テセウスの船が行き着く先は 6デンジは十六歳になった。
予定通りに行けば、アキに会うはずの歳。
現実はデンジが望まないことまでも、全てが予定通りに動いた。
デンジは、ポチタを助けられなかった。
アキから教えてもらった未来の知識で何とか回避したいと思っていたけれど、これはデンジとアキが出会う前の出来事。未来から来たアキも、さすがに詳細までは知らなかったのだ。
アキの死後にまたまとわりつくようになったヤクザ達から、デンジは必死に距離を置こうとした。このヤクザ達から離れることが、ポチタを助けるためのトリガーになると知っていたからだ。
けれど、子ども一人が大人の犯罪集団から逃げ回るのは至難の業だった。だからデンジは結局、中学校にほとんど通えず、高校にも入れなかった。
それでもポチタを死なせてたまるかと、そしてアキに遺してもらったお金を取られてたまるかと、デンジは最後まで彼らに楯突いた。
捕えられて地下に連れて行かれ、脅されても首を縦に振らなかった。そうして結局、ゾンビ達に殺されたのである。
デンジは結局予定通り、チェンソーマンになった。
本来の流れと違うのは、デンジがマキマを好きにならなかったことだけだ。
マキマについて公安の中を歩きながら、キョロキョロと見回す。デンジはすっかり不安になっていた。
――俺なんかに、最悪の結末を回避することなんてできんのか……?
こうまで物事が予定通りに進むと、恐ろしくなってくる。全ては同じ結末に収束するように動いているのではないか、と。
かつてのアキも話していた。未来へ向かう流れにどれだけの『強制力』があるのか、わからないと。
――俺ぁアキが寿命で死ぬのだって、結局何も変えられなかったんだもんな……。
そんな風に考えて沈み込みかけた、その時だった。
デンジの瞳に突然、ひときわ眩しい存在が入り込んできた。
「失礼します」
大好きな声。
もう聞かなくなって久しいから、忘れかけてしまっていた声。
だけど、聞き間違えるはずがない。
振り返ると、そこにはデンジの青い海があった。
アキだ。
デンジは朝焼けの瞳を限界まで見開いて、その存在を確かめた。
わかっていたはずだった。
このタイミングでマキマから紹介され、この時代の『早川アキ』に会うのだと、頭では理解していたはずだった。そうやって教えられていたからだ。
でも、実際に会ってみて、デンジはやっと思い知ったのだ。
彼はデンジの知らない『早川アキ』なんかじゃない――――アキ、その人なんだと。
♦︎♢♦︎
「彼の名前は早川アキ。デンジ君より3年先輩」
マキマの平坦な声が響いている。
アキがいる。
やっと会えた。
デンジは一生懸命に朝焼けの瞳を開き、彼を見つめた。
会いたかった。
ずっと、会いたかった。
でも、アキは全然デンジを見ない。むしろ、嫌そうに目を逸らしていた。胸が張り裂そうに痛む。
寂しいよ。
すげぇ苦しいよ、アキ。
あの青い目でさぁ……俺んことを見て欲しい。
ぐっと拳を握り込む。爪が皮膚に食い込んで、血が出るのがわかった。
――でも、仕方ねえんだよな。
だって今のアキは……俺を、"知らない"んだ。
「今日は早川君に着いて行きな」
デンジは何も文句を言わずに、「わかりましたぁ」と返した。
そうして道中、素っ気ないアキにしつこくマキマのことを聞き、予定通り「ちょっとこい」と言われたのだ。
心にもないことを言っているデンジは全く気が進まず、のろのろとアキに着いて行った。やがて、デンジたちは廃ビルの中にやって来た。
――アキの話では路地裏で殴り合いしてた気がすっけど、俺の勘違いか……?
多少の違和感を覚えたが、デンジはそれどころじゃない。
だって、これからアキに殴られる。
大好きなアキに。
眉を寄せてぐっと歯を食いしばる。泣き出したいくらいの気持ちだった。
デンジの背後でアキがぴたりと動きを止めたのがわかったので、いよいよかと思ってぎゅっと目を瞑った。自分を殴るアキを、少しも見たくない。
デンジは衝撃に備えて身体を強張らせ、首を縮こまらせた。
……けれど。
いつまで経っても、衝撃はやって来なかった。
殴られる痛みの代わりに、やわらかい――――懐かしい声が、聞こえてきたのだ。
「デンジ」
その声は、いつも通りにこう続けた。
「おいで」
デンジは唖然としながら、ゆっくりと振り返る。
世界一綺麗な青が細められて、まっすぐに自分を見ていた。
アキは腕を大きく広げて、待っていた。
それだけで全てがわかって――――デンジは衝動のまま、勢いよく地面を蹴った。
そのまま、思い切り飛び込む。
「アキ……アキ!!」
首に縋り付くように抱き付くと、大きな身体が包み込むように抱き締め返してきた。
大きくて温かい、アキの身体だ。
「デンジ」
「アキ!アキ!!あいだかっだあ…!!あいだかっだあ…」
デンジの両目からは、滂沱の涙が流れていく。デンジの涙腺は、アキの前だと簡単に壊れるのだ。
「デンジ……俺も、会えて嬉しい。たくさん辛い思いさせたな」
「アキ……アキ、なんでぇ?なんで、覚えてんの…?」
「"思い出した"んだ。後で詳しく説明するけど……俺は、お前と暮らした二年間を覚えてるよ。お前を毎日抱き締めてた感触も、全部覚えてる。ただ……俺は、未来から来た早川アキじゃない……。がっかりさせたら、ごめん」
「そんなん!謝んなよ!!」
デンジはアキにそう叫んでぎゅうと抱き付いてから、一旦顔を離して泣き笑った。
「アキは、アキだ。俺……見た瞬間に、分かったんだぜ!」
すると、アキはとても眩しそうに微笑んだ。それから大きな手をデンジの頭にふわりと置き、親指をすりと動かして額を撫でる。それは慣れ親しんだ、いつものアキの撫で方だった。
「そうか……ありがとう、デンジ。大好きだよ」
「……!!アキ……うっ。う、ゔう〜〜っ……!!」
デンジはとうとう耐えきれなくなり、そのまま口元を両手で覆って泣き崩れてしまった。
言いたいことが、沢山あるのに。
聞きたいことが、沢山あるのに。
うまく、言葉にならない。
ただ、圧倒的な安心感がデンジを襲っていた。
アキは優しい目をしたまま、その涙を指で拭い続けていた。