しっぽ穴 テラにおける人類のおおよそ半分に共通の悩みとして、服の尻尾穴をどうするかというものがある。無論、金持ちや貴族であればぴったり自分のサイズに仕立てた衣服を纏っているためこのような悩みとは無縁だろうが、エンカクのような庶民、それも流浪を日常とするサルカズともなれば自分のサイズに合った服を手に入れられることすら奇跡的な確率であり、ましてや尻尾穴のサイズともなれば自身で調整するのが当たり前の世界であったので、目の前の小柄な痩身が不思議そうにエンカクのズボンの尻尾穴を観察していることにいささかどころではない尾の置き所の悪さを感じているのだった。
「まだか」
「だって私の服にはついてないのだもの」
どこか上の空の――この男が集中しすぎるときによく発する――口調とは裏腹に、エンカクの腹に抱き着いたままの男は両手を伸ばしてエンカクの臀部をまさぐっている。厳密には尻ではなく尻尾の付け根のところにあるズボンの布地に開けられた穴である。サルカズの尾はヴィーヴルほど太くはなく、ヴァルポのように豊かな毛に覆われているわけではない。分類としては細尾であり、維持する穴のサイズも比較的小さく済む。種族によってはやれ穴に毛が引っかかっただの位置が悪くて尾の表面が削れただののトラブルが日常茶飯事ではあるが、サルカズである自分は幸運なことにその類の問題とは縁遠かった。長さだけはあるため、着替えの際急いで通そうとすると留め具に絡まることがあるくらいだ。そのような何の変哲もない尾ではあるのだが、このテラでも指折りの頭脳を持つ男にとっては立派な観察対象であるらしい。
「ボタンが大きめなのって見ずに留めたり外したりしなければならないから?」
「手元にそれしかなかった」
「エンカク、ボタン付け上手だよね」
「針と糸の扱いをおぼえる必要があっただけだ」
なにせ戦場では外科手術のできる医者などそう頻繁に出会えるものではなかったので。男の小さな吐息が脇腹をくすぐる。こんなことであれば上着を脱がねば良かったと今さらの後悔を抱きながら、エンカクは黙って男の整ったつむじを見下ろしていた。ひとたび端末の上で踊り始めると瞬く間に地獄を作ってみせる指先が、たかが小さなボタンひとつに悪戦苦闘している。こんなものなど知らなければ良かった、と言い切るのはたやすいことだった。すっかりリラックスして全身の体重をかけてくるその軽さも、腹筋でくしゃりとつぶれる伸びすぎた前髪も、知らずに生きていけるのならばどれほど幸福な人生だっただろう。だがエンカクはおのれの人生に幸いなど求めてはいなかったので、黙ってその後ろ頭をぐしゃぐしゃと気が済むまでかき混ぜてやったのだった。
「よし! おぼえた。ちょっと押し込んでやったほうが外しやすい」
「そうか」
勢いよくがばりと顔を上げた男は、得意満面といった表情でウキウキと報告してくれた。男の知的好奇心というものはこんなにも下らない事物にまで発揮されてしまうらしい。
「これで私も君の服を上手に脱がせられる。いつも気がついたら私だけ丸裸にされてしまっているの悔しかったんだ」
「ほう」
ところでテラにおける人類のおおよそ半分に該当することではあるが、尻尾とその周辺は性感帯である。特に尻尾の付け根の上部あたり、具体的には男の細い指が熱心に弄り回していた尻尾穴のボタンがついている付近というのは尾を持つ人種であれば間違いなく自身ですら触れることが憚られる箇所となる。無論のことこの程度のことは世間一般における常識であり、眼下のいまだエンカクの体に抱き着いたままびしりと固まっている頭の良い男がその当たり前の事実を知らぬはずがないため、エンカクは散々焦らされた仕返しとして、まずはその赤くなった丸い耳に歯を立ててやることにしたのだった。