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    りんごのしずく

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    りんごのしずく

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    忘れたって何度でも! 展示物
    開催おめでとうございます!🎉
    『毒入りチョコレート事件』
    はじまりそうなオーカイ小説です。騎士である前に魔法使いであるカインに想いを馳せてます。
    再掲SS 『侵食』『疼く情性は名を持たず』

    忘れたって何度でも 展示物毒入りチョコレート事件

    「そういえばさ、ミスラってやっぱり、オーエンと付き合いが長いのか?」
     なぜだか、ミスラとふたりでお茶をしている。午後には特に決まった予定がない日だったので、誰かいないかと談話室へ向かうと、同じく暇を持て余した、髪の色が微妙に揃いの男がいた、という経緯で。誰か長寿の魔法使いがいたならば止められたのかもしれないが、賢者様の魔法使いとして、親睦を深めておいて悪いことはないだろうと、ふたりで庭にテーブルとティーセットを用意した。
     突然襲われやしないかと少し身構えたままではあるものの、適当に焼き菓子をつまんで紅茶を飲み、という、今のところは至って普通のお茶会だった。
    「はぁ。まあそれなりに長いんじゃないですか。いつ出会ったかとかは覚えていませんけど。彼も、昔のことはあまり覚えていないようですし」
     彼は存外のんびりと、俺の問いに答えた。ミスラはなぜか、俺とオーエンを友だちだと思っていたようで、先ほども弱点とか知りません? と聞かれた。知っているなら教えてほしいくらいなのに。
    「……やっぱり、オーエンって、昔のこと本当に覚えてないのか? はぐらかされてるだけかもと思ったり、本当に知らないのかもって思ったりしてたんだが」
    「覚えてないんだと思いますけどね。何故かは知りませんが。これ食べないんですか? もらいますよ」
    「あ、ああ」
     ミスラは、考える仕草も見せず、ココアのフィナンシェに黒い爪の手を伸ばした。
    「北の国ではさ、自分のことをよく知る人、みたいな、気の許せる友達、みたいなのは、いないのが一般的なのか? いや、そうでもないか。あんたにも師がいたんだよな」
    「まあ、彼女とは別に、四六時中一緒みたいなわけでもなかったですけどね。師でもあり、妹みたいな感じでもありました」
     彼はフィナンシェを噛みながら、次はマカロンに手を伸ばした。パステルカラーが彼に似合わなくて少し可笑しかった。
    「気になるんです? オーエンが」
     弱点のこととはいえオーエンの話をはじめたのは彼なのに、じとりとした目で問われて、俺はそんなに興味津々に話に食いついていたのかと、少し後ろめたくなる。
    「……まぁ、そういうことになるのかもな。あいつがよくわからなくなってきたんだ。最初から何もわかってなかったんだろうけどさ」
    「彼のことなんて、誰もわかりませんよ。見える部分だけ見ていればいいでしょう」
     動物の捕食を思わせる食べ方で焼き菓子を喰らっていた彼だけれど、言葉から、永く生きてきた人のそれを感じた。彼らから見て、俺はどう映るんだろう。
    「……そうだな! ありがとう、ちょっとスッキリしたよ」
    「痛かったですか?」
    「え?」
    「目玉を取られたとき。彼が抉ったのか、痛くないように取ったのか、知らないので」
    「……いや、抉られたよ。痛かった」
    「そうですか。彼、趣味が悪いですね。相変わらず」
     そのへんの感覚は、北の魔法使いでも分かり合えないのか、と思いつつ、俺もマカロンをひとつ食べた。くだんの彼が好きそうな、甘く舌に残る味だ。
     紅茶が空に近づく頃、ミスラが甘いものの次は消し炭がいい、とキッチンへ向かったのでおひらきになった。

     夕飯までの時間つぶしに、部屋で魔法についての本を読もうとしたけれど、意識は茶会でのミスラとの会話に戻っていく。
     ここ最近、オーエンに対しての感情に少し変化がある。俺が変わったからか、彼が変わったからかは、よくわからなかった。はじめのころは、俺の姿を認めれば、ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべて近づいてきたけれど、最近は、もう少しフラットな感じだった。前はもっと、ありったけの警戒心を投げかけていればそれで良かった。彼が誰かに危害を加えないように立ち回る努力をしていればそれで良かった。心の底から、友人として愛する必要などなかった。
     おそらく、こうして頭を悩ませてしまう一番の大きな要因は、彼が、正真正銘、俺の知る北の魔法使いのオーエンが、俺の生を祈ったことだろう。彼がそんな魔法使いでないことはよく知っている。知っている、と思うとき、心のどこかから、「本当に?」と声がした。実際、俺は何も知らなかった。小さな彼が俺に懐く理由、彼が俺のために祈った理由、俺の目玉を奪った理由。何も知らないのに、幻を掴むような、そういう、言葉にできない範囲で、何かをわかりかけている気もしていた。
     ずるいのだと思う、この、俺より強い魔法使いが山ほどいる魔法舎で、俺は勝手に、あの小さなオーエンに、自分の存在意義を見出していた。彼が懐くのは俺だけだと思っていたのに、小さなあいつはオズに懐いて、俺の手を取らなかった。焦りすぎるのは良くないとわかっていても、自分が何を守れるのか、自分にしかできないことなんてあるのか、わからなくなるときがあった。そして、それを、オーエン自身に知られるのが嫌だった。彼はきっと、「ほら! 騎士様だって、そうやって他人に嫉妬するんだ」って喜ぶんだろうけど。
     焦っている自分を知られたくないと思いながら、同時に、俺が彼について考えていることすべてを見せて、ひとつひとつ、「どうだ? これは合ってる? 間違ってる?」と聞いてしまいたいとも思った。不甲斐ない自分を見せて、「お前はどう思う?」と言いたかった。彼が時々、目線をそわそわと逸らしながら会話に応じるときの、同じ視点に立てているのかもと感じる、あの感覚が恋しいと思った。つまり、きっと、彼と話がしたいのだ。話して、互いのことを知って、知られたくないものを、知られてしまいたい。
    「はあー……」
     どうしてこんなに彼のことを知りたいと思うのだろうか。考えようとして、すぐにやめた。答えの出る気配のないことを考え続けるのは、性に合わない。
     切り替えて少し魔法の勉強をすると、夕飯の時刻が近づいていたので、キッチンへ向かった。オーエンがいれば話しかけようと彼の姿を探した。
    「騎士さん、夕飯できてるよ。待ってな、今皿に盛るから」
    「ありがとう、ネロ。今日も美味そうだな!」
     今晩はクリームシチューのようだ。甘いものしか食べないのかと思いきや、あの男はシチューのときは比較的文句を言わず食べているように思う。
     パンももらって席へ向かおうとしたとき、後ろに気配を感じた。
    「……オーエン! よかった、探してたんだ」
    「は? 何か用? ちょっとネロ、少ないんだけど。それと、デザートは?」
    「はいはい。昼にガトーショコラも焼いたよ。持ってくるから」
     ネロがガトーショコラを取りに向かうと、オーエンは俺に視線を向けた。
    「それで? 一体何の用? 僕は忙しいんだけど」
    「食べるだけだろ。今日は、お前と話をしたかったんだ」
    「何の話?」
    「……俺と、お前の話?」
     そう言うと、オーエンは露骨に嫌な顔をした。
    「はい、お待ちどうさん」
     オーエンはネロからガトーショコラを奪うと、さっと外套を翻して歩きはじめたので、俺も着いていった。
    「ちょっと、着いてこないで。あのね、僕はおまえと話したいことなんて、ひとつもないの」
    「わかったわかった、じゃあまあ、一緒に食おうぜ。今日は任務で出かけてるやつも多いしさ」
     オーエンはため息をついて、端の席に陣取った。俺はその向かいに座る。
    「最悪。騎士様のせいで僕の夕食が不味くなるじゃない」
    「そう言うなって。お前さ、シチュー好きなのか? 前から思ってたんだが」
    「知らないよ。中から血液の色のべたべたが出てくるさくさくしたやつのほうが好き」
     言いながらも、彼はパンをちぎって、シチューに浸して食べていた。綺麗な食べ方、というわけではないが、なんとなく、見ていたくなる食べ方だった。
    「……チェリーパイのことか?」
    「ふん。何、また財布を空にされたいの?」
    「そんなわけあるか。ああでも、この前行った店のあれは美味かったな。さつまいものタルト」
    「うるさいな。シチューの味がわからなくなるだろ」
     確かに、甘いものの話をしていると、段々味覚がよくわからない感じになってきた。
    「はは、そうだな。すまん」
     オーエンは、黙ってシチューを食べて、平らげると、若干頬をほころばせて、ガトーショコラにフォークを刺した。彼が食事を好きなのを見ると、純粋にいいな、と思う。口を開けば毒しか吐かないような男も、美味しいものは好きで、腹は減るのだ。
    「今度さ、またお茶しに行かないか? その、あんまり……。俺の財布に優しい感じで、お願いしたいんだが」
    「……どうして騎士様は、僕とお茶をしたいの? おまえと僕の話がしたいから?」
     オーエンは、少し警戒心を見せるように言った。
    「そうかもしれない。お前のこと、もっと知りたいと思うんだ、最近」
     自分の声が思ったより真剣で、冷たい水を飲んだように感情が冷静になっていく。
    「じゃあ、絶対に、嫌」
     彼は悪戯っぽく笑って言った。
    「ええ……」
     彼はガトーショコラの最後のひとくちを口に含むと、じゃあねと言って姿を消した。なんとなく、自分の舌にまで、ガトーショコラの生地の感触を覚えたような気がした。彼は表情までも、甘い菓子に似ている。

     ❊

     次の日の朝、鍛錬を終えて、魔法舎の近くの小川に腰を下ろした。なんとなく、訪れる必要を感じたからだ。心や頭が、最近はごちゃごちゃ、散らかったような感じになっている。加えて、それに気づくのに遅れたような感じもする。水面にきらきら光が輝くのを見つめながら、自然の匂いを感じるように、呼吸を深くする。すると、だいぶ、落ち着いてきたような感じがする。
     魔法は心で使う、ということが、まだ少し難しかった。騎士として戦うとき、心は不必要だったからだ。足手まといになることさえあった。いかに効率よく、敵を止められるか、それを考えていればよかった。
    「……騎士様」
     オーエンがすぐそばの木のかげから出てきたけれど、彼は俺に気がついて、そのまま踵を返そうとして、失敗した、ように見えた。
    「……オーエン? どうしたんだ?」
    「……なんなの。その顔」
    「え?」
    「なんでもない。最悪、来なければよかった」
     彼は小さな声で零した。
    「待てって、もう少しここにいろよ。俺のマナエリアは小川なんだ。本当は実家の家のそばのところなんだけどさ」
     オーエンは小川を見つめて、腰を落としてしゃがんだ。彼のその所作に男っぽさを感じて、身体の華奢さとの不釣り合い具合に気を取られた。
    「どうして?」
    「え?」
    「さっきからさあ。一回で聞き取ってよね。どうして小川なの、って言ってる」
     彼の目を見て、俺は心が少し浮いた。彼の少し、心細そうな表情を見て、いまは、少しの対話が許されている時間なのだ、と感じたから。
    「ああ。澄んだ水にさ、太陽の光が照らされるのを見てると、その光が、全部俺の力になったような感じがして、勇気が湧くんだ。気分も上がっていく」
    「ふうん。それで? 騎士様のいまの気分は、高揚しているの?」
    「……あれ、確かに、言われてみれば。高揚とは違うかもな。なんというか、落ち着いてきた、って感じだ。普段より静かな気持ちだが……心地いいよ」
     オーエンは小川の水に手袋に包まれた指を浸して、口をひらいた。
    「つまり、お前がいま求めているものは、高揚じゃないってことさ」
    「なるほど……?」
    「騎士様の心のことなんて知らないけど。どうして今日ここに来ようと思ったか、自分でわからないの?」
    「いや、さすがにわかるさ。最近なんだかこう……」
     オーエンをちらと見た。黙って川を見つめて、俺の次の言葉を待っていた。
    「焦ってるような、感じなんだ。まあ、あんまりゆっくりしてるのも性分じゃないんだけどな」
    「じゃあ、そういうことさ。きみが焦っているから、この光はきみを落ち着けるものに変わった」
    「へえ、そのときの精神状態で変わったりもするんだな。ありがとう、勉強になった!」
     彼は、眩しい太陽でも見たかのように顔を歪めた。
    「本当に嫌い。おまえのこと」
    「なんでだよ……」
    「いつまでもそうやって、能天気にいられると思わないでよね。魔法使いなんだから、僕たちは」
     言い残して、水に浸していた指を詠唱なしに乾かして彼は消えた。静かに凪いでいた気持ちは静かなままだったけれど、小川に映る自分の顔は、微笑みを湛えていた。

     ❊

     某日、エレベーター前に集まったのは、俺と、レノックス、シノ、クロエの四人だった。朝の鍛錬の様子を、偶然はやく目が覚めたクロエが楽しげに眺めていたとき、賢者様にちょうどよかった、と頼まれた任務だった。奇妙な龍のかたちをした魔法生物が二体、東の国の田舎の方に現れて、住民が恐れて生活に支障が出ているらしい。双子先生によれば北の魔法使いが出向くほどの強さでは全くなく、寧ろ若い魔法使いに任せてみるのがいいだろう、という話になったらしい。多少不安でも、体術に長けたレノックスもいる。
    「この四人で任務ってはじめてだね! ねぇ、無事に終わったらさ、俺、この四人でのリンクコーデとか考えてみてもいい!?」
    「もちろん! 楽しそうだ」
     あまり口数の多くないレノックスとシノに、よく喋るクロエがいる組み合わせは、確かに新鮮だった。レノックスも、微笑んでクロエの提案に賛成の意を示している。この場にクロエがもしいなければ、これからの魔物討伐の戦術の話になっていただろう。
    「俺のはかっこいい感じにしてくれ。ヒースに見せたい」
    「もちろん、任せて! あ。エレベーター来たみたいだよ」
     俺もよく喋るほうかもしれないが、西の魔法使いとはやはり、少し違う。我を忘れるほど何かに夢中になる、ということが俺にはあまりなかった。「我を忘れる」ということはなんだか、あってはならないことのように思えてしまうから。

     依頼人と会い、俺とクロエ、シノとレノックスに別れて、対の魔物の退治に当たった。双子先生の言うとおり、魔法の訓練にちょうどいいような、弱すぎず強すぎずの龍だった。火を噴く攻撃は苛烈だけれど、かなり年老いているのか動きが鈍いから、気をつけていれば回避できたし、攻撃は一撃を強くすれば効いた。クロエは慣れない攻撃魔法を繰り出しつつ、美しいスカーフやリボンで龍を魅了して、俺が攻撃をしやすいように隙を作ってくれた。
     ふたりで協力して、あと一撃、というところで、俺はその龍の喉あたりを剣で突き刺した。すると、その龍は嘘のように霧のように姿を消して、これで無事解決、とクロエを振り返ろうとした、そのときだった。
    「……なんだ、これ」
     俺は急速に力を失って、握っていた剣を取り落として、へたりとしゃがみこんでしまった。
    「カイン、どうしたの!?」
     クロエが慌てた様子で駆け寄ってきた。
    「からだが、すごく重い」
     口を開くのでさえ重くて怠くて、話しづらい。自分の声じゃないみたいに覇気がなかった。
    「カイン。大丈夫か」
     向こうの魔物を片付けたらしいレノックスとシノが近づいてくる。レノックスはあくまで冷静に、俺の前にしゃがみこんだ。
    「身体が重いんだって……大丈夫かな」
     重たい唇を開こうとしたところで、クロエが代わりに答えてくれた。
    「どこか怪我はしてないか?」
    「ああ、攻撃を食らった、わけではなくて、怪我はないし、どこかが痛むとかも、ないんだが……正直、立ち上がるのがやっと……な、気がする」
     声にも重石が乗ったようになっていて、ゆっくりとしか話せなかった。
    「なんの攻撃も食らっていないのにか? 妙なやつだな」
    「そうだな。とにかく魔法舎に戻って、フィガロ先生に診てもらおう。あの魔法生物についても何か知っているかもしれない」
     レノックスが落ち着いた声で言った。彼の冷静さに、慌てていたクロエも冷静さを取り戻したように見えた。
    「カイン、おまえは俺の箒に乗るといい」
     レノックスは、じっと見てようやくわかるくらいの微妙さで微笑んでくれていた。同じ大人だと思っていても、彼は俺の何倍も生きてきたのだということを感じさせられるような、包容力を見た。
    「ありがとう。たすかる」
     レノックスの箒はかなり乗り心地がよかった。誰かの箒に乗せてもらうなんて経験があまりないのもあるけれど、飛び方に彼らしさを感じて、身体が文字通り鉛のように重いのに、少し楽しさを見出していた。次に賢者様を箒に乗せることがあれば揺れを減らすように意識してみようと重い頭で考える。
     ぼんやりと、意識があるのかないのか、半分眠っているみたいな状態で風に揺られていたら、魔法舎に着いていた。
    「ぁ……着いたのか」
    「……さっきよりきつそうだな。立てるか?」
     どれくらい力を入れたら立てるのかわからなくて、立とうとして膝からくずおれそうになったところを、レノックスに支えられた。
    「……すまない、ありがとう」
    「シノ、クロエ。カインを部屋に連れていくから、そのあいだフィガロ先生を探してきてもらえるか?」
     レノックスはいいながら、俺をおぶった。なんだか気恥ずかしくて降ろしてくれと言おうとしたけれど、それで立てなくて迷惑をかけるのもな、と踏みとどまった。足早に向かっていくふたりに、力ない声でありがとうと言ったけれど、聞こえたかどうかはわからなかった。

     フィガロがやってくるまで、たぶん眠っていた。フィガロはどこかに出かけていたようで、一時間くらいは経っていたらしい。
    「君が感じている重さは、何かにのしかかられているような感じ? それとも怠くて重いような感じ?」
    「あー……なんか、すごく重いものが、俺のうえに乗ってるような、感じだな」
    「じゃあ、そうやってあの龍は死んだんだろう」
    「……?」
    「厄災の影響を受けて息を吹き返した生物が、凄惨な、というか、すごく苦しんだまま息を引き取っていれば、その苦痛が君たち、討伐した魔法使いに移ることが時々ある、と最近わかったらしい。さっき双子先生に聞いた。何せ、厄災の影響で魔法生物が息を吹き返すなんて、長い歴史上でもなかったからね」
     フィガロは淡々と早口で語ったが、重く働かない頭でもなんとか理解できた。
    「もう大丈夫だけど、向こう二日くらいはまだ症状があるんじゃないかな。だから、鍛錬とかしちゃだめだよ」
    「……わかった。ありがとう、助かった」
    「今回の件はしょうがないけど。君を治療することが多いから、心配になるよ。自分の身も大切にね」
    「ああ。ありがとう」
     表情筋まで重たくなったのか、笑ってみせるのも難しかった。フィガロが出て行ってから、ベッドに身を沈めると、そのまま、ベッドのシーツもマットレスも通り越して、沈んでいってしまうんじゃないかと思った。そういう重たい身体で、今後、ミチルやリケのような若い魔法使いには、トドメを刺させないほうがいいだろうか、みたいなことを考えて、考えると、眠ってしまいそうになる。こういうとき、北の魔法使いなら、この身体の重ささえ、洋服についた羽を取るみたいに取り去ってしまえるのだろうか。オーエンにいつか勝つために必要なことはなんだ? 勝てるのはいつ、千年後? 千年ってどれくらいの時間だろう、千年後中央の国はどうなっているだろう、俺は何をして、どこで生きているだろう、そして、俺は今より髪の伸びたオーエンに剣を振りかぶって、三匹のケルベロスが俺の剣にのしかかり、重さに耐えられなくて剣を取り落とした、そして、それが夢だったと気がついた。
    「は……。また寝てたのか」
     目を覚ますと、身体の重さは少し軽くなっていて、立ち上がって歩くくらいはできるようになっていた。日常生活はなんとか送れそうなくらいにまで回復していて、フィガロの回復魔法のすごさを、また身をもって体感した。たぶん、回復魔法ももっと練習したほうがいいだろう。大いなる厄災との戦いにも役に立つはずだし、軽い怪我は治しながら戦えば、痛みで攻撃が弱くなることもない。
     喉がカラカラに乾いていて、水を取りに食堂へと向かっていると、後ろから声がした。
    「ちょっと。騎士様」
    「ん……? オーエンか。どうした?」
    「遂に騎士様も左目に埋まった僕に絶望した? それとも何者も守れない自分に? それなら僕はものすごく、しあわせなんだけど」
    「……な、なんの話だ?」
    「違うの? さくさくの中身みたいにどろどろじゃないか。美味しくなさそうだけど」
    「何を言って……。ああもしかして、体調が悪そうに見えるから心配してくれたのか? ありが、」
    「そんなこと言ってないだろ、ふざけないで。聞こえてなかった? おまえが不幸だと、僕はしあわせなんだよ」
     なんとなく、左の肩がグッと重くなった気がした。
    「ああいや、それは知ってるつもりなんだが……まあいいや。水を取りに行くところなんだ、またな」
     オーエンが人の悪意などから力を得るのは知っているし、俺が何かに失望していれば、それは彼の糧になるのだ。それが何だか信じられなくて、でも真実のはずで、混乱しそうになってなんとなくその場を離れてしまった。以前は話をしようなんて言って近づいて行ったのに、今日は逃げるようなことをして、なんだかもう嫌気が差してくる。
     キッチンについて、水をコップに注ごうと手を伸ばした途端、身体が動かなくなった。
    「っ……?」
     眠っているときに金縛りにあうみたいに、声を発することもできなかったし、意識が遠のいていきそうにさえなる。
    「ふふ」
     どこから見ていたのか、ふわりと外套を翻しながらオーエンが降ってきた。
    「……っ、っ」
     おい、戻せ、と言おうとしても、声を発することはできなかった。その様子も楽しんでいるようで、抵抗することすら馬鹿らしくなってきて、そのうち解放するだろうと力を抜いた途端、彼はつまらなさそうな顔をした。
    「……はあ。もうちょっと騎士様の焦った、苦痛に歪んだ顔を楽しみたかったのに」
     急に魔法が解けて、危うく前のめりに倒れそうになった。
    「おっと……危な。何するんだよ、お前」
     彼の手荒なやり方に腹を立てる自分も確かにいるのに、心の隅が、追いかけてきてくれたことに安堵していた。彼は俺を追いかけてキッチンへ来たのだということを忘れていたのか、視線の行き場を失わせていた。
    「……別に。呪いにかかった騎士様をもっと愉しもうと思っただけ」
    「悪かったな。フィガロのおかげでもうだいぶ回復したよ」 
    「ふうん。で? 今度はどんな失敗をしてその呪いを食らったの?」
    「それがさ、別に失敗してないんだよ。普通に倒したら、こうなった。立てないくらい身体が重くて、あれはキツかったな。今もまあ、剣を振れそうなほどは回復していないが」
    「……どういうこと?」
    「最近わかったことで、なんでも、ごく稀に、蘇った生物の、元々死んだ方法と同じ苦しみが、討伐した魔法使いに移ることがあるらしい。俺がトドメを刺していなかったらクロエが苦しむことになっていたわけだし、まぁ、よかったのかもな」
     オーエンは目を逸らした。感情の読めない顔をしていた。
    「身代わりになることでしか存在意義を見い出せないなんて、可哀想だね」
    「別にそういうわけじゃないさ」
    「ていうか、身体の感覚を軽くするくらい、魔法でできないの?」
    「え? あー……考えてなかったな。できるのか?」
     フィガロがこういう提案をしなかったのは、俺が鍛錬をすると思ったからだろうか。信用ないな、と思いつつ、鍛錬をしそうな自分もいる。
    「できるでしょ。魔法でできないことのほうが少ないんだから」
    「……一回イメージしてやってみるよ。«グラディアス・プロセーラ»」
     呪文を唱えて身体が軽くなるのを待ってみたけれど、ただ軽い風が起きて、髪がぱさぱさ広がっただけだった。彼は少し笑った。
    「へたくそ」
    「しょうがないだろ、やったことないんだから。どうやるんだ? 教えてくれよ」
     気軽に、さらりと言いながら、少しだけわくわくもしていた。オーエンが魔法を教えてくれるとき、いつも不思議に心がそわそわと浮き足立ったから、それが好きだったから。
    「は? 嫌だよ」
     こうして、一度は否定されることも、もうわかっていた。俺がオーエンについて知っていることの一部分だと思うと、なんとなく、うれしかった。
    「そう言わずにさ。それともできないのか? 北の魔法使いはいろんな魔法が使えると思っていたんだが」
    「……おまえ、本当、赤ちゃんのくせに一丁前に僕を煽らないで。できないわけがないだろ」
    「だろ? じゃあ見せてくれよ」
    「……はあ。«クアーレ・モリト»」
     彼は盛大なため息を零して、だるそうに呪文を唱えた。眠くてしょうがない朝、誰かに挨拶するときみたいだった。
    「……え? オ、オーエン、お前、すごいな!」
     身体が嘘みたいに軽くなって、今すぐ走り出したくなるくらいだった。しばらく身体が重かったからそう感じるのか、普段よりも軽くなっているのかはわからないが。
    「煽っておいてその反応? ……身体の芯の、巣食っている重さを取り除くようなイメージでやる。根本的に取り除いてるわけじゃなくて、あくまで神経を騙してるだけだけどね。はい」
     彼が人差し指をくる、と回すと、先ほどまで俺の身体を支配していた重さが再び戻ってきた。
    「う、重……。おい、さっきより重くしてないか?」
    「いいからやりなよ。帰るよ」
    「ごめんって。……«グラディアス・プロセーラ»」
     言われた通りに想い描いて、囁くように呪文を唱えた。
    「お……。少しは軽くなったな。お前が魔法をかけてくれたときほどじゃないが」
     すると、オーエンはためらうように口を開いて、ためらうように喋った。俺に魔法を教えている状況が気に食わないのだろうが、いい加減腹を括ればいいのに、と思う。
    「きみのその、正面しか見ない、みたいなのをやめたほうがいい」
    「正面しか見ない……?」
    「そう。北の魔法使いなら見下げるようなイメージで魔法を使うやつが多いけど、中央なら……。まぁ、正面でいいんだけど。うまく言えないな」
     あのオーエンが、俺の魔法の指導のために頭を悩ませていることはやっぱり感動的で、うっかり彼の言葉が頭に入らなくなりそうだから、彼の声だけに意識を傾けようとした。
    「もっと……奇跡みたいなものを願う必要がある。君たちならね」
     視線をさまよわせて言葉を探している彼の空気と、彼が選んだ言葉がなんだか綺麗な星でも見つけたみたいに輝いて聞こえた。奇跡、みたいなものを、願う、そういうイメージを、彼が俺の立場に立って抱いたのだ。
    「……奇跡みたいなものを、願う」
    「そう。魔法使いだから。きみは」
     そのときの彼の顔は、本当に魔法使い的だった。魔法使いであることを誇りに思っている、そういう顔だったし、彼が、俺に、そう思うことを求めているような感じもした。お前も魔法使いなんだよ、いい加減それに慣れろ、というような。小川で彼と話したときのことを思い出した。そのときも、彼は、俺におまえは魔法使いだと言った。
    「……«グラディアス・プロセーラ»」
     奇跡を願うみたいに、夢を見るみたいに唱えると、オーエンがしたのと同じように、ふわりと身体が軽くなった。今すぐ、ここで踊らないかって言いたいくらいに。
    「やった、うまくいった! ありがとな、オーエン」
    「本当、手がかかるよね。オズも迷惑してるんじゃない? 物分りの悪い生徒を持って」
     奇跡を願うみたいな感覚を、自分が掴んだことが不思議だった。願ったことがあまりなかったからだ。叶えたいことがあるなら、すべて自分の手で叶えようとしてきた。精霊と共に叶えるなんて、魔法なんて、本当はまだ知らなかったのかもしれない。強くなりたいとひたすら急いてばかりいた気持ちも、今はいろんな魔法を試してみたいと踊り出している。
    「なんとなく、この感覚があればほかの魔法ももう少しうまく使える気がする。本当にありがとう!」
    「……僕の話を聞けよ」
     聞いてるさ、と言おうとして、彼の目を見た。この魔法使いが俺の片目を持っている、それを噛み締めたら、心臓が動いた。その心臓の動きに、覚えがあった。信じられないと思うと同時に、少ししっくり来た。腹立たしいはずなのに、自分の感情がわからないはずなのに。今すぐ、俺の目を奪った理由を教えて欲しかった。俺もお前も、誰も知らないのに。忘れるために、散らかった荷物みたいに押しやった、目を走った痛みも、まだ覚えているのに。
    「……お前は、こういうときに、最悪、お前のことなんか嫌いだよ、って言うのか?」
     自分の人生をめちゃくちゃにした男に、「恋」みたいに心臓を動かされたなら、それは最高か、最悪か?
    「…………は?」
    「だったら……お前はかわいいのかも」
    「ねえ、やっぱり騎士様おかしいよ。もう一度フィガロに、」
     瞳を閉じて唇を重ね合わせたとき、心に火が灯った。もっとずっとキスをしていたくて、縋るみたいな離れ方になってしまう。今の自分の顔は、きっと夢を見ているようだと思う。
    「……は?」
    「だからさ。最悪なんだ」
     触れ合える距離のまま、オーエンは数分じっとしていたような気がする、長く感じただけかもしれないけれど。
    「そうだね。最悪。お前のことなんか、嫌いだよ」
     そう言った彼の顔は、若干軽蔑の目をしている気もするが、思ったよりいつも通りの人の悪い笑みを浮かべていた。彼が姿を消してから、やっと、自分の喉の乾きを思い出して、水を呷った。

     ❊

    「でもやっぱり、目はさ。返してほしいよ」
    「何がやっぱりなんだよ。自分の手で取り返すって言ったのは誰? まあ、あげないけど」
    「あげないもなにもさぁ。俺のだよ」

     体調の回復した俺を見て、クロエが駆け寄ってきた。それから、例の任務がはじまる前に話していたシノ、レノックス、クロエ、そして俺の四人でのリンクコーデの洋服を着せてもらった。シックかつ、遊び心のあるデザインの服で、デートに行く前みたいな感じだった。四人とも似合っていて、シノがヒースに見せる、と去っていったのを見届けると、近くにオーエンの気配を感じたから、捕まえて部屋で話そう、と言った。彼は特に抵抗しなかったし、もし魔法で抵抗されていれば敵うはずがないので、捕まってくれた、が正解だろうけど。

    「キスは何年ぶりだった?」
    「知らないよ。けだものの騎士様は誰彼構わずキスをするようだけど」
    「あーやっぱり、そういう感じに受け取った?」
    「……何? ムカつくんだけど」
    「俺だってムカついてるんだ、本当に怒ってる、許してない。お前が俺にやったこと」
    「……」
    「でも、ああキスしたいって思ったんだよな」
    「最悪」
    「だから最悪だって言っただろ? 全部さ、混ざってきたんだよ。お前への怒りも、軽蔑も、感謝も、好意も」
     オーエンが黙って聞いているのをいいことに、俺は続けた。
    「今すぐにだってお前に剣を振るって、目を取り返して、傷つけたいのに、今すぐにでも、お前にキスがしたいし、キスしてほしいんだ」
     強引に目を合わせるように、肩をとんとんと叩いて振り向かせた。彼は何かに追い込まれて逃げ場を失ったような、そういう顔をしていた。
    「どうしたらいいと思う?」
    「呆れた。僕にそれを聞くの?」
    「ああ」
    「……目なんか、取らなきゃよかった」
     オーエンは急に真面目な魔法使いになったみたいなことを言って、ため息をついた。
    「見て。僕の目」
     え? と言おうと口を微かに開いたけど、どうやら、魔法使いさんが願いを叶えてくれたようだった。舌が絡まったとき、たぶんチョコレートかなんか食ったんだろうな、みたいな甘さと、舌が痺れるような感じが広がった。
    「……はは。好きじゃない? 俺のことは」
    「さあね。きみは?」
    「どうだろうな。おまえが、知りたくてどうしようもなくなったら教えてくれ、考えるよ。あ、あと、目玉も取り返してからな」
     オーエンは「はっ」と声を出して笑った。
    「じゃあ、そんな日は来ないね」
    「来るさ、必ず。なあ、クロエにさ、綺麗な服を仕立ててもらったんだ、いい感じだろ? このまま街で飯でも食おうかと思うんだが。どうだ?」
     オーエンは、まるで未来を知っているかのように、早すぎる時の流れに逆らうかのように、挑戦的に笑った。
    「絶対に、嫌」

    ----------------

    『侵食』

     ベリーとチョコレートのパウンドケーキの焼けるオーブン、つやっとしたバターのサブレ、クレープの焼ける屋台の空気が、鼻腔から離れないことがあった。そのたび、好きでもない甘い菓子を欲して、買って食べてみては、半分ほどで飽きがきた。

    「珍しいですね、カイン。あ、もしかしてオーエンのですか?」
     部屋に訪ねてきた賢者さまが言った。なんと答えたら良いかわからなくて、少し不自然な間が生まれた。嘘はあまり吐きたくなかった。
    「あぁ、いや……。オーエンが甘いのばっか食うからさ、見てると珍しく俺も食べたくなって買ってみたんだ。けどやっぱ、三枚で多すぎるくらいだった」
     机に放ってあるのは、薄いチョコレートが十枚ほど入っている、中央の菓子屋で定番のものだ。チョコレートだけでも甘いのに、なかからはまた、甘いキャラメルのフィリングが溢れた。
     幻惑のように香りが離れていかないときは、きまって、心の底から、喉にまとわりつくくらいに、正気を失ったように甘いものを欲している。最も甘そうなものを選んで買ってしまっては、帰って食べて、すぐに後悔した。
    「賢者様、よかったらもらってくれないか? 俺はもういらないし……」
     こうして甘い菓子を余らせたときはいつも、リケやミチルなどに与えていた。オーエンに渡すことはあまり考えなかった、余りものを寄越すなんて、と怒られそうだからだ。それに、原因そのものにお返ししてやるのは若干不服だ。
    「いいんですか? じゃあ、遠慮なくいただきますね」
     賢者さまはおいしい、とチョコレートをつまみながら、任務についての説明をして、ほかの魔法使いにも分けると言い残して部屋を去った。
     部屋からチョコレートの香りが消えたことにすっと安堵した。机にチョコレートを放っておけば、机に向かったときにほのかに香るそれに気を取られる。最後にオーエンとキスをしたときは柑橘の甘さと酸味を感じた。その前は、甘いチョコレートだった。オーエンに全身を舐められるとき、身体中に溶けたチョコレートを塗り込められているような、飴の欠片を身体に埋め込まれているような、奇妙な感覚がして、一瞬ぞっとすることがある。一瞬で過ぎ去るから、快感に打ち消されて、あの男がいなくなってから、キスの残り香と、身体に埋められた糖を思い出す。そうしてまた、鼻の奥のほうから、甘さへの耐え難い欲求が顔を出してくる。食べたいわけではない。それなのに、買いに向かってはやり場に困った。部屋に置いておけば、自分を追い込むだけだった。部屋に甘い香りがすれば、部屋の香りと呼応するように、全身が甘く疼いた。

    「騎士様」
     ぼうっとしていると、いつの間にか部屋にオーエンがいた。丁寧に記憶を並べていたその人が目の前にいることを信じるのに一秒要した。
    「オッ……エン」
    「は? そんな名前じゃないんだけど」
    「……すまん、びっくりして。何か用か?」
     オーエンと顔を合わせてまずはじめに確認することは、厄災の傷に影響を受けた、小さいあいつでないかどうか、そして、ご機嫌か、ご機嫌ななめか。後者については、なかなか判別が難しい。
    「これ。なんだと思う?」
     彼がそう言って見せてきたのは、先ほど賢者さまに渡したチョコレートの包み紙だ。
    「あー……。チョコレートの、包み紙」
    「正解だね。誰が僕にくれたと思う?」
    「……賢者様」
    「正解。どうして知っているの?」
     ここまで来てもまだ、彼のご機嫌の善し悪しはわからなかった。楽しんでいるようにも見えたし、怒っているようにも見えた。
    「……俺が、賢者様にあげたから」
    「ふふ。そうみたいだね。可哀想な騎士様、賢者様のためのチョコレートが、今は僕の胃のなかにあるの。見せてあげようか?」
    「いらないいらない、魔法で見せられるのか? 胃のなかって」
    「そうだよ。心臓以外なら、見せてあげてもいいけど」
    「いや、大丈夫だ」
     言いながら、彼がそこまで怒っていないことに安堵していた。
    「最近、おまえの部屋、甘い匂いがするだろ」
     心臓が大きく、ドッと音を一回立てた。
    「なにを隠しているの? 騎士様、賢者様に健気に餌付けしながら、僕に抱かれるのもやめないなんて、所詮騎士様も本能には抗えないの? ふふ、面白い。あの中央の騎士団長が、色事に頭がいっぱいだなんて」
     面倒な方向に事が進んでいることだけ感じながら、どうにか慎重に言葉を選ぼうとした。選択を間違えれば、こいつは姿を消すし、関係に亀裂が入る。分かれ道に立たされている。
    「オーエン、落ち着いて聞いてほしいんだが、まずあれは賢者様に買ったものではないんだ」
    「ふうん。贈り物の宛先を適当に変えるなんて、不誠実だね、騎士様は」
    「それも違う。……あのチョコレートは、俺が俺のために買ったものだ」
    「嘘」
    「そう思うよな……」
     なんと伝えたら良いか迷った。このまま正直に伝えれば、俺がこの男に、身体や感覚のかなりの割合を支配されていることを告白することになる。そうしたら、この男はもう俺を抱かないかもしれないし、実際自分でも整理はついていなかった。俺の目玉を奪い、人生をめちゃくちゃにした男に、恋情のようなものを抱いていると、まだ確信したくなかった。もしかして、いやまさか、と揺らぎ続けたままでいたい。揺らぎを少しだけ愉しく思うとき、俺はいつも、自分が魔法使いであることを悟った。
    「……ふ、」
     ふと、オーエンが妖しく、美しく笑った。その瞬間、背筋に喜悦の甘ったるさがビリビリと走った。背筋を伝っていずれそれが全身に廻ることを、俺は知っていた。
    「騎士様。僕が恋しいの?」
     脳をそのまま、手袋に包まれた彼のダークチョコレートの手に掴まれたように、思考が鈍くなる。
    「ぁ……」
    「ふふ、可哀想な騎士様、憎くてどうしようもない相手を、どうしようもなく恋しく思ってしまうなんて、それってどんな感覚なんだろう。ねぇ?」
     見知った黄色と、砂糖を纏った苺飴の瞳は俺を捉えた。
     彼の唇が重なったとき、俺は思い出していた。すみれのアイスクリームの店は、グランヴェルの城下町、狭い路地を超えて、三つ建物を通り過ぎた場所にある。

    ----------------

    『疼く情性は名を持たず』

    「……いいぞ。触って」
    「触ってほしい、の間違いじゃないの?」
     愛の言葉がほしいのか、そうじゃないのか、俺にはもうよくわからなくなっていた。俺が彼に対して抱く感情は、愛していると伝えられるほど、純粋なものではなかった。こいつはきっと、俺に興味があって、俺に構ってほしくて、俺が必要なんだ、と思っていたい、みたいな、後暗い欲望に近かった。俺自身が彼を必要としているかどうかを考えることは、棚上げしたままにして。
     さわってほしい、と心で呟いた。心がそのまま声に出したがったかのように、喉の奥がぎゅっと震えた。彼は俺の服をはだけさせたのに、軽いキスをするだけで、身体には触れてこなかった。
    「……」
     なにも言い出せずにいると、彼は体温の低い指のはらで、腹筋の隆起をつう、となぞった。それだけでぞくりとを小さく震える。
    「ふふ。いいこと思いついた」
     赤と黄の瞳を愉しげに細めて彼は微笑んだ。
    「その顔で笑うお前がいいこと思いついたことなんて、一度もないだろ」
     彼はさらにうれしそうに目を細めた。すると、先ほど触れていた腹のあたりから、指を滑らせてゆっくりと押したり、彼の指の皮膚の感触を伝えるように撫でたりした。それがしばらく続き、彼が指を俺から離した、瞬間だった。
    「っ、ぅ……!? なんだ、これ……?」
    「ふふ。どう? 騎士様」
     彼の触れた部分にだけ、彼の魔力の気配が薄く漂って残っている。呪文の詠唱もなく器用なことに、彼がその場所に、どうやって触れたか、その感覚ごと思い出せるようになっていた。触れられた箇所の疼きが増して、もっとちゃんと触れられたい、触れてほしい、という欲が溢れていくのを止められない。
    「面白いでしょう?」
     彼は笑みを湛えたまま、今度は俺の下半身の服を魔法で取り去って、左脚の、膝から太ももの付け根あたりまで、あるときは羽が触れたように、あるときははっきりと性感を与えるために、たっぷり時間をかけて撫で上げた。
    「本当に趣味が悪いな、おまえ」
    「でしょう? 褒め言葉をありがとう」
     しばらくすると、彼が手を離しそうな気配を感じて、慌てて彼の手首を掴む。
    「ま……待て、魔法使う気だろ、やめ……」
     俺が言い終わる前に、手は脚から離れていないのに、触れられた箇所にグッとオーエンの気配が走る。
    「っ……!」
     太ももの付け根が疼くのがつらかった。性器が反応を見せはじめていて、意味がないとわかっていても隠そうと膝を合わせてしまう。そのまま、右脚、ふくらはぎ、両の足の指のあいだにまで、指や手を這わされた。そのあとは、胸や、乳首、俺の手のひらにも、くすぐったいくらい丁寧にゆっくりと愛撫をされて、どれくらいの時間、ただ身体に手を這わされていたか知れない。俺はもう呼吸が浅くなって、じっとしていることすら難しかった。触れられた箇所が疼いて触れたくなるのに、自分で触れても、満足はできなかった。彼の気配が薄く膜を持って、寧ろより強く、彼が俺に触れたときの強さ、撫で方、すべてを鮮明に反芻させた。
    「は……おまえ……」
    「ふふ、なあに、騎士様、まだ触れてほしいところがある? 腕?」
    「……っ、なあ、この魔法解いてくれよ、たのむ」
    「嫌だ。それじゃあね。随分ほしがっているみたいだけど、今夜は抱いてあげない。朝までそのまま、満たされないままいるといい」
     そう言って、彼は尻と、性器のすぐそばに触れてあの魔法をかけると、姿を消した。
    「〜〜ッ、クソ、最悪だ……」
     彼の気配と、彼が俺に愛撫をした証拠が張り巡らされた身体のまま、浅くなった呼吸を繰り返しながら、俺は夜を明かさなければならない。ベッドに横たわり、縮こまった。
    「《グラディアス・プロセーラ》」
     どうにか魔法で眠気を呼んで、強制的に眠ろうとした。ベッドにはふたり分の気配があるのに、何にもふれられない物足りなさを、触れられた気配で埋めようとした。触ってほしいという心に理性が追いついて、言えるようになったら、いつか、愛している、の言葉を、心が言いたがる日が来るのだろうか。
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