最後のふたり『世界が滅びるとき、最後のふたりになるとしたら相手は誰がいいですか?』
「みなさん、おはようございます! Eveの巴日和です!」
「漣ジュンです! よろしくお願いします!」
生放送の朝の情報番組にEveで出演していた。今日は日和が主演するドラマの初回放送日。主題歌はEveが務めるとあって、ジュンも日和と共にドラマと曲のプロモーションで出演していた。
「それでは視聴者からの質問コーナー! 時間の許す限り訊いていきますね!」
アナウンサーの女性が明るくハキハキとした声で進行していく。出演時間は十分程、順調にドラマの映像を見てのコメント、曲の紹介などを終え質問コーナーとなった。
「次が最後の質問になりますね。『世界が滅びるとき、最後のふたりになるとしたら相手は誰がいいですか?』……巴さんから!」
「うーん、家族……一人っていうのも選べないですね」
「漣さん!」
「おひいさんですね」
「おおっ、即答だねえ。どうして?」
メインキャスターの男性が少し茶化して訊いた。
「最後の瞬間は好きなことしてたいじゃないすか? やっぱり歌っ……」
「Eveのお二人ありがとうございました!」
アナウンサーが早口に言いCMに入る。ジュンの理由は最後までは話せなかった。
メインキャスターはごめんね、というようにジュンに手をあげたが、ジュンは深く頭を下げて日和と共にスタジオを出た。
生放送なのに時間を読めず、失敗してしまった。未熟な自分が恥ずかしい。また日和にも『ジュンくんてば、まだまだだね!』などど注意されるだろうか。チラリと日和を見れば、怒っているというよりニンマリして、嬉しそうに見えるが……。
「ジュンくんてば!」
ほらきた、とジュンは肩をすぼめる。
「いくらぼくのことが大好きだからって、時と場所を考えてほしいね!」
「……は?」
周りからクスクス笑いが聞こえる。スタッフたちが、お疲れ様ですといいながらニヤニヤ、ニタニタ笑みを浮かべてジュンと日和を見ていた。
「はぁ?! ……えっ?」
原因は先程のジュンの回答にあると気づいた。
「違います、そういう意味じゃないですよ! あの、オレは歌って踊ることが好きなんで……」
「ジュンくん、ごめんね。ぼくこのあと別のスタジオに行かないといけないから、またふたりの時にね☆」
誂いとも本気とも取れるトーンで言ってから、ウィンクをひとつ。「キャーっ」と近くで女性スタッフの悲鳴が小さくあがる。今日の日和はこのあともドラマの共演者と共に、テレビ出演や取材で大忙しなのだ。日和は周囲に愛想を振り撒いて去っていった。呆然と佇むジュンを残して……。
「GODDAMN……」
『やっぱり歌って踊ることが好きなんで。折角だからEveとして死ぬ瞬間までアイドルらしくいられたらなって。そういう理由でおひいさんです』
──そういう意味だったのに。
SNSでは『最後の瞬間は好きな子とシてたい』といったテロップを入れた切り抜きが作られ、『漣ジュン・公開告白』と大盛りあがりをみせている。
茨からのホールハンズにも、事務所に書類を受け取りに来るように、という業務連絡とともに、ご満悦なようすのコメントが添えられていた。
『ジュンやりますね☆』
「うぅっ……いばらぁ〜」
「やあやあ! お疲れ様であります!」
茨のいるミーティングルームに入ると、ジュンは力尽きて椅子に座った。精神的に疲れ果て、グッタリと机に顔を伏せる。
「……やぁ、ジュンお疲れ様」
「ナギ先輩ぃ〜、お疲れ様です」
部屋に入ってきた凪砂はジュンの背中をポンと叩いた。
情報番組のあったテレビ局やそのあとの仕事先、ESビルに戻ってからも、途中会う知り合いに散々誂われた。
「違います! そういう意味じゃないですから!」
何度理由を説明しただろう。それでも相手はふぅん……と生温い目で見てくるばかり。誰も誤解だと分かってくれない。
「誰もちゃんと話を聞いてくれないんすよ。ナギ先輩と茨は分かってくれてますよね?」
「アイ・アイ☆分かっておりますとも」
茨はわざとらしく気の毒そうな表情を浮かべた。
「最期の瞬間までEveとして歌って踊っていたいんですよね?」
「そうっ、そうです!」
「どれだけ殿下のこと好きなんですか?」
「はぁっっ? 全然分かってねぇじゃないすか!」
「分かっていないのはジュンのほうでしょう。最後のふたり、最期の瞬間、嫌いな人間といたいと思いますか?」
茨は上辺の表情を引っ込めて、冷たい目でジュンを見た。
「ぐっぅ、それは……」
正論に一瞬言葉を失ったが負けじと言い返す。
「いやそこは置いといて、アイドルとしてEveとして死にたいってことでしょうが!」
「見上げたアイドル魂! ですが、観せる相手もいない世界で誰のためのアイドルですかねぇ」
「ぐぅ……ナギ先輩ぃ〜」
口で茨に勝てる訳もなく、助けを求めて凪砂を見た。凪砂は困ったように微笑んでいる。
「じゃ、じゃあナギ先輩と茨だったらなんて答えるんです?」
「……私?」
凪砂はやや思案する様子を見せたものの、すぐに茨のほうを見て言う。
「……私は茨と最後のふたりになりたいな」
「これはこれは閣下もAdamとして最期を迎えたいということですな。なんと誇り高きアイドル精神! 尊すぎてこの七種茨、涙で前が見えません!」
「……オレのときと言うこと違いすぎません?」
「……私も死ぬまでアイドルでいたいとは思うけれど、観せる相手もいないのにアイドルと言えるのかは疑問だね。こういうときはしがらみを考えずに、自分が本能で一緒に居たい相手を選ぶものじゃないのかな? ……茨がジュンに気づかせたかったのもそういうことでしょう?」
「ぐぅ……」
今度は茨が口籠る番だった。
「そ、そんな最期の瞬間に見慣れた自分を求めて安心を得るのも本能と言えますな。自分がジュンに言いたかったことを分かりやすく説明してくださって助かりました! 敬礼☆」
「すげぇ茨、こんなストレートなアプローチを華麗にスルーしてる」
「……うちの子たちは自分のことになると、鈍感になるように自己暗示でもかけているのかな」
茨はこれ以上凪砂からの追撃を受けないよう、矛先を変えた。
「し、しかし、今回の殿下の回答は少々意外でしたね。Eveのコンセプト的にもお互いの名前をあげるのが定石かと。まぁ結果、ジュンの片想いみたいになってしまいましたな! あっはっは☆」
「意地が悪いすよぉ。……で茨は?」
「自分ですか? ……ジュン、自分と最後のふたりなんてどうですか?」
「あー、悪くないかもっすね。茨ならおひいさんみたいに我儘言わなそうだし、サバイバルにも長けててオレすっごく楽かも」
不満そうな凪砂の顔を目の端に捉えながら言った。茨は腕を組み、ニヤリと笑う。
「で? 寝床を定めてふたりで日々食料を確保して? 死ぬまで不毛なカウントダウンをするだけですか?」
「いやいや、おひいさんとナギ先輩を探しに行くでしょうよ」
ジュンは何を当たり前のことを、というように言った。
「おひいさん、あれで結構しぶとそうだし、どっかで生きてるかも。ひとりで寂しい思いしてるかもしれないですよね。怪我して動けなかったり、腹空かしてるかもしんねぇですし」
「そういうことですよ」
「何がです?」
はぁ……と茨はわざとらしく大きなため息をついた。
「無自覚ですか、たちが悪いですねぇ」
凪砂はジュンに優しく微笑みかけた。
「……ジュンは番組的にいいと思って言った回答じゃなくて、本心ではあったんでしょ? なんでそう言ったのかもう一度よく考えてみて。そうじゃないと日和くんも可哀想だから」
「おひいさんが可哀想って……?」
ジュンにはどういう意味だかさっぱり分からない。もっと聞きたいことはあったが、凪砂はゆらりと立ち上がると茨に詰め寄りだした。
「……本当にジュンとふたりがいいの? 茨も私のことも探しに来てくれる?」
壁際まで追い詰められた茨が、助けを求めるようにジュンを見る。
「も、もちろん探しますよ! ねぇジュン?」
茨にだけ見えるように舌を出して、ジュンは部屋をあとにした。
ドラマの放送時間になっても日和は帰宅しなかった。さすがに初回放送日とあって忙しくしているのだろう。
「おひいさんまだなんで二人で見ましょうね、メアリ」
大人しくジュンの膝に寝そべるメアリを優しく撫でる。ドラマが始まり、画面いっぱいに見慣れた日和の顔が映し出された。
「キャンッ!」
「メアリ、おひいさんの声分かるんすねぇ? 賢いですねぇ」
日和は貧しい家に生まれながら、美しく賢く健気に生きる青年を高校生時代から演じる。
初めに役柄を聞いたときには、日和が貧しい家の子供だなんてミスマッチだと思った。だが後に親友となる裕福な家の息子と、生まれたときに取り違えられたということが分かると聞いて納得した。
ドラマの中の日和は素朴な服装に穏やかな表情をしていて、いつものキラキラオーラは絶妙に抑えているが、ところどころから気品のようなものが見えて、役どころにぴったりと嵌ってた。美しい少女と運命的に出会い淡く惹かれたところ、親友の婚約者として再会。
そこでEveの歌うバラードが流れ出す。日和の高い声が切なく歌いあげ、次いで柔らかいジュンの声。重なった二人のハーモニーは愛しい人に焦がれる切ない歌詞とも相まって、ドラマにぴったりだと思った。
ドラマを見ながら、ジュンはなんだか不思議な気持ちがしていた。日和のことはいつもすごい人だと思っているが、こうして画面越しに見ると尚更別次元の人に見える。
それとも本当に別人なのではとも思う。いつも自分と同室で、二段ベッドで寝起きを共にしている、あの日和とは別の誰か。
だって普段の日和は我儘放題で、私生活では完全にジュンに頼りきっている。この人オレがいなかったらどうするんだろう、そう思うことも少なくないが日和が思わせてくれているのかもしれないとも思う。きっと本当の日和はなんでもできる。
また相方にしたって、ジュンよりも実力があり、もっと従順に下僕を務めてくれるような希望者が沢山いるだろう。
家柄、容姿、アイドルとしての資質。こんななんでも一流の日和が最後のふたりに選ぶのは……、やっぱり自分なんかじゃなかった。
ドラマのテーマでもある『身分違い』というキーワードが胸に刺さる。
日和に選ばれなかったことなど何とも思っていなかったはずなのに、ドラマの日和を見ていたら急に遠い人に思えて、そんなことを思い出してしまっていた。
ドラマが終わる頃には、膝の上で丸まっていたメアリはすっかりと眠っていた。メアリを彼女の寝床へそっと寝かせてやる。ジュンはソファで本を読んだり、ゲームをしたりして日和の帰宅を待っていた。
今夜は三つの任務があるため先に寝るわけにはいかない。
その一、きっと朝から仕事詰めで、疲れて不機嫌であろう日和を労うこと。
その二、ドラマの感想を伝えること。
その三、今朝の失言の誤解を解くこと。
最後の項目こそが最大の任務である。
「たっだいまー!」
懸念していた任務その一は予想を裏切られた。日和は妙にご機嫌で帰宅した。
「ジュンくん! ジュンくんの大好きなぼくが帰ったね☆」
「声うるせぇ、もう遅いんすからもっと声落としてくださいよぉ。メアリが起きちまう」
メアリの名を出されれば、やや声を落としたものの、テンションは変わらずである。
「うんうん、ただいまーぎゅうぎゅう!」
「一日中お疲れ様っす」
抱きつく日和の背をポンポンと宥めた。
「ドラマ見ました。すごく、良かったです。主人公が健気で応援したくなりました」
「ジュンくんにもそう言ってもらえて嬉しいね! ベタな展開だけど泣けるって、大ヒットした海外ドラマのリメイクでしょ。ぼくじゃイメージが違うとか批判もあったし」
日和は身体を離してジュンの顔を見た。
「SNSでも放送中から好意的な意見が多かったみたいだし、安心したね」
「あんたでもそんな心配するんすね。評判が良かったから、そんな上機嫌なんすか?」
違う違うと首を振ってから、ふふっと日和は嬉しそうに笑う。
「ジュンくんの公開告白。みんなからも冷やかされちゃったね」
「げぇーおひいさんのほうもすかっ? なんかオレの迂闊な発言で迷惑かけちゃってすみません」
日和は不思議そうに首を傾げた。
「迷惑なんかじゃないね。ずっといい気分だったね?」
「えぇ? そうなんすか? オレのほうは散々誂われて、もう精神的にズタズタです。生放送こえーってなりました」
「事実なんだから誂われても構わないね」
「事実って?」
「ジュンくんがぼくに思わず告白しちゃったってことだね」
カッと顔が熱くなり、ジュンの口調はきつくなる。
「告白じゃねぇって! 説明する時間なかっただけで、オレはアイドルとしてEveとしておひいさんと最期の時を迎えたいって言うつもりで!」
「どう違うの?」
「分かんねぇかな、おひいさんを好きとかじゃなくて、アイドルやることが好きってことです」
「ふぅん……不器用なジュンくんのくせに、そんなふうに切り離して考えられるのかね? ……違うなら誂われて嫌な思いしたんだろうね」
さっきまでの満面の笑みがすぅと消えて、日和は途端に不機嫌になった。
「……どうしたんすかおひいさん? オレ何か変なこと」
「ジュンくん、じゃあ訊くけど最後のふたりがきみとぼくだとして、どちらが先に死ぬといいと思う?」
「なんすかそれ……おひいさんだって……オレと最後のふたりにはなりたくないんでしょ?」
日和は動揺したように一瞬口籠った。
「……いいから、考えてみるといいね」
ぷいっと背を向けて日和は脱衣所へ入っていった。
上機嫌だと思ったら急に不機嫌になって、本当に良く分からない。だが彼のそんな心の機微に気づけないから、自分は最後のふたりには選ばれないのだろう。
やがて浴室からシャワーの流れる音が聞こえ始める。
ジュンはソファに横になって目を瞑った。
﹣﹣﹣﹣﹣﹣﹣﹣
地球の最期
どういう状況だ?
環境破壊? 地震? 戦争? 疫病?
想像してみる。
壊れた建物、電柱は傾き、地面は瓦礫に覆われている。陰鬱とした雨が長らく降り続いたかと思えば、一転して肌を焦がすほどにジリジリと照りつける太陽。乾いた風が土埃を巻き上げて通り過ぎる。薄暗い路地裏には濁った水溜り。
どこかで見た映画のような世界。人っ子一人いない町。
そこにはオレとおひいさんのふたりきり。
瓦礫の山に立つおひいさんは、髪を靡かせて遠くを見渡す。さながら国を平定した王のようで、オレは少し見蕩れてしまう。
「ジュンくん行こうか!」
振り返ったおひいさんは、いつもの眩しい笑顔でオレを呼ぶ。
オレたちはずっと手を繋いでいる気がする。おひいさんが我儘を言って、そんなもんあるわけ無いでしょうがって、オレがウンザリして。おひいさんが歌を歌って、一緒に歌って。瓦礫の中を小さくステップを踏んで、目を合わせて笑う。少ない食べ物を分け合って、寄り添って眠る。
「お腹が空いたね」
オレはおひいさんの食べられそうなものを探す。
「こんなもの食べたくないね」
おひいさんは我儘なふりをして、少しオレに多くくれる。
「ジュンくん地面が固いね。こんな汚いところじゃ眠れないね」
怒りながら、薄汚れたオレにくっついてくる。オレは自分の上着を敷いて、おひいさんはその上に横になる。
「地面よりはマシだね」
オレの腕に頭を乗っけて眠る。
汗や埃で汚れたおひいさんの髪を手で梳いてやる。隠していても目尻に滲んでしまった涙をそっと拭ってやる。
そうして身を寄せ合って、互いの鼓動を聴きながら眠るんだ。そんなに悪い世界じゃないとも思う。
もし先にオレが死んだら?
誰もいないシンと静かな世界に、ぽつんと立ち尽くすおひいさんの姿が思い浮かぶ。
おひいさんは一人で食べ物を探すんだろうか。一人でうずくまって眠るんだろうか。寂しいのだめな人なのに。一人で膝を抱えて泣くんだろうか。オレは……もう涙を拭ってやれないっていうのに……。
『ジュンくん、ジュンくんっ!』
きっとオレを呼んでいる。オレが、オレが傍にいてやらないと。
ああ……だめだ、想像だけで悲しくなって涙が出てきた。オレはおひいさんを一人残して死ねない。
じゃあ、もし先におひいさんが死んでしまったら……
﹣﹣﹣﹣﹣﹣﹣﹣
「ジュンくん! ジュンくん!」
揺り動かされてジュンはハッと目を開けた。
「大丈夫? うなされていたね。悪い夢を見ていたの?」
いつの間にか眠っていたらしい。汗をびっしょりかき、鼓動が耳奥に響くほどに速い。頬には幾筋もの涙が伝っていた。
「オ、レ……」
声が掠れ、上手く話せない。日和は常温のミネラルウォーターを取ってくると、ペットボトルのキャップを緩めてジュンに渡した。ジュンは水を煽るが、手が震えほんの少ししか口に入らなかった。
「大丈夫だよ。ゆっくりでいいからね」
言いながら、優しく背中をさすってくれる。その温かい手にほうっと息を吐いた。
「オレ、おひいさんに言われたこと考えてて」
「うん」
身体を起こしたジュンの隣に日和も腰掛ける。
「世界にふたりしかいなくても、おひいさんとなら案外悪くないかもって思いました。でも先にオレが死ぬとしたらって考えたら……」
日和は顔を歪め、唇を引き結んだ。
「おひいさんが心配で……一人で遺して逝けないなって。じゃあ逆はどうかって考えて、そしたら寝ちまってたみたいです」
話ながら少しずつ気持ちが落ち着いてきた。
「……夢でおひいさんが先に死んでしまって、オレ……ああ良かった〜ってホッとしてました。この人に寂しい思いさせずに済んだ。オレの人生最大のミッション成功だ、って……」
ジュンは弱々しく笑って、日和を見た。日和は小さく頷き、ジュンの背中をさすり続けていた。
「おひいさん、あんた、こんな世界で今までよく頑張りましたねぇ、偉いですねぇ……ってオレは暫くおひいさんを抱えて髪を撫でてました」
ジュンは手にしたペットボトルをぎゅっと握った。
「それからオレは綺麗な水と布を探して、おひいさんの身体を拭いてやるんです。顔も髪も出来るだけ綺麗にしてあげようって。でも痛くないように傷つけないように。丁寧に丁寧に時間をかけて。おひいさんが気に入りそうな服を探して、着せてやって。綺麗な布を重ねてそこに寝かせてやりました。おひいさん眠ってるみたいに、ずうっと……変わらなくてッ……」
また段々とジュンの声が震えてくる。
「オレは毎日おひいさんに話かけるんです。……寂しくないですか? 大好きなナギ先輩には会えましたか? 茨のやつは相変わらずですか? 痛いとこはないですか? 怖いことはないですか? 安心してくださいね、歌を歌ってあげますからね……」
ジュンは日和の顔を見た。今にも零れそうな涙をこらえて、日和の唇が小さく震えている。
「……ねえおひいさん、一緒に歌いましょうよ。我儘でいいから、うざいくらいの馬鹿デカい声聞かせてくださいよ。ジュンくんって、呼んで? ……笑ってくれよお!」
胸を引き千切られるような、切ない叫び。気づけば日和も泣きながらジュンを抱きしめていた。
「ジュンくん、ジュンくん……」
優しく背中に回った腕は温かい、鼓動を感じる。日和はちゃんとここにいてくれる。
夢だと分かっているのに、苦しい。悲しい。どうしようもない喪失感。なんだろうこの気持ちは、夢で感じた日和へ溢れるこの感情は。
「おひいさん、オレはおひいさんとは最後のふたりになりたくないです。ふたりでいたら壊れた世界でも幸せを感じられるかもしれない。だけどいつかどちらかが死んでしまうとき、おひいさんを一人遺しては逝けないし、オレはおひいさんのいない世界にも生きていたくはないです」
ジュンは涙を拭うこともせず、日和を真っ直ぐに見て言った。
「はは……子供みたいですね。夢でこんな泣いて」
手のひらを見るとまだ震えている。日和はジュンの手を両手で包み込んだ。
「ジュンくん、ぼくはジュンくんが好きだよ」
まだ涙の張った紫が揺れている。それは真剣でジュンを慈しむような眼差しだった。
「オレも、おひいさんが好きです」
反射的に言ってから腑に落ちた。上手く表せない自分の気持ち。それは日和が好きだという気持ち。分かると、あとからあとから日和が愛おしいという気持ちが込み上げてくる。
「好き、おひいさん、好きです」
「ジュンくん」
日和はジュンに口づけた。そっと労るような優しいキス。
嬉しそうにジュンが笑う。どちらからともなくもう一度キスをした。
***
「もう悪い夢を見ないように、ぼくが付いていてあげるね」
日和はジュンを自分のベッドまで連れて行くと、そっと横たわらせた。ジュンの想像とはまるで逆に、自分の腕にジュンの頭を乗せてやる。そうして少し固いジュンの髪を撫でてやる。泣き腫らした眼尻を撫でてやる。やがてジュンの鼓動が落ち着いたリズムを刻み、すぅすぅと寝息をたてはじめた。
寄り添っていると、日和の鼓動も同じリズムになり、本当に一心同体になったような心地良い安心感が広がる。
『最後のふたり』
実は日和も考えたことがあった。
日和が表紙を飾った女性誌の後方にあった、読者の相談コーナー。撮影の待ち時間に何となく読んでいた。
Q 『彼のことは好きだけど、結婚相手が本当に彼でいいか分かりません』
A 『貴女が世界に最後の二人になるとして、相手は彼がいいですか? 彼と二人だけの世界を想像してみてください』
ふぅんとその時はさっと読み飛ばしていただけだったが、ちょうどジュンへの気持ちを自覚し始め、また打ち消し、と密かに思い悩んでいた日和はふとジュンとふたりだけの世界を想像してみたのだ。
そして夢を見た。
﹣﹣﹣﹣﹣﹣﹣﹣
ジュンくんとふたりだけ残された世界。悲壮感はまるでなくて、ぼくは少しはしゃいでさえいる。
でもぼくはジュンくんの死ぬところなんて見たくはないね! と先に逝く。
横たわったぼくは目も開かない、当然呼吸もない。身体も動かない。感触もない。自分の身体という棺の中で、意識だけが浮遊している感じ。真っ暗な頼りない世界。なのに少しも怖くない。何故かジュンくんの声だけは聞こえるから。
「おひいさーん、いつまで寝てるんすか? 早く起きてくださいよぉ」
「これ、初めておひいさんに声かけてもらった時に歌ってた歌です。覚えてます?」
「Eveのデビュー曲一緒に歌いましょ? あんたの歌、聴かせてくださいよ」
「ねぇおひいさん、おひいさん、おひぃさ……ん」
ジュンくんの声が震え、涙声になっていく。
ジュンくん泣かないで。ごめん、ごめんね……。
ぼくはもうきみを慰める声を持たない。もうきみを抱きしめる腕を持たない。もうきみを温める温もりを持たない。
ぼくはもうきみに何もしてあげられない……。
なんて無力だろう。こんな寂しい世界にきみ一人を置き去りにしてしまった。ぼくは身勝手だ。やり直せるならぼくはきみを一人にはしない。息絶える最期の瞬間まで、きみとふたり手を繋いでいようね。
夢の中でジュンくんの熱い涙がぼくの頬に落ちるのを感じて、そこから波紋が広がるようにぼくの感触は戻り、腕も動いた。そっと瞼を押し開けるといつもの見慣れた、ジュンくんが寝ているベットの底が視界に入る。頬に手を当てると涙でグシャグシャだった。
ぼくはベットから起き上がるとベットの梯子を一段上がってジュンくんの顔を覗き込んだ。気持ち良さそうに眠っている。そっと頬を撫でると身動いでこちらへ寝返りを打った。いつもより幼く見える寝顔がたまらなく愛おしい。きみが手の届く距離に居てくれて、温もりを感じられる当たり前は、すごく貴重なものなんだと改めて思う。
少しだけ背伸びをしてジュンくんの頬へ口づけた。
﹣﹣﹣﹣﹣﹣﹣﹣
そんなことがあったのが一ヶ月程前。日和はジュンへの気持ちの種類を理解した。
もう誤魔化すことはできない。ジュンのことが好きだ。どうしようもなく好きだ。
ずっと一緒に居たい大切な人。だけど最後のふたりになるには辛すぎる人。だから情報番組での質問に上手く答えられなかった。悲しい夢を見てしまったから。
でもジュンが自分と最後のふたりでいたいと思ってくれたことは純粋に嬉しかったのだ。
夢を見たときには、この恋は叶うはずがない、一生自分の中に気持ちを押し殺して、そうしてでもジュンの傍にいたいと思った。ジュンが日和に対して、同じ気持ちを返してくれるなどとは微塵も思わなかったから。それが今、自分の腕の中で眠っている。あどけない寝顔を寄せている。自分のことをこんなにも大切に思ってくれている。信じられない幸せだ。
「ぼくと同じ、ジュンくんも悲しい想像で苦しくなっちゃったね。意地悪な質問をしてごめんね」
ジュンの形のいい鼻先を撫でる。んんっ、と声を漏らして、たわわな睫毛が小さく揺れた。
明日からは少しだけ新しい関係のふたりになる。恋人としての日々を踏み出す、最初のふたり。最後のふたりにはなりたくはないけれど、どうかずっとずっと一緒にいられますように。
世界が滅びるその前に、やりたいことは沢山ある。まずはふたりで歌おう。日和は夢の中のジュンが一緒にと望んだ、Eveのデビュー曲を口ずさむ。
「♪〜♪〜♪〜」
想いを乗せたこの歌声が、夢の中のジュンにも届きますように。願いを込めて額と額をくっつけた。気のせいかジュンの寝顔がほんの少しほころんだ気がした。