渋谷怪事件簿─中─「日本画もいいが、西洋画にも興味があってね」
「西洋画か。それなら上野にある美術館がいいぞ。古典派から近代、現代の絵が揃っている。俺のオススメはゴッホの『ばら』だ」
「へぇ、ゴッホの絵があるのか」
生き生きとした様子で語る祐介に、男が紅茶を飲みつつ相槌を打つ。
2人の美少年の楽しげな会話を尻目に蚊帳の外となった竜司は、目の前の白いカップに注がれたコーヒーへ口をつける。
(なんでこんな事になったんだ…?)
親友の居候先である喫茶店のコーヒーとは違う味に違和感を抱きつつ、竜司はこれまでの出来事を思い返し始めた。
渋谷怪事件簿─中─
その日はいつもと変わらない放課後だった。
怪盗団の集まりも無くこれと言った用事のなかった竜司は、何の気なしに暁を誘って渋谷の街をブラブラしようと思い立った。
いつもなら別の人との先約やらなんやらで断られるのだが、今日は向こうも予定が入って無かったらしくホームルームが終わると2人で電車に乗った。
渋谷へ着きさてどこへ行くかと話していると、そこへ怪盗団の仲間である喜多川祐介がやって来た。
「百貨店にある本屋へ行かないか?」
美術の資料用に本を買いに行くとの事だったので、行き先を決めかねていた竜司たちもそれについて行く事にした。
しかし目と鼻の先に百貨店が見えた所で暁のスマホが鳴り、居候先の喫茶店の店番を急遽手伝う事になった為、竜司は祐介と2人で本屋へとやって来たのだった。
「渋谷のこんな所にもあったんだなぁ…」
コミック売り場に並べられた漫画を流し見しながら、竜司はポツリと独りごちる。
竜司にとっての本屋とは雑誌や漫画を買うための場所でしかなく、それ以外の本には興味も関心もなかった。
なのでセンター街の入り口にある本屋はマメに利用しているが、新刊さえ買えれば問題ないので、そもそも品揃えを気にした事すらなかったのだ。
「あちらでもいいのだが、専門書の扱いが少なくてな」
いつの間にか隣に立っていた祐介に、竜司は一瞬肩を震わせる。
どうやらお目当ての本を見つけたらしく、とても満足そうな表情だ。
「そう言うの、本屋で違うもんなのか?」
「あぁ。立地が違えば客層も変わるからな。それに…」
そこで祐介は一旦言葉を区切ると、ポケットから何かを取り出す。
「ここにはポイントカードがある!」
得意顔で見せられたソレに、しかし竜司は「あぁ…そう…」と呆れ気味に返事をした。
「んじゃ、目当ての物も見つけたし、とっとと会計しよーぜ」
そう言うと竜司は、祐介より先に会計カウンターがある方へ歩き出す。
ここの本屋の本棚は祐介の身長よりも高く、天井から吊るされた案内板が無ければ何処に何があるのか探すのも一苦労した。
逆に言えば案内板さえしっかり見ていれば迷うことは無いので、竜司は上を見つつ歩を進める。
しかし天井に気を取られていたせいで曲がり角からやって来た人に気付かず、竜司は派手にぶつかってしまったのだ。
「っでぇ!」
「あん?」
ドサッ! という音をたてて竜司は尻餅を着く。幸い周りには誰も居らず、巻き込み事故は発生しなかった。
衝撃に痛む尻をさすりつつ、半目でぶつかった相手を見上げる。
そこには、1人の大男が突っ立っていた。
宮大工のような和装に身を包んだ身長は2m近くあるだろうか。セミロングの黒髪をポニーテールにした精悍な顔つきだが、やけに青白い肌の目尻には紅いアイシャドウが入っている。
男の化粧なんてメディアで取り上げられているのしか見た事がなかったが、目の前の美丈夫にはそれがとてもよく似合っていた。
まるで時代劇の主人公のような出で立ちに竜司が呆気に取られていると、それを見た大男はポツリと呟く。
「んだよ、ニンゲンのガキか…」
つまらなさそうにそう吐き捨てると、何事も無かったかのように目の前を横切ろうとする。
「待て」
そのまま立ち去ろうとした大男を、竜司の後ろから誰かが引き止めた。
振り返ると、祐介が眉間に深い皺を刻んで大男を睨んでいる。美少年と言われているだけに、その迫力はなかなかのものだ。
声をかけられ大男が立ち止まったのを認めると、祐介は言葉を続ける。
「ぶつかったのだから、言うべき事があるだろう」
「あぁ?」
それに大男もまた、眉間に皺を寄せて対抗してきた。
普段は何を考えているのかよく分からない『変人』である祐介だが、その根っこの部分は仲間思いの熱い正義漢だ。
今も謝罪せず立ち去ろうとした大男に対して、怒りを抑えられないでいる。その被害者が自分の仲間だから尚更なのだろう。
美形同士の静かな睨み合いに挟まれ、竜司は途端に身の毛がよだつ。
尻餅をついたままなので高身長の2人の圧が殊更強く、まるでシャドウかペルソナに囲まれているように感じるのだ。
(この際、店員じゃなくてもいい。誰かコイツらを止めてくれ!)
竜司が心の中でそう思った時、願いを聞き届けたかのように誰かがやって来てこう言った。
「止めろ、九郎」
恐らく大男の名前だろう。凛とした声に呼ばれた途端、その表情が凍り付いていた。
それにも驚いたが、しかし竜司は別の事に耳を疑い咄嗟に祐介を見上げる。
「祐介…?」
恐る恐る声をかけると、こちらも驚いた表情の祐介がゆっくりと目を合わせた。
「…俺じゃない」
その答えに竜司はますます混乱する。一触即発だった場の空気を一瞬でおさめた男の声は、紛れもなく祐介のものだったからだ。
ならばどういう事かと再び大男へ視線を戻すと、引きつった表情で首を横に向けている。
その視線を辿ると、本棚の陰から1人の男が姿を現した。
服装は白のハイネックに薄紫のロングカーディガン、黒のデニムパンツというシンプルな格好だが、それが男のスタイルの良さをより際立たせている。
歳は竜司たちと同じかやや上だろうか、整った顔立ちと女性陣が羨ましがりそうな白い肌に、艶やかな黒髪はモミアゲ部分が何故か鋭く尖っていた。
祐介とはまた違ったタイプの美少年の登場に竜司が更に呆気に取られる中、男は革靴をコツコツと奏でて大男へと近付く。
「子供相手にムキになるとは、随分と大人げないな」
「えぇっと…それはァ…」
先程までの威勢は何処へやら。男に諭され大男はたじたじだ。
美人が凄むと恐ろしいとは聞いた事があるが、なるほど確かに。こちらへ向けられているわけでもないのに、我が事のように恐怖で身が竦んでしまう。
「まさか、俺に対する日頃の鬱憤を彼らにぶつけていたのか?」
「ち、違う! そんな事ぁこれっぽっちも思ってねぇ!」
男の予想を必死の形相で否定する大男。その姿はまるで命乞いをしている様だった。
イタズラを叱られてしょげる大型犬の様になった大男を男が一瞥すると、くるりと体の向きを変えて竜司に手を差し出す。
「怪我は無いか?」
「お、おう」
反射的にその手を取ると見た目より腕力があったらしく、あっという間に引き上げられ立ち上がった。
「連れが失礼をした。済まなかったな」
「いや…まぁ…」
その結果、真正面に迫った美形にしどろもどろな反応をしてしまう。近くで見て分かったが、切れ長の目を縁取る睫毛が長く茂っている。
(コレは高巻達が居たら大騒ぎだろうなぁ…)
そんな事を思いつつもなんだか気恥ずかしくなった竜司は、ポリポリと後頭部を掻き出す。
それに男が微笑むと、竜司の後ろに立つ祐介に目を向けた。
「お詫びと言ってはなんだが、その本の代金は此方が持とう」
まさかの提案に祐介は目を丸くしたが、直ぐに期待の眼差しに変わる。
「いいのか?」
「勿論だ。駄犬の粗相は、主人の責任なのでな」
そう言うと颯爽と会計カウンターへ向かった男に、祐介と竜司は一瞬目を合わせてから後ろに続く。
「ま、待ってくれよぉ。旦那ァ…」
一歩遅れた大男が、情けない声をあげながら更にその後を追った。
こうして奇妙な出会いを果たした4人は、本のお礼に駅前のファミレスで食事をする運びとなったのだ。
フロアスタッフに案内された4人掛けのテーブル席に竜司と祐介、男と大男がそれぞれ腰掛ける。
「そう言えば、自己紹介がまだだったな」
開口一番そう言った男は【葛葉ライドウ】と名乗り、連れの大男の名を『九郎』と呼んで紹介した。
竜司たちもそれぞれの自己紹介を終えると、適当に選んだメニューを注文する。
一礼して去っていった店員を軽く見送って、竜司は気になっていた事を尋ねることにした。
「なぁ、【葛葉】と九郎ってどういう関係なんだ?」
「どういう、とは?」
「いや…兄弟には見えねぇし」
そう言ってチラリと【葛葉】と九郎を見比べる。2人とも目を見張るほどの美形だが、顔の造りは似ても似つかない。
九郎の方が一回り年上に見えるが、先ほどからのやり取りを見ると立場は【葛葉】が上だと思われた。
「そうだな…簡潔に説明すると、上司と部下だ」
「上司?」
「そうそう。主従契約ってや…づぁ!」
発言の途中で痛みに顔を歪めた九郎。恐らくその足元で、【葛葉】が九郎の足を踏んづけたのだろう。
「余計な発言は結構」
「はい…」
またしても九郎が叱られた大型犬の様に小さくなったのを見て、竜司は思わず吹き出す。
それに九郎が眉間に皺を寄せて睨んできたが、【葛葉】の方は特に気にもせず淡々とした態度で尋ねてきた。
「其方は学生か? 見た所、制服が違うようだが」
「ん? あぁ、オレたち別の学校だからな」
そう言って竜司は祐介の方を見る。視線を受けた祐介は、普段通りの態度で答えた。
「竜司は秀尽学園で、俺は洸星高校なんだ」
会ったばかりの相手に互いの学校名を伝えるのはどうかと思ったが、そもそも割と目立つ制服なので多分問題ないだろう。
すると祐介の説明を聞いた【葛葉】が、やや間を置いて口を開く。
「喜多川は、其所で美術を習っているのか」
「…えっ?」
「指に微かに絵の具が付いていたぞ」
そう言われて祐介の指を見ると、確かに絵の具と思わしき色が付いている。
「それに、先ほど買った本は古い日本画を集めた物だった。恐らく、資料用だろう。そこから推測して、学校で絵を勉強していると思ったのだが…どうだろうか?」
つらつらと述べられた推理に、竜司と祐介は呆然とした。たった数十分の内にそこまで突き止めてしまうとは、まるで─
「すげぇよ【葛葉】! 探偵みたいじゃん!」
竜司が驚嘆の声を上げる。祐介もまた表情を輝かせていた。
その後もウェイターが運んで来た料理を食べつつ、竜司達はあれこれと話に花を咲かせた。
【葛葉】が探偵見習いとして働いている事や、普段は東京ではない別の場所に住んでいる事など、聞けば聞くほど不思議と引き込まれていく。
しかしその話題が芸術関係になった所で、竜司は話に置き去りにされてしまったのだった。
──────
飲み終わったカップをテーブルに戻した竜司は、先ほどから黙ったままの九郎へと目を向けた。
【葛葉】に余計な発言をするなと言われてから、両目を閉じ、両腕を組んでじっとしている。
うたた寝している様子も無く、微動だにしないその姿はまるで武人の様だ。
それがテーブルを挟んだ向かい側に居るものだから、意識したとたん竜司に緊張が走った。
(部下、つってたけどボディガードなんか?)
竜司も『怪盗団の切り込み隊長』と呼ばれているだけに、そこそこ腕っ節には自信があった。
だが、その程度の生半可な力では到底敵わないであろう雰囲気が、九郎からは漂っている。
気軽に話し掛けられる気がしない空気に竜司が後頭部をポリポリかいた時、テーブル席に誰かがやって来た。
「あぁ、此方にいらしたのですね」
爽やかな男の声にそちらへ顔を向けると、そこには1人の青年が立っていた。
歳は20代半ばだろうか、セミロングの黒髪はクセひとつ無いストレートで、モスグリーンとオフホワイトのブルゾンにタイトなデニムを履いている。
その顔は九郎とは違った精悍さと美しさがありつつも、物腰柔らかそうな雰囲気が漂っていた。
「あん? 何でテメェが居んだよ?」
「何故って、貴方たちを迎えに来たからに決まっているでしょう」
青年の登場にそれまでじっとしていた九郎がやや喧嘩腰で口を開いたが、青年は全く動じず丁寧な口調で応答している。
その内容に反応したのは【葛葉】だった。
「何かあったのか?」
これまでの楽しげな様子とは打って変わって、真剣な眼差しをしている。
そんな気配に竜司たちも青年へ視線を向けたが、彼は至って普通に答えた。
「話し合いがそろそろ終わりそうなので、帰還の準備をして欲しいと」
「…そうか」
【葛葉】は淡々とした態度で呟いたが、その表情はどこかほっとしているように見えた。
「ところで迎えって、何処に行くんだ?」
何となく【葛葉】たちの行き先が気になった竜司が、青年に問い掛ける。
「四軒茶屋にある喫茶店です。名前は確か…『ルブラン』だったかと」
その行き先に、竜司と祐介は目を丸くした。
「知っているのか?」
「知ってるも何も、オレらのダチがそこで居候してんだよ」
【葛葉】の問いに、竜司が驚きつつも答える。
そもそも今日はその友人と出掛ける予定だったのだが、店番の手伝いに呼び出されて行ってしまったのだ。
「でしたら、お二人に案内をお願いできますか?」
「あぁ、任せてくれ」
青年の頼みに祐介が快諾する。案内すると言いつつルブランに行ったら、ちゃっかりカレーを振舞って貰うつもりなのだろう。
とはいえ竜司もあの店のコーヒーが飲みたいと思っていたので、そこは黙っておく事にした。
会計を済ませた竜司たちは、入退店用のエレベーターに乗り込んだ。
そこそこの年季が入っているソレは古い設計のためか、長身の男性が5人も乗っただけでかなり窮屈である。
来た時より密着した状態となった空間内を、不思議な静寂が包み込む。
そんな中、九郎が階層を示すインジケーターを眺めていると、突然その数字が『4』から『H』『E』とありえない文字を刻み始めた。
「おい、なんだこりゃあ?」
故障かとも思ったがしかし急停止する様子もなく、エレベーターは正常に下降し続けていく。
(まさか、パレスでも発生したのか?)
ただならぬ予感に、竜司は咄嗟に祐介へ視線を送る。それに気付いた祐介も、険しい表情で小さく頷いた。
表示灯が『L』を示したのと共にエレベーターが停止すると、自動ドアが音もなく開かれる。
九郎と青年が周囲を警戒しつつ外へ出て安全を確認し、竜司たちも恐る恐るビルの外へ出た。
するとそこには赤黒い空に覆われた、人ひとり居ない渋谷の街が広がっていた。
───続く───