猫になる夢を見た。「にゃあ」
目が覚めると、猫になっていた。
つまり、夢を見ているのだ。本当は目など覚めていないのだろう。
その証拠に、この部屋は自分の部屋で、見慣れたベッドには『アルベルト・ハインリヒ』が眠っていた。
くあ、
猫になった俺は、寝起きだというのに眠いのだろう。
背を反らして伸びをしながら欠伸をする。
「にゃあ」
人の指先ではないけれど、機械ではない、温もりのある身体が懐かしい。
このまま猫でもいいかもしれない。
夢だというのに、そんなことを思う。
「…」
ベッドの上の『アルベルト・ハインリヒ』が身動ぎをして、動き始める。
俺がここにいるのならば、あれは誰なのか。
しかし、目が覚めてからほんの少し金属の指先を眺める癖、自分の身体が通常通り動くかを、関節を動かして確認する癖は、間違いなく『俺』である。
「どこから入った?」
『アルベルト・ハインリヒ』が猫を見て呟く。
本当に夢なのだと再認識した。
『俺』が2人いるなど、夢でなければあの時の偽物のロボットとしか思えない。
しかし、どう見ても『俺』であった。
「にゃあ」
「飯か?猫に食えるような…ミルクでいいか?」
『俺』が少し深さのある皿にミルクを入れて、床に置く。
目の前のミルクを見ると、自分の腹が減っていたことに気付き、ペロペロとミルクを舐めた。
抵抗がないのは、きっとこれが夢だからだ。
コンコン、窓を叩く音がする。
2階の窓を叩く男など、心当たりは一人しかいない。
俺の夢の中くらいお行儀よく出来ないものかと窓を睨みつけてやっても、無駄なのだろう。
「窓から入るなといつも言ってるだろう。誰かに見られたらどうする」
「こんな時間にこんな裏通りの住宅街誰も歩いてねぇよ。あれ?猫飼い始めたの?」
「そんな訳あるか。どっから入ったのかは知らんが、起きたらいたんだよ」
「ボロアパートだからな。壁に穴でも開いてんじゃねぇの?」
笑うジェットの足を猫パンチで攻撃する。お前のニューヨークのアパルトマンだって人のこと言えねぇだろう。
「うわ、怒ってんの?」
「わからん。ミルクは飲んだから腹は減っていないと思うが。お前が気に食わんのじゃないか?」
「マジかよ」
別にそういうわけじゃない。人の住居に勝手に遊びに来て文句を言うなと言っているんだ。
そう伝えたくても、脳波通信も人の言葉も出ない俺には伝えようがない。
「で、何しに来た」
「いや、別になんでもねぇけど。今日仕事休みって言ってたろ?どっか遊びに行こうぜ」
流石ジェット、他人の休みにわざわざニューヨークから遊びに来る程度には暇な無職なのだろう。
ただ、『俺』はこうやって連れ出してくれるヤツに、最近は満更ではない。
「仕方ねぇ、暇人に付き合ってやる」
家にいても、やることはない。
掃除は定期的にしているし、本は今日でなくても読める。
ジェットが来ない急な休みに読めばいい。
『俺』もそう思ったのか、ジェットの誘いに素直でない言葉で応じる。
そこで、ふと気付く。
今誘われていて、出掛ける俺は『俺』であり、猫ではない。
猫は置いていかれて、好きなときに出ていけと窓でも開けておくだろう。
少なくとも『俺』ならばそうするだろう。
「こいつ、どうするの?」
「窓でも開けておけば勝手に出ていくだろう。どうせこの部屋に盗られるようなものもない」
「だな」
ばたん、
扉が閉じる音がする。
『俺』とジェットが出ていく。
もう一度、この猫の姿で眠ればどうなるのだろうか。
俺は『俺』で、目が覚めたらジェットと出掛けているのだろうか。
それとも全てが夢で、ジェットも猫もいなくて、一人で眠っているのだろうか。
くあ、
どうせやることもない。
眠ろう。猫は眠ることにした。
目が覚めると、ベッドの上にいた。
妙な夢を見た気がする。
いつものように金属の指先を眺めて、関節の動きを確認する。
「にゃあ」
猫の声がした。
猫を入れた記憶はない。
どこから入ったのかは分からないが、いる以上はどこかから入ったのだろう。
白い毛並みの綺麗な猫は一見して野良には見えないが、こんな家に入り込むのだからきっと野良なのだろう。
「どこから入った?」
「にゃあ」
返事をするような猫を見る。
とりあえず猫にミルクをやることにした。