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    wo15lo

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    wo15lo

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    前回の続き。第2幕。倫理なし、気持ち悪い描写あり、キャラクターが可哀想な目に合ってる等全部かまへん✋😄で済ませられる人向け。

    見世物小屋の怪物「え…っと……。それ本当ですか?」
    「嘘は言うとらんですけ」

    メガネをかけ額に傷のあるでんでん虫が困っている。電話の向こうはコビーだ。潜入任務中のひばりから突如電話がかかってきたから何か進展があったとは思っていたが、まさかアラマキと手を組んだというのは彼にとって寝耳に水であった。

    「…虐められたりしてませんか?」
    「?しちょらんです」
    「そうですか…良かった…」

    コビーはアラマキを知っている。あの男と初めて会った時突然、「お前メガネかけてんの?じゃあ、頭いいな」と拉致られ「な、何だろう…!?」と荷物のように持ち運ばれた先は元帥室だった。ポイッと捨てる様に置かれたコビーは怒れるサカズキ元帥を前に滝汗をかく脳みそをフル回転させ、アラマキにSOSを求めたが、彼はしらーっとした顔で「この間の軍艦破壊の件だが、言い訳を持ってきたから聞いてくれよ」と丸投げしたのだ。
    これは彼のトラウマとして深く刻み込まれた。それからアラマキに会う度に「ちょっとツラ貸せ」「よ。付き合ってくれるよな」「(ガチャッ)俺。軍艦2隻。5分以内(ガチャッツーツー…)」と何かにつけてパシられていた。だが、その後は必ずコビーと周辺の後輩を引き連れ「若いやつは食え。遠慮するな」と飯を全て奢ったり、街へ出て夜遊びを教えてくれる兄貴肌を見せるので周りは恨むに恨めないのだ。むしろその傲慢さと世話焼きのバランスが絶妙で軍では彼を慕う海兵は大勢いた。結局のところ、彼は誰もが認める程に腕が立つので男達はその身勝手な『兄貴分』にクールさを見出し憧れるのである。
    コビーはひばりを信頼して送り出したが、心配性の為毎晩気にしていた。だが、アラマキが共にいるならこれ以上心強いことも無い。心配の種は増えたが、助っ人としてはジョーカーである。強い手札だ。それに流石に女の子は虐めないらしいのでコレにも安心した。実際はマリーちゃんを虐めていたが、これはコビーのつゆ知らず所である。

    「それで、任務の方は?」
    「はい。ウチは"キーパー"に選ばれたんですけど」
    「良かった。いえ、良かったのは分からないけど…。班のメンバーにはならなくて良かった……」
    「……アラマキさんが"B班"に選ばれてしもて…」
    「…………さ、さいあくだ………………」

    メガネをかけたでんでん虫が真っ青になり項垂れた。それを見てひばりはでんでん虫に繋がるコードを落ち着かぬ様子で指に絡めた。

    ひばりは3ヶ月ただ受付嬢をしていた訳では無い。地下にいる海賊たちが外に出る日がある。その日を狙い、酒に溺れる奴らの傍で聞き耳を立てていた。そしてどうやら地下には3つの班とそれを管理するキーパーという役職がある事を知った。
    3つの班とは『畜生班』、『カタワ班』、『人間猿班』。
    畜生班は主に動物のショーをメインとする。ハイキングベアや、クンフージュゴン、モトバロ等の猛獣を調教し火の輪っかを潜らせたり、絵を描かせたりするサーカスの様なショーを担当している。
    カタワ班は身体の一部が欠如、又は増加している人間の見世物ショーをメインとする。双頭双子のバック・ロック、フロント・ロック、土蜘蛛女のレディー・リリィ、からかさ男のお松さん等はこの班だ。基本的には物珍しげ目的でやってきた客の前に出ることが仕事である。
    そして人間豚班。これは五体満足の人間達がパフォーマンスを行うショーをメインとする。鶏の首を噛みちぎるブラックちゃん、体に槍を刺すグッチ夫人、人間的(まと)フリッツ・ゲイシー。これらの芸はマジックに近い。
    そして、キーパー。彼らの仕事は主に調教や監視、生体管理、逃亡者の捕獲、そして趣味の拷問。
    キーパーは虐げる側で、班のメンバーは虐げられる側。そこには明確な格差がある、らしい。内情まではよく分からないがメンバーに選ばれれば最後、人としての当然の尊厳は無くなるとの事だ。
    そして、左腕が欠如したアラマキはカタワ班に選ばれた。因みにソード組は"カタワ"等の品のない呼び方を嫌い、彼らの中ではB班と呼んでいる。

    「……ど、どうしよう…」

    コビーは落ち着かず、二の腕に爪を立て椅子から立ったり座ったりウロウロした。軍の大将がまさかこんな辺境の地で家畜同然の地位に落ちたなど、誰に報告すればよいのか。隊長は別任務で忙しい。他のメンバーに相談しようにも荷が重すぎる。ほとほと困った顔をしていたでんでん虫をひばりは優しく宥め。

    「…。先輩。ウチとアラマキさんに任せてつかぁさいや」
    「え、」
    「必ず勝ち星をあげますけ」

    コビーの持つでんでん虫の瞳がキッと鋭くなった。
    暫く見ない間に信じて送り出した後輩が頼もしくなっている。これにコビーは驚き、喜んだ。後輩が成長していくのは先輩として胸が熱くなる事である。

    「…分かりました。現場の事はひばりさん達に任せます。進展があれば随時連絡をください。僕達も常に動けるようしときます」
    「はい、ありがとうございます。では、また」

    電話が切れた。と同時に後ろにあるドアが乱暴に叩かれた。
    ひばりはドアを一切見ずに、フッー…と肺の中の空気を全て吐き出し。

    「やるんなら徹底的にじゃ」

    汗ばむ手のひらを誤魔化す様に、決意を声に出して支給されたゴム製のエプロンを握りしめた。





    一方その頃、アラマキはと言うと。

    「畜生班に入れてくれ。後生だ。これだけは絶対譲れねぇ」

    と駄々を捏ねていた。それは何故か。
    畜生班のキーパー、レディー・ベッキャーがパッツンパッツンの女調教師だったからである。乳は夢のようにデカく、尻は理想のようにデカく、腰は憧憬のように細い。ブロンドの髪の毛をセクシーにかきあげており、妖艶な切れ長の瞳に見下されればどんな男の心をも溶かす。黒のラバースーツから覗くキメ細やかな肌とルブタンのピンヒールは、彼女の水瓶のようなスタイルを美しく着飾っていた。まさに夢に描いたエッチなお姉ちゃんなのである。出来ればあーんしてほしいし、出来れば尻をぶっ叩かせてほしいし、出来ればセックスさせてほしい。そんな欲にまみれたアラマキは頭を下げ、檻の中で右腕を前に出し『夢の果て』へオネダリをしていたのだ。
    ベッキャーはそんな男に眉を顰めつつも、慣れた動きでアラマキの手のひらを鞭で殴った。

    「特技は子作り。よろしく」
    「ダメ」
    「履歴書を送る」
    「イヤ」
    「キャッシュカードとパスワードも渡す」
    「ムリ」
    「ワガママ言うんじゃねぇよ」
    「めちゃくちゃね」

    呆れたべッキャーは腰に手を当てながら、アラマキの顎下に人差し指を添えて。

    「残念。タイプじゃないの」

    と、瞼に甘く熱い息を吹きかけた。これを"GO"と捉えたアラマキは檻の隙間から腕を伸ばし腰を抱こうとしたのだったが。

    「あ?」

    力が抜け地面に膝を着いた。
    蛇の毒にかかったかのように体が痺れた。海楼石がはめられている足首に力が入らない。
    ベッキャーを見上げれば彼女は2つに割れた舌をチロチロと出していた。ラバースーツから覗く白い首には緑色の鱗。彼女はヘビヘビの実を食べた能力者だった。なのでその美貌に唆された男は皆、こうして毒牙にかかるのだ。
    ベッキャーはしゃがみ、膝をついたアラマキの残った腕に指を滑らせる。

    「私、弱ってる人間が好きなの」
    「じゃあこれでスタートラインか?」
    「絵になるようじゃまだ。貴方がもっと私好みになったら相手してあげる」
    「お前を罪状を突きつけて牢屋の中で口説かせてくれるなら考えてやってもいいけどな」
    「あら。海軍の名刺でもあるの?」
    「…………」

    アラマキはメディアが嫌いだ。
    好き勝手付き纏うのは構わないが、プライベートを許すつもりはない。Jカップの蛇姫のような女に下着姿で「一晩中お話きかせて…♡」と言われれば戸籍まで渡すが……。自分が他人を評価するのは構わない。だが、何処ぞの他人に己を評価させるのは気に食わない何とも勝手な性分であった。
    彼の肩書きに記者は群がったが、向けられたカメラを押し退けたり、投げ捨てたり、塩酸をかけたり、火炎瓶を投げたり、記者の額に根性焼きでミッキーを作ったりと拒否の姿勢を貫き通した。それに奇跡的に撮れた写真は何故か全て顔に大量の花が咲いていた。
    質問には「好きに書けよ」としか返さずにいたので、彼の情報と言えば名前と役職、後は尾ひれがついた前科や会ったことも無い女からの暴露話等だけだった。なので海軍コートもない彼は、海軍大将ではなくただの白い患者衣を纏った犬畜生と成り下がることが出来たのだ。
    今のアラマキにはベッキャーを捕まえる事が出来ない。それが彼にとって悔しくて悔しくて喉まで出かかった「俺の名前はアラマキ。2年前に徴収され海軍大将になりました。モリモリの実の能力者で身長は3m40cm(捏造である)年収は3000万と言えない出処の金(捏造である)。特技は海軍大将RTA(捏造である)。最近あった困った事は、道の真ん中でヴィーガンと反ヴィーガンの『植物には命があるのか』論に巻き込まれた事(捏造である)。死んでもいいと思ってるのは非加盟国生まれの人間とホテルまで着いてきた癖に付き合ってくれないとセックスしないと言う女(捏造である)。どうぞよろしく」の言葉を名残惜しく飲み込んだ。

    「…いや?ただの浮浪者だよ」
    「そう。勿体ない。権力のある男もタイプなのに。じゃあね。また会えたら」
    「くぅう……」

    彼女はアラマキが伸ばした右手首に甘い牙を突き立て、ニョロニョロと消えた。ベルガモットの残り香だけが彼女のいた証拠となった。そして振られたアラマキは、サラバ。俺のたわわ……と肩を落とすのだった。

    「フラれたね」
    「次があるよ」
    「適当なこと言ってら」
    「フロントこそ面白がってるじゃないか」
    「見せもんじゃねぇぞ」
    「見世物だよ」
    「僕達は動物園のクマだ」
    「僕達は動物園の孔雀だ」
    「変だよダーリン」
    「変な人ハニー」
    「うるせぇな」
    「あっ」
    「わっ」

    アラマキは床でゴロゴロとしながら自分へ話しかける双子の首根っこを掴んで投げ飛ばした。双子は尻もちをつきつつも、四つん這いのままペタペタとアラマキの傍へ再び寄ってきた。
    彼らはフロント・ロックとバック・ロックという名前の双頭双子だ。1人の人間の腹あたりからもう1人の上半身だけが生えているまだ幼い少年である。上半身だけの少年はもう1人と向かい合うように生えており、いつも重量に負け背中を少し後ろに反っている。2人とも真っ赤な髪の毛を腰まで伸ばしており、日に当たっていない肌は小娘の頸のように青白く、骨の上に皮膚のみを纏った姿は死体と見間違う風貌であった。だが、前髪から覗く真っ赤な睫毛に縁取られた大きな目は仄かに香る死臭を強く否定しているようにも見える不思議な少年だった。
    周りは"本体"の方をバック、"おまけ"の方をフロントと呼んでいたが、彼らは互いの事を「フロント」と呼び合う。自分達から見たら兄弟の方が『前』にいるからだ。文字通りの一心同体の双子だった。

    「フロントがからかうから拗ねちゃった」
    「僕じゃないやい。フロントが馬鹿にするからだろ」
    「黙れ。俺の前では常に膝をつき語尾にワンを付けろ」
    「「やだ」」
    「じゃあ死ねと言ったら死ね」
    「やだって。ね、から傘さん」
    「やだよね。から傘さん」
    「クソガキどもが」

    眉を顰め胡座をかいているアラマキの腰に横になった双子が頭頂部だけをグイグイと押し付けずっと話しかけてきた。アラマキは面倒くさそうな顔を隠しもせずに、片腕を枕のようにして牢屋へもたれかかり昨日の事を思い出した。
    バックとフロントとは昨日会ったばかりだ。あの惨劇の後、暗闇の中気を失ったアラマキの頬を誰かがペチペチと叩く感触に目を覚まし目の前の悪夢のような姿の双子から施設の事を聞いたのだ。
    2人は隠す素振りや見返りを求めることもせず、全てをアラマキに教えた。班の事や、キーパーのこと。自分達の仕事、そして3つの決め事。

    『マザーの前では笑顔でいること』
    『正気を失わないこと』
    『誰も信用しないこと』
    『覚えて』
    『忘れちゃダメだよ』

    双子はそう伝えると長く赤い前髪から覗く唇に指を添え、同じ牢の中にいるから傘男のお松さんへ目線を向けた。お松さんと呼ばれている男は無機物のような顔でただジッ。と暗い廊下の先を見詰めるだけだった。彼は肩から両腕がない。故に"から傘お化け"と呼ばれているのだ。
    アラマキはあらゆる島、あるゆる種族をみてきたつもりだったがここは一等頭の可笑しい場所と悟った。

    __他にも気になる点はあるが、見聞色を使うにあの女は生きてるな。

    物深けに廊下の先へ顔を向けたアラマキに興味を無くした双子は硬いコンクリートの床で寝静まった。
    静粛が流れる中、自分を見張るような気配を下から浴びながらアラマキもそのまま休む事にした。
    彼女が動かねば彼も動けない。こんなもどかしい仕事は久しぶりだなと思ったのだった。

    これが昨日のことである。
    そして今。アラマキは太ももにある2つの熱を鬱陶しく感じていると、耳をつんざくようなガビガビのラジオ音が牢獄内に響き渡った。

    「「給餌のお知らせだよ」」

    胡座をかいていたアラマキの太腿に頭をのせた双子が教えた。
    終わりが見えない廊下の先からガラガラとキャスターを引く音が聞こえる。向かい合って列を作っている牢獄の中で、梟に狙われているネズミかのように動かなかった"演者"達がよろよろと立ち上がり柵を揺らし始めた。一斉に揺らし始めたので建物は激しく振動する。興奮しているようだった。しかし、誰1人声を荒らげたり手を伸ばしたりはせず、ただ真っ黄色の白目をカッ!、と見開くのみだ。
    横ではお松さんも頭を柵にガンガンガンッと打ち付けていた。額縁の隈を震わせ運ばれる食事を今か今かと待ち望んでいる。
    アラマキにとってそれが気持ち悪かった。
    娯楽が食しかないと躾られた家畜と見まごう有様だったからだ。
    ゴム製の白いエプロンをつけた男と女が食事をのせたキャスターを引きずりアラマキ達の前に来た。
    キーパーだ。肌艶がよくふっくらとした頬。女の髪のツヤは天使の輪を作っている。アラマキの目には粉を吹きガサガサした動物園の人間とは全く違う生き物に見えた。
    男と女は銀色のトレーに質素でくだらないパンと、食欲のそそらないグロテスクなペースト状の何かと水を乗せて渡す。そして無言で隣の牢へまた配膳を行う。食事を受け取った瞬間、フロントとお松さんはガツガツと食べ始めた。片膝を立てて座り、床に倒した方の足にトレーを乗せながらアラマキは3人を眺めていた。
    嫌だなぁ。と至極真っ当な事を考えながら。
    生憎腹も減ってないし、そもそもこんな訳の分からない場所で食事をとる気もない。だが今は海楼石が付けられている。他人から養分を摂ることも出来ない。なので水だけ口につけることにした。喉仏を通り、胃袋に質量が落ちていく感覚は久しぶりだった。
    双子が食事を終え、トレーに残ったものを舐めていた。のでアラマキは自分のトレーを床に置き2人に蹴って渡した。自分達の前に滑り込んできた食事とアラマキを交互に見て、伝えたい事を理解した双子は上下逆さまの同じ顔で笑い、後ろにいる方のフロントが食べ始めた。
    アラマキは満足そうな幼い子供らしい顔でパンを食べる姿にどこか昔のひばりを重ねつつ水を飲みつつ

    「……。おい。もう1人にも分け、ッ!」

    ニコニコと笑っていたもう1人のフロントにも食べさせるよう窘めようとしたが、食べていなかった方のフロントが突然目の前で吐いた。
    それは後ろのフロントが食べ、前のフロントが吐いているようだった。流石にアラマキは驚愕し、思わず口をつぐんでしまった。
    全ての食事を食べ、全てを吐いた双子は影のかかった無表情の上下反転の顔と声色で。

    「「施しなんかいらない」」

    と突き放すように伝えた。
    アラマキは子供とは思えない存在感に音をならし水を飲み込んだ。声も一緒に腹へ入れてしまったのかと思うほどに、彼は次の一手が出せなかった。

    __何も話せなかった。
    思考が完全に止まっちまった。
    こいつをガキだと思った故に油断した。
    いや、こいつ等に対して慢心していた。
    よくよく考えればこんな頭のおかしい所にいる人間がまともなはずがねぇ。そんな中、海楼石をはめられ出口のない牢屋にぶち込まれている。
    つまり、つまりだ。
    俺たちは結構まずい事になってんじゃねぇか?

    アラマキが固まっているとフロントとの間にお松さんが体をくねらせながらやってきて何やら視界の下で蠢いている。視線だけ向ければ、彼はネズミみたく吐瀉物に群がり舌だけを使って啜っていた。


    『正気を失わないこと』


    昨日の教えがアラマキのコメカミに青い汗となり流れ落ちた。





    「……」
    「入社おめでとう…」

    黒の長いネイルをしている男がひばりの肩を掴み甘く赤い水タバコの煙を吐いて言った。
    暗く冷たい部屋だった。ひばりの吐く乳白色の息は短いロウソクの光によく映えた。
    この空間で唯一熱を持つ生きた鼓動であるとブランドを押されたようだ。

    コビーとの電話を終えたひばりはブラックちゃんという男に出迎えられた。ブラックちゃんは魚人である。
    グレーの肌にはおびただしい数の白色の斑点があり、白目のない真っ黒な目玉はいつもが半分しか開いていない。深緑のリップが映える巨大な口で人を馬鹿にするのが趣味の嫌な男だ。
    ブラックちゃんは真っ白い頭をバリバリとかきながらひばりを巨大な冷凍庫のような場所へ案内した。
    ひばりは最初に渡された防寒服と白のゴム製のエプロンに着替え、誘われるがまま中へ入る。何を見ても動揺しない心構えはしていたつもりだった。だが、彼女は目の前の光景に言葉を失った。
    冷凍された全裸の死体がこちらを見て笑っている。いや、笑っているというのは語弊があるかもしれない。
    "笑わされている"のだ。
    死後硬直の硬い口角を無理やり糸で引き上げられ、目は弧の字になるようホッチキスで止められている。
    手は張り付けられたかのように胸の前で祈る形で固定されていた。青白い肉を無理やり曲げたため、関節は逆を向いていたり骨が飛び出た死体もいる。
    首を括った不自然な死体は天井にぶら下がってアリの行列みたく並び、ひばりを見つめていた。

    「…こ、これ」
    「…見て分からない?女は空気を読む事を求めるのに自分は視覚情報から対して読み取れないよね…。これは元罪人。罪は洗い流され、浄化された魂はマザーに捧げたけど肉体は穢れているから救済するんだよ…」
    「……」
    「普通、入ったばかりの者には回ってこないんだけど君は特別だってマザーから…。随分特別に思われてるんだね…。なに…?舐め犬にでもなったの?」
    「この人たちは何をしたって言うんですかい…」
    「マザーの子に選ばれなかった」
    「子?」

    携帯型の水タバコを吸っているブラックちゃんは、赤い水蒸気を吐き出しながら右頬の火傷痕を痒そうにかく。細長い指に黒いネイルはまさに蜘蛛の足そのもので動く度に嫌気がさした。
    かっるそうに背中を丸め、病人の咳をよくする姿がアングラな印象を強める男だった。

    「きっと前世からの行いが悪かったんだ……。でなきゃこんな酷いことにはならなかったろうね。僕だったら耐えられないな……」
    「…?よく意味がわか」
    「全ての母たるマザーの子供になるのは必然だろ…?君は何処まで頭が悪いんだ?脳みその水が腐ってる?脳溝にアヘンでも隠してる?それとも君には子として愛される喜びが分からないと…?」
    「ッ!い、いえ。ウチもそう、おもいます」
    「だよね……。まぁここにいれば嫌でも聡明な子になるさ」

    ひばりは、光のない黒目をした男にこれ以上下手な事を聞けなかった。なるほど、行方不明者と元劇団員の行き先は分かった。しかし、豚の屠殺場のように並べられた死体の数と行方不明者の数が合わない。
    それに嫌な予感がする。目の前の薄汚れた粉砕機はこの空間で一際妙な威圧感があった。
    彼女の前に解剖室にある銀の台の上に死体が置かれていた。
    周りにいたキーパー達がオノを取り出し、死体の足に振り落とせば、ガツンッと硬い骨が折れる音がした。

    「金と食は天下の回りものだ…。巡回してこそ意味がある。僕達の仕事は生命の輪のお手伝いだ……」

    男が錆び付いたオノをひばりに渡した。

    「やれ」

    冷たい鉄の感触が手の平に伝わる。
    両耳からギロチンの音が聞こえる。
    肉に微笑まれている。

    ひばりは恐怖を感じていた。
    否、それは目の前にある死体に対してでは無い。仕事柄、死体を見るのは慣れている。彼女が恐れているのは"意思"の方だ。殺害には必ずそこ意思が存在する。
    警戒すべきは、相手の思想だと海兵ならば誰しも入隊時に必ず教えられる。人が人を殺すのは略奪、性欲、誇示、脅威、支配、享楽、差別、復讐等とそこには加害者の意思が存在するものだ。警戒すべきはそこである。
    しかし、彼女は理解出来なかった。この獣共が人を殺す理由が。
    だからこそ恐ろしいのだ。理解出来ぬ目の前の獣達が。

    彼女は勘違いしていた。海賊が献金ほしさに宗教団体に近づいたと考えていた。しかし逆だった。飲み込んだのはコイツらだった。大将首は前線には出ない。
    だから海賊を蜘蛛の手足として使った。
    だから海賊の情報しか入ってこず、こいつらを被害者だと思い込んだ。海賊を洗い出し捕まえ被害者を救い出す、それだけなはずだったが。
    彼女は焦っていた。
    日がな毎日、見世物小屋の受付をしてマリーちゃんとおしゃべりして終わる。本来の任務が滞っていた時にアラマキがやってきた。2人ならやれると、自信がついたのだ。彼にはそれ程の影響力と実績がある。
    味方であれば何よりも心強く、無意識に鼓舞されるものだ。
    しかし結果は最悪を招いた。

    __あぁ。くそ。思い上がった。
    父のようにやれると思った。頂上戦争で見た背中に少しでも追いつけると思った。父の背負う正義という文字に、自分なりのやり方で並び立ちたかった。でも結局アラマキを巻き込んでしまった。上官を危険に晒した事に情けなくて泣きそうだ。自分に殴り掛かりたい。殺したい。

    ガキン、ガキン、と響く周りの音に耳鳴りがした。
    寒いのに汗が流れる。隣の男は何も言わず鋭い目つきで睨んでいる。
    どう動く?と考えている時に「ブラック」と女が話しかけてきた。

    「ひばりちゃんを虐めないでちょうだい。初めてなのよ」
    「でたよ…委員長。得点稼ぎの点取り虫め……」
    「無視してちょうだいね。この男はキャベツ畑を信じている女の子にポルノを見せるのが趣味の嫌な男なの」
    「嫌な男すぎだろ………。俺の事だけど…」

    話しかけてきた女はレディー・ベッキャーだった。ブロンドの髪の毛は高い位置でポニーテールをしており、特徴的なラバースーツをから厚着の服へ着替えひばりと同じゴム製のエプロンを付けていた。

    「一緒にやりましょ」
    「あ、でも、ウチ」
    「怯えないで。最初は皆そうなのよ」

    べッキャーがオノを持つひばりの手の上から握りしめ、死体へ向ける。

    「違う仕事を」
    「女は私だけだったから嬉しいわ」
    「待ってつかぁさいや」
    「私のせいにしたらいいの」

    横を向けばベッキャーが息のかかる距離で見つめていた。直後、ひばりの体に力が入らなくなりベッキャーへと体を預ける形になった。そしてベッキャーはダランッと垂れたひばりを腕を掴み、オノを死体の顔へ振り落とした。
    何度も振り落とした。その度に人の顔は原型を無くす。過程を見たくないはずなのに目を背けることが出来なかった。
    ガキン、ガキン、ガキン、ガキン、ガキン、バキッ。
    男の顔は無惨にも砕き割られ、顔の上半分が床に落ちる。

    「頑張ったわ」
    「辛かったな」
    「すぐ慣れるさ」
    「あぁ。やっとマザーも喜ぶよ」

    仕事をしていたはずのキーパー達はいつの間にか集まってきてひばりを囲み、皆で抱きしめて慰めそして賞賛の声を送った。1人真ん中で抱きしめられているひばりは映画の観客席にいる錯覚に陥る。あまりの非現実的な光景に呆然とし、どこか他人事のように感じた。
    慰めていたキーパーの1人が床に落ちた『家畜』を粉砕機に入れる所まで見届けた。そして見届けた後。

    「ぅおえッ」
    「あら大変」

    床に倒れ込み吐いた。喉にまとわりつく胃酸の味が現実だと教えてくれる。半分になったにも関わらず未だに彼は笑っている。誰も彼女を責めてはくれなかった。
    人として当たり前の埋葬すらしてあげられなかったのに!
    遅れてやってきた罪悪感で胸が張り裂けそうだった。
    抱きしめられている時にゴムが切れたのか結んでいた髪の毛がハラリと落ち、生理的に流れた涙とヨダレでベタベタになった頬にくっついた。吐瀉物を誰かが掃除している時、ベッキャーがひばりを覗き込み。

    「…かわいい♡」

    と両手で頬を包み子供っぽく笑った。

    「これから頑張りましょ」
    「お前は俺の後輩だからな…」

    しゃがみ込むひばりの目線に合わせたベッキャーとブラックが手を握る。彼らの手は冷たかった。ひばりはちっともおかしくないのに笑いが込み上げてきて、それから……。

    「ははっ…」

    笑った。





    暗く重い部屋である。
    剥き出しの水道管から水滴が定期的に落ち続け、床に苔を作っている。水はけを良くする為に床は少し傾いており、排水溝には水と血と髪の毛が渦を巻いていた。
    カビと脂と汗の匂いが湿気と混ざって部屋に充満し、アラマキの体に染み込むほどだった。

    「気分は……?最悪…?最悪だといいな…」

    パイプ椅子に括り付けられたアラマキにブラックちゃんが話しかけた。

    「……」
    「ご苦労様…」

    のそのそと部屋を掃除していたブラックちゃんは、血が溜まった水溜まりを手で掬いそれを飲み込んだ。
    アラマキは拷問を受けていた。
    牢獄にいた彼をブラックちゃんがコンクリートの部屋に連れ出し「今日から宜しく」と。
    これがおよそ1ヶ月前の事だった。
    それからアラマキは時間を忘れるほど毎日部屋に連れ出されいた。朝起きて最初の飯が出たあと必ずブラックちゃんがやって来て終われば飯を食い夜を越す。これが今のアラマキのモーニングルーティーンだった。

    サメの魚人であるブラックちゃんは血が大好きだった。なので彼が血を流す度にテンションと陰茎があがる。気味の悪い男なのだ。

    「……げほっ」

    鼻血で鼻が詰まり息が出来なかった。
    殴られ続けて熱が出た。
    咳をすれば鞭を打たれた背中に響いた。
    折れた指でパンを食べた。
    痛みで眠れない日々が続いた。
    ペンチで肉を捻りとられたアラマキの腹にある「死川心中」の刺青は所々読めなくなっていた。

    強靭な彼の精神力にも綻びが見え始めていた。
    最初の頃は余裕があった。髪を掴まれ顔面を殴られとしてもブラックちゃんの腹を蹴り上げていたし、腹を炙られても唾を吐きかけていた。しかし、終わりの見えない日々には流石に疲れた。抵抗すれば時間は伸びる。抵抗すれば怪我が増える。抵抗すれば、あの女が疑われるのではないか。
    そうしていつしか血で濡れ束になった髪の毛の隙間からドロドロの目玉で出口だけを見つめるようになった。
    ブラックちゃんは何も話さず俯くアラマキの顔を持ち上げ、満足そうな顔をしてから「ご苦労様」と伝える。
    これが終わりの合図だ。
    アラマキはこの言葉を今か今かと無意識に待つようになっていた。
    今日の「ご苦労様」を聞いてホッとした時。

    「ど、どどうです、か。ちょう、ちょうし、調子は」

    吃音症の男が入ってきた。
    ルーティーンには例外がある。「ご苦労様」で終わらない時は必ずこの男が来た時だ。アラマキはこの声を聴くと地獄に叩き落とされた気分になり、コメカミから汗を一筋垂らす。
    吃音症の男は腹が異様に出ている。
    太っている腹の出方ではない。手足は確かに浮腫んでいて太いが、なだらかに曲線を描いたような腹ではなく、不可解に突然突起物が生まれたかの如く出っ張っているのだ。ボサボサのプリン頭で女物のワンピースを着ており、黄色い歯でニタニタと笑い「み、みみみて。ぼくの、ぼくの子。うれしいね、うれう、うれしい」と妊婦のように腹をさするのだ。
    自分を妊婦だと信じているイカれた男だった。

    「マザー…!」
    「ぶら、ぶらっくちゃん、おつかれ様。どどどうかな気分は」
    「はい、最高です…!」
    「き、きみのじゃないよ。ふ、ふふふ」
    「あっ…ごめんなさい、ぼく嬉しくて…」

    吃音症の男は皆からマザーと呼ばれている。
    この団体のボスである。皆、彼の子になりたくてマザーに心酔しているのだ。ブラックちゃんも先程の無表情な顔から一転し、グレーの顔を赤らめマザーに擦り寄っている。

    「そそそれで。きみ、ききみだよ。き気分は」
    「…っ。よくはねぇな…」
    「そうそそそうでしょう。たのし、たのしくなるお歌を、今日も、もも持ってきました」

    そうしてマザーは1度部屋を出て、小さな男の子と鼻を削がれた巨大な男を連れて来た。男の子は可哀想に酷く怯え大きな瞳は涙で濡れている。

    「……」
    「良かったね色男……。延長戦だ…」
    「よか、よかった。だいすきだよ」

    マザーが男の子を抱きしめてから、男に引渡す。
    そうして男が男の子を犯し始めた。

    「ギャーッ!」
    「ギャハハ…」

    男の子の血を吐くような絶叫と合わせてブラックちゃんが『Lost in The Rhythm』というアップテンポの陽気な音楽をつけた。
    ブラックちゃんは音楽に合わせトントンと爪先でリズムをとりながら五寸釘を取り出して、アラマキの足の甲に刺した。

    「ッう!」
    「テンション上がってきたッ〜……!」
    「ぼぼくのあかちゃん。胎教。はは…ふ、ふーっ、ふーっ」
    「ギャーッギャーッ!」
    「グッ、アッ!」
    「ギャーッギャーッギャーッギャーッギャーッ」

    犯される男の子と釘を体に打ち込まれるアラマキを見てマザーは右手に掴んだ紙やすりで自慰行為を始めた。
    アラマキは濁った目玉で自分を見つめる彼と目を合わせられず、ただ痛みに逃げた。

    「うーん。うーん」
    「ェアハハ…。モチベ…」

    釘を打たれる度、アラマキの足首にはめられた海楼石の錠が魚のように跳ねた。

    肉の間に鉄が刺さり温くなる。
    叫び声が部屋を充満する。
    違和感が内臓にぶっ刺さる。
    目が回る不快感。
    馴染むことの無い嘔気。
    引きずり込まれる地獄の針山。
    伝染病の暴力。
    境界の曖昧。
    喉に孕んだぼくのあいつのおれのワタシの君の貴方のおれのおれのおれのおれおれのおれおれおれの




    次第に絶叫はどちらのものか分からなくなった。





    「う、」
    「起きて」
    「消灯にはまだはやいよ」

    あれから数週間。又は数ヶ月。兎にも角にも日数は分からないが、アラマキの拷問は続いていた。
    今日の分は既に終わり牢獄へ戻ったアラマキは白痴のような顔で廊下の先を見詰めていた所、バックとフロントに顔を軽く叩かれた。

    「今何をみていた?」
    「そこには何も無い」
    「……」

    思考がままならぬ。
    しかし、確かに言われてみればおれは何を考えていた?いや、何も考えていなかった。ただ明日の飯を家畜のように待っていた。
    アラマキはこれに気づき肌が粟立った。最初に見たから傘男と全く同じ状況に陥っていたのだ。
    から傘男は知らぬ間に死んだらしい。いつの間にかおらず途中で気がついた。死んだ事になんの感情を持たなかった。ただボンヤリ「そういやいねぇな」とだけ思い、それから「あいつの分の水くれねぇかな」と…。
    そこまで気づき、自分の思考に酷く吐き気がした。
    閉鎖空間の中の規則的な生活。地獄のルーティーンの中に娯楽を1つだけ与えられ続ければ人はこんな簡単に堕落するのかと。気味が悪いと見下していた人間共と同じ地位に自分は落ちかけていたのだ。

    このまま気づかなければ自分は檻が開いていてもただ飯を待つだけの豚になる所だった。
    痛みというのは慣れるものである。慣れというものは思考放棄である。思考放棄は現実逃避と同意義。
    成程。こうして家畜を作ってきたのか。
    アラマキは汗ばんだ顔を手のひらで雑に拭い、双子の肩に手を置いた。

    「…助かった……」
    「いいよ。よくある」
    「珍しいことじゃないしね」
    「…お前らはなんでまだまともに話せる」
    「「?1人じゃないから」」
    「僕にもフロントにも僕がいる」
    「貴方のフロントはいないの?」
    「いや、……」
    「きっとあの人だよ髪を結んでる女の人」
    「いつもこっちを横目に見てる」
    「!会ったのか」
    「毎日見に来てる」
    「仕事を装ってね」
    「対した用なんかない癖に」
    「あれじゃバレバレだね」
    「パピーはいつも子供部屋にいるけどね」
    「カノピが来てるのに会えやしない」
    「だから代わりに僕達がカノピとお喋りしてあげてるんだよ」
    「……おい。この事誰かに話したか」
    「ここでまともに会話できる人間がいると思う?」
    「それって誰?クスリの中でだけ会える友人?紹介してよ」
    「知らねぇよ。だったらいい…」

    アラマキは尋問のような質問攻めに嫌気がさし、残った右腕を枕にして寝ようとしたところに双子が四つん這いでヨチヨチと近づいた。

    「ねぇ。僕達頭が痛いんだ」
    「硬い床のせいだ」
    「柔らかいものが必要だ」
    「つまり分かる?」
    「馬鹿じゃないんだ分かるよね」
    「お腹を貸してよ」
    「お願いだよロミオ」
    「一緒に夢を見ようジュリエット」

    と、期待を膨らませた声で懇願されたアラマキは暫し考え。

    「大人しくしてろよ…」

    腹に頭を乗せることを許可した。傷がまだ癒えていない為かなり傷んだが、顔を歪ませる事はなかった。

    「優しいね」
    「良い子だね」
    「うるせぇな……。……お前ら外出たいと思わねぇのか」
    「同じ所に移るだけだ」
    「同じ事の繰り返しだ」
    「世話してやるよ」
    「「ほんと?」」
    「俺なら出来る」
    「支配者なの?」
    「権力者なの?」
    「そんなもんだな」
    「ほんとにほんと?」
    「うそだよ」
    「仕事をやる。俺のパシリだけどな」
    「健常者マジョリティらしい提案だね」
    「異常者マイノリティだけの仕事だよ」
    「出たくねぇなら別に無理強いはしねぇよ…」
    「出たいよ」
    「出たいさ」
    「だったら連れ出してやるよ」
    「「……諦めなくていいの?」」

    フロントとバックは常に何処か諦めた声色をしていた。だが、今はほんの少しだけ声が上向きになり下からアラマキを見上げる。
    切望の感情を彼はよく知っている。よく浴びていたし、ここ数週間は身に覚えがあった。
    アラマキは彼らと自分に言い聞かせるように…。

    「捨てろ」

    と胸に打ち込む声で返した。

    「…好きだよダーリン」
    「大好きだダーリン」
    「アラマキだ」
    「「アラマキ」」
    「敬語を使え」
    「「アラマキさん」」
    「長かったなここまで」
    「お姉ちゃんは一緒に来ないのですか?」
    「来る」
    「はやく迎えに来てほしいですね」
    「…出してやるから信じて今日は寝てろ」
    「うんおやすみ」
    「おやすみ」

    部屋が静かになった。
    2人の寝息が聞こえる中、アラマキは灰色の天井を見つめていた。
    正直、自分の事で手一杯だったのだ。ひばりのことを忘れた訳では無い。気にかけていた。だから抵抗をやめたのだ。しかし、いつの間にかそれは自衛の為になっていた。
    ……アラマキは久しぶりに見聞色を使った。

    __ここからそんなに遠くはいない。近くに他の人間の影が見える。シルエットだけだが、かなり痩せた。寝てんのか?丸まって横たわっている。…?何か抱いている?棒状の……。あれは。あれは、刀だ。俺の刀。大切にしろよと言った覚えがある。……。

    昔を思い出した。
    彼女は不安な事があると何時も体をすっぽりと布団に埋めてお気に入りのピンクのクマのぬいぐるみを抱きしめていた。
    多分彼女も心身共に限界なのだ。しかし、アラマキはこれに不満を覚えた。かの勇猛果敢なサカズキの娘がこんな所で終わる気か。猛々しい野犬の如き男の血を継いで尚そうなのか。
    今すぐケツを蹴っ飛ばして背中をぶっ叩き喝を入れ「立て」と言ってやりたい。髪の毛を引っ張ってでも泣いているであろう顔を前に、……。
    こんな所であの人の血が……。

    「寝た?」

    ふつふつと湧き上がる怒りを抑えていると下から"おまけ"の方、すなわちバックが声をかけた。
    見聞色を消し、アラマキは目線を下にやった。

    「起きてるよ」
    「あのね。フロントは見栄っ張りだから言えなかったんだけど、僕達夢があるんです」
    「……」

    アラマキが黙っているとどこか遠慮がちに言葉を詰まらせる。2人はソックリそのままコピーしたかのような双子であったが、多少バックの方が引っ込み思案なのだ。
    彼の不安を察したアラマキは小さく「バカにしねぇから」と答えた。
    それにバチッ、と目を見開いて安心したようにまた話し始める。

    「まだ誰にも捕まってない頃。広い、広い花畑を見たんです。綺麗だった。夢の中の花火のように幻想的だった。静かな所で傷つける人が誰もいない僕らの理想郷。そこで自然と一緒に慎ましく暮らすんだ。アラマキさんも連れてってあげますね」
    「…らはは。そうかよ。楽しみにしてるぜ」
    「ふふ。僕達ね、貴方が来てくれて嬉しい」

    素直な喜びにアラマキは顎を三重、眉を八の字、口を出来るだけへの字にして『嫌そう……』な顔をした。

    「お姉ちゃんはやく来ないかな。じゃなきゃダメになっちゃう」
    「?おい」
    「おやすみ」

    バックはアラマキの言葉を遮るように眠った。
    気になる所があったがアラマキも彼を起こして詰めようとはしなかった。今は彼女を信じるしかないのだ。あの男の血を引いている女を……。







    ひばりは孤独であった。

    冷凍の死体を初めて解体した日からひばりは常に視線に晒されていた。それは好奇の目や、監視の目、獲物を狙う目である。一挙一動すら緊張が走る。少しでも感情が乱されれば誰かが傍へ擦り寄って「君は本当に仕事が出来るね」「良くやっているよ」と、まるで腹の中へ引きずり込むかのようにヨダレを垂らした獣がやってくるのだ。
    典型的な洗脳の方法である。
    思考に鎖をかけるのだ。「文句も言わず偉いね」とか「今度一緒にご飯でも行かない?君からアドバイスが欲しいんだ。頼れるのは君しかいなくて」とか。必ず親身に、そして献身的に。これらを集団で絶え間なく言われ続ける。そうすると自然と文句は言えなくなり、「自分は真面目に働く良い人間なのだ」と潜在意識に刷り込まれる。
    刷り込めば次は行動の制限だ。
    「他の人間は逃げたり放棄したりしたけど、君は一生懸命働いてくれるから助かるよ」「君といると落ち着くな」「君は本当に皆のことを考えてくれるよね」等。このような言葉をかけられ続けた人間は例え逃げ出そうとしても自分を責め始める。

    『自分は真面目でよい人間なのに、何故逃げるなど悪い事をしようとするのか』

    こうして奴隷が出来上がるのである。

    ひばりは四六時中気が休まらなかった。
    奴らは彼女の心に蛇みたくスルリと入り込もうとする。心を埋める役割を私が俺が僕がと絶え間なく、そして図々しく押し入るのだ。うざったい同調の押し付けだった。
    付け入らせぬよう気を張り続けていれば当然かのように疲労が溜まった。1人になる時間すら無く何時も誰かに見張られていた。そのせいでコビー達との接点が断たれたし、アラマキはいつもどこかへ消えていた。
    故に彼女は孤独であった。
    唯一の支えはアラマキから預かった刀。ベッドの下に隠した刀を足の間に挟み、毎晩声を押し殺して泣いた。
    明日が来るというストレスで無意識に唇の皮を剥いた。彼女の唇は薄く血が滲みホームレスのようにガサガサし、目はクマで黒々として体は内臓を抜かれたように削げ落ちていた。
    数ヶ月前の可憐な美少女はもうそこにはいなかった。


    「元気ないわね」
    「……そがなことないです」

    いつも通り死体を解体していたらバッキャーが話しかけてきた。

    「私には話してくれないかしら?」
    「話すも何も」
    「そう。寂しいわ」

    眉を下げ悲しげな表情をしながら慣れた手つきでバッキャーは口を大きく開けて冷凍の子供を丸々飲み込んだ。彼女の白く細い首は歪なほど膨れあがり、徐々に腹へ落ちていく様は酷く気色悪いものだ。
    ベッキャーの口は耳まで裂け、細長い舌で顔を舐めている姿をひばりは真っ黒な目でただただ見詰めている。

    「たまにね、いなくなるのよ。お守りをつけているのに」
    「……?」
    「不思議よね。忽然と消える。前のお助さんも煙のように消えたの。酷いわよね。私たち家族なれたと思っていたのに」

    ノコギリを持っていたひばりの手をレッドのネイルが光る指でなぞる。手のひらから腕へ、肩、そして首に爪を軽く突き立てて。

    「ひばりちゃんはそうはならないでしょ」

    バッキャーはひばりの肩に顎を乗せ、縋るように飴色の声色で甘えた。

    「……」

    突き立てられた警告をひばりはゆっくりと自らの心臓の前に連れていき優しく、そして突き放すように微笑んだ。

    「ええ、ええ。ウチらはもう家族じゃ。置いていったりなんかしません」
    「ふふ。大好きよ」
    「ありがとうございます」

    ひばりの返答に満足したベッキャーは彼女の瞼にキスをしてニョロニョロと体へ巻きついた。

    自己の不安を他者との同一化により自己防衛を図る。
    こいつらがカニバリズムを行うのは共感の強要なのだ。罪悪感の共用、己の地位の確立。『自分は最底辺ではない』という他者を虐げる事により得る防衛本能である。それを先導しているのがマザーだ。何故コイツらがここに集まったのかは知らない。多分、元々精神的に漬け込む隙のある者達を拉致でもしたのだろう。
    支配されている事に気づいていない。
    だからこそ輪の中から抜ける人間を許さないのだ。他人の幸福を己の不幸だと思う貧しい人間しかいない。
    自らの不幸を幸福だと信じるしかない。
    ま、しかし。趣味でここにいる変態もいるのだが…。
    兎にも角にもひばりは彼らの事を何となく分かってきた。だから自分に執着するのだ。

    思想が分かった所で逃げられる隙は与えられない。彼女はアラマキが何処で何をしているのかを知らない。もしかしたらもう逃げたのかもと、頭の中でマイナス思考が離れないのだ。

    __……。自分がおかしくなる前にここから逃げないと

    「私、ひばりちゃんともっと仲良くなりたいわ。何か欲しい物はあるかしら?」
    「いえ、気持ちだけで十分ですけーの」
    「んもう!欲のない子ね。そうね、香水はどうかしら?ひばりちゃんに似合いそうなのがあるの。私のお下がりでよかったら明日持って行ってあげるわ。故郷に生える花から作った物なの」
    「ウチに似合いますかね」
    「似合うわよ。だってひばりちゃん北の海出身でしょ。それとも親族の方がそうなのかしら」
    「………教えとらんですが」
    「その訛り聞いた事あるの。昔ね。私もまだ小さい時にお父様に連れてってもらった国で。今はもう国じゃないかしら」
    「まぁ…そうじゃのぉ。この訛りは気に入りゃせんですか」
    「そんな事ないわ。とっても素敵よ。言ったでしょ貴方と仲良くなりたいのよ。もっと貴方の事を教えてちょうだい。故郷はどこらへんにあるの?私も昔の事だからほとんど覚えてなくて。この紙に書いてくれる?もしかしたら私と近いのかも」
    「わっ」

    ベッキャーにニコニコした顔で半強制的に紙とペンを押し付けられひばりは思わず受け取ってしまった。
    ここで突き返すのも変に思われるかも、と考えたので彼女は大人しく大体の地図を書いてベッキャーに渡した。

    「うろ覚えじゃけど、大体ここらへんですけ」
    「…これ」
    「後輩…体調は悪くないかい……?」

    ブラックちゃんだ。
    音も無く突然下から顔を覗き込まれ、彼の特徴的な赤い煙が出る電子タバコを吹きかけられた。
    いつも付けている深緑のリップはしておらず、代わりにオフホワイトなリップを付けていた。それが彼のグレーの肌と相まって嫌に似合っている。

    「いえ…別に」
    「そう…残念だ……。本当に」
    「何しにきたの」
    「赤紙だ」
    「?赤紙?」
    「あら。マザーに呼ばれたのよ」
    「ウチがですけ?何用ですか」
    「サプラ〜イズ…ェアハハ…」

    ブラックは影のかかった顔でそう言うと傍にあった肉片を握り潰し、それをひばりの頬になすりつけた。

    「野暮な事聞かないでくれよ……下らない女…」
    「行きましょうひばりちゃん」

    ベッキャーはひばりの限界まで嫌そうな顔に付いた血をベロッと舐めとり腕を組んで外へ連れ出す。両脇から捕まれズルズルと引きずるように連れてこられた場所は一面赤い部屋だった。壁も床も赤く、天井からぶら下がる赤いロウソクは蝋が下に溜まっており、壁には子供が書いたであろう絵が一面ビッシリと書かれている。マザーと思わしき男の絵は顔が黒で塗りつぶされ、不自然に膨らんだ腹が追加されていた。中は小さなアナログテレビとベッドルーム、隅には上に重しがのっているドラム缶があった。そのベットにマザーがいた。
    マザーは青色のマタニティウェアの上にエプロンを着ており、顔中汗まみれでフゥフゥと脂肪が絡まりそうな呼吸を繰り返している。
    ひばりが部屋に連れて込まれると同時に他のキーパーが大量に入ってきて出口を塞がれた。
    ひばりはそれを傍目に確認し、前に垂れた髪を後ろに流した。

    「ここ、こん、こんばんわ。はず、はじぃ初めてお会いしまますね」
    「……はい。やっと会う気になってくれて感慨深いですけ」
    「いいいそがしくてね。ごめんれ」
    「ほんで?ウチに何かご用ですか」
    「いいまの仕事をががんばっていると!聞きまして。本、本日はヨウジンボウらしい、仕事をマかせ、任せたく」
    「あぁ…。用心棒…確かにそがなこと言うたな」
    「つれてきてください」

    マザーの言葉に二つ返事で了解したブラックちゃんはアナログテレビの電源を着け3度ほど叩いた。故障を治すみたいに。ジージジジ…と独特の機械音がなり画面は砂嵐で覆われる。液晶の淡いブルーライトに目を凝らしていると、中から手が伸びてきてそのまま部屋の中へ這いずりでてきたのだ。ガサガサとした痩せ細った手のひら。1度自分が握手した手だ。そいつはオッショウであった。赤い火で反射した黒の袈裟をズルッと引きずり、テレビの中から出てきたのだ。
    ひばりはこれに驚き1歩後ずさりをしたが、隣にいたベッキャーに肩を捕まれた。
    オッショウはゆるりと袈裟を整え、腕を捲る。
    髪を振り回し泣き叫ぶ幼い女の子の刺青、その髪の毛が腕が溢れ出すように出ており、それを掴み出せば墨汁が和紙に滲むように外へでてきた。
    出てきた女の子はまだ幼く金切り声で泣きながらひばりの前へ連れてこられた。

    「このの、この子は罪を犯しました」
    「罪って」
    「母に歯向かったんや」

    そう言われたひばりはオッショウに拳銃を渡された。

    「殺しなさい」

    その言葉には重みがあった。オッショウはかがみこんでひばりを真っ直ぐ見据えている。その重みに針で磔にされた虫のような焦燥を覚えた。
    途端に手のひらに汗をかき、心が激しく波打つ。

    「そ、そがなことまでせんで」
    「重罪やちゃいますか。母に歯向かう子は仕置きをせなあきません」
    「ウチは」
    「他の誰かにやらせると?」
    「っ…」
    「誰か!他にやるべき人間が!ここにおるん言うんか!えぇ?……君は。用心棒を希望やったんやろ」
    「意味が違う!ウチは向かってくる敵を抑えるって意味で言うたんじゃ!」
    「合っとるやろ」

    こぼれ落ちそうな拳銃を包み込み、オッショウは女の子へ銃口を向け、誰にも聞こえないようひばりの耳元で囁いた。

    「お前が選んだ」
    「!」
    「この部屋に来た時、出口を塞がれたと分かったんやろ。是が非でも逃げれば良かったものの、お前はボーッと突っ立っとっただけや。既に思考が止まった家畜と同然。嫌な予感はしとったくせに。今更なって怖気付くんか馬鹿女」

    周りが一斉にドンッ!と足音を鳴らした。それは一定のリズムを刻み、ドンッドンッドンッ!と地面すら揺るがす。

    「殺せ!」
    「殺せ!」
    「殺せ!」
    「殺せ!」

    足音と合わせてエールが送られ、それはひばりを追い詰めた。

    コメカミからブルーの汗が流れる。不安、恐怖、焦燥、そのような感情が夕暮れの暗闇のようにベッタリと顔にへばりつき瞬きすらできない。
    犬みたいな浅い呼吸を繰り返し、怯えた老犬のように自分を見上げる女の子から目が離せない。
    足は震え、動かなかった。

    今、やるべきだろうか。この琵琶法師を押しのけ、自分を囲っている異常者を押しのけ、アラマキを探しに行く。でもどこにいるのかさえ分からない。生きているのかさえ分からない。任務も果たせていない。

    自分は、何をしにここへ来たのだろう。

    「卑怯者」

    オッショウは呆れたような一つ目でひばりを見下した。直後。乾いた音が鳴った。
    銃口から薄い糸のような煙が赤いランプに照らされ漂っている。
    頭に弾が当たった女の子は頭蓋骨が飛び、部屋の中へ脳みそをぶちまけた。
    ひばりの手の上から重ねた死体のような指が引き金を引いたのだ。
    拳銃の反動で後ろに倒れたひばりをオッショウが抱きとめ。

    「悪いことやないよ。よぉ頑張ったなぁ」

    と、袈裟に包まれて抱きしめられた。彼と自分から火薬と飛び散った血の匂いがする。袈裟についた内臓が抱きしめられ自分の顔についた。それが事実であると無理矢理にでも突きつけてくるようで……。
    いつの間にかオッショウと自分を円の中心に置き、周りにいたキーパーから賞賛と同情が送られ続ける。

    「辛かったね」
    「頑張ったよ」
    「よく乗り越えたわ」
    「ナイスヘッドショット…笑」
    「君なら出来ると信じてたよ」
    「ここれで、ぼくたち、わたしたちは、同じ罪みをかぶ、ったね」

    マザーがひばりの顔を両手で包み込んで罪を知らない純潔の処女のような瞳でにこやかに微笑んだ。
    そしてその光景を最後に彼女は気を失った。



    「あら。おはよう。気分はどう?」

    ひばりが気を失った後、ベッキャーに連れられマザーの自室で眠っていたらしい。
    ノミがいそうな汚いベッドから起き上がったひばりはベッキャーから水を渡され、大人しく受け取った。
    通称『トイルーム』部屋中ぬいぐるみや玩具、錆び付いたベビーカーとブルーとピンクのベビーベッドがあり、中年男性にしか見えない女装男には不釣り合いな部屋だった。
    マザーはソファの上で膨らんだ腹をフゥフゥ言って大事そうに抱え、隣にいるベッキャーはマザーの腹を撫でていた。

    「き、きみには、ご褒美びに別の、しご、仕事をあたえます」
    「………別の……」
    「いいいまの給仕から、よよよウジン棒としての、仕事です」

    ひばりは塊の違和感と胃酸の味を水で流し込みながらも、マザーに意識を向けられずにいる。
    視界の隅で、妊婦の女装男よりも不快で嘔吐を催すものに見られ続けている。
    ブルーの小さなベビーベッドの上。
    裸の男の死体があった。体はベッドに収まりきらず、頭が落ちて逆さまを向いた状態で顔をこちらへ向けている。男の顎から脳天にかけ1本の太い枝が突き刺さり、もう1本は頬を横に突き通すかのように刺さっている。十字架を噛まされているみたいだった。口の端から真っ黄色の白目まで黒い糸で縫われ、この男もまた笑っていた。
    その男を2人は全く気にもせず朗らかに談笑を続けているのだ。ごく自然かのように振る舞う2人は恐ろしくとてもアレがなんなのか聞けずに、ただただコップの水面が揺れた。

    「うううっ、ウケいれてくれます、か?」

    起きてからずっと俯いてばかりのひばりに首を傾げながらマザーは迷子の子供かのように再び問うた。
    ひばりは動揺をしながら必死に頭を回す。

    ___い、今の給仕から外れればアラマキさんに関わる機会を逃してしまう。給仕も嫌じゃけど……あの人と会う事はむず

    「よよよかった。うけいれ、受け入れてくれるとお、おもててたよ」
    「…は?」

    マザーはニコニコと上機嫌に笑い、爪からミルクの匂いがするほどひばりに寄り添い手首をギュウ…と強く握った。返事をしていないのに!と反論をするために顔をあげればそこに答えがあった。
    彼女は承諾したのだ。無意識に。
    それも最悪な方法で。

    マザーの後ろにあるママゴト用のドレッサーの玩具。そこの鏡に映る自分は笑っているのだ。
    自分が何度も解体した冷凍庫の死体のように。
    ホッチキスで縫い付けられた笑顔とひばりは同じ顔で笑っていたのだ。
    全身の骨が氷になったかのような錯覚がした。
    目を合わせているのが自分だと到底信じられない。いつの間にか目が窪み、肌は荒れ、唇の端は切れて血が滲んでいる。まるで物乞いかのような風貌をした自分は歪な顔で笑っているのだ。ビリッと音をたて口の端が切れ続けても。
    ドッ!と視界の隅の男が笑った。



    「なぁ寝ションベン娘。泣くのは勘弁してくれよ」

    その時ふと頭をよぎったのは昔の、アラマキとの記憶であった。

    父の厳たる特訓に耐えかねた幼少期に1度だけ家を飛び出した事がある。捕まらないよう森の中の獣道を必死で走った。プープー音の鳴るお気に入りのクマのサンダルは森には不向きで石や枝で擦り傷を沢山作った。そのせいで傷が沁みて、ベソベソ泣きながら近くにあった神社に座り込みまたベソベソ泣いた。
    目が熱くて堪らないし、体はプラスチックのように硬い。
    そしてまたベソベソ泣きながら木苺を口いっぱい頬張って、酸っぱいのが当たりまたベソベソ泣く。体育座りで泣いていたら蜂が鼻の上に止まり、……と『笑って仲良し作戦』でいこうとしたのにズブリ……と刺されまたベソベソ泣いた。
    皆ウチの事が嫌いなんじゃ!もうヤ!どっかいってつかぁさいぁ!ーッ!とまぁ臍を曲げ土だらけになりながら手足を振り回していたらいつの間にか眠っていたらしく、気づけば夜になっていた。
    森に充満する葉ずれは悲鳴に聞こえ、風に揺れる葉は巨大な獣が震わせた体毛のようだった。
    自分は一層不安になってしまい、神社の階段で座りこんだ。こんな森の奥深く誰も見つけてくれないのかもしれない。夜の孤独というのは子供にとって何よりも寂しくて恐ろしいのだ。
    と、その時。
    頭上から「お、いた」と聞き慣れた声がしたと同時に首根っこをグイッと掴まれ空中に浮いた。

    「なにしてんだよ不良娘」
    「、りゃき゛さ゛」
    「はい皆のアラマキさんだぜ」
    「ッーーーー!!」
    「ポンタンアメしかねぇや。食うだろ」
    「う゛」

    ひばりは対して家から離れた場所にいなかった。所詮は子供の足だ。遠くまで来たといっても大男であるアラマキにとっては近場で「いや近ッ」となったほどだった。
    しかし彼女にとっては一世一代の脱獄でもう見捨てられたと不安いっぱいになり、アルマジロと見まごうほど丸ッ!と座り込みメソメソ泣いていたのだ。

    自分の顔と同じ高さにまでひばりを吊り上げたアラマキは、通りすがりのババアから貰ったポンタンアメをグチャグチャに泣いている子犬の口にあるだけ流し込んだ。ひばりはグラついた乳歯でモチモチの飴をモチモチ食べる。膨らんだ頬は2本の涙の帯が小川みたいに流れ続けている。アラマキは氾濫しそう…と眺めつつ、子犬の抜けた前歯の隙間にポンタンアメを挟んだりして遊んだ。

    しかしおやつを食べながらも中々泣き止まないひばりに流石のアラマキもほとほと困りだした。

    「なぁ寝ションベン娘。泣くのは勘弁してくれよ」
    「う゛ぇッ…ぐずッ……」
    「モチベーションに繋がるだろ」
    「き、汚い大人じゃ…子供の、ッヒク…泣き顔で…」
    「俺ァは種族や肌の色、目の色や年齢で差別なんかしねぇ。生まれた国で下に見るか死んでいいか決める」
    「子供と女の人は、ヒック…大事にしろってクザンさんが言うとったもん……」
    「女は家に入れ」
    「時代錯誤じゃ!んも〜ッ!降゛し゛て゛ッ!」
    「サカズキさんも探してっから帰るぞ」
    「…………怒っとった…?」
    「そりゃすげぇよ。久しぶりに漏らすかと思ったぜ」
    「いっ、…一緒に謝ってつかぁ、わぷっ」

    アラマキはひばりの両足首を掴み逆さ吊りにして物のように持ちズカズカと森の中へ進む。クレーンで吊るされたマグロの格好にされたひばりは頭に血が上り、目を回して更に泣いた。
    野蛮人である。
    近いうちに学校で『半裸で死川心中という文字の刺青がある不審者がいるとの情報が入った為本日は集団下校です』と言われるタイプである。
    行方不明者の何割かはこの男のせいだと噂されるような男である…。
    そんな男に荷物のように振り回されながら、ウゴウゴ暴れると前抱きにしてくれた。ひばりの小さな頭に血が上った状態ではまだ平衡感覚が掴めず、思わず後ろに仰け反ってしまったが、アラマキが背中を支えてくれた。そして気づいたのだ。自分は今日初めて空を見上げたことに。
    夜の空は澄み切っていて星の光が自分達の道を照らす。水盤の上に花束を投げ込んだかのように煌めいてどこまでも光を撒き続けている。

    「らはは。サカズキさんの拳はいてぇだろうな」

    そう伝えてくれた彼はタバコの匂いがする手で自分の顔をガシガシと乱雑に揉みくちゃにした。

    あの時のアラマキの顔が。




    気がつけばひばりは走り出していた。
    トイルームから。
    アラマキに会いたくて会いたくてどうしても我慢出来なかったのだ。あの手をまた掴みたい。あの人の胸の中で眠りたい。あの日のように助けて、と。
    十字架の嘲笑を背後に浴びながら、彼女はポニーテールを激しく揺らしアラマキがいるはずである牢獄へ向かった。

    「わ、わ、どどうしたの。ぼくなニかしたかなな。なんだってんだ、あいつ、くそがき」
    「いいのよマザー。大丈夫よ」

    置いていかれたマザーは不満げに足を揺らしたが、それをベッキャーが静止した。
    そして先程ひばりが故郷と言った地図が彼女の服の中から滑り落ちたので、それを拾い。

    「もう正気じゃないもの」

    誰もいないブルーのベビーベッドの上に置いた。

    ひばりが書いた地図は、文字というにはまるで図形のようで互いに重なりあい、大小のすら噛み合っておらず、全てが紙の左側に酷く寄っていた。
    それは、狂人が書くものそのものなのだ。

    「あ、いけないわ。オッショウの拳銃。彼女のポケットにいれたままにしちゃった。…あは♡」





    トイルームから逃げ出したひばりは息を切らしカタワ班の家畜達がいる牢獄にいた。先が薄暗くて、ロウソクの火で伸びた影は不安定に揺らぐ。心臓が耳のすぐ裏にきたみたいで、心音がとてつもなく五月蝿い。
    アラマキのいる牢獄はそんなに遠くないはずなのにいつまでも辿り着かない気がしてならない。初めて逃げ出した夜の森と同じだ。
    夢の中で必死に走っても先へ進めない感覚。「アラマキさん」と何度も呼びかけないと自分がどこへ向かっているのかさえ分からず不安でいっぱいだった。震える足を叱咤して何時間かも思えた逃げ道にようやくゴールが見えた。

    「アラマキさん」

    牢獄の中は暗く中が見えにくい。縋りつくよう格子の隙間から手を伸ばした時、嗚咽まじりの泣き声に気がついた。

    「……だれ」
    「アラマキさん、ウチじゃ。ウチですけ」
    「…お姉ちゃん……」
    「、ふろんとくん」

    声の主はまだ幼いフロントだった。ひばりに背を向けていたフロントが顔だけで振り返った。
    彼の夕陽で染めた赤い髪の毛は涙で濡れた顔にベッタリとつき飛び散った血液を連想させる。彼の死臭を否定する力強く美しい瞳は今や見る影もない。撃ち落とされた鳥の目玉だ。生気を失い、ひばりを物のように見る彼に彼女は少したじろいだ。
    アラマキとコンタクトを取るために何度か来たこの牢獄でひばりはフロントと何度も会話を交わした。飄々としてどこか掴めない様子だったが、ここでは珍しく正気を保っていた強い子供でひばりは少し安心していたのだが。
    決してこんな顔をする子供ではなかった。
    背を向けたままゆるりと立ち上がり、近づいてくる。
    足元しか見えない暗闇の中、こちらに近づいてくる足音がこの時は嫌でたまらなかった。
    頭の芯から警告音が止まらない。

    廊下を照らすロウソクの火がボワッと勢いよく燃え、灯りが強くなったと同時。彼の上半身が見えた。もう1人の彼。腹あたりから生えていた上半身は首がなく、柳の木のように腕がダランッと落ちていた。

    「取られちゃった。ぼくが取られちゃったよぉ」

    仰け反った首無しの上半身を抱きしめ、フロントは呆然と泣いていた。ひばりは声が出せなかった。
    壁から伸びた腕に絡まれたみたいで指1本たりとて動かせない。人では無い、と本心では無いのに形容する言葉がそれ以外見つからないのだ。
    ひばりの目を見つめていた彼の目玉がグルンッと下を向く。と同時に。格子の隙間からひばりの腰にあった拳銃を奪い取った。

    「あ!」

    フロントは銃口を咥え発砲した。
    スローモーションで飛び散る血は水風船みたいだった。今、2人目のフロントは死んだ。遮るはずだった手は間抜けに宙に浮いて。
    生温い血液を顔面に浴びた彼女は彼の死体を、星を見た日のアラマキと自分に重ねてしまった。

    「はっ、はっ、は、ハハ。ギャハハッ!!」

    他人の笑い声が聞こえたと思えばそれは自分から発せられていた。







    「……」

    フロントの死体は銃声を聞きつけ駆けつけた他のキーパー共に連れていかれた。
    血だらけのひばりはその場に留まった男に手を握られ薄暗いシャワールームへ案内された。
    無機質なコンクリートに剥き出しでシャワーだけが付いてる。それが仕切りで区切られ横に何列も並んでいるだけの刑務所みたいな所だった。

    「そのままでは汚い。服を脱いで汚れを流してきてごらん」

    指紋だらけの眼鏡をかけた気の弱そうな男は、ただ無抵抗で言う事を聞くひばりが服を抜き出してから少し慌てたように出入口の前へ背を向けて立った。
    男が横目で自分を見ている事には気がついていた。
    服を脱いだ時の目の変わりようも。
    一瞬こちらへ伸びた腕も、今辺りを見渡し人が来ないか確認している事も。
    このシャワールームは逃亡防止の為ドアが無いことも。
    しかし、今やそれももうどうでもよかった。
    ただ静かに上から落ちる水に髪を濡らし、排水溝へ流れる血液まじりの液体を見つめていた。

    『やるんなら徹底的にだ』
    「…やるよ」
    『やるんなら徹底的にだ』
    「……やるよぉ……」

    父の声が頭の中で反芻する。
    普段は背中を押す力強い声が今や自分に指をさし責め立てるような声に聞こえた。恥さらしの娘だと。情けなく脆弱性の英雄崩れだ。分不相応の驕りで人を見殺しにした。自分は一体何をしているのだろうか。目的のアラマキも見つけられない。子供を殺した。自分の胸が空洞になり、そこから火薬混じりの風が吹き抜ける。嗅ぎなれた匂いも全て自分を追い込むものだと捉えてしまう。ソードは何があっても自己責任。
    こうなったのは自分の役不足である。それは理解しているが。

    『やるんなら』
    「やるって言っとろうがッ!!」

    イラつきが止められない。壁を殴りつけたせいで拳に血が滲んだ。耳を塞ぎ、シャワーのノズルを引き上げようとした時。

    「何をするの?」

    緑色の夜だけが照らす部屋で黄色の目玉が2つ浮かび上がった。マリーちゃんだった。
    マリーちゃんは頭に葉っぱを付けながら、泥だらけの着物を引っさげてひばりの後ろにいた。泣きそうで不安げに。

    「まりーちゃん…なしてここにおるんじゃ……」
    「だってちっとも会いに来てくれないもの…。だから仕事終わりに忍び込める所ないかなって探してたら森の中に入口があって。私、猫だからどこでも入れちゃうのよ」
    「監視役の人は…」
    「?誰?そんな男いなかったよ」

    仕切りから顔を覗かせれば確かに。吹き抜けの先に人の気配はなかった。

    「濡れちゃうね」

    衣擦れの音が水音に混ざる。
    マリーちゃんご自慢の黒い尻尾を自分の太腿に巻き付けながら薄暗いシャワールームに入ってきた。
    裸になったマリーちゃんの体には大きな傷跡が5つほどあった。ひばりもこれは知らない。厚い前髪の後ろにも横一文字の刃物で切りつけられたような傷跡がある。それが白蝋の肌に唯一の欠点を作り、更なる妖艶さを演出していた。
    彼女は尖った爪で傷つけないように冷たいひばりの頬に手を添え。

    「やつれたね。嫌なことあったんでしょ」

    優しく抱きしめた。ひばりより背の高い彼女に抱きしめられると、自然と大きな胸の中へ吸い込まれる。桃色の肌は柔らかく甘い。その蕩けてしまいそうな体温は彼女に久しぶりの安堵を思い出させた。胸の下で鳴る穏やかな心音はひばりのけたたましく流れ続けていた血液を落ち着かせる。
    頭上から降り注ぐシャワーを浴びたマリーちゃんの黒髪は漆のようで色っぽくひばりの四角い肩に落ちる。
    ひばりの腕を掴み、自分の腰へと連れだしたので彼女は甘えてマリーちゃんの腰に腕を回した。

    「ふふ。ぎゅー!」

    生娘みたくあどけない笑顔で嬉しそうにひばりの頭の上をザラザラした猫特有の舌でサリサリ舐め、力強く抱き締め返してくれた。ひばりの体の震えを止めるように。彼女が髪を撫でてくれれば今すぐにでも腹の奥底に溜まった泥を全て吐き出しそうになり、右手で交差した左手首に爪を立てる。

    「迎えに来たよ」

    ひばりの髪を耳にかけ、少し屈んで厚い唇が耳に軽く当たるほど近くで囁いた。

    「逃げちゃおうよ」
    「見ていられないわ」
    「悲しまないで」
    「私が守ってあげるよ」

    ほんの少し見ない間にどれだけを背負ったのか。
    彼女はひばりの骨が少し浮き出した背中を華奢な指で撫で付け慈しむ。ひばりにとってそれはロマンスを感じる甘い誘いだった。
    体の力は抜け、ほとんどマリーちゃんに体重を預ける形になったがそれでも抱きとめてくれた。
    猫の手招きに誘われるがまま、身を委ね楽になりたい。
    店先で受付嬢をしていた頃からそんなに経っていないのに、どうしても懐かして、2人でお喋りしていた日を今は枯れる程に求めてしまう。
    脳味噌が氷漬けにされたみたいにビッシリと固定され頭が働かなかった。朦朧として意識がハッキリしないのだ。疲労と絶望は思考回路を簡略化する。
    そしてそれは、1つのアンサーへと容易く繋がった。


    「マリーちゃん。一緒に逃げて」
    「!…いいよぉ…♡」











    ビーッ!ビーッ!ビーッ!ビーッ!





    「逃亡者だ!ひばりが逃げたッ!家畜を1人殺して逃げたぞ!」
    「あらら……後輩がまた消えた……」

    耳を劈くけたたましいサイレンが鳴り響き、建物を1面ランプで赤く染め上げた。

    「ま、君を捕まえただけ役には立ったかな……はは……」
    「おいお前も来い!奴を探せ!」
    「まさかの指名…酷いなぁ…」

    白いゴムのエプロンを血だらけにしたブラックは「あなや…」と酷く残念そうに肩を落とした。

    「そんなわけで一旦席を外す。待ってな色男…後輩の解体ショーの最前列に招待するよ…。ほな…」

    後ろ髪を引かれる思いでブラックはアラマキに別れを告げ、部屋を後にした。

    1人取り残されたアラマキは血溜まりの中、片腕を縛られ天井に吊るされていた。
    血で濡れ束になった髪の毛の隙間から目をかっぴらく。
    耳を疑った。
    あの女が逃げた?何も果たしていない。徹底的に壊滅させていない。しかし、彼の優秀な見聞色はそれを肯定し続けているのだ。今ここに彼女の気配はない。
    弱々しくも確かにこの場所にいたのだ。先程までは。
    彼は置いていかれた。雨の日の娼婦のように惨めったらしく捨てられたのだ。
    自尊心をおろし金ですり切られた気分だ。
    呆然とした中でも頭は水をかぶったみたく冷静だった。そして次第に思考が纏まって。

    「…ッハ。はは゛ァ…」

    次に彼を襲ったのは激しい憤怒である。
    激高が眉辺りを渦巻き、血走った目は正に血濡れの刀を携えた浪人のようで、今にも襲いかかる狂った獣だ。
    怒りで体が引き裂かれその隙間から凶悪な、いや、久しい凶暴な本能が芽吹こうとしていた。


    地面に吐き捨てた湯気が出るほど熱い血液はひばりへの期待、食いちぎられた小指はサカズキへの落とし前。
    抑え込んでいた絶望は形を変え、突発的な殺意へ。
    殺意は彼を、総毛立つような鬼へと祀りあげたのである。


    「…は、はは。らははははッ!ッははは!おいおいマジか!らはは!ヤリ捨てかよ!!女みてぇに!俺が!ラははッ!ははは、………………………。ッアー」

    激しく笑ったせいで足首に付けられた海楼石がコンクリートとぶつかりガツンッ、ガツンッと鳴る。
    次第にそれはガンッ、ガンッ、ガンッ、と力強く荒々しいものへと。






    「殺してやる」












    『誰も信用しないこと』
    『忘れちゃダメだよ』



    【第2幕 終演】
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