風の贈り物 #2 桜の決意「…ほんまに、綺麗やった」
帰宅後、いつものように談笑しに牢へ訪れると珍しくこはくの方から話を始めた。
決まりを破り外に出たこと、朱桜家の敷地に入ったこと、そこで一人の女性に目を奪われたこと。前触れもなく語られるには内容が突飛しておりかなり困惑したが、こはくの目は至って真剣だ。
「…姿、見たんか?」
「いや、御簾がかかっとったから見えたんは赤い髪だけや。風が吹いたときにふわぁっちなびいてな」
(……赤い…髪…)
途端、先程から感じていた胸騒ぎが一段とざわついた。思い当たる人物が一人、いるのだ。
仕事上朱桜家の内情は全て桜河に筒抜けであるから、人物の容姿はもちろんのこと誰がいつどこで何をしているかさえ把握している。自分の知る中では赤髪の女性なんて特徴的な人は一人しか思いつかない。しかもその人はちょうど今日、一日家にいたはずだ。
(朱桜司………恐らく彼女に間違いないな)
朱桜家当主のご息女、この辺りでは当主に次いで地位が高いとされている人だ。
(よりにもよって嬢に恋してまうとは…)
目の前のつぶらな瞳をまっすぐ見つめ返す。なんて綺麗で純粋で、そして『無色』なのだろう。何も染まっていない無垢な子、それは私達家族が目指していた姿だが。果たして本当に正しいのだろうか。出会い、経験、行動、そんな『色』に彩られて歩んでいくのが人生というものだと私は思う。こはくはこれから先、そんな人生を送られるだろうか。
きっと、立場を弁えなさいなどと言ってしまえばこはくはもうこれきり外との繋がりに希望を見出さなくなる。色彩に憧れることさえも許されずただ無の時間を過ごしてしまう。そんな暗い人生を最愛の弟に送ってほしくない。それが彼の姉としての願いである。
しかし、我々は桜河の人間だ。たった一人の人生よりこれから何十年何百年と続いていくだろうこの家系を安寧に保つことの方が優先しなければならない。
胸の内でひたすらに葛藤する。どちらを選択しても不正解で罰を与えられるような二択問題をどう解けというのか。
(まあとりあえず…)
改めてこはくと目を合わせた。一人であれこれ考え悩んでいたが、そういえば彼本人の意志を確認していなかったことに気づいたのだ。
「…こはくはそんで、どうしたいんや」
突然の問いにこはくは目を見張った。
これからのことを聞かれるなんて想像もしていなかったのだろう。きっと彼は自分が恋をしていい人間ではないと自覚しているから、この恋の行方など考えないようにしていたのかもしれない。
長い沈黙のあと、おそるおそる口を開いた。
「……またあの人に会うてみたい。一回でええから、会うて話がしてみたい……まあ今日誰にも気づかれんかったのは奇跡やから、もう次なんて無理やろうけどな」
一回だけでいい、会って話すまででいい。いかにもこはくらしい願望に胸が締め付けられる。
…あぁやっぱり、この子のことを応援したい。せめて、一度だけでも話してみたいというその願いを叶えてあげたい。それができるのはきっと私だけだ。
こはくの一声でそう心が決まると気づけばこう口にしていた。
「一週間後、朱桜のお偉い連中が都に出る用があってな。警護が薄なるからお家に行くならその日がベストや」
こはくが目を大きく見開かす。
分かるよ、こんな直近でまた機会が巡ってくるなんてわしもびっくりや。まるでお天道様が導いてくれとるみたいやね。
「こはくが行っとる間はわしがこはくに変装しとるさかい、安心しい」
「…おおきに、姉はん。……でも、なんでこんな…ここまでしてくれるんや。バレたら終わり、そんな危険行為に手ぇ貸しても姉はんに利益はないはずじゃ…どうして?」
この問いの答えに迷いなどなかった。考えるまでもない、結局はこれひとつなのだ。
「愛、やね。単に弟想いな姉っちことじゃ」
「…ほっか。ほんならわしも姉想いの弟になる。姉はんのためにも、一週間後、行ってくるわ」
「うん、絶対に後悔せんようにな。姉はんとの約束や」
こはくはこくりと頷くと小指を差し出してきた。
「ゆ〜びきりげんまん!」