無題「クロ、いるか……って何だコレ」
根地の作業部屋に顔を出したフミは、開口一番そんなことを呟いた。壁際には高く積まれた段ボール、床には何枚もの紙に小道具が。
彼の部屋が散らかっているのはユニヴェールにいた頃からそうだが、今日は特にひどい。足元には無数の台本やらメモやらが転がっていて、入っただけで転びそうだ。
その台本の海を超えた部屋の奥に、根地は座っている。
「やあ、高科氏。僕に何か用かい?」
「よくこんな部屋で作業できるな……入るぞ」
フミは持ち前の体幹を駆使して僅かな足場を踏み中へ入っていく。根地はどうやらこの散らかった部屋で次の台本を書いていたらしく、パソコンには苦悩の跡が見られるメモが大量に貼られていた。
「最近出て来ねーから、なんか煮詰まってんのかと思って」
「心配してきてくれたの?あらヤダ嬉しい!」
わざとらしく声音を弾ませ、フミに抱きついてこようとする根地を一蹴し、フミはパソコンの画面を見る。新しく自分が演じるであろう、舞台の一幕を。
次の新作の概要は何となく知らされている。主人公と二人の人物、三人で織りなす愛憎入り乱れる恋愛劇だとか何とか。いかにも彼が好みそうなテーマだ。
「何、どこで煮詰まってんのサ」
「んー……全部!」
「バカ」
声高らかにそう宣言する根地を小突き、フミは辺りの部屋の惨状を見渡した。
明らかにひっくり返された段ボール、過去の公演のものと思われる台本に小道具。恐らく過去の自分にインスピレーションを求めたのだろう。散乱した台本の中には、フミが見覚えのあるものもある。
「ん、『不眠王』か」
「懐かしいねぇ、その響き。あの時のハプニングすらありありと浮かぶようだ」
フミが手に取ったのはユニヴェールで3年だった時の新人公演、不眠王の台本だ。近くを掘り返すと、他の公演の台本も出てくる。『ウィークエンド・レッスン』、『メアリー・ジェーン』、二人が2年だった時の台本や、根地がアンバーにいた頃の台本まで……。
そこまで掘り返し、フミの視線はふと一つの台本に留まる。根地がクォーツに来る前、フミでも演じたことがない演目。
「『我死也』だね」
フミの手元を覗き込んできた根地が、フミが声を上げるより先にタイトルを読み上げる。
根地がアンバーのジャックエース、田中右の為に書いた渾身の作品。
フミでも台本自体を見るのは初めてだ。それでも、見なくても分かる。これまでに3度公演され、それを見てきた彼には、根地がどんな思いでこれを書き上げたのか、その片鱗を察することはできる。
「今見ると拙作だ。それでも、これを超える作品が書けないのがもどかしい」
「クロ……」
根地が台本を慈しむように撫でる。彼にとって演目の一つ一つ全てが、我が子のような存在なのだろう。それを時折こうしてひっくり返しては、新しい子を産むための糧にしている。
フミが言葉を詰まらせた。作業の応援に来たはずが、邪魔しているかもと思い部屋を出ようと扉の方を向くと、控えめに扉がノックされる。
「コクト、いるか?」
「その声はカイじゃないの!二人して僕のこと大好きなんだから、もう!」
その前までのテンションはどこへ行ったやら、根地が甲高い声をあげて扉の方を振り向くと、部屋に入ったカイが部屋の散らかりっぷりに驚き身じろいでいるのが見えた。
フミもいるのか、と部屋に入ることを諦めたカイが扉の前から声をかけてくる。
「台本詰まってんだとサ」
「人聞きの悪いこと言わないでちょうだい、フーミン!ちょっとセリフが思いつかないだけよ!」
「それを詰まってるっつーんだよ」
そんないつもの寸劇を繰り返している後ろで、コクトが詰まるなんて珍しいなとカイが至って真面目なトーンで言う。
「何をそんなに悩んでンの」
「主人公のセリフがね、ど〜にも実感が湧かなくて」
「前に言っていた台本のことか」