元猫クロエ 没(主人公流されすぎ) 猫。それは我がバスラト王国にて聖獣とされている。魔法が使える非人間の生物兵器・使い魔としても優秀で含有魔力量が多い。
猫はバスラト王国の危機を、王の使い魔として幾度も救ってきた。しかし、時代を経るにつれ「猫は尊い。神や国王と同じぐらい。そんな猫を使い魔にするだなんて言語道断。てか、使い魔を従える魔法使いのスタイルはカッコ悪い。自分の力を磨けや」という近代の風潮により、猫を使い魔として従える者は減っていった。
しかしそんな猫を、強さを追い求めるがゆえに、密かに使い魔として研究し、交配し、とてつもなく強い品種を作り出したうえに倫理的な禁忌を犯した家があった……。
その名もノアール家。バスラト王国有数の公爵家である。
「だからねクロエ。もしお前が元猫だとバレたら、ノアール家は破滅なんだ」
ノアール家当主は、指を組んでクロエと呼ばれた黒髪の少女を見つめた。少女は呑気に、ナイフとフォークを猫にしては――長年のノアール家の教育の賜物である――上手く使い、ステーキを切り分け、夕食を頬張っていた。
「にゃにゃ?」
「クロエ……父さんは心配だ……」
当主はクロエの態度にガックシとうなだれ、胃のあたりをさすった。
「まあまあ、父さん。クロエならうまくやってくれるよ」
「クロエちゃんは、我が家の運命が乗っかった、最高傑作ですものね」
当主をフォローするのは、次期当主の長男とその妻だ。二人はなんだかんだクロエを可愛がっていて、クロエに対して甘くポジティブだった。
「クロエ姉ちゃん……魔法学校行くの……?」
そう訊ねるのは、使用人を下げ人払いを済ませたこの夕食の席で唯一、クロエよりも幼い弟であった。
「みたいだにゃ」
このショートボブヘアのオッドアイという風貌の少女の名はクロエ。元猫である。正確には、人間の姿と猫の姿、その中間になることができる。ノアール家の行っていた実験の途中で、猫を人間にするという興味深い術式が発見された。それを試してみようと、選ばれたのが黒い子猫。その猫がクロエになった。
クロエは別に、ノアール家で非道な実験をされていた個体ではない。実験一回目で奇跡的に猫人間トランスフォーム魔法が成功し、それから数年間は対外的にノアール家の庶子が、正式に養子として引き取られたということにし、人間の、公爵令嬢として恥じぬ教育を施した。
クロエの可能性をもっと伸ばしてみようということで、人間の姿になってから九年目、人間の外見年齢で言うと十二歳程度になった彼女に更なる高等教育を施すことにしたのである。
ただし、クロエが猫だとバレたら、ノアール家は破滅する。非道な実験を行ったであろう家として。
「クロエ……ぜっっっっったいに、正体をバラしてはならんぞ」
当主は威厳のある表情でそう、クロエに念を押した。
クロエは口に含んだ肉をもぐもぐと咀嚼し嚥下してから、言った。
「わかったにゃー」
***
王立バスラト魔法学校入学試験当日。「卒業したら箔がつく」という理由で入学する・させられる者が大半の、歴史ある名門五年制魔法学校であった。生徒の実家はほとんどが、高い入学を払える金持ちだ。また、魔力量もB――ランク分けである。一般的にE、D、C、B、Aがある――以上ではないと入学が認められない。Cが庶民の一般的な魔力量で、Bが貴族の一般的な魔力量である。ゆえに生徒は貴族が大半だ。
彼の学園の入学試験では、筆記試験と魔力量測定がある。
筆記試験が終わった後、十二歳前後に見える受験者らは学園職員に先導されて広間へと向かうことになった。その受験者の集団にはもちろん、クロエもいる。
「ここで魔力測定をしますよ。貴方、お名前は?」
「アルジョンテ」
「では、水晶に触れてください」
列の先頭から水晶に触れていく。限界まで魔力量を流し込んでいるのだ。そして壁にかかった大きな鏡にBと表示された。職員がバインダーに挟まれた紙にペンで、あらかじめ書かれたアルジョンテという生徒名の横にBと書き込む。
「はい次」
限界まで力を込めて測定器を握る、握力測定みたいなものだった。
こんな感じで、魔力量測定は進んでいく。クロエはあくびをして、出番を待った。
「貴方、お名前は?」
「クロエ」
「では、水晶に触れてください」
クロエは、水晶にぽんと軽く触れた。
(そういやお父様に魔力測定量で本気を出すなって言われたにゃ)
なぜならクロエがまともに魔力量測定をすると、SSという神に等しい魔力量ランクになるからである。さすが、神獣を基に作ったノアール公爵家の秘伝生物魔法兵器。
同時刻、ノアール家当主は胃がヒリヒリしながら、クロエが魔力量測定でやらかさないように祈っていた。
魔力を、少しずつ調整しながら流し込む。結構集中力を使った。
しかし、鏡の表示したランクに職員はバインダーとペンを落とした。
Aと、そう表示されていた。
「A……?!」
「王族レベルじゃねえか!」
「アイツ何者?」
そう、会場がざわつく。
(や、やっちゃったにゃ……)
クロエの魔力操作は失敗した。というのもこの魔法兵器、今まで力を多く使うことに時間を割いていたため、力を弱めるのはそんなに得意なほうじゃないのだ。
しかし、ノアール邸で表示をBにするための練習はした。練習ではうまくいったのに、なぜAになってしまったのかというと、つまるところそれは、クロエが練習で上手くいったからと内心油断していたからだった。
***
結論を言うと、クロエは無事合格した。
全寮制なので、クロエはノアール家を一時的に出ることになった。
「クロエ、(猫であることを隠し通すという)約束は守ってな」
「頑張るんだぞ」
「寂しくなったらいつでもお手紙書いてね」
「姉ちゃん、いってらっしゃい」
「うん、いってきまーす!」
上から当主、次期当主とその妻、弟、クロエである。
入学試験の筆記問題を、(魔力量測定でやらかしたとはいえ)パスできたクロエは、立派で優秀な生徒として育つことだろう。当主は目頭が熱くなった。
ということでクロエの入学後。
「今日もおひさま暖かいにゃ~」
クロエは、今日も今日とて授業を無断欠席して、学園の中庭の木陰で日光浴にいそしんでいた。……立派で優秀な生徒とは。
「でも寝っ転がるのも飽きたにゃ。お散歩するにゃあ」
魔法学校は、ノアール家みたいに常時監視されていた環境ではないので、クロエの軟体動物のような意志力はすぐに、ぐでぐでと溶けた。つまり、こちらの世界でいうところの受験勉強を乗り越えたが、入学後は遊ぶことばかりに時間を割いている大学生のようなものである。
広い中庭をクロエは鼻歌を歌いながら散策する。
「おっ、この生垣ちょっと通れそうだにゃ」
高く茂った生垣の下側に、ちょうどクロエぐらいの子供が通れそうなサイズの穴がぽっかりと開いていた。
クロエは人間的な教育により当初よりましになったとはいえ、気質が猫である。だから平気で授業を無断欠席するし、呑気な性格だし、通れそうな穴があったら通るのである。
頭からクロエは生垣の穴に突っ込んだ。
クロエはまさにとてつもなく、公爵令嬢と称されて誰もが耳を疑うほどにはしたないのだが注意する者は誰もいない。
生垣をガサガサと抜けたそこには、楽園が広がっていた。澄んだ水の川が流れ、色とりどりの花が咲き誇り、空がピンク色だった。
「にゃにゃ?!」
――そして、猫がたくさんいた。
「ようこそ、猫の楽園へ」
話しかけられたかもしれない。声がしたを見ると、そこには丸々と肥えた白猫がいた。そして、クロエの傍によりクンクンと匂いを嗅いだ。
「匂いを嗅いだだけでわかるよ。おぬし、人間の姿をしておるが猫だろう」
「ここは一体……?」
「この学校を建てた王が密かに作った、猫の楽園じゃ。なんじゃ、知らんのか? 猫の間では、いざ、何かあったらここに逃げ込める場所でもある。おぬしさては完全室内飼い猫だな」
クロエは辺りを見回す。そして、猫しかいないと確認したら、クロエは「ぽん」と煙に包まれた。その煙の中から、黒猫が現れる。猫に変身したのだ。
「あたし、人間にも猫にもなれるんだ。普段は人間の姿だと動物の言っている言葉がわからないのに、この場所では人間の姿でも貴方達の言うことがわかるみたいにゃ。不思議」
「ほっほっほ、まあ、この空間にある猫のための結界の影響じゃろうて」
白猫は、クロエの奇怪な生態に驚きはしなかった。
すると、遠くから「じいちゃーん!」と鳴き声がした。二匹の猫がこちらに向かっている。虎猫が駆けてきた。その後を尻尾の先が白いキジ白が歩いて追う。
「そいつ何? 新入り? おいら、ウニ。どうぞよろしく。ほら、オタヌも自己紹介して」
「俺、オタヌ…………よろしく」
「あたしクロエ! よろしくにゃ」
虎猫で社交的なウニとキジ白猫で若干受動的なオタヌに、黒猫になったクロエはそれぞれ鼻タッチをした。猫同士の友好的な行動である。
三匹の猫に、クロエは楽園を案内してもらった。大きな滝、肉の成る果樹園、段ボール材で創られた猫たちの住宅。話して歩いて、冗談を言ったりもする。クロエには新鮮な体験だった。なにせ、猫の友達が生まれてこのかたクロエにはいない。それどころか、人間の友達もいない。貴族らしからぬ天真爛漫すぎるクロエを、当主たちがボロが出るのを恐れて、外から見て深窓の令嬢と見間違えられるほどに外には出さなかった。
クロエはたびたび、猫の楽園を訪れるようになった。
***
今年度の一年生入学から一か月後。
「我が学園の、五英傑を発表する」
腹が出ている白髪の学長が、全校生徒の前で威厳のある声でそういう。
五英傑。それは学校が選ぶ、五人の優れた魔法使いの生徒である。
学長は名前を呼んでいく。
「アナベル・ド・ランバート」
三年生の並ぶ列から、オレンジブラウンの長髪に花の飾りを身に着けた女生徒が前へと出てくる。
「ジェスリン・ド・ボーラン」
四年生の並ぶ列から、メガネをかけた亜麻色の髪の青年が前へ出た。
「カマル・ド・ヴェルチェ、サミア・ド・ウィシュリ」
五年生の並ぶ列から、「またあんたと一緒?」「五年間ずっとお決まりのパターンだよね」と軽口をたたきながら、前へ男女が出てくる。
「そして……」
最後の一人、誰になるのか。まあまたどうせ、魔法オタクの四年生ナターリアあたりだろう。誰もがそう思った。
「入学したての一年生だ。晴天の霹靂。これはとても偉大なことだ」
誰?! 誰だ、と会場は密かにざわついた空気が流れた。誰も予想できなかった。
「おめでとう、アルジョンテ・ド・シルバー」
呼ばれた外見年齢十二歳の男子生徒はハッとし、前へと出てくる。まるで夢のようだ。驚きにより声が掠れる。
「あっ……ありがとうございます!」
銀髪の、まだ幼いと言える彼の名はアルジョンテ。シルバー侯爵家の次男である。入学試験、入学後の学力テストともに首席。魔力量はB、しかし魔法威力は土属性と火属性がS、つまり土属性特化と火属性特化。そのほかの属性はA――魔法威力Sは特化と呼ばれる。優れた人間なら特化が一つぐらいある――。そのうえ完璧に教科書の内容を百二十点で再現してみせるので魔法実技の教師も「素晴らしい!」と彼を授業中、大勢の前で褒め称えた。
優秀。秀逸。有能。それは彼を指す言葉であった。
「アルジョンテくん、風紀委員会にも所属しているらしいわよ」
「まあ素敵」
全校集会中に、女生徒二人がひそひそと話す。
風紀委員は、生徒会と同じぐらいこの学園で権力がある。選ばれた人しかなれないのだ。
アルジョンテはまさに、絶好調であった。
「クロエ・N。お前を不良認定生徒とする」
「にゃ~?」
昼休みの中庭で、クロエはいきなり現れた銀髪の少年にそう言われて首を傾げた。銀髪の少年、とはもちろんアルジョンテのことである。
「にゃにそれ?」
「毎日授業にも出ずフラフラしているようだな。お前は風紀委員が認める不良生徒となったんだ。よって、風紀委員に毎日監視されることになる」
「ほえ~」
「今からこのバッチをつけてもらう」
緑のバッチをアルジョンテは取り出した。クロエはそれを身に着け、「おお~」と歓声を上げる。
「カッコイイにゃ~!」
「それはお前が悪い生徒だと証明するモノになるだろう」
クロエは「悪い生徒」と言われショックを受けた。
「あたし、悪い生徒じゃないにゃ!」
「どこがだ! 毎日毎日、授業に出ないのは立派な不良だ! いいか、この俺が時間を割いてお前を更生させてやると言っているんだ。感謝しろ」
これが、クロエとアルジョンテのファーストコンタクトになった。
***
「銀髪くん、なにをやっているんだにゃ?」
「課題だ。お前にも本来出ているだろう、やれ。……というか俺の名前はア、ル、ジョ、ン、テ、だ」
「やりたくないにゃあ。銀髪くんは取り組んでいて偉いんだにゃ」
「アルジョンテだ!」
放課後、中庭の木陰で寝っ転がっているクロエの横で、アルジョンテが体育座りで、膝に問題集を乗せ、課題に取り組んでいた。
「……そんなに、いつも草の上に寝っ転がって何が楽しいんだ?」
アルジョンテはクロエに問う。
「これは~……あたしの性みたいなもんだにゃ。時間があればこうして日向ぼっことお昼寝していたいにゃ~」
「なんて時間がもったいないんだ……」
アルジョンテは呆れた。
そんな日々が数週間続いた。アルジョンテがわかったのは、クロエは呑気すぎるということである。アルジョンテの勧めで、クロエが一日に一コマくらい授業に出るようになったのは大きな進展だったものの――クロエ曰く「友達の頼みだから仕方ないにゃ」――、授業時間中はいつも居眠りしているらしい。頭が痛い。
そんな馬鹿……悩みがなさそうなクロエにも、悩みがあった。それは最近、アルジョンテがいるせいで猫の楽園に行けていないことである。人間の友達――アルジョンテ曰く「俺は友達ではない」――ができたのは嬉しいが、ウニやオタヌをはじめとした猫の友達に会えないのは寂しい。
そこで、クロエは閃いた。
「あたし、お勉強やる気になったにゃ」
「えっ?」
「でも動きたくないにゃあ」
「どっちだよ」
「銀髪くんが、私の勉強道具を持ってきてくれたら頑張れるにゃ」
「…………はあ、言ったな? 待ってろ」
アルジョンテは立ち上がり、どこかへと去っていった。この隙に、クロエは例の生垣へと向かう。誰も見ていないことを確認して、黒猫に変身し穴の中に入った。楽園の、ルームシェアをしているオタヌとウニの自宅へと向かった。その建物の猫用のドアを潜り抜ける。
「お久だにゃ」
「お、クロエ! 久しぶり」
「最近どうしてたの」
「悪い生徒に認定されちゃったから風紀委員の子とずっと一緒だったのにゃ。ここに来る機会がなくて……ほら見て、これ悪い生徒の証の証だってにゃ」
ぽん、と服だけ元に変身する前に戻し、バッチを見せた。「かっけえ」と褒められたが、不良認定生徒の証である。二人と談笑し、「顔が見たかっただけだからそろそろ行くにゃ」とクロエは家を出た。
楽園の入り口へと急ぐ。アルジョンテがそろそろ戻ってくるだろう。生垣から出て人間の姿に戻ったとき、「にゃあ」という声に話しかけられた気がした。見ると、ウニとオタヌであった。
「ウニ、オタヌ!」
クロエは人間の姿だと動物の言っていることがわからない。仕方なく、耳と尻尾だけ猫に変身させる。これで意思疎通自体はできる。オタヌが何かを加えている。緑のバッチだ。
「クロエ、バッチ、オイテイッタ」
「あ、ごめんにゃ。届けてくれてありがと、」
「クロエ?」
後ろから少年の声がして、びくっと、尻尾が荒立つ。あ、ヤバいかもしれない。恐る恐る振り返ると、そこにはアルジョンテがいた。
「いないからと探してみれば……なんだその恰好は」
「ええっとぉ……」
クロエは誤魔化すように、ぽん、と猫耳と尻尾を消した。
「ぎ、銀髪くん、なにをいっているんだ……にゃ?」
「いやいや、誤魔化すには無理があんぞ」
クロエの脳内に、ノアール家を出る前の情景がフラッシュバックする。ごめんなさい、お父様。クロエは猫だとバレてしまいました、と懺悔をした。パニックになってきて、クロエは泣き出した。アルジョンテはぎょっとする。
「ううっ、このことは誰にも言わないでほしいんだにゃあ……! 何でもするから!」
「お、おう……なんでも、と言ったか?」
クロエはアルジョンテの問いにうなずいた。
「だったら……条件が二つある」
クロエは顔をあげる。その面は、涙でぐしょぐしょで、顔は朱くなっていた。
「まず一つ目、真面目に、課された全ての授業を受けること。居眠りもせずに、だ。二つ目は、風紀委員会に入ること。お前の魔力量ランクはAなんだろう。生徒会に取られる前に、ぜひうちに来てほしい逸材だから。……これらが守れたら俺はこのことを他言しない。どうだ?」
「そ、そんなことでいいんだにゃ?」
特大の秘密がバレて、もっとひどい条件を突き付けられると思っていた箱入り娘は、彼の言葉に瞠目する。
「なんだ、お前の言う『友達』の言うことを信じられないのか? “風紀委員は、校則を守らない生徒たちを正し、守り、後悔させないためにある“……風紀委員長の受け売りだ。お前を苦しめるために俺は傍にいるんじゃないぞ」
アルジョンテは「ん」とクロエに手を差し出した。クロエはおそるおそる手をとる。クロエの手が自分の手に重ねられたことを確認したアルジョンテは、歩き出して中庭を抜けた。
「どこに行くんだにゃ?」
手を引かれている彼女は訊ねる。
「王立バスラト魔法学校、風紀委員本部」
そして、ある部屋の前に辿り着くとアルジョンテは手を離した。
「ここが本部だ。ようこそ、風紀委員へ」
***
扉を開けたら、そこには大きな机と椅子が数個――二人くらい椅子に座って書類を書いている――、書類管理用のキャビネット、黒板に、最奥には立派な机椅子があり人が座っていた。ボスの椅子だ、とクロエは思った。
ボスの椅子に座っている主が顔をあげた。こちらも何か作業をしていたらしい。亜麻色の髪にメガネをかけた男だった。
「ご苦労様アルジョンテ。して、そちらは?」
「こいつは俺からの風紀委員推薦者です」
その言葉に、部屋にいる者全員が顔をあげた。クロエは一身に注目を浴び、名乗る。
「一年生のク、クロエ……ですにゃ」
「かわい~!」
「にゃ?」
高い声がした。見ると、白いリボンをつけた赤い巻き毛の少女が親切そうに、こちらに微笑んでいた。
「私、二年生のマノン。よろしくね、後輩のクロエちゃん」
「よろしくお願いしますにゃ」
「俺は三年生のフレデリック。よろしくな」
もう一人の椅子に座っていた、浅黒い肌の青年にも声を掛けられる。ニッと白い歯を見せて笑っていた。
「よろしくですにゃ」
ごほん、とボス椅子に座った亜麻色の髪の男が咳払いをする。
「こらこらお前たち、彼女を風紀委員に入れると決まったわけじゃないぞ。そのうえ彼女の胸についているのは“不良認定生徒バッチ”じゃないか」
「えー、でも、風紀委員もなんだかんだ人手不足じゃないですか。確かに、不良認定生徒を風紀委員に入れるのは前代未聞ですけど、アルジョンテくんが考えなしに駄目なだけの子を引き入れるとは考えられないし……」
「それによぉ、委員長。こいつ、魔力量ランクがAだったことで有名な新入生だぜ?」
マノンとフレデリックの言葉を聞いて、少し考えた“委員長“と呼ばれた青年は「本当か?」とアルジョンテに尋ねる。
「はい。その場に俺もいましたが、まごうことなきAランクでした」
「……わかった。ではアルジョンテを信用して、彼女を風紀委員に入れることを許可しよう」
青年は、かちゃりとメガネのズレを中指で戻した。
「私は風紀委員長のジェスリンだ。よろしく頼む、クロエ嬢」
***
「今日の業務でクロエちゃんに任せられるものはあるかしら……?」
「ないし、仕事を教えるのは改めて明日でよくないか?」
今日の風紀委員の業務はそろそろ終わるようだったので、新人のクロエはやることがなく、帰らされることになった。
「寮まで送ろう」
アルジョンテは言った。クロエの正体を探るためだ。「なんでもする」とのことなのでこれ幸いと、生徒会に取られる前のタイミングで風紀委員に招き入れた。
もしクロエが生徒会に目をつけられたら、厄介なことになるのは目に見えているので。ノリで生きている彼らより、きちんとした規則の在る風紀委員のほうがアルジョンテにはあう。
アルジョンテも実は、クロエの黒い猫耳としっぽの理由はわかっていないのだ。あれはなんだったのだろう。クロエは、王族の血を引いているという噂がある。もしかして、建国神話の一説にある初代王と使い魔の雌猫の間の子どもの血なのではないか、というバカげた、しかし一番現実みのありそうな説を、十二歳の彼は考えていた。それを女子寮までの道のりで聞き出そうという魂胆である。
二人は茜色に照らされたタイルの敷かれた道を歩く。
「クロエ、さきほどの猫耳は一体どういう原理だ? しまったり出したりできるようだが」
「えっと……」
クロエは冷や汗をかいた。
(どういうことにゃ、銀髪くんはあたしの秘密のすべてを見透かしているわけじゃないんだにゃ?! 真実に辿り着いたわけではない……? でも、もうあたしが普通の人間じゃ似のはバレちゃったし、正直にここは話すべきかニャ? でも、ノアール家がヤバくなるにゃね……)
元黒猫の彼女は、今まさに、スポットライト効果――やましいことがちょっとでも周りにバレていると錯覚する心理効果である――によってアルジョンテがノアール家の弱みを握っていると思い込んでいたのだ。
うーん、とクロエは腕組をして長考する。アルジョンテは「そんなに難しいものなのか?」と訊いた。
「難しいにゃよ、なんたってノアール家の叡智が詰まった魔法だから……むぐっ」
クロエはノアール家の秘密を言いかけたので、己の口を両手でふさいだ。だが、すでに遅かった。
(なるほど、ノアール家は裏でそんな魔法を作りだしていたのか)
一方、銀髪の彼は独りでに納得していた。きっと、人間の体の一部を猫にすることで魔力を底上げする魔法を作り出していたのだ。
実際は半分ぐらい違う。人間を猫にしているのではなく、猫を人間にしているのだ。
アルジョンテがそんな勘違いをしているとはつゆ知らず、ノアール家の秘密をばらしちゃったと思ったクロエは冷汗ダラダラの顔でアルジョンテに念押しした。
「きょ、今日のことは絶対に誰にも教えちゃだめにゃよ?」
「ああ」
***
クロエは、歴史の授業中に睡魔と戦っていた。うつらつらと、船をこぎ、意識が飛びそうになる……のを、アルジョンテとの約束を思い出して耐える。
授業の終わりを告げるチャイムがなり、教室はざわざわと騒がしくなっっていった。
クロエは机に突っ伏す。
「お前、寝ていただろ」
いつのまにか、アルジョンテが近くにいたようだった。視界は、机に突っ伏しているため真っ暗だ。呆れたような声が正面からする。
「寝て……ない……にゃ、よ…………ぐう……」
「わかったから寝るなよ、次魔法実技だから移動だぞ。全く、休み時間が来るたびに入眠するなんて。俺は目覚まし時計じゃないぞ」
クロエは、かなりゆっくりと顔を起こして、「はあー」と深呼吸をする。クロエの胸元にはもう、不良認定生徒の緑のバッチはついていなかった。
今日は真面目にクロエが一限目から授業の出席をし始めた日だった。実はクロエは魔法実技の授業を受けるのが初めてである。前もアルジョンテの勧めで授業に出席(居眠り)をしていたが、それは全部座学であった。教師はそんなクロエを注意するのかというと、注意しない。公爵令嬢だから。そのうえゴマをする。
権力を恐れずに、風紀を律するのはこの学園では風紀委員の役目であった。
魔法実技の時間にて。
「ではクロエくん、まず君の魔法威力をランク付けしたいと思う」
生徒たちが藁でできた案山子に向かって魔法を打って練習している間、クロエは初めての魔法実技の授業を務める教師にそう説明されていた。
「わかりましたにゃ!」
クロエは念じる。全力を出さないように、手加減して。
「まずは火属性からね」
クロエは魔石性の案山子に向かって打ち込んだ。体中の魔力を集める段階で、とても速いタイミングで魔法を打ちだした。
魔法を当てられた案山子の胴体には「C」という文字が浮かび上がっている。
「ん?」
教師は首を傾げた。おかしい、魔力量Aだとしたら、悪くても魔法威力はA以上が妥当だというのに。Cなんて、庶民の生活魔法レベルじゃないか。
(やったにゃ、平均以下だにゃ! この調子で!)
クロエはぐっと胸の前で両手を握る。
水属性、土属性、風属性、光属性、闇属性。そのどれもが「C」と判定された。
「クロエくん……君、ちゃんと全力を出しているかい?」
「エット、手加減シテイマセンニャ」
「本当か……?」
教師は懐疑の目でクロエを見た。
***
風紀委員の仕事は以下だ。
一、 不良認定生徒の動向を毎日観察すること。
一、 学校内で反乱を起こす生徒らがいたら鎮圧すること。
それゆえ、毎日のパトロールがある。
クロエが入るまでこんな業務をたった四人で行っていたエリート集団、風紀委員会。去年の卒業生が卒業する前はもっと人数がいた。
風紀委員としての活動初日、左手に緑の腕章をつけたクロエは、校内を風紀委員メンバーと共にパトロールをしていた。呑気に鼻歌を歌っている。
ふと、前のほうから黄色い悲鳴が聞こえてくるのが聞こえる。
正面から一団がやってくるのを見て、風紀委員長・ジェスリンは舌打ちした。
「委員長、舌打ちはお行儀悪いですよ」
そう、赤毛のマノンがたしなめる。
「……わかっている」
ジェスリンは前方を睨みつけた。
「きゃー! 生徒会メンバーよ!」
「今日も皆さま麗しい……」
その歓声の中心には、五人の男女がいた。
「私の前に立つなっての」
「お前がな」
にこやかで自身に溢れた表情だが、小声でそう小競り合いをする大人びた風貌の美男美女が先頭に、オレンジの茶髪に花の飾りをつけた少女、暗い紫髪のきりっとした顔の少女、眠そうにあくびをする少年が続く。
この五人が、この学園で投票で選ばれた生徒会メンバーだ。
茶髪の美青年は生徒会長・カマル=ド=ヴェルチェ。
艶やかな黒髪の美女は副会長・サミア=ド=ウィシュリ。
オレンジ茶髪の華やかな顔立ちの少女は会計・アナベル=ド=ランバート。
前髪を左右に分けておでこを見せている紫髪の少女は書記・イヴァ=ド=アジザ。
淡い紫髪の少年は庶務・ケビン=ド=レイランド。
生徒会長・カマルは「今気づきました」といった風にこちらに視線を向けて話しかけてきた。
「やあ、ジェスリン。今日はそんなにぞろぞろ引き連れてどうしたんだい?」
「それはこっちのセリフだ、クソスカし野郎」
「はん、ただの散歩だよノータリンメガネ」
びりびりと、険悪なムードが流れる。クロエは少し嫌な汗をかいた。皆、固唾を飲んで見守る。だが、その空気は打開された。
「はあ、はあ…………アナベル……」
そんな中、突如クロエの耳にそんな、掠れた男の声が聞こえた。
「愛してるッ! 結婚してくれ!」
生徒会を見守っていた群衆の中から、一人の男が飛び出す。彼は土魔法で生成したと思われる短剣を手に、生徒会会計のもとへと走っていった。
目指すは花かざりを髪につけた彼女。刃が彼女の柔らかい身体に突き刺さる――――かと、思いきや。彼女は土魔法を目に見えぬ速さで使い、長剣を作り出し、彼の手にある短剣をかきん、と剣で弾き飛ばした。その衝撃で、男は後ろへと吹っ飛ぶ。その胸には、緑色のバッチがあった。
一連の流れに新入生の女生徒などは悲鳴をあげたりするが、そうでない生徒は「またいつものか」「お騒がせだよな」などとざわざわ話し始めた。
「ごめんなさい、ロブ。気持ちは受け取れないわ」
アナベルは、彼を見下ろしてそう言った。
「おいお~い、風紀委員長、不良認定生徒の監視をしっかりとしたまえ。君たちが出る幕もなく、うちの会計が解決してしまったぞー?」
ジェスリンは、カムルの言葉に青筋を浮かべ、ギリリと歯を食いしばった。
立って様子を見ていたクロエと生徒会メンバーすれ違う際に、副会長のサミアがめざとく話しかけた。
「あら、あなたが魔力量Aの子?」
「にゃ……」
「あなたは王族の血が強い……先祖返りしたみたいな噂が流れていたけど。面白そうね。ああ、風紀委員に既に入っているのか、残念だわ」
生徒会メンバーは、風紀委員メンバーの向かっていた方向と逆方向に去っていった。
「委員長。私たちは委員長の味方ですからね」
マノンが、委員長の傍に寄り、肩を叩いてそう言う。
「……ありがとう」
ジェスリンは俯いてそう言った。
「では、あの傷害未遂者に灸を据えようか」
委員長は、尻もちをついている“ロブ”に向かって歩き出した。彼はいつも、生徒会会計・アナベルへのストーカーや傷害未遂をしていることで有名だった。今回は一週間の停学処分だ。
***
***
強いぞ!不良集団
***
油断したNをアルジョンテと……クロエチート活躍ポイント