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    kariya_h8

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    kariya_h8

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    #主明
    lordMing

    まるで子どもの初恋のような ルブランではこちらの様子もお構いなしに話しかけてくる。
     洗い物をしているときだろうが、カレーの具材を炒めているときだろうが、慎重にサイフォンを扱っているときだろうが。こちらを気遣ったことなどあっただろうか。集中しているから黙っていてくれないか、と乞うたこともあったが首肯されることはなかった。ふと、では自分がいない間はどうしているのだろうか、まさか惣治郎の邪魔をしているのか。訊ねてみると、明智は静かに読書をするか何かしらの資料を眺めて携帯を弄っているということだから、自分の邪魔をするということもルブランに訪れる目的の一つになっているのかもしれない。傍迷惑な話だ。
     彼と会話することが嫌いなわけではない。テレビ業界や、警察、その他流行りものなど、自分が知らない世界の話を聞けるのは楽しいし、仲間内では出来ない議論に花を咲かせるのは面白いものだ。彼が何度も自分と議論をしたがっていた理由が今になって分かる。そして何よりも、あの柔らかい声が耳朶に響くのは悪くはなかった。
     今日も今日とて彼は元気に自分の邪魔をしてくる。今夜惣治郎が久しぶりにテストをしてやると言うので、今日のところはコーヒーに集中しておきたかったのだが、彼には関係のない話だ。
     まだ陽も高い午後。少し傾いた陽の光が外から差し込み、いつものカウンター席に足を組んで座る彼の足元に影を作った。彼の他には常連客の男性が一人、ソファ席で新聞を広げている。テレビは随分昔に放送された恋愛ドラマの再放送を映し出している。少しばかり解像度の低い、流行遅れの髪型をした主人公が、現代の事件のことなど露知らず歯の浮くようなセリフを垂れ流していた。
     そんななんてことない冗長な空間の中で明智だけが妙に浮いているのは、きっと彼がまだこの店に馴染みきっていないせいだろう。再放送のように時代遅れの喫茶店の中で、彼だけが鮮烈で、凛然としている。
     だというのに、読みもしない文庫本を開いて、時折コーヒーを口に運び喉を潤すのが悔しいくらいに様になっていた。悔しいことに、見てくれと仕草が大変よろしいのだ、この男は。
     仕事関係で面倒があったのだろう。今日は彼にしては珍しく愚痴が多い。カウンターに肘をついて「君には分からないと思うけど」と毒の付いた前置きは忘れずに不満を零す。組織のあり方やテレビの仕事の内容には明るくないので、ただただ相槌を打つことくらいしか出来ないが、それでも吐き出して楽になっているのか鬱々としていた表情は次第に晴れていった。そんな風に変わる表情を眺めるのは、理由もなく楽しかった。
     ーー心の内が読めない怪しい奴。
     彼の第一印象なんてその一言に尽きる。柔和で人好きのする笑みを浮かべてはいるが、その実その顔の裏で何を考えているかなんて明かしてもくれやしない。
     自分や仲間たちに危害を加えるつもりなのだろうかと気を向けるようにはしていたが、こんなに心臓を抉られるように意識をしてしまうようになったのはあの雨の夜からだ。あの日刺さった矢は今も抜けず血を流し続けている。分かっている。これは世間が言うような綺麗で甘酸っぱい感情などではない。そうであってはいけない。そんな感情を彼に対して持ってはいけない。だって仲間に対して不誠実ではないか。
     だというのに、気付くと脳にはあの夜のランプが灯り、メディアでもチャットでも彼の名前を見ただけで心臓が大きく跳ねる。伊達メガネをかけていなければとっくに仲間たちにもこの心の内が露呈していただろう。今日だって来るかもしれないと淡い期待を抱き、仲間たちの誘いを蹴ったのは他でもない自分だ。
     認めざるを得ない。自分はこの男を好いている。
    「それでね、僕は今後の活動は控えたいと予め伝えていたっていうのに……」
     常連客の男性が新聞をたたみ、ドラマも次の番組に切り替わった頃、
     ヴーヴーヴー。
     彼の話を遮って、カウンターに置いた彼の携帯のモニターがぱっと光り大きく振動する。音を出さないようにバイブモードにしているはずなのに、着信音と変わらぬ派手な振動音を立てるそれに視線をやると、彼は隠すことなく眉根を寄せた。おや、珍しい。彼にしては意外な表情に小さく目を瞠る。
    「出ないのか?」
     カウンターで振動し続けるそれを指さすと、彼は収集日に出しそびれたゴミ袋を見るように更に顔を歪めた。
    「出たくないっていうのが正直なところかな……」
    「でも鳴り続けているぞ?」
    「…………」
     振動する携帯は止まる様子は無い。これは出るか電源を切るまで鳴り続けるタイプだ。このまま振動し続けていたらいずれカウンターから落ちるのではないかと思うくらい、大きく震えて自分の存在を主張し続けている。
     出たくない。けれど出ないとあとが面倒。だが出たくない。
     顔のパーツすべてを使って拒否を表現していた彼だが、意を決したように、いや諦めたように一つ大きく息を吐くともはや生き物のように動きまわっていた携帯を捕まえ席を立った。
    「ごめん、ちょっと外出てくるね。すぐってわけにはいかないと思うけど、戻ってくるから鞄だけ置かせておいて」
    「ああ」
     尚も抗いたいのか彼にしては珍しくぶつくさ言いながらルブランの戸を開く。ちりん、と小さくベルが鳴り、音が消えきる前に明智は外へと消えていった。まだ陽が出ているとはいえ、暦としては晩秋に近い。乾いた風が吹けば、涼気が肌に刺すような時期だ。
     早く戻って来れるといいのだけれど。店内で通話しないのは自分に聞かれたくないからか、他の客への配慮か。おそらく両方なのだろう。
     後に残されたのは話し相手がいなくなってしまった自分と、置き去りにされてしまったアタッシュケース、そして飲みかけのコーヒー。カウンターからカップを覗き込むと、案の定半分ほど残っている。残ったコーヒーの表面に眉根を寄せた自分が映った。せっかく上手く淹れられたのに。
     あの様子だとしばらく戻っては来れないのだろう。戻って来る頃にはこのコーヒーも冷めきってしまうだろうから、今のものは空けて淹れ直しておいてやるか。自分の心ごと捨ててしまうようで気が引けたが、彼に飲んでもらうのなら温かく美味しいものが良い。そして今度こそ最後の一滴まで飲み干してもらおう。そうだ、そうしたらより長く店に居てもらえる。
     ごちそうさま、と唯一残った男性客が席を立つ。彼の会計を手早く済ませると、いよいよ店内に残されたのは自分ひとりとなった。
     彼に受け入れてもらえなかった亡骸のコーヒーが入ったカップを手に取り、シンクへ向かう。そしていざ中身を捨てようとした瞬間に、気付いてしまった。
    「あれ……」
     彼がこの白い陶器に口づけていたという事実に。
    「っ!」
     たちまちその箇所を意識してしまい、思わず店内を見回した。時刻はそろそろ夕暮れに近い。もう一時間もすればすっかり陽が暮れる。客は男性が帰ってしまったあと、今は誰もいない。知り合いの客たちもこの時間は誰も訪れない。惣治郎は明智が来た後に買い出しに行き、そのまま双葉の様子を見ると言っていた。モルガナは夕飯まで寝ている、と言って屋根裏に行ったまま、起きた気配はない。仲間たちからは誰も今日店に来るとは連絡はなかった。
     古い喫茶店には、ただ自分一人だけ。
     ぽーん、と古びた時計が鳴った。
     テレビが夕方のニュースを読み上げる。
     彼は、まだしばらく戻ってこない。
     今ならば、誰にもばれることも、咎められることもない。
     手袋を嵌めたままの左手でカップを持ち、滝のような話の間に薄く開いた唇がここに当てられていた。僅かに傾け、コーヒーが彼の口内に流れ込む。熱かったのか、口に含んだ量は少なかった。少しだけ味わうように舌の上で転がし、嚥下する。最後に唇に残ったコーヒーを赤い舌で舐めとった姿まで思い出し、顔が熱くなる。
     今自分が同じ場所に口づけをしたならば、彼と。
     戸の方をもう一度振り返る。ガラス戸には誰も映っていない。まだ彼は電話中だ。
    「……っ」
     ごくりと喉が鳴る。喉がからからで、いっそ痛い。
     喘ぐように口を開くと、無意識の内に止めていた呼吸が大きく吐き出される。
     コーヒーがもったいないから、折角自分で淹れたコーヒーを捨ててしまうのは機材を貸してくれた惣治郎にも申し訳ないから、そう喉が、喉が渇いて仕方なかったから。だから別にこれは邪な心からではなく、食べ物飲み物を粗末にしてはいけないという教えを重視しているほかない。
     そもそも回し飲みなんてよくあることだ。竜司が嬉々として地雷ドリンクを買って一口飲み、まじいからやるわ、と押し付けられたこともある。祐介が脱水で倒れそうになったときに飲みかけのスポドリを与えたこともある。同性間だけではない。はじめて怪盗団のメンバーをルブランに連れて来たとき、杏の飲みかけのコーヒーを竜司が横から奪い取り「にーげぇ!」と顔をくちゃくちゃにして文句を言っていたではないか。杏も竜司が文句を言っていたことに対して苦言は呈していたものの、竜司が自分の飲み物に口を付けたことに対して嫌がっていた記憶はない。だからこんなこと友人同士ではなんてことない、ごく普通のことなのだ。一般的だ。自然なのだ。意識するほうがおかしい。明智が残したコーヒーを、自分が飲んだからって誰からも責められることではない。
     誰に言うわけでもない言い訳を胸中で叫ぶ。
     心臓が張り裂けそうに痛い。鼓動がうるさくて仕方がない。顔が熱い、いや体中が熱い。晩秋なのに真夏のように背中に汗をかく。テレビの音がどこか遠くに聞こえる。手が、震える。
     その箇所を見つめ、震えながらも静かに左手にカップを持ち替え、右手を添える。そう、彼もこうやって左手で持ち、静かに口を寄せていた。薄く色付いた唇が白い陶器に触れて、傾けて。
     目を閉じて、カップに口を寄せる。
     傾けすぎて、かちゃりとカップの縁が眼鏡にぶつかる。
     唇が、触れた。
     硬い陶器のはずが、どうしてだろう柔らかく感じる。コーヒーで温められたカップは、人肌のように温かい。
     コーヒーが、口内に流れ込む。そっと大切に流し込んだつもりだったのに、口の端からコーヒーが零れてしまった。つう、と顎を伝い、喉を伝い、服の中へ流れ込む。
     うっすらと目を開くと視界いっぱいにぼやけたコーヒーカップ。
     彼から与えられるものならば、自分は全て受け取るというのに。
    「明智……」
     泣きそうに締め付けられた心臓の痛みと、ぬるいコーヒーの味は、たぶん一生忘れることが出来ない。

     ああ、もう戻ってくるというのにどんな顔をしていればいいんだろう。
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