【スリーピング・デューティ】オールドファッションを喰らう やる事をやって良い気分。交換した清潔なシーツに潜り込んで心地よい微睡へ身を浸そうとしていたら、場違いなほど張り詰めた声と共に肩を揺さぶられる。「今外で変な音がしなかった?」
低く呪詛の呻きを放ちながら、マルボロはベッドから身を起こし、クローゼットからTシャツとジャージのズボンを引っ張り出した。
「俺も行きます」
「良いからベッドで大人しくしてろ、まだ足腰もまともに立たない癖して」
先程まで男に体を暴かれて乱されたリグレーはすっかり疲労困憊。あれだけ泣き咽んでいた顔はまだ目も頬も幾分腫れぼったい。明日は日勤だが、この調子だと2人とも一日中欠伸を連発しなければならないだろう。
今夜は2人でWWEの中継を観た後、もっと穏やかな、せいぜい触り合いっこ位で済まそうと思っていた。けれどこの若い情人がひしとしがみつき、甘えた様子で肩口に頬を擦り付けて来たのがいけなかった。男の四十路とはまだまだ枯れるなんて言葉とは無縁の存在だと、誘惑を受ける度にマルボロはつくづく実感する。年下の恋人を作れば若返ると言う都市伝説は、案外間違っていないのかも知れない。
「引き出しの中に銃……」
自らのものを従順に咥え込んでいた尻を、シーツ越しにぽんと叩きながら、そう言い終わる前に、怠そうな仕草で腕がテーブルへと伸ばされる。だから途中で「俺を撃つなよ」と茶化した口調に変えてやった。
実際のところ、全く緊張していないと言えば嘘になる。地下室の鍵付きクローゼットに収納してあるイサカM37は狩猟用ではない。正直、彼らを含む警察機構は元より、スロッピング・ヒュービーの住人の中で、アレを倒す武器を所持している人間は一人もいない。昔は州軍に来て貰う計画もあったらしいが、どう言う訳か毎回立ち消えになる。アレが住人や旅行者へ手をかける度、町のレクリエーション施設が改装されて温水プールが出来る。スーパーマーケットが誘致される。
通り名の如く羽のように軽い銃は、マガジンチューブにトリプルオーのショットシェルを4発装填すれば、ようやく殺傷能力のある武器を持っていると言う気分にさせられる。
これが鴨狩りなら楽しいんだが──どちらから積極的に言い出した訳ではない。だが去年からマルボロは、唯一己が所属する、この町らしい趣味仲間達の集まりへ、リグレーを伴うようになっていた。
勿論彼らの前でいちゃつく真似はしないし、そもそも連中と言えば田舎っぺの鈍重なヒルビリーを絵に描いたような奴らなので、二人の関係には一切気付いた様子がない。この町の男の定義。銃が好きでビールが好き。女についての卑猥なジョークへ大笑いできること。
リグレーは賢い青年なので、その場その場の空気へ静かに、けれどひたりと適合する。そうして背伸びし、澄ました顔をしている様子がまた、食べてしまいたくなるほど可愛いかった。
ここでくたばったら、ネルシャツを着込んだかわい子ちゃんの姿を二度と拝めなくなる訳か。マルボロがお下がりでくれてやった、赤と黒の大柄なチェック模様の毛羽立った、いかにも田舎者らしいネルシャツ。少し大きめのサイズなのが良い。これまたマルボロが見繕ってやった、初心者用のセミオートのレミントンを構えて恐る恐る獲物を探している後ろ姿を見て、抱きしめたいと思わない奴がいるなんて。この小さな町の周りを怪物達が彷徨いているよりも、マルボロには不思議でならなかった。
すり減ったアディダスのスニーカーを引っ掛け、家の周りを確認すること10分。煩悩を脳内で捏ね回しつつも、マルボロが確認を怠ることはなかった。懐中電灯で照らしつける黒っぽい地面に足跡は無いか。戸口や壁に引っ掻き傷は? 特に母の寝室周りは入念に。
どうやら坊やは、興奮で神経過敏になっていたらしい。
可哀想な巡査殿。出勤するや否や昼飯を食いっぱぐれる勢いで、アレの襲撃を受けたシェルの家の初期対応をずっとさせられていた。フローリングの上に転がる脚の周りにテープでアウトラインを貼ったり、血まみれのベビーベッドの写真を撮ったり(このご時世に、奴はデジタルの一眼レフなんか持っているので、初動の際こき使われることが多かった)
郡警察が到着する直前にのんびりやって来たマルボロの手をこっそりと握り、一瞬とは言えあの青い、青い瞳で見つめたのも、今夜激しく求めて来たのも、溜まりに溜まった物が胸の内から溢れる寸前だったせいなのかも。
己は奴に選ばれたのだ。見せてはならぬ、触れさせてはならぬと世間では強く戒められているものを、堂々と開陳しても良い男だと。
いつ植え込みの影からアレが飛び出して来てもおかしくないのに、そう考えた途端、マルボロは立ち所に勃起しそうになった──のは少し大袈裟だ。春もたけなわと言え、真夜中の空気はまだ少し肌寒い。半袖のシャツから覗く二の腕を湿った夜風に撫でられて、思わず小さく肩を震わせる。
家の中へ戻った時、明らかに母の寝室から、彼女が目覚めている事を示す物音がしたが、構うものか。卒中を起こして以来彼女は口がきけない。例え息子の行動を内心どう思っていようとも、秘密を誰かに喋る事は金輪際あり得なかった。
銃を棚へ戻し寝室のドアを開けた時、真っ先に飛び込んできたのは赤と黒のネルシャツ。森の中と違うのは、すらりと伸びた素足が月明かりに照らされ、それ自身が青白い輝きを放っているようだったこと。
扉がうっすら開いた時点で、眺めていたクローゼットの鏡越しに気付いたのだろう。思ったよりもしっかりした足運びでさっと振り返り、手にしていた38口径のリボルバーを突きつけた、が、すぐに正体を認めて撃鉄を下ろす。
「どうでした?」
「どうにかなってたら、お前は今頃頭からバリバリ食われてただろうさ」
拳銃をナイトテーブルに置いた手をそのまま攫えば、「冷たい」とシャツの中で肩が泳ぐ。その時マルボロは、どうしてこの服がこの部屋にあるのかを思い出した。人とアレ、狩り狩られる場である山からの生還祝いと謝肉祭、酒場でのどんちゃん騒ぎがたけなわになったのを見計らって二人で抜け出し、そのまましけ込んだ。あの晩もまた、リグレーは生き物を殺したと言う興奮ですっかり高揚し、熱く激しい夜を過ごしたものだった。
いや、エキサイトしていたのは己も同じこと。今と全く同じで。
「氷みたいですよ。温めてあげますから」
そう一回り大きい男の手を両手で包み、擦ったり、息を吹きかけたり。伏せられた長い睫毛が一心に、無骨な男の手へ意識を注いでいる。
こみ上げてくる物に逆らうことなく、マルボロはリグレーを抱き竦めると、そのまま重なり合い倒れるようにベッドへ追いやった。手探りで探し当てたシーツを引き上げながら、噛み付く勢いの接吻を与える。
最初リグレーはびっくりしていたが、すぐさま映画の中の恋人さながら真上の首へ腕を回し、緩く唇を開く。差し出された舌は積極的に絡められた。
「マー、大丈夫?」
「お前が煽るからだぞ、坊や」
息も詰まらんばかりの欲情で切れ切れにそう吐き捨て、にやりと右の口角を吊り上げてやれば、リグレーは夜目にも分かるほど赤面した。
「例えこの瞬間、アレが窓を突き破って襲って来ても構うもんか。おじさんはもう本気だからな」
「さっきまでのは、本気じゃ、無かったんですか」
見下ろす頬は触れたら火傷しそう。それでも指の背で撫でてやれば、嬉しそうに擦り寄ってくると分かっているから、止められない。自ら相手の手を引き寄せ、分厚く皮の張った手のひらに頬を押し当てながら、リグレーは囁いた。
「愛してるよ、マー」
眠気は人の本性を剥き出しにする。照れ笑いと共に震える細い喉を見て射精してしまわないうちに、マルボロはようやく温もりを取り戻し始めた指をネルシャツのボタンに伸ばした。