2万円の花束は清水の舞台に運べない/尾月 さて、どうしたもんか。
真昼間の公園で、新緑も眩く風も軽やかに微笑む中、晴天と真反対に位置するような男が偉そうに腕を組んで俺を横目に見ている。
これが見ず知らずの人間ならば逃げればいいだろう。季節の変わり目によく出現する変質者だ。もしくはその類だ。
しかし残念な事に、この初夏の青空に不似合いなごちゃごちゃした柄の開襟シャツと青っぽいサングラスを纏い、平穏な俗世と縁を切りたがるような見た目の男は知り合いである。オールバックに整えられたべタついた黒髪がより不穏たらしめている。
厳つい男は「なあ杉元よ」としっかり俺の名を呼んだ。
面倒くせえなと言いそうになったが、進まない話が余計に拗れそうな雰囲気を覚って飲み込む。
「だぁから、何だよ。明日子さん使って俺だけ呼び出すなよ。怖えよ。ていうか俺に会う予定の他に予定でもあんの?」
「は? ない。」
「ならもう少し服装に気つかえ! 俺まで裏社会の人間だと思われちゃうだろ!」
「俺のどこがその筋なんだよ。どこからどう見ても堅気だろうよ。普通に生きてたらつかねえようなデケエ傷、一番目立つ顔面にこさえてるお前が言うのか。服装は好みで、それこそ今更だろ。」
言われてみればそうである。
普通に生きてたらつかねえようなデケエ傷──に関しては数年前、車の衝突事故に巻き込まれた時にできた被害者たる証なのだが、何も知らない人から見れば〝ヤ〟のつくお仕事の関係者だと思われても致し方ない。しかし傷はどうしようもないが服装はどうとでもなるだろう。
そんなことよりも。
「まあいいや…相談なんだろ。呼び出したクセにさっきからだんまりしてさあ、この後明日子さんとパンケーキ食べに行くんだから早くしろよ。」
「俺も行く。」
「来んな。」
「冗談だ──お前はつまらんな、杉元佐一。」
サングラスの向こう側からじっとりした、喪中のような目が覗く。睫毛が長いから余計にいかがわしい。低い声も言葉も相まって煽っているつもりなのかそうでないのか、意図も伝わりにくい。しかし尾形のはぐらかすような不透明な態度は珍しい。
「どうせ月島さんの事じゃねえの? 喧嘩したとか? 別にあの人から直接何か聞いたわけじゃないけどさ。」
共通の思いつく名前を挙げると、男──尾形百之助はあからさまに狼狽を見せた。
「お前に解決出来る知恵がないと分かった上で喧嘩の相談をすると思うか? ないだろ。でも、まあ、別に、月島さんだけがどうとか、そういうことじゃねえ。」
「あァ? 何だよ、それ。喧嘩じゃなくて何かあるなら直接言えばいいだろ。」
俺を巻き込むなと腰を上げようとした時、ケッコン、という音が一際真昼間の公園に響いた。
何かの鳴き声か自然の生み出した伴奏か──音を反芻し、よく考えるまで理解が及ばなかった。
ケッコン。
けっこん。
結婚?
「…結婚、って言った?」
恐る恐る座り直して隣を見ると、耳まで真っ赤に茹で上げた尾形が硬直して拳を膝の上で握っていた。
「月島さんにプロポーズしたのか!? プリーズメリーミー?!」
「なんッだそりゃ! 声がデケエよ! してねえよ!!」
「お前も声デケエよ!!」
目の前に広がっている芝生で遊んでいた家族が目を丸くして胸倉を掴み合う男を見詰めていたが、すぐに〝本当に見てはならぬもの〟を見た時の反応を示してその場を離れた。これでは立派な裏社会人の振る舞いそのものである。
揃って咳ばらいをし、襟を正す。
「結婚って言っといてプロポーズしてない? 何だよそれ──ああ、結婚したいからプロポーズするって事か。」
声を落とすと、尾形もつられて声を落とし顔を寄せた。
「理解力が乏しすぎる。」
これも傍から見れば表沙汰に出来ないやりとりに映るのだろうか。
「お前の煮え切らない挙動不審の所為だろうが。なるほどな、どうやってプロポーズすればいいか分かんねえから俺を呼んだのか。」
「まあ、そういうこった。」
「俺は関係ねえし好きにしろよ──って言いたいけどさ、月島さんに罪はねえしなあ。」
「罪だあ? 俺にもねえだろうよ。」
この男と長らく交際を続けている月島基とは仕事の関係で付き合いがある。顔を合わせば世間話くらいはするし、酒好きなのもあって四季の行事にかこつけて飲みに行ったりもする。仕事仲間で、飲み仲間だ。
月島さんは好い人だ。何にしても器用過ぎず不器用過ぎず、つっけんどんながら優しくて、何事も一生懸命な感じに好感を抱いている。
俺と尾形との出会いは友人の白石を介してだったが、まさかそこが繋がっているとは思ってもみなかった。尾形は初対面でも癇に障る理屈っぽい男だったから、月島さんとのイメージが遠かったのだ。
幸せになって欲しいと素直に思える男が選んだのは不幸を一身に背負ったような面倒くさい男で、ふたりの関係を知ってから暫くは酷く心配したものだった。余計なお世話に過ぎなかったのだが。
「指輪のサイズは? 分かってんの?」
「買ってある。」
「そういう行動は早いんだよな、お前。じゃあ後は…ベタに薔薇の花束用意して、家で跪けば? こう、パカってやってさ」
いつだったか明日子さんと月島さんと白石と鍋をつついた時、経緯は忘れたが理想のプロポーズの話になった。
日本酒を何合か空にしたほろ酔いの月島さんが「そういうのはベタな方が感動するかもな」と言ったのに反応した白石が、跪く素振りで指輪のケースを開ける振りをすると「そうそう」とほんのり上気した頬をほろ苦く緩めていた。
本気だったかはさておき、それはどこか羨むようにも見えたのだ。
「何で家なんだ。」
「月島さんは誰かにそういうプライベートな部分見られたりするの好きじゃないだろ。」
「…天才か、お前は。」
家でなく清水の舞台を勧めれば京都まで足を運ぶつもりだったのか、気になるところだ。予想外に素直な反応を見せられると反応に困るのだが、結婚を望む男が本当に困っていたのを知るのと同時に、行動の背を押して欲しかったのかもしれないとも思う。
ふたりには何やかやと障害が多いのだろう推測しているが、それでも尾形と月島さんはバランスが良いと思う。どちらにもそろって無いものがあって、無いものを補い合うのではなく無言で理解しながら目を伏せるような、ふたりにしかない世界観が存在している。
月島さんを語る尾形も尾形を語る月島さんも、大切すぎて恐ろしくて、突き放したいのに出来ないような下手な印象が強く、そっと応援してやりたくなるのだ。
でなければこんな風に色々と配慮しながら尾形と話すなんざ御免である。
「ハイハイ。じゃあもういい? 行くからな。」
「いや、やっぱり明日子の意見も…」
「くんな!! 白石か鯉登呼んでやるから!」
「要らん! 特に鯉登!!」
「うるせえついてくんな!!」
この攻防に嫌気が差した直後、近くの交番に駐在していたお巡りに注意され、職務質問も受ける羽目になった。
全く、最悪の休日である。
尾形のプロポーズが上手くいったかは知らないし聞きたくもないが、職場で会う月島さんの左手薬指に高価そうな銀色が輝いていたから、まあ──想像に易い。
《了》