「ねぇ、人斬りの刀ってそんなに嫌なもん?」
「ああ?」
書類作成が苦手すぎて、毎度のごとく肥前に手伝ってもらっている最中に、俺が全然関係ない話をし始めたので、肥前が顔を顰めてこちらを睨む。でも気になっていたことを今更なかったことにはできず、俺は話を続けた。
「かっこいいじゃん。俺のガッコでも流行ってるよ、人斬り抜◯斎!とか!逆◯刀!とか!」
「そりゃ絵空事だ、現実はそんなカッコいいとか楽しいもんじゃねぇよ」
肥前はため息をつく。
「大業物と名高い初代肥前忠広といやぁ、鍋島藩にも召し抱えれて、贈答品の一級品、贈られたら家宝の扱いなんだよ、普通はな」
「そうなんだ」
「それが元の主の逸話が強かったせいで、おれは高価な刀装を身包み剥がされて売られて、こんな襤褸のナリでよぉ……折られて太刀から脇差になっちまったし……。あいつは身分が低くて学問もさせてもらえねぇ馬鹿で、結局斬首だ。いいことなんかなんにもねぇよ」
肥前が喉に手のひらを当てた。その下にある首の傷痕は、人間だったら即死もののそれだ。嫌そうに元の主の話をするけれど、でも、憎みきれないのだと思う。だって、岡田以蔵の話をする肥前の表情は、穏やかで、うっすら微笑んでいるみたいで、そしてとても寂しそうだった。
「……ごめん」
「はぁ?……んなもんどうでもいい。ああもう、とっととその書類片せよ」
心底めんどい、を顔に貼り付けて、肥前は俺の頭を軽くはたいた。
「痛っ」
「んな強くしてねぇ。さっさとやれ、めしに間に合わねぇぞ」
ぶっきらぼうで、乱暴で、横暴だけれど、繊細で、目配りが上手くて、俺の頼んだことは嫌そうな顔しても結局引き受けてしまうような、ちょっと貧乏くじ体質の脇差が、俺の本丸の肥前忠広という刀だった。
中学卒業後、普通に高校、大学に進学して就職するとばかり思っていたのに、14歳の立志式の際の適性検査で、審神者の適性が発覚した。中学を卒業後すぐに審神者として本丸を持ちつつ、審神者向けの高等学校に進級して、本丸から週の半分くらい学校に通う日々を送っている。
肥前と初めて会ったときは、まだ俺が審神者になったばかりで、当然特命調査も初めてで、脇差も青江と堀川と鯰尾と骨喰くらいしかいなくて、そこに入ってきた元政府所属の肥前はそれはそれは尖って見えた。なんせ口もガラも目つきも態度も悪い。
(ヤンキーだ、こええ……)
びくびくしながら接していたら、初期刀の陸奥守吉行───むっちゃんに苦笑されたくらいだ。
「肥前のは、見た目より真面目でえいやつやき、そがな心配せんでえい、仲良うしたって」
「そ、そう……?」
審神者としても、避けて過ごすわけにもいかず、ドキドキしながら近侍を頼んだ。あいにくその日は学校の課題に加えて臨時の政府宛の報告書提出締切日で、ひーひー言いながら半泣きで書類を作っていると、肥前が怪訝な顔で覗き込んできた。
「おい、なに泣いてんだよ」
「……今日提出の報告書が終わんなくて……うぅ」
怒られるかと思ったが、肥前は顔を顰めただけで、
「見せてみろ」
と隣に座り込むと、まだ半分も埋まっていない報告書を手に取って、俺の代わりに帳簿を突き合わせて数字を埋めてくれた。
「こことここを足したら、この項目に書けるだろ、結びは定型文があるからそれ使え、まだ学生なんだし、形だけできてりゃいいだろ」
メモ代わりに書き足される肥前の字がとてもきれいで、意外な特技に俺はつい見とれてしまった。
「肥前の字、すごいきれいだね」
「そうか?」
「それに、こういうの慣れてるのもかっこいい……」
「あ───……。先行調査員やってたからな。報告書の類には多少慣れてるだけだ。……なんだよ、褒めてもなんも出ねぇぞ」
俺の褒め言葉に少し照れて顔が赤くなっていく肥前が視線を逸らすのも、なんだか急に可愛く見えてしまって、俺は小さく笑った。
「ねぇ、また教えてくれる?」
「あぁ? 別におれじゃなくてもいいだろ」
「だって、肥前の教え方分かりやすかったもん。ね、お願い!」
肥前の顔を覗き込むようにすると、ますます彼は顔を赤らめた。
(かわいい〜〜! それに、思ってたより全然優しいじゃん!)
「チッ、しょうがねぇな……」
「わーい!やった!ありがとう!助かる!」
肥前の小さな肩に親愛の情を込めて肩をぶつけると、肥前が小さな声で、うぜぇ、と呟いたけれど。振り払われもしなかったし、その表情がなんだか苦笑しているみたいだったので、俺はまた嬉しくなって肩をぶつけた。
それ以来、書類の提出が近くなるとしょっちゅう肥前に泣きついては手伝ってもらう、というサイクルが常態化したのは言うまでもない。だって肥前は面倒くさそうな顔をするけど、最終的には絶対に手伝ってくれるし、指摘はかなり的確で、仕事が早かった。お礼にちょっとおやつを奢ってあげたら、無表情っぽいわりに目が輝いてたりしてめちゃくちゃ分かりやすく喜んでくれるところも可愛かった。
むっちゃんにも、
「肥前、すっごく頼りになるね」
と報告したら、太陽のような満面の笑みで、
「わしの自慢のにいやんやき!」
と自慢されてしまった。
「にいやん、なの?」
「ほうじゃ!わしが坂本家に来る前からおった肥前のは、それはそれは美しい御刀じゃったけんの」
むっちゃんの話では、肥前が一番年上で、南海先生が一番年下だと言うことだった。刀剣男士の外見年齢と打たれた年数が違いすぎて詐欺だろと思うことはよくあるが、肥前もその一人だった。高校生の俺より見た目が子どもっぽくて、本当に中学生ぐらいにしか見えないのに、お酒を平然と飲んでいるところに遭遇して最初なんかびっくりしたくらいだった。
今日も夕餉の席で、肥前があんまり美味しそうに酒飲んでるから、
「それ美味しい?」
と俺は聞いてみた。肥前がふ、と薄く笑う。基本的に肥前は宴の輪の中に入らずに、ぽつんと飲んでいることが多いので、俺も話しかけやすかった。まぁ無理矢理むっちゃんとか脇差とかに引きずられていくことも多いけど。
「まぁ、悪くはねぇな」
「いいなー、俺にもちょっとちょうだい?」
とねだってみたが、
「おまえは未成年だから駄目だ」
すげなく断られてしまった。
「見た目は肥前のほうが下じゃん!!昔は14で成人だったんだろ?」
と俺が食い下がったら、肥前は渋い顔をして言った。
「若いうちに飲んでっと勃たなくなんぞ」
「えっ、肥前勃たなくなってんの? 大丈夫? 俺の心配してる場合じゃなくない?」
「うるせ───!!おれのことはどうだっていいんだよ!!」
と肥前は小声で叫んだ。
「え? 勃つの? 勃たないの?」
「知らねぇ!!」
俺の追及に、肥前がぷいとそっぽを向いてしまったので、俺は身を寄せて小さな声で聞いた。
「ねぇねぇ、えっちなおかずとかどうしてんの?」
肥前は切れ長の赤い目をまんまるに見開くと、わなわなと震えた。
「おま……っ、おまえってほんとにばかやろうだな!!!」
肥前は顔を真っ赤にして怒鳴ると、銚子を一息に飲み干し立ち上がり、どすどすと足音を立ててどこかに行ってしまった。
「あ……、行っちゃった……」
そっかー肥前も勃ったりするんだなぁ……となんとなく意外に思ってしまって、一瞬後にそりゃそうか、とも思い直す。健全な肉体を与えられて顕現しているのだ、生理現象もあるに決まっている。
******
おれがこの本丸にきて、半年が経った。まだ本丸が発足したばかりの頃に文久土佐の特命調査があって、おれはこの本丸に配属されたから、この本丸の中ではかなりの古参の部類に入っている。半年も経てば刀もだいぶ増えて、遠征も内番も過不足なく回せるようになってきた。
学業と兼任しているこの本丸の若い審神者は、書類仕事が大の苦手で、報告書の類はなぜだかよくおれに泣きついてくるが、正直おれじゃなくていいのではないかと思う。おれより適任そうな刀も増えてきたから、もっと他の刀に近侍を任せたほうがいい。
おれは人斬りの刀で、斬るぐらいしかできねぇし、そもそも近侍とかには向いてない。審神者の会議に出るのも、学校が遅くなって迎えに出るのも、隣を歩くのはおれなんかより、天下五剣とかふさわしい刀がいる。
審神者に甘ったれた声で「肥前!お願い!手伝って!」と頼まれると断りきれないのはきっとおれが脇差だからだ。そういう面倒くさいことを進んで引き受けてくれるような奴らが、ここにはもうたくさんいるのだから、そろそろ距離を置いても許されるはずだ。……もう審神者に構われることがなくなるのが少し淋しく感じるなんて、気のせいだ。きっとそう。
庭先で庭の花に水をやっている審神者に付き合いながら、おれは切り出した。
「なぁ。この本丸も大所帯になってきたし、近侍をおればかりじゃなくて、もっと平等に割り振ったほうがいいんじゃねぇか」
「えっ? 肥前、近侍嫌だった?」
「……嫌ってわけじゃ、ねぇけど。おれじゃなくて、もっとおまえにふさわしい刀のほうがいいと、思っただけだ」
審神者は不思議そうに首を傾げた。
「俺にふさわしい刀って、なに?」
「天下五剣とか、いるだろ」
「三日月おじいちゃんだと迎えに来てもらう前に迷子になっちゃうけど」
「そ、それはそうかもしんねぇけど……」
「えっ、肥前なんで離れようとすんの? 俺のこと嫌いになった……?」
「嫌いとかそういうんじゃねぇ」
おれが顔をしかめると、審神者はぱぁっと顔を輝かせた。
「えっ、じゃぁ俺のこと好き?」
「はぁ!? だから好きとか嫌いとかそういうんじゃねぇ!!」
おれは思わず大声になった。なぜか妙に顔が熱くなっていく。審神者はおれの顔をじっと見つめると、目を丸くしてとんでもないことを言い出した。
「顔赤くなってるけど……? えっ、肥前マジで俺のこと好きなの?」
「こっっの、べこのかあ!!!!!」
おれが怒鳴っても、審神者はまるで聞いていなかった。考え込むように俯いてから、おれの顔をもう一度見つめる。
「……あ、あれ? 俺もけっこう、肥前のこと好きかも……?」
「はぁあああっ?」
おれは目を剥いたが、審神者は頬を薄紅に染めてはにかむと続けて言った。
「肥前、俺と付き合わない?」
「お、おま、ばっっっっっっっか!!」
「えっ、馬鹿じゃないよ、真剣だよ。俺、肥前と一緒にいると楽しいし、抱きしめたくなるし、ずっと一緒にいたいなって……。これって肥前と付き合いたいってことじゃん?……だ、だめ?」
審神者がしおらしく首を傾げておれに問いかけてきて、ぐっと喉の奥から呻き声が漏れた。
ああもう、頭が痛い。こいつは、本当にたちが悪い。いつもそうだ。なんでもかんでも本能で動くし、脳天気に告白なんかしてきやがって。
最初に感じたのは怒りだった。その中に、喜びと、悲しみが同時に襲ってきて、まずい、とおれは咄嗟に一歩後ずさった。からん、とシャワーの先端のついたホースの先が地面に落ちる。
「こんな人斬りの刀捕まえて好きとか、頭湧いてんのかよ」
「肥前?」
「酔っぱらいの戯言みてぇなこと言ってんじゃねぇぞ」
「酔ってないし、俺、肥前以外にこんなこと言わないよ?」
「……ッ!!」
たまらなくなって、おれは叫んでいた。
「おまえ、おまえなんか……っ、百年もしたらおれのこと置いてくくせに……!!」
なぜだろう、目頭が急激に熱くなって、視界がぼやける。溢れだした熱い液体がぼろぼろと頬を伝った。おれは呻きながら叫んだ。
「もうおれに関わるんじゃねぇ!!」
「肥前……っ」
審神者の呼ぶ声に耳を塞いで、おれはそのまま庭から逃げ出した。