宇宙へ一人旅宇宙へ一人旅
星間を漂う宇宙船内で、ジャミルは地上に残してきた恋人のことを考えていた。
一人旅を続けた果に向かう先は宇宙であった。
卒業後しばらくして従者を辞め旅に出たジャミルは、 興味のある国々を巡りまわったのちに、そのまま飄遊を続けていた。
宇宙へ行こうと思い立ったのは、放浪するジャミルを根気よく待ってくれている恋人の引退試合を、とある国の小さなパブで見ていたときのことだった。
マジフト選手として数年の間に渡りエースを担っていたレオナ・キングスカラーの引退は大変惜しまれ、こんな片田舎の町ですら引退試合を見るために人々が集い、パブは大賑わいであった。
ジャミルを待っている間、レオナからマジフト選手引退を決めたと連絡があったのは三ヶ月前のこと。
宰相という立場に収まるには少々若すぎる年齢ではあるが、ジャミルの帰国予定時期と、ジャミルとの今後のことを鑑みて引退を決めたのだと言われて危うくスマホを落とすところだった。
己の行動の一つ一つが彼の人生に影響を及ぼすなど考えもしなかったのだ。
出立の前日にレオナから贈られた腕輪。木製のそれは一見シンプルな造りだが、内側に大きな緑色の魔法石が埋め込まれている(絶景のホテルバーで「何処にいてもおまえを想っている」と、愛の言葉とともにそっと嵌められたときは気絶するかと思った)。
その腕輪を嵌めている左手首に右掌を重ねると、あのときのレオナとのやり取りや、その後のベッドの中での彼の体温など、甘ったるい思い出がよみがえる。頬に熱が集まってしまったのを誤魔化すために、注文したスタウトビールに口を付けつつ、古いテレビから流れてくるレオナの試合中継に目を向けると、ちょうどレオナがゴールを決めたところだった。勝利の歓声がパブを包み、店内の温度が上がったように感じる。喜びを分かち合う人々に囲まれて嬉しい反面、店内の盛り上がりに少し疲れを覚え始めた。
レオナの引退スピーチに耳を傾けながら、二杯目のスタウトビールを見やるとその黒い液体の奥にかすかな煌めきが見えた。
いつだったかレオナの腕の中で聞いた、彼の故郷の話。歴代の王は彼を見守っているのだろうか。そのとき、閃きがジャミルの頭上に降ってきたのだ。そうだ、最後の目的地は宇宙にしよう。星々の命の瞬きを少しでも近くで見てみたい。――そして、彼のもとへ帰るのだ。
そう決めるとジャミルはパブを退店し、イデア・シュラウドに連絡を取るため、スマホを手に取った。
帰還中、ジャミルが乗船している単体宇宙船が微小隕石と衝突した。
宇宙旅行に協力してくれたイデアですら予測不可能な事故だった。
自動操縦から手動へ切り替えてみても素人のジャミルには操作できず、通信機器もエンジンも故障してしまったので漂流し続ける以外何もできない。
「レオナさん」
ジャミルが呟いた言葉は、音にならず真空の闇黒に吸い込まれていった。
――イデア・シュラウド曰く、宇宙空間には微量の気体、粒子とともに魔力が漂っているらしい。
でもその魔力は人間のグナとは合わないんだよね、とイデアは言っていた。つまり宇宙空間では魔法が使えないということだそうだ。
魔法士として放浪し続けていた身ではあるが、魔法が使えない状況はそこまで辛くなかった。
素人でも扱えるようにイデアがプログラムした単体宇宙船の燃料はジャミル自身の魔力。
吸い取られ続ける魔力量はブロットが溜まるほどではないからと、魔法石を持ってこなかったのは判断ミスだった。
「一か八かで魔法が使えるか、試せばよかったな」
星の光など微々たるもので、眼前に広がるのはスタウトビールとは似ても似つかぬ、インクで塗り潰したような暗闇。
音のない空間。
精神を蝕む孤独と静寂に苛まれぬよう、ジャミルは目を閉じて、あのパブで見たレオナの勇姿を脳裏に描く。
ただ過ぎゆく時間に身を委ねて、すべてを諦めようとした――その刹那、
「ジャミル」
静寂の向こう、微かにレオナの声が聞こえたような気がした。
――帰ってこい、と。
レオナの声であることに気づいたジャミルは目を開いた。そうだ、魔法石!
レオナから贈られた腕輪には魔法石が埋め込まれている。宇宙空間を漂っていたせいか、頭の回転が鈍っていたらしい。
宇宙空間では使えないとはいえ、ここは気圧の保たれた船内である。つまり地上と同じ……魔法が使えるのではないか?
下手したら死ぬかもしれない。だがこのままでも死ぬ。だったら試すしかない。
ジャミルは腕輪を両手で握りしめ、可燃エンジンに向かって魔力を叩きつけた。
「というわけで帰還しました」
イデアの研究所でジャミルを待っていたレオナは、すぐにでも恋人を抱きしめたい衝動に駆られたが、それよりもジャミルの健康状態の確認が先である。
魔力を叩き込んで強制的に稼働させたエンジンは黒く煤焦げ、地上に降り立つためのパラシュートも枝に引っかかりところどころ破けていた。ジャミル本人は体力の消耗は激しいものの、怪我はしておらず会話もできる状態だった。
宇宙旅行のための技術と引き換えにジャミルは実地体験……もとい、イデアが設計した自動操縦単体宇宙船の有人飛行テストに参加することを条件付けられていた。その結果をまとめるまではレオナの腕の中に閉じ込められない。
2人の後方で腕組みをして尻尾で床を打ち鳴らすと、イデアが怯えながら急いで今回の件をレポートに取りまとめだした。
ベッドに横たわり点滴を受けながらイデアの提示する質問に答えてきたジャミルは、ふとレオナの方へ目を向けると、宇宙船での出来事を尋ねた。
「あのとき声が聞こえたんです。レオナさんの声が」
あれは本当にレオナの声だったのか。
ジャミルの問いに、レオナとイデアは顔を見合わせた。
レオナが「言うな」と噛みつく前にイデアはニヤニヤと笑いながら「声が届いていたとは! いやあ~愛の力は偉大ですな」と呟きつつ、何やらタブレットに打ち込んだ。
「ああ、あれは正真正銘レオナ氏本人の呼びかけですぞ」
「え……でもどうやって? 通信機器は使えなかったんですよ」
「だからそれは愛のチカラってやつで……嘘ですごめんなさい!」
レオナに睨まれたイデアはヒッと悲鳴を上げて面前にタブレットを構えた。
タブレットに表示されていたのは膨大な魔力量の数値と、地上から宇宙空間を漂流していたジャミルまでの位置。
「ええと、ざっくり言うと、宇宙に漂う魔力を地上から無理やり変換させたんだよね。まっすぐにジャミル氏の指標に向かって、膨大な魔力を打ち込んだってわけでして……。それに声を乗せたんですわ」
ジャミルはベッドから上体を起こしてレオナを見た。膨大な魔力。それって。
「まあオセロみたいに簡単にひっくり返るわけじゃあないから、どちらかというとアストラル光に乗せた感もあるけど、その辺りは影響があるかないか後で調べるとして……それにしてもあんなドでかい魔法石、初めて見ましたわ~! あれひとつでどこかの小国なら買えるのでは? しかも何十個も……んむぅ」
レオナに口を塞がれてむぅむぅ呻くイデアは面白かったが、全然笑えなかった。
魔法石がなんだって? 呆然とするジャミルに、イデアは「また明日、検査してから報告の続きよろ!」とレオナの手から逃れてそそくさと部屋を出ていってしまう。
「レオナさん、俺……」
点滴が刺さっている腕に障らぬよう、ジャミルがゆっくりと手を伸ばすと、すかさずレオナが受け止める。
やっとの抱擁で涙が出そうだ。
このひとは、一体どれだけの犠牲を払ってジャミルに呼びかけたのだろう。
もう一生分の旅をした。この人に残りの人生を捧げたって良いと思えた。だってレオナは、……とうの昔に、俺に人生を捧げていたのだから。
なにか言わなければと口を開くが何も発せずにいたジャミルに、レオナはただ、「無事に帰ってきてくれたなら、それでいい」と、優しく告げたのだった。