藪などつつかずとも「呼び出された理由はもうわかってると思うけど」
「心当たりはないな」
「あれだけ人の体を好き勝手弄んでおいて!?」
「話を逸らすな。続けるようなら帰るぞ」
足を踏み入れた彼の執務室には、常勤の事務オペレーターたちだけでなく見るからに豪華な顔ぶれが揃っていた。職種はさまざまだが共通点はひとつ、『ドクターを至上とする連中』ということである。その全員が隠す気もない殺気をこちらに向けているのだからたまらない。ついうっかり得物を抜いてしまわぬよう、エンカクはおのれの利き腕を押し留めることに気力を振り絞った。そんなエンカクの内面などとうに見抜いているだろうに、男はわざとらしい身振りで肩をすくめ、あっさりと口を開いた。
「ジョークだよ。私だっていきなり押しかけて来られてびっくりしているんだ。というわけで手早く済ませよう」
そう言って指差したのはロドス艦内で流通しているゴシップ誌で、その一面には大きな文字で見るに耐えない文言が躍っている。
「『大スクープ! ドクターとエンカク結婚秒読みか!?』……うん、意味が解らないが、今年に入ってもう三回目だ。そろそろ疲れてきたな。というわけで心当たりは?」
「ないと言っているだろう」
「発行日は先週の木曜日。発行元に丁寧に質問したところ、情報源はその前日の夜、君の隊の部下たちのバースペースにおける会話からということだった。その日の訓練は午後、B317を使用していたはずだ」
とっとと吐け、という圧力のこもった起伏のない口調に、しばらく考え込んでいたエンカクは、そういえばとおぼろげな記憶を辿った。
「部下と妙な会話をした」
「思い出せる分でいい。詳細な内容を」
求められるままに断片的であいまいな内容を語れば、即座に情報を組み立て直した戦術指揮官は二秒ほど頭を抱えたのちに、パンと大きく手を打った。
「誤報! 解散! はいもう帰った帰った。君たちだって暇じゃないだろう!」
途端に霧散した殺気に残念な気持ちを抱きつつ歩み寄ると、彼はがっくりと執務机に伏せながらぶつぶつと文句を言っている最中だった。
「毎回なんでこんな大騒ぎになるんだよ、確かにエンカクは有名人だけどさあ、その相手が私というのが気に食わないのもわかるけどさあ」
「逆だ、馬鹿め」
「あっ、君さては自分の顔の良さを自覚してないタイプだな。畜生これだから生まれ持ってのイケメンは。やーい股下五キロ! 肩幅だけでテラを抱ける男!」
「やめろ。それ以上やつらを刺激されると、俺もそろそろ自制が効かん」
「艦内の私闘は禁止されておりますー。ああもう、疲れた。だってもう何回目だよ、この騒ぎ。年々増えてる気がするし、そのたびに執務室に押しかけられるし、正直嫌気がさしてきた」
原因である連中はどこ吹く風とばかりに素知らぬ顔で執務室のドアをぞろぞろとくぐっている。もしも目の前の彼が本気で動けば、あの程度の騒ぎなど完璧に制御下に置いてしまえることなどは明白だった。だからこんな風に遊ばせておいていること自体が彼の言葉の本気でなさ具合をあらわしている。つまりはこちらをからかって息抜きにしているだけなのだ、ドクターという男は。気に食わない。なのでエンカクは扉から出ていく連中の背を見送りながら、ゆっくりと口を開いた。
「じゃあするか」
「――――――――え」
「婚姻を結べば、こんな茶番劇はもう終わりだろう。氏族伝来の方法は忘れたから、形式は好きにしてくれ」
「え、ほんとに」
「嫌なら別にいい」
「する! します! えっと、必要書類はまたあとで揃えておくから、今日は指輪だけでも買いに行こうか。何時に上がれる?」
「お前の進捗次第だが」
「なら定時で一度切り上げるから、一緒に行こう」
「遅れるようなら連絡しろ」
ん、と頷く表情にはまだ動揺が残っている。この人形のような男がおのれの仮面を保てずここまで崩れた姿をさらしているのを見るのは、自室以外では久しぶりだった。胸のすく思いのまま、ところで、とエンカクはとうとう自身の得物に手をかける。
「そろそろ後ろの連中も限界だろう。ちょうどいい、お前たちの腕が鈍る前に一度本気で死合っておきたかったんだ」
「あーーーー! 君、ひょっとしなくてもそっちが本命だな!? ちくしょう騙された!!」
「ハハッ」
ビリビリと首筋に突き刺さる紛れもなく本気の死の気配に、エンカクのくちびるはにやりと弧を描く。どうせこれまで以上に面倒事を背負う羽目になるのだから、このくらいの楽しみがなくては釣り合わないというものである。なにやらまだ詐欺だの何だのと喚いている男の顔面を掴み、エンカクはきっちりと見せつける角度を調整しつつ、唇を奪ってやった。
そうして開催されたロドス剣豪十番勝負は全艦どころか提携企業まで巻き込んで大いに盛り上がり、ドクターは『もうこれが結婚式ってことでいいかな』などと気弱なことを言い始めたのだが、さすがに新郎とゲストが半殺しになるイベントは駄目だろうとクレームがついたので、結婚式は別日にうやうやしくこれまた盛大に執り行われることになったのだった。