか。
     
     別に捨て置いてもいいのだが、妙な興味を惹かれる自分がいるのもまた事実である。醜いし、臭いし、常時であれば嫌悪感以外を持ち様がないのだが、しかしながら私の心は穏やかだった。

     腰をかがめて人魚の背中に手を差し込むと、ぬるり、と言う感触と共に案外簡単に腕まで入っていく。
     砂の熱さを感じながら、私は腕に力を入れてそれを持ち上げた。

     軽い。
     とても、それはとても軽かった。
     老いた母をおぶった時のような、妙に拍子抜けする軽さで、少し悲しい気持ちになった。

     私は悲しい気持ちのまま、人魚を抱えて歩き始めた。

    *******

     ざくり、と包丁を突き立てると、ぬるぬるとした肉に沈んでいく。滑るものだと思っていたので、意外だった。

     首から下に向けてゆっくりと包丁を動かしていくと、赤黒い肉と、灰褐色の胸骨と、歪な形の内臓が露わになる。
     じゅるりと音を立てて半透明の体液が吹き出し、浴室のタイルの上で細く流れていった。

     軽くシャワーで流してやると、一斉に血が滲み広がる。せまいものだから簡単に床は薄い赤に染まって、私の足の裏には妙に痒いような違和感があった。

     人魚は首を壁に横たえるように寝かせてある。鱗に蛍光灯の灯が反射して、ぬらぬらと怪しい輝きを発していた。

     ぎょろりとした目は、こちらを見上げているようにも見えた。青い青い瞳。でも、それは気のせいだ。人魚の目は相変わらずどこも見ていない。筋肉が弛緩して、眼球としての機能などとっくに放棄しているのだ。

     腹を開いて内臓に手を突っ込むと、ナマコのような──おそらく肝臓にあたる臓器は力を込めるだけで弾け、中から粘液がまた吹き出す。いくらみたいだと思った。

     びらびらとした肝臓の残骸を浴槽に捨てながら、我ながら何をしているのか……と考えないでもないが、手は半ば機械的に次の内臓を掴んでいる。今度は包丁で切り出し、しばし眺めて浴槽に投げ入れていく。本当に何をしているのだろうか、私は。

     切り出して、眺めて、捨てる。百足のような黒々した大腸を、寄生虫のような真っ白い小腸を、フナムシの出来損ないみたいな膵臓を、潰れた眼球のような腎臓を、異形の、配置から機能を推定するのが精々の臓器たちを浴槽に投げ入れていく。
     
     肉が飛び散って、バスタオルを汚す。ああ、あれはもう使えないだろうなぁ。シャンプーも、ボディーソープも、雑に手を払うたびにぴよぴよと脂肪や血や神経のような細い糸やらに塗れる。汚い事この上ない。息が詰まって、呼吸困難になりそうだ。

     ほんと、なんで。

     呆れと言うよりは、自嘲というよりは、単純に不思議だった。なぜ自分は人魚を家に持ち帰り、解体などしているのだろうか。

     腕に汗が滲む。簡単に切っているつもりでも案外負担がかかっているのかもしれない。

     なんだか、他人事のようだった。悪臭も粘液の感触も、何もかも。

     腹のあたりの内臓をすっかり抉り出すと、次は胸骨に手をつける。以前何かの動画で見たところによると外れるはずなのだが、これがなかなか重労働だった。包丁を無理に骨に擦り付けても切やしないし、手で引っ張ったって外れない。
     
     記憶を頼りに鎖骨周りの筋や軟骨を切って、やっとこさ胸を開くころには汗まみれだった。   
     開いた胸の中には、双子の胎児のような肺があった。

     人魚にも肺がある、ということはこいつは呼吸をするのか。軽く押してみると中には水が入っていたようで、牙の生えた口から塩水が漏れた。

     呼吸をするためのものではないのか、それとも溺れたのか。疑問が増えては、まぁいいかと霧散していく。感情も思考も曖昧で、確かなのは体の動きだけだ。

     せっかく胸骨を外せたのだしと、両腕に挑戦することにした。手、といってもなんとか人間の形をなぞっているだけのそれは、熱で溶けた人形のようで、起伏もなく全体として嘘くさい。

     肩を軽く押すとあっさりと関節が外れて、脱臼したようにだるだるになってしまった。そこに包丁を入れれば容易く、腕は胸骨ほどの労無くして外すことができた……のだが、血の吹き出しが思ったよりも激しく、顔にかかってしまった。

     毒々しい鉄くささに一瞬たじろぐ。

     けれどやはり、私はすぐに切り落とした腕を持ち上げて、観察することに気持ちを切り替えた。

     切り替えた、というのが適切かはわからないが。

     腕はやはりなんだか嘘くさくて、取ってつけたように青緑の鱗があるのも余計にそう思わせた。軽く手のひらを握ってみると、粘液まみれの体にあって、そこだけはさらりとしている。

     白魚のような手というのは、こういうことなのかもしれない。しばらく指を絡ませて、なんだか気恥ずかしいような気がしてやめた。それに、人魚が私を睨みつけているようにも思えたのだ。

     両手を浴槽に投げ入れると、重いのか内臓がびちゃりと潰れた。ゆっくりと肉片に沈み込んでいく腕は、ベッドの上で戯れる女のようにも──いや、そんな艶めいたものでもあるまい。気の迷いだ。

     気の迷いといえば、一連全てがそうなのだろうが。

     どうかしている。どうかしている。どうかしている。理性はずっとそういっている。

     けれど、ダメだ。ダメなのだ。

     口に出して、馬鹿馬鹿しいと言おうにも、言葉が出てこない。息が詰まる。

     思考はぼんやりと、他人事じみて──ああ、私の思考は、同じところを行ったり来たりしている。

     人魚の目が私をみている気がした。牙の生えた口が今にも開きそうな気がした。

     気がするだけ。気がするだけで。怖いとも思えずに、ただ予感している。

     私は、手に力を込めて、勢いよく人魚の首を切り落とした。

     漫画のようにそれはあっさりと胴体と別れ、ごろりと音を立てて転がる。頭が潰れ、脳が露出した。

     私がそれを拾い上げると、ギョロリとした目は少し陥没し、青い青い瞳は漏れ出た粘液で濁って見える。
     なんだか、笑ってるみたいでも怒ってるみたいでもあった。冗談に、口づけでもしてやろうか──と思ったけれど。やっぱり睨まれている気がして頭を浴槽に捨てた。

     浴室には生臭い匂いが充満していて、私はまた少し悲しくなって。
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