「さすがの俺も無理」
「そこをなんとか!」
「無理なものは無理」
取り付く島がないとはこのことを言うのだろう。千切はちゅーっとストローでアイスティーを啜ると、この話は終わりだと言わんばかりに携帯を弄り始めた。
俺たちの仲だろう!? と訴えたが、絶対に嫌だと却下される。「そもそもレオが同じようなお願いを俺からされたらどうする?」と返されて、確かに断るわ……と頷いた。
「それと同じだって」
「でも、千切は俺にそんなお願いしないだろ」
「まずさ、普通に生きてたらレオみたいな状況に追い込まれることねーの。そもそも許嫁なんていないし、一週間後に彼女連れてこなかったら即婚約! なんて親から言われることもないし」
「だよな……。やっぱり家を潰すしかねーか……」
「その物騒な考え方はヤメロー」
「でももう打つ手がねぇんだよ……。うちの親はやるったらやる」
「それには同情するけどさ、まず俺は男だっつーの」
「だから頼んでる」
「は?」
「ほら、女に興味ないって言えば、諦めてくれるかなーって」
「だったら、もっと適任がいるじゃん」
「適任?」
「凪だよ、凪」
"凪"と言われて、すぐにあのぬぼーっとした宝物であり大親友でもある凪誠士郎の顔を思い浮かべる。
凪誠士郎は自分にとって宝物だ。そして、唯一無二の存在で、半身みたいな友。夢を分かち合った男だ。そんな男を巻き込むのは気が引ける。というより、凪とは周りに勘違いされるほど仲が良いこともあり頼みづらかった。実際に今、同じ国内リーグに移籍して所属していることもあり、ルームシェアをしているほどの仲だ。そんな男に頼んだら、なんだか"ガチ"な空気感になりそうで。だから初めから選択肢に入れていなかった。
「つーか、凪はこのこと知ってんの?」
「あー……秘密にしてる」
「なんで?」
「変に気ぃ遣われても困る」
「俺はいいのかよ」
「そういうわけじゃねーよ。ただ、千切は男だし、凪以上に立ち回りがうまそうじゃん? それに、千切のことは男前だと思ってるけど、綺麗でもあるだろ? だから適任かなって」
「まぁ、この鍛えられた足を見てくれれば。あと、毎日サボらずに手入れしてるこの肌と髪を見てくれれば」
千切が肩についた髪をさらっとはらう。満更でもないといった表情だ。
千切は男から見ても女性らしい顔立ちをしている。だがその一方で性格は男らしいし、足のケアを怠らないマメさとストイックさも持ち合わせている。そういうところは素直に尊敬できる点だ。もちろん、サッカーのテクニックも。だからこそ、両親の元へ連れて行くには相応しいと思ったのだ。偽物の恋人として紹介するには申し分ないと。
綺麗な容姿の千切にうっかり惚れ込んだ。千切を知れば知るほど、性格も男らしく惹かれていった。だけど相手は男だ。千切と付き合いだして、女には興味をなくした――というシナリオで紹介すれば、なんとなく筋が通るような気がした。あからさまに男を連れて行ったら怪しまれそうだが、千切なら。ワンチャン可能性があるかもと。
「だから……な? 一生のお願いだから!」
「こんなところで……、おまけに俺に対して一生のお願いとか使うなよ。つーか、案外レオって可愛いとこあるよな」
「は? どういう意味だよ」
「別にー。ただそういうところが好きなのかなって」
「何が……?」
「こっちの話。ま、そういうことなら後腐れなくて適任な奴を紹介してやるよ」
「いるのか!? そんな奴!?」
思わず椅子から立ち上がる。アンティーク調の白いテーブルがガタガタと揺れた。女性ばかりで賑わうスイーツカフェに男ふたり、おまけに騒音を立てたとあっては目立つ。いくつかの視線を感じてすぐに座り直した。
「わりぃ……。でも本当にそんな奴いんのかよ?」
後腐れなくて無茶なお願いをできる人物……に心当たりがない。そもそも女性に頼もうものなら、ここぞばかりにそのまま恋人ポジションに収まろうとあの手この手で擦り寄られてしまう。反対に同性に頼もうものなら気味悪がられて拒否されるどころか軽蔑される。だから、千切が一番まだ可能性があると思ったのだが、当の本人は任せておけと笑うばかりだった。絶対にいい奴を派遣させるから、と。
「本当に信じていいのかよ?」
「もちろん! ただし、文句は言うなよ。とっておきの奴を派遣してやるから」
「……分かった。お前を信じる」
こうなったら藁にも縋る思いだ。なんとしてでも結婚を阻止しなければ。
それから暫くして、千切には約束の日と場所を伝えて別れた。もちろん、カフェの代金はこっち持ちだ。千切は最後の最後まで遠慮なく食事を楽しむと、にこやかに去っていった。
◆
「あ、レオ、おかえりー」
凪とルームシェアしている部屋に戻ると、物音で帰宅したことに気付いたのか、リビングから凪の声が聞こえてきた。部屋には相変わらず、ソファーに寝そべりながらゲームをしている凪がいる。
玲王は寝癖がついた凪の髪をわしゃわしゃと撫でると、ジャケットをソファーの背にかけた。
「今日はどこ行ってたの?」
「んー、ちょっとな」
凪には何処へ行ったのか、誰に会っていたのかは伝えていない。わざわざ報告するほどでもないしな、と思い至ってのことだったが、珍しく気になっているようだった。プレイしていたゲームを中断し、じっと探るような視線を向けられる。
「もしかして浮気?」
「は!? 馬鹿なこと言うなよ! ってか、浮気って変な言い回しすんなって!」
普段、冗談を言わないのに、こんなときだけ茶化されて焦る。別に悪いことはしてないはずなのに、見合いの話で困っていること、それを千切に相談したこと、それらすべてを黙っていることへの後ろめたさが生まれた。
「俺、やだよ」
「何が?」
「レオとずーっと一緒に暮らしたいもん。だから浮気は絶対ダメだからね」
しれっとそんなことを言う凪に、思わず玲王の表情が固まる。
できることなら凪とずっと一緒に暮らしたい。だけど、それは叶わない。遅かれ早かれ御影コーポレーションの跡取りを、という話になる。それに、凪にもいい相手が見つかるかもしれない。この楽しいルームシェア生活はいつか終わるのだ。凪には申し訳ないけれど、その願いだけは聞き入れられない。
「どうしたの、レオ。険しい顔して」
「いーや、なんでもねーよ! ま、暫くはこのままだって!」
もう一度、わしゃわしゃと凪の頭を撫でる。こうして凪の頭を好きなときに撫でられるのも、あと少しかもしれない。そんな考えが過って、思わずため息をついた。
◆
「あー、クソッ。やられた……」
オフィスビルが並ぶ通りの端っこ、御影コーポレーションのビルが目と鼻の先にある石垣の前で玲王は項垂れる。
千切に限ってそんなことはない。と信頼していたのだが、約束の日になっても千切からの連絡は来なかった。千切のことだ、土壇場でなんとかしてくれるはず、と期待していたが、そのまさかである。当日の朝になっても千切からの連絡は来ず、おまけに約束の時間を五分過ぎても誰も来なかった。
「マジかよ……。でも、お嬢がこんなことするはず……」
何かの間違いかもしれない。そう思ったが、待ち続けるも来ない。あと十五分以内に誰も来なければ、移動するしかない。恋人はいないということで、両親によって勝手に決められた許嫁と強制婚約だ。そもそも、仮に恋人を連れて行ったからといって、すんなり認めてくれるかも分からないのだが。
「仕方ねぇか……」
偽物を用意したって意味ないしな。と、半ば諦めたときだった。後ろから「レオ!」と呼ぶ声がした。
「……は? 凪?」
おいおい嘘だろ、と思いつつも凪がこちらにずんずんと歩いてやってくる。無表情ではあるものの、どことなく怒っているようだった。
そもそも、家を出るときはまだベッドで眠っていたはずだ。それなのに、なぜ此処にいる?
「お前、なんで、」
「これから千切と一緒に、結婚の挨拶をしに行くってマジ?」
「は?」
「答えて」
「いや、待て待て。なに言ってんだ?」
ちょっとだけ息を切らした凪に、ぎゅうっと両肩を掴まれる。指が肩に食い込んだ。痛い、痛い、痛い! と訴えるも、さらに力が強まる。
「まず、千切と付き合ってるとか聞いてない」
「いや、付き合ってねーけど……?」
「嘘つかないで。これから玲王のパパさんとママさんに結婚の挨拶いくんでしょ?」
「それはそうだけど……」
「ほら!」
「だから、痛いって!」
ギリギリと肩を掴まれて痛い。思わず手を振り払えば、凪の表情がより一層険しくなった。
「ずっと、悪い虫がつかないようにって見張ってたのに」
「お前、さっきからなに言ってんだよ?」
「よりにもよって、こんな近くから……」
凪がハァ……とため息を付いて、肩に額を押し付けてくる。本当に千切と付き合ってんの? と聞かれて、ぶんぶんと首を横に振った。
「付き合ってねーって」
「でも、挨拶には行くんでしょ?」
「それはフリで」
「フリ?」
「だから――……」
すべてを話しきったとき、凪が膝から崩れ落ちた。お前、そんなリアクションできるのかよ!? とここ数年で一番の驚きだ。凪は頭を抱えてしゃがみ込むと、何度も深いため息を吐き出していた。道行くサラリーマンが変なものを見るような目で凪に視線を向ける。
「凪、とりあえず立てって!」
「ハァ……もう最悪。千切にしてやられた」
「一体、どんなこと言われたんだよ?」
「そのままだよ。今日、千切とレオが結婚の挨拶に行くって……」
「ハッ! マジかよ、ウケる! まぁ、間違ってねーけどさ。つーか、なんでそれでお前が慌てんだよ?」
「…………」
凪の視線が痛い。何かを訴えかけるような視線と、諦めにも似た表情にぴたりと玲王の笑いが止まる。
つーか、コイツ、こんなに表情豊かだったか? それだけ凪にとって、結婚報告は重要なことなのだろうか? まぁ、確かに結婚という大事なイベントを、直前まで友人に黙られてたら嫌かもしれない。いつか、本物の結婚報告をするときは真っ先に凪に報せなくては。そう心の中で決意する。
「ごめんな、凪。変な心配させちまって」
「いーよ、別に。ちゃんと確かめなかった俺も悪いし……」
「そういうわけだからさ、俺、行ってくるわ。なんとか、婚約を解消できないか掛け合ってみる」
お前は先に帰ってろよな、と手を振ったが、あろうことか凪にその手を掴まれた。
「は? なに言ってんの? 一緒に行くに決まってるでしょ」
「いやいや、悪いって!」
「いいから」
「つーか、本当に分かってんのか? 俺と一緒に行く意味」
俺の恋人として振る舞わなきゃいけないんだぞ? と訴えたが、凪が手を振り払うことはなかった。そのままビルの中へ入っていこうとする。
玲王は、嗚呼もうどうにでもなれ! という気持ちで前髪をぐしゃりと潰すと、今度は自ら凪の手を引き、ビルの裏手側まで向かった。
総資産7058億は昔の話。あれから成長を重ね、ほとんど1兆に迫る勢いで資産を伸ばしている御影コーポレーション。その屋台骨を支えるのは間違いなく、自分の父親であった。
父は間違わない。企業経営のノウハウにおいて、父は間違いなくこの日本のトップだ。そのため、父が白だと言えば白になり、黒だと言えば黒になる。少なくも、御影コーポレーションの中では。つまり、この婚姻においても例外はない。例外はないのに、隣にいる凪はどこ吹く風だ。やっぱりレオの会社はでっかいねー、なんて呑気な感想を述べている。
居住エリアとオフィスが一緒になっているこのビルは、上階が両親たちが暮らすエリアになっている。裏手にある直通エレベーターから一気に上まであがっている間も、凪だけはいつも通りだった。応接室に通されても変わらないまま、両親が入ってくるのをソファーに座ってじっと待っている。逆に玲王の方が吐きそうな気分だった。
「大丈夫? レオ」
「あぁ……大丈夫だ」
膝の上で握った拳の中が汗で湿っている。これでよく千切を偽の恋人役に……なんて思ったものだ。凪と一緒でも不安なのに。
「ぜんぶ俺に任せて。大丈夫だからね」
よしよしと凪に背中を撫でられて、自覚している以上に自分が緊張しているのだと気付いた。やがて、応接室の扉が開き、両親たちが入ってくる。
凪は両親を見るなり立ち上がると一礼した。その畏まった所作に、本当の結婚報告みたいだ、なんて思う。
一方の両親――とくに父親は――凪を一瞥するのみだった。ソファーに座り、静かに凪を見ている。
「玲王、俺がお前に言ったことを覚えているか?」
父親の視線がこちらに向いた。その顔にはありありと書かれている。なんでこんな奴を連れてきた! と。
「友だちを連れてこいとは言っていない」
「凪は……!」
「横からすみません。凪誠士郎です。まずはこんにちは、初めまして」
凪の挨拶で、父親も母親もそういえば挨拶がまだだったことに気付いたのか、ひとまず簡単な自己紹介が始まる。そのうえで、普段はほとんど話さない凪の口が滑らかに動き出した。
「俺は玲王の友だちとして来ていません。ちゃんと、玲王の"恋人"として来ました」
その瞬間、父親も母親も驚きというよりは、嘲笑に近い表情を浮かべた。何を言ってるんだ、君は。と言いたげな表情である。
それもそうだろう。そもそも、凪とは付き合ってもいなければ、恋人同士でもない。完全に両親にはバレていた。
「玲王。さすがにお前の茶番には付き合っていられない。今回のことは忘れるから、今月末にある両家の顔合わせに出なさい」
「そうよ、玲王。相手の家柄も申し分ないし、器量のいい子だし、きっと気に入るわ。だから、」
「ちょ、なに勝手に……!」
「いいか? 玲王、大事な縁談なんだぞ」
「私たちはあなたのためを思っているのよ」
「…………」
親からの説得に言い淀む。何も言えずに下唇を噛んだ。あのときと同じだ。サッカーをしたいと言ったときと。心に明確な闘志はあるのに、すぐには言い返せなくて悔しい。いろんな思いが溢れてくるのに上手く言葉として繋がらなくて、喉の奥につっかえる。
「……俺は、」
「でも、それ、玲王の意思じゃないですよね?」
「凪……?」
凪がピシャリと言い放つ。一瞬、空気が凍りついた。父親も母親も気分を害したようだ。部外者が何を、と父親が反論する。
「さっきからこっちの話を聞きもしない。玲王の意思は? 玲王の幸せは? 自分たちの大事な息子でしょ。もっと玲王のことを考えてあげなよ」
「君こそさっきから何なんだ! これは家族の問題だ。それに、どうせ玲王に頼まれて来たのだろう? 見合いの話を断るために」
「玲王はたぶんそう。でも俺は違う」
すっと凪の手が伸びる。膝の上で縮こまっていた手を握られた。ハッとして凪の顔を見る。
「俺は玲王のことが好き」
「は!? お、お前、なに言って……!」
「本気だよ。ずっと玲王のことが好きだったし、今も好き。だから、玲王が他の人と結婚するのを黙って見てられない。もちろん、玲王が選んだ人なら応援するけど」
今まで見たことがないほどの真剣な表情に思わず息を呑む。
「玲王は俺だと……嫌?」
と迫られて、いや両親が目の前で見たんだけど!? と頭がパニックになった。
そりゃあ、凪のことは好きだけど、一緒に居て楽しいけど、ずっと凪と暮らしていきたいけれど……と考え出したら止まらない。おまけに、凪から向けられる熱視線にも耐えきれなくて、ボンッと脳みそが沸騰した。
「おーい、レオ〜〜。大丈夫? 顔が真っ赤になってるけど」
すりすりと頬を撫でられて、いよいよ涙目になった。この状況をどうしたら、と思ったが、凪が「そういうことなので」と切り上げる。
何がそういうこと? と思ったが、凪に手を引っ張られる形で立ち上がった。
「見合いの話は断ってください」
「こら、ちょっと待ちなさい! そもそも君たちは恋人同士じゃ……」
「これからなります。ね、玲王」
「は? いや、え……?」
あまりの展開についていけず、歯切れの悪い回答になる。両親も呆気に取られたのか、ハァとため息をついていた。もういい、行け、と言わんばかりにしっしと手を払われる。
「本当の結婚報告はまた後日」
凪はそう言い残すと、玲王の手を引っ張って応接室を出た。玲王はそれに着いていくことしかできない。
御影コーポレーションのビルを出るまでの間、手は繋がれたままだった。ようやっと回りだした頭が、すべてを理解する。
「凪、お前、さっき……」
「ねぇ、玲王。俺たち、このまま結婚しよっか」
「はぁ!?」
「俺は本気だよ。まぁ、どうであれ玲王とは最後まで一緒にいるつもりだけど」
指の腹で繋いだ手の甲を撫でられる。
さっきの凪の真剣な姿勢と告白を思い出して、またしても緊張と恥ずかしさが戻ってきた。そして、満更でもないと思ってしまっている自分にも気付く。
なにより、サッカーのときだけではなく、今回も凪が自分の手を引っ張っていってくれたこと、凪がいたから状況を打破できたことに感謝と喜びでいっぱいだった。そういう意味での"運命"なのか、今はまだ分からないけれど、だけど間違いなく自分の人生に欠けてはならない存在だと思う。
「あ、また顔が赤い」
「……あ〜〜、もうっ! お前のせいだよ!!」
無理やり凪の手を振り払って、ずんずんと歩いていく。どうせ、同じところへ帰るんだから。と、くっついてきた凪はどこかスッキリとした表情を浮かべていた。機嫌が良さそうにも見える。
「これからは、レオの婚約者になれるように頑張るね」
「お前……本気かよ」
「うん」
引き寄せるように手を握ってきた凪に、ぽかんと口を開ける。「うかうかしてたら取られちゃうからね」と言った凪に、「お手柔らかに……オネガイシマス」と返すのが今の玲王の精一杯だった。