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    ふじたに

    @oniku_maturi

    笹さに♂

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    ふじたに

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    猫と怪物 3の裏 笹さに♂

    猫と怪物 3の裏 早朝起床、身支度をして、蜂須賀と朝食を取りながら打ち合わせ、出陣メンバーと遠征メンバーの確認と告知。猫の餌やり。
    「今日は予想通りなら、執務はあまり進まないだろう。仕事を進めるため、ではなく体調を崩さないために、いつもと同じ行動を取らせる、というのが目的になる。仕事は優秀な執務員に任せるつもりでいてくれ。とはいえ本当に今日がそうだという確証がないので、予定自体はいつも通り組もう」
     鮭をほぐしながら、蜂須賀が言っていた。
     昨日散々脅かされたし、神経を研ぎ澄まして主の部屋に入ると、電気はついたままで、主は起きていた。布団の上にうずくまって本を読んでいる。
     しゃがんで覗きこんだ顔は、いつも以上に真っ白で、目の下には濃く隈がある。主はおはようございます、と言ったけれど、本から顔を上げなかった。昨日の執務に集中していた時みたいだ。
     蜂須賀が寝ていないのか聞いたら、多分というあやふやな返事が返ってきた。
     ふらふらしているのは昨日の寝起きもそうだったけれど、昨日よりもさらにゆっくりだし、ちょっと蛇行している。動作の途中で謎に止まったりするし。着替えは抵抗されなかった。というよりただぼんやりと立っていただけだったけど。なんとはなしに昨日までとは違うものを感じて、いたずらは控えた。
     部屋に戻ったらそれまでの動きが嘘みたいに、素早く本の中に消えていった。ただ山が連なっているように見えていたが、通るところがあるようだ。いくらもしないうちに、両手に本を持って出てくる。布団の上に座ったので、今日の予定を話し始めたが、どうも聞いている様子がない。起こしに来た時と同じようにうずくまって、本を読んでいる。
     どうしようかな、最悪聞いてなくても、オレが誘導すればいいのかな。いやでもあの様子、仕事するのかな。
     そんなことを考えながら機械的に予定を話し続けていると、後ろにいた蜂須賀が前に出て、主の開いた本の上にバン、と掌を打ちつけた。昨日までの蜂須賀は主との距離をきちんと保っていたので、オレが驚いた。主はと言えば、音に驚いた様子はなく、ゆっくりと不思議そうに蜂須賀を見上げた。
    「本は一度置いて、今日の予定について聞いてください。その間だけでもいいので、お食事もなさってください」
     蜂須賀が噛んで含めるようにゆっくりとそう言うと、主の視線がこちらを向いたので、もう一度最初から話そうとすると、蜂須賀がこちらを見て小さく首を振った。
    「今日は昨日進められた分がありますので、生活リズムを保つためにも今とりあえず起きていただき、午前中は残りの執務を進め、昼休みを三時間とし、内二時間を昼寝にあてます。 午後は午前の進み具合によって、日課か執務かを判断します。演練に行くものは決まっていますが、男士だけで行かせます」
     蜂須賀が予定をがらりと変えた。体調を崩さないために、今も生活リズムを保つために、と言ったのが、休ませないで今起こす理由なのだろう。話しながら、親鳥が雛にするように匙を差し出して食事をさせている。圧倒的に昨日までより距離が近い。
     主がうつむいてしまうと、まだ粥は半分以上も残っていたのに蜂須賀は立ち上がった。
    「十五分後に。具合が悪くなったら横にならせてください」
     それだけオレに言って、膳を持って出て行ってしまった。
     主は十五分間読書に没頭し、時間が来て声をかけても顔を上げなかった。呼びながら、少しずつ近づいていき、本の端を握る手に手を重ねてみた。
    「行こう?」
     触れたことには気づいたようだったが、反応が鈍いので、反対の手で本を抜き取り、主から遠くに持つ。そうすると身を起こして本に手を伸ばしたのでもう一度声をかけてみた。
    「仕事行ける?」
     やっとうなずいた。本を返すと、大事そうに懐にしまっていた。そのまま咎められなかったので、手を引いて執務室に行った。主の手は、オレのものよりほっそりしている。眠っていないからなのか、ひんやりしていた。
     挨拶はいつも通り。自分の席に着き、一見ちゃんと仕事をしているように見える。けれど蜂須賀に呼ばれて、後ろから主の画面を見るとひどいものだった。出だしはまだちゃんとしているが、途中から意味不明の文章が続く。主を観察していると、手は動いているが微妙に頭の角度は画面を見ていない。
     蜂須賀が動いて、勝手に意味不明の部分を消す。
    「間違っていましたよ」
    「ありがとうございます」
    「今日の書類は、私も目を通したいので、すぐに送らないで残しておいてください」
    「わかりました」
     受け答えはまともだが、中身はしっちゃかめっちゃかだ。その後も何度も暴走して、その度にやり直した。間違いを教えるのに、わざといつもより近くから言ってみたが、身体を離したり警戒する様子はなかった。やっぱりこの状態の人に仕事させてもしようがないのでは、と思っていると時間になった。
    「猫のとこ行く?」
     ほとんど耳元で話しかけると、主ははい、と答えてすぐに立ち上がった。
     朝よりは少し速い程度の速度で、猫のいる縁側に向かう。餌を置くとすぐに主は座って本を読み始めた。やがて食べ終わった猫たちが足下をうろうろしても、本から顔を上げない。そんなに面白い本なんだろうか。しびれをきらした猫が、跳びあがって本の上に陣取った。続いてもう一匹も。主は一生懸命に猫の下から本を抜こうとしていたが、さすがにもう一度読み始めはせずに懐にまたしまっていた。猫は撫でられて満足そうだ。オレもああいうふうに毛でもこもこになったら、主も撫でてくれるだろうか。顔を舐められて笑う主に、違和感を覚えた。昨日見た笑顔と違う、空っぽなような、なんだか泣きそうな顔にも見えた。それで気づいた。そういえば、今日主は笑っていただろうか。
     猫は主の膝の上、甘えたいだけ甘えて、去っていった。猫を見送る主の顔は、別に笑っていなかった。でも、いつも微笑んでいるから知らなかったけど、主の顔は笑っていなくても少し口角が上がっている。だからいつも機嫌が良さそうに見えるんだな、と思ったけれど、主の目を見ると美しい瞳は深い穴のように空っぽだった。
    「行こう」
     まるで主がここにいないようで、怖くなったオレは急かすように声をかけた。
    「ご飯はいいです、お休みの時間は部屋にいます」
     にこりと微笑んで、主はそう言った。真っ白な主の顔を、どうしたの、と言って舐めまわしたい。猫みたいに。でもそれをしたらまた、この人は眠れない夜を過ごすのだろうか。昨日自分が興味本位でした質問のように。
     抱き留めることも行かせることもできなくて、灰青の袂の端をつかんだ。
     主が不思議そうにこちらを見る。オレの気持ちなんかなんにもわかんないって顔して。
    「少しでいいから、オレといっしょにごはん食べて?」
     部屋についていって全て奪ってしまうことなどできないオレの、精一杯の懇願。もっとも今の主から無理矢理なにかを奪っても、それは空を切るような感触で、なにも手には残らない気がする。
     主は少し悩んでいたが、譲歩してくれた。
    「本を読みながらでも良ければ…」
    「いいよ」
     気が変わらないようにと、主の手をまた取って歩き出す。握られた手を少しもぞつかせていたが、おとなしくついてきた。この主はなんだか存在感が希薄で不安になるけど、こうやって手を取って歩いている間はそこにいるんだと思って安心できる。
     燭台切には変な褒め方をされた。昨日の蜂須賀と言い、主に食堂でご飯を食べさせるのはとても難しいことのようだ。オレにとっては、主はお願いはだいたい聞いてくれる印象なのだが。
     歩いている時も何度か観察したけれど、やっぱりいつもの愛想笑いはない。ほんのちょっと微笑んでるみたいに見える無表情。その顔で背中を丸めて本を読んでいる。
     燭台切が来て、主の前にサンドイッチプレートを、俺の前に親子丼の乗った盆を置いて去っていったが、主は顔を上げなかった。
    「主、ご飯来たよ」
     ダメみたい。席を立って、隣の席に座って、もう一度声をかける。それもダメで、背中に手を当ててみたが、まったく動く気配がない。朝からずっと同じ浅くて速い呼吸。瞳が上下するので、生きてはいるようだ。朝蜂須賀がしたように視界を遮るのは、本を読みながらでいいと言ってしまった手前、はばかられる。
    「後輩くん、よろしければ少しだけ助力いたしますよ」
     水色の髪の、たくさんの短刀の弟がいる太刀。
    「すれ違ったことくらいはあるけれど、ちゃんとお話するのは初めましてですね。一期一振と申します」
    「オレは、笹貫」
     立ち上がって、名乗る。
    「本当に食堂まで連れて来られたんですね。場所を替われますか?」
     手に持っているのは、主のより一切れごとが大きいけれど同じようなサンドイッチプレート。どうやらなにか謀があるらしい。おとなしく席を譲って、向かいの席に戻った。椅子を主に寄せてから座ると、一期一振がこちらを向いた。
    「あなたも食べておいた方がいいですよ」
     そう言うと、柔和な顔をした一期は主の座る椅子の背に手をかけて、一度思い切り揺らした。
     驚いたのか一期の方を見た主の口に、サンドイッチをねじこむ。朝の蜂須賀もそうだったけど、みんな力技なんだな。
    「驚かせてしまいましたか?お詫びに一切れどうぞ?」
     えっ今の主の皿からだったよね。サイズ的にも。主は口からはみ出た分を手で口の中に押し込みながら、椅子をずらして一期から距離を取っている。今日は対人距離とかいうの関係ないのかと思ったら、そういうわけではないみたい。
     主が飲みこむのを待ってから、一期が兄らしいやさしい笑顔を浮かべて主に話しかける。今しがた無理矢理サンドイッチをねじこんだのに。
    「その本、なんだか見覚えがありますね。最初のところだけ読ませていただけませんか?」
     自分が取り上げた時のように嫌がるのではないかと思ったが、そんなことはなかった。本の角から垂れていた紐を中にしまうと、あっさり一期に本を渡していた。
    「あ、私が読んでいる間は暇だと思うので、お食事していてください」
     一期にそう言われると、主は抵抗せずプレートのほうを向いた。本を読んでいなければ、いつもより素直みたい。しかし手を伸ばす様子はなく、ただ眺めている。一期一振が本を広げていても、目線はがっつり主を観察しているのが、向かいからはよく見える。
    「ポテトサラダ、胡瓜入ってませんでしたよ」
     やっぱり素直にスプーンを手に取って、言われたとおりのポテトサラダを食べ始めた。一口、二口、と食べ進めていくうちに動作が緩慢になって、止まってしまった。顔色がいっそう白くなり、瞳の空虚が強く色が一段暗くなったように感じられた。そばに行って手を握りたい。きっとすごく冷たくなっている。耳元でだいじょうぶだよと伝えたい。
     一期が本を主の前に差し出すと、溺れるもののように主はそれを掴んだ。まるでその文庫本に命が吹きこまれていたみたいに、主にも少し生気が戻る。
    「思い出しました。この本、私が近侍を勤めたときも読んでおられたの、憶えていますか?」
     主の目がしばし空を見る。
    「その時もサンドイッチを燭台切に作ってもらったでしょ?」
     思い出したのか、主は数回うなずいた。
    「そう、それで、私に唆されて貴方は胡瓜のサンドイッチを食べたんです。おや?今日も胡瓜のサンドイッチがありますね。記念に一緒に食べてみませんか?」
     目線がサンドイッチの群れをさまよった後、お目当てを見つけたのか手に取って匂いを嗅いでいた。そうしているとまるで小動物みたいで、思わず笑みがこぼれた。
     それからも好きな具の話をして、幼子にするように口を開けて見せたり、簡単な二択を迫ったりと手を替え品を替えして、一期はあれほどやる気のなかった主に皿の上にあったものを全て食べさせた。甘いものが好きなのだろうか、最後は自分の手で食べていた。オレの食事は、少しでいいと言ったのもあり、主がいつ食べるのをやめてもいいようにさっさと食べ終わっていた。
    「眠そうですね。お昼寝されてはいかがですか?良ければ私が添い寝しましょうか?」
     一期の声に主を見ると、確かにだるそうにしている。瞼など半分くらい閉じている。一睡もしなかったようだったのだから、当然だろう。それでも一期の問いかけには強めに首を振っていた。
    「嫌われてしまいましたね。それでは笹貫ならどうですか?きっと子守唄を歌ってくれますよ」
     それはさすがに強引すぎるだろう。それに、子守唄なんて知らない。けれど主は検分するようにオレの顔をじっと見た後で、ひとつうなずいた。
    「蜂須賀の言うとおり、お気に入りなんですね。そうと決まれば、お皿は私が下げておきますので、部屋にお戻りなさい」
     お気に入りなんだ。知らなかった。すごくうれしい。成人男子の座った椅子を、一見細く見える一期一振が刀剣男士の腕力にものを言わせて片手で引くと、主がぴょこんと立ち上がった。主の元に急いで近寄ると、一期が卓上に置いてあったスマホを指でこつこつと叩いた。顔を見ると、柔らかい笑顔だったものがからかうような面白がるような、悪役めいたものになっていた。
     部屋に引っ張って行って、着物を脱がせる。本棚で覆われたこの部屋にはかけるところなど見つからなかったので、本の山の上に広げておいた。埃がちょっと心配だけど、皺がつかなきゃいいだろう。掛布団を持ち上げて誘導すると、おとなしくその中で横になった。隣に横になって顔を見ると、主は小さな寝息をたててもう眠っていた。
     もう眠っているけれど、子守唄の代わりに布団の上を規則的に軽く叩く。
     さて、と。さっきの一期の仕草は、スマホに連絡するということだと思う。スマホは顕現してすぐに支給されていたけれど、アラーム以外には使っていなかった。当番とか出陣とか、広間の前の廊下に貼り出されてるし。ただ近侍になるとき持ち物として挙げられたから、全然使わないけど毎日充電して持ち歩いている。
     立ち上げると、一期からメッセージが来ていた。名前が出ているところを見ると、他の男士が最初から登録されているらしい。ということは、主とも繋がっているのだろうか。今度、正気になったら聞いてみよう。
    「笹貫
     食堂では割りこんですみませんでした。
     蜂須賀から、笹貫はあの状態の主を食堂に連れ出せると聞いて、つい好奇心を満たしたくなってしまいました。
     種明かしをすると、昨日蜂須賀から何かあったら助けてほしい、と聞いていたので、蜂須賀に朝どの本を選んだかメッセージで知らせてもらって、図書室に行き、同じ本を読んで内容を思い出して、厨にメニューを細かく指定したのです。ポテトサラダで意識が少しぐんにゃりしたのは、予想外でしたが。普通のときは問題なく食べていたので。主の部屋に入った時に注意深く本を観察して、本棚や奥地にある本が狙い目ですが、何度も読んだ痕跡があるものの題名を覚えて、空いている時間に図書室で探して読むといいです。新しい本に夢中というわけでもないのにこういう状態になる時、新しい本が届くまでは古い読み慣れた本を読む傾向にあるので、知っておくと今回のように利用できます。
     つまり、報連相と根回しは大事、スマホは便利だという話です。そして、それでも不測の事態もあるということです。蜂須賀ともっと連携したほうがいいですよ。
     主があのように接近を許しているのは、貴方の強みだと思います。
     その状態の時はこども扱いしても怒らないので、風呂では50数えさせると便利です。
    時間を引き延ばしてきたら、煙草一本分とか、これを飲み終わるまで、とか目に見えるもので区切って少し延ばすと、その後がスムーズです。引き延ばしに応じると恩義を感じて交換条件に応じてくれる時もありますよ。
     貴方にあまり教えすぎるな、と蜂須賀から言われているので、このぐらいにしておきます。
     主が仕事ができない間、蜂須賀は忙しくなるので、なにか手が必要なことがあったらいつでも呼んでください。空けておきます。
     一期一振」
     昨日の蜂須賀と言い、なぜ事前にわかっていることを教えてくれないのだろう。この研修に審査の目的もあるのだろうことは、なんとなく気づいてはいる。指示書通りに動くだけではダメで、適合したものだけが近侍になれるのだ。初日から蜂須賀はついてこないことが多かった。オレがどう判断するか、それが主の意向と合っているか、それを見られているのだと思う。それでもだ。主がこんな風になっちゃうなら、質問事項のことも、一期が教えてくれたような小手先の技も、どうせ教えるなら先に言ってくれてもよかったのでは、とつい考えてしまう。
     蜂須賀の言う、全て任せられる一人は、確実に一期一振のことだろう。
     蜂須賀に報告。一期の言うとおり、スマホで送ればよかったんだ。朝と夜はちゃんと口頭で細かいことまで伝えるとしても、こういう変則的な動きをした時は、伝える手段があった方がお互い安心できる。
    「食堂で一期一振と遭遇
     主は昼食を完食
     今は昼寝中
     添い寝しろって一期一振が言ったからオレも主の部屋から動けない」
     知識としては持っていたけれど、実際に入力するとなると結構難しい。
     蜂須賀や燭台切、一期の口ぶりでは主がこうなるのは初めてではないみたいだった。今回はオレが踏み入りすぎたからだとして、一期のメッセージでは新しい本に夢中になることもあるらしい。どのくらいの頻度かはわからないけれど、出会うべきものだったということだろう。昨日蜂須賀は質問に答えてくれたが、ほとんどが推測に過ぎなかった。だとしたら、オレの動きを固定してしまわないためなんだろうか。こうだったときこうだった、というのを先に聞きすぎていたら、俺自身の自発的な行動が減って、新しい判断ができなくなってしまうからではないだろうか。
     少しだけ合点がいった。その上で面白がられているという可能性は捨てきれないが。
     それでも一期の風呂のことは生死に関わるし便利だし、主と同じ本を読んでおくと気を引けることも、有益な情報だった。山姥切国広もそう言えば図書室について説明していた。あの時はまさか主がこんなだとは思わず、すっかり忘れていた。
     主がよく寝ているのを確認して、そっと立ち上がる。
     主の許可を得てないから、眺めるだけ。色んな大きさの、色んな色の表紙が積み重なっている。表紙にも角がきれいとか、すり減っているやつとか色々ある。主の体格に合わせてあるのだろう、本の道は狭かった。朝主が入っていったあたりに近づくと、まさにそこから抜いたのだろう穴が本棚にあった。本棚は山と同じように雑然としていて、色でも形でも、作者の名前でも揃えられていなかった。横向きに隙間に差し込まれていたり、同じタイトルの本が何冊もあったりする。
     今日のところは探索はほどほどにして主のそばに戻り、さっきと同じように布団の上からとんとんと叩く。たまに主の顔を確認しながら、暇な時間はスマホをいじって潰した。
     蜂須賀から返事が来ていた。
    「報告ありがとう。とても助かるよ。朝以外に誰かを部屋に入れるのは、とても珍しいことだ。本に夢中になっていたのに昼食を食べたこともね。その調子で頼む。起きたら水分を摂らせてほしい」
     了解、誰かに上着を厨に持っていかせておいてほしい。と返信した。
     部屋に入ったときに時間は見ていなかったけど、だいたい二時間くらい経っただろうかという頃に、主の体がびくん、として目が覚めたようだった。怖い夢を見たのだろうかと、ことさら布団を叩いてみたが、主は特に怯えてはいないようなのでやめた。顔色は少しいいみたい。
     きょろきょろして、こちらに気づく。蜂須賀の返信からすると、ずっといたことを咎められるかもしれないと思ったが、主はぼんやりとしていて気にした風はない。
     問いかけにはうなずくが、本当にわかっているのかあやしいので、可否で答えられない質問をしたらちゃんと答えた。この人は煙草似合わないなと思ってるけど、今日の様子だともっと似合わない。
     厨に行くと、ちゃんと二人分の上着が届けられていて、オレの分も飲み物をくれた。普段はご飯についてくるお茶か、誘われた時にお酒くらいしか飲まないので、甘さが沁みる。主にもらったお菓子、部屋に置きっぱなしだな。
     外に出ると、動きが止まってしまったのでまた手を包んで歩みをうながす。主の手の大きさを覚えてきて、最初からそっと掴むことができた。
     現世のことじゃなきゃいいんだろうと、本の内容を聞いてみる。答えてくれたけれど、あっさりとした単語の連なりだった。オレに対する配慮らしい。望まない冒険か。道具として生まれたオレたちには望むも望まないもないけれど、主はどうなんだろう。主は、望んでここにいるのかな。オレもできれば、望まれて主の元へ来たんだと思いたい。
     煙草を一本もらってくゆらせていると、主が文庫本の上に盛大に灰を落とした。しかも気にせずそのまま読み進めようとしている。火種だろ?!危ないだろ?!慌てて取り上げて、本を振ったりして灰を落とした。
     ダメ元でどっちかやめるように言ったら、まだ長い煙草を消していたので、主の中では本の方が比重が大きいみたい。オレは顕現してからまだ本らしい本を読んだことがない。脱衣所にある誰かが置いていった雑誌を少しめくったくらいだ。でも、主がのめりこむようにして本を読んでいるのを見ると、楽しそうとかうれしそうっていう風には見えない。本の中に自分を押しこめようとしているみたい。主にとって現世は、本の中に逃げなきゃいけないほど、振り切りたいものだってことなのかな。
     でもここは現世じゃないから、もっとオレのこと見てほしいな。
     最後の一口を吐き出して、灰皿に煙草をこすりつける。主はもちろん呼びかけても返事はなかった。主の前にしゃがんで、猫がそうしたみたいに本の上に顎を乗せる。驚いたみたいだし、気づいてくれて何よりだけれど、案の定引き延ばしにかかってきた。
    「じゃあ、煙草もう一本くれる?それ吸ってる間だけならいいよ。その代わり本丸に戻ったらもう一回なんか飲み物飲んでくれる?」
     一期のアドバイスを生かして、取引成功。なんかもっと大きな対価でも乗ってきそうだけど、今日は小手調べ。午前中、執務室では飲み物を手に取ってなかったからね。主は満足そうに煙草とライターを渡してくれた。でも一本だけだからね。この時間を利用して蜂須賀に連絡。
    「煙草吸ってる
     顔色は少しまし
     吸い終わったら戻るように促す」
     蜂須賀からはすぐに短い了解の返信があった。
     もう一本吸い終わって声をかけると、予期していたようでちゃんと聞いてくれた。立て続けに二本吸うと喉がけっこういがいがするので、オレもなんか飲みたいな。明日からは水筒を持ってくるのもいいかもしれない。
     手を引いて戻る道、ぼんやりした主から唐突に問いかけられた。今日初めての、本を読む以外の自発的行動ではないだろうか。
    「どうして手をつなぐんですか?私は突然走り出したり、迷子になったりしません」
     普段は触られるの断固拒否っぽい主に色事は期待してなかったけど、それってかなり小さい子限定の理由だよね。
    「やだった?」
    「やではないですけれど」
    「そういう時もつなぐだろうけど、体温を感じたい、隣にいることを感じていたいって言うときもつなぐんだよ」
     正気の主だったらこんな曖昧な理由、鼻で笑ったかもしれない。まあ正気だったらそもそも手を握らせてくれないだろうけど。あと、オレが一方的に掴んでいるだけで、手を繋ぐのはちょっと違うと思う。
    「そうなんですか」
     ぼんやりバージョンの主はその理由でいいみたいだった。ちょっと、手を離す口実づくりの質問なんだろうと身構えていたので、拍子抜け。不思議そうな顔はまだしていたけれど、振りほどかれたり、距離を取られたりはしなかった。
     厨では温かい飲み物か冷たい飲み物かと聞かれたが、今の主に熱いものは危なそうなので冷たいのにしてもらった。オレにも、と言って自分の分ももらう。氷の入った、冷たい水。煙草を吸って、歩いてきたら、すごくおいしく感じた。主の手も握れるし、体があるって楽しい。
     執務室へは、おとなしくついてきた。蜂須賀にメッセージを送ったのはよかったみたいで、すぐに出迎えてくれた。
     主の書類には、これを見ればオレでもできるっていうくらい親切なメモがつけられていたが、主はそれを見ても朝と性能は変わらなかった。それで今度は電子署名っていうの?書類に名前を書かせていたけれど、それは少しましみたいだった。主の名前見ちゃっていいのかな、初日に後ろに立つなって言ったのこれのせいじゃないのかな、と思ったが、蜂須賀からはなにも言われなかったのでそのまま見守っていた。こうなってしまったら近侍がミスを直すしかないから、仕方ないということだろう。主は自分の名前も何度か書き損じて、その度に蜂須賀が取り消していた。
     猫は通常運転。本の上に陣取って降りない。蜂須賀の朝のやつも、もしかしたら猫を参考にしてるのかも。
     お風呂は言ったらちゃんと数えてた。心配だから抱き上げたら、今日はくったりして身を預けてきた。昨日言ったこと覚えててくれたのかな、と思ったけれど、多分これはぼんやりしてるだけなんだろうな。
     おとなしくついてきそうだったから、先導して廊下を歩き始めたら衣擦れの音がして、足音がなんだか変わった。すり足みたいな。振り返ると歩きながら本を読んでいたので、手をつなぐならと言うとすんなり手を差し出してきた。片手で本が持てるのは煙草の時に確認済み。本のためとはいえ、主から接触の許可が出るのはうれしい。主が手をつなぐ、と言っていたのを思い出したので、悪戯心からちゃんと手をつないでみたけれど、拒まれなかった。お風呂の後だから、手は温かい。これってかなり仲良しに見えるよね、と思ったらとても心が浮き立った。みんなご飯の時間なので、誰にも見られなかったけど。
     髪を乾かしている間は当然読書。ドライヤーを止めたら、終わったよと言う間もなく立ち上がったので、こちらを向いた隙を逃さず両手を握った。
    「あのね、オレと一緒にご飯食べてほしいなって、お願い。どうしてもダメな時とか、忙しい時はあきらめるけど、オレが近侍の間はできるだけ一緒にご飯食べてほしい。本読んでても、いいから」
     真面目にお願いする。今の主と約束しても、いつまで有効なのかはわからないけど、それでも今日一日でこっちの主もオレのお願いを無碍にはしないって確信があった。
     現に主は即断せず、オレの目をじっと見て止まっている。その瞳の奥を覗きこむように、オレも目を離さない。
    「ダメな時は、そう言いますね」
    「ありがと、うれし」
     本当にうれしかった。これが今日だけの約束なんだとしても、オレのために一人きりで本を読む時間を割いてもいいって思ってくれたのがすごくうれしい。立ち上がりながら、さりげなくもう一度手を繋いで食堂へ向かった。
     席に座るなり本を出していたので、動くことはないだろうと厨に夕飯を取りに行く。時々様子を見ても、ちゃんと本を読んで座っていたので安心。蜂須賀に連絡。
    「猫と風呂終わり
     風呂なにごともなし
     これから食堂で夕食」
     蜂須賀の返信はいつも早い。
    「ご苦労。主が今日はちゃんと寝るようになにか策があれば講じてほしい。寝るところを見届けられなかったら、深夜に一度か二度声をかけてほしい。」
     了解、っと。
     今回は最初から隣に座る。触るだけじゃなくて、肩を軽く叩く。こっちに気づいた様子なのを見て、あーんと言いながら口を開くと主もつられたように口を開けたので、箸でつまんだものを口の中に入れる。
     もぐもぐしながら、すぐに本に戻らず卓上のものを見ていたので、次になにを食べたいか聞いてみた。すると目線がうろろして定まらず、眉尻が若干下がったのを見て、こちらから適当に提案すると、明らかにほっとした様子だった。
     提案したおかずを口元に持って行くと素直に口を開いた。昼もそうだったけれど、選ぶのが苦手なのかな。
     主が咀嚼している間に自分も食べる。普段の主だったら先に食べ終わったらこれ幸いとどっかに行っちゃいそうだけど、今の主は待っててってお願いしたら本を読んで待っていてくれそうな様子はあるが、やはり近侍としては主を待たせるのは気が引けるので。主は本に目を落とさず、オレの顔を見ながら一生懸命噛んでいる。その顔がとてもかわいくて思わず笑った。
     その次の瞬間主は喉を詰まらせた。背中をさすりながら湯呑みを差し出すと、一口飲んですぐに落ち着いた。よかった。タイミング的にオレが笑ったから?そんなことある?いや冷静に考えたら一口が大きかったのだろう。自分のより小ぶりだったからいけると思っていっぺんに口に入れたのが良くなかったかもしれない。
     謝るオレに、主は自分のせいだと言った。でも、と言い募ろうとしたオレの前髪を、白くて細い指先で少しだけ掬った。
    「笹貫は、なにも悪くないですよ」
     そして、慈愛に満ちた顔で微笑んだ。心臓を殴打されたのかと思った。色んな感情が去来したけれど、すべて怒濤のようで自分ではなにもわからなかった。思ったのは、この人現世ですごくモテただろうなってこと。こんなのされたら、この人が自分のこと好きなんじゃないかって思っちゃう。こんな顔で、なにも悪くないなんて言われたら、ダメ人間がどんどん生まれちゃう。胸に本丸に湧くあやかしが生まれたみたいな気持ち。黒くて、もやもやしていて、どろっとして、どんどん増えていく。他の近侍にも、同じことしたんだろうか。なんだかすごく面白くない。
     主の指が離れるのを捕らえて、爪にキスをしてやった。主の顔が真っ赤になって、手の中の指が震えた。それで少し胸がすいて、頭もすっきりした。現世で主に言い寄ったやつは全員振られてるから主は現世に行かないんだし、近侍は結局蜂須賀から交代していない。今はオレなんだし。
     主の手が逃げようとするのを、一度阻んでから放してあげた。
    「ありがと」
     オレがんばるから、今みたいな顔もっと見せてね。
     それからさっきよりゆっくりめで順に食べさせていったけれど、主はこちらを向いたままで、本を読まずに全部食べられた。主が食べ物を噛んでいるところは、一生懸命という言葉がぴったりで、動物みたいですごくかわいい。さっきの大人の微笑みとの落差が余計にかわいい。
     今が旬だとか言われた橙色の果実から皮を外していると、待ちくたびれたのか本を読み始めた。手で差し出すと無防備に唇で受ける。ますます小動物に食べさせているみたいだ。こっちを向かないけど、差し出すと食べるので多分おいしいんだな。半分ほど食べたところで首を横に振ったので、残りはオレが食べた。ちょっと心配したけど、その間はおとなしく本を読んでいてくれた。オレの盆には乗っていなくて、おそらく二人で一個だったんだろう橙はものすごく甘かった。多分偏食の主用のいいやつだったんだろう。役得。様子を見ながら盆を下げに行ったが、その間も主はじっとしていた。
     蜂須賀に言われた策については、思いつかなくもないけど、ともかく試していこう。昼にオレはどうだと聞かれて、部屋に入れてくれた主なら、どれかはいけるんじゃないかな。
     手を差し出したけれど、主は本を胸に抱えていて、乗ってはくれなかった。これは主なりの抵抗なのかな。オレの勘では、そんなに嫌がってなかったと思うんだけど、慣れないことをさせたからしかたないか。絶対にまた繋ぐけどね。
    「蜂須賀がね、主が今日も寝ないんじゃないかって、心配していたんだ」
     そんなことより本題だ。
    「それでね、主がどうしても続きが気になるなら、オレが読んであげる。主はいつでも寝ていいから」
     これは一期一振ならどうするか考えて思いついた。彼なら弟に本を読んでやったりするだろう。こども扱いを嫌がらないならこれもいけるのでは、それにオレのことは部屋に入れてくれるみたいだし。
     主はまるで言葉が急に通じなくなったみたいにきょとんとした。これはどういう反応だろう。
    「オレが声に出して読んだげる。そしたら主が目を閉じて横になっててもだいじょうぶでしょ?初めてだから、上手くはないだろうけど」
     もう一回、念押ししてみる。
    「笹貫が読んでくれるんですか?」
     お、起動した。これは、思った以上に食いつきがいい。
    「うん」
    「私が寝なかったらどうするんですか?」
     そういう可能性もあるよね。でもオレたちの身体って、主より睡眠が少なくても全然だいじょうぶなんだ。
    「ずっと読むよ。主の部屋飲むお水あるんだよね」
     さすがに喉がガラガラになると思う。主の部屋に脱衣所と同じウォーターサーバーがあるのは確認済み。
    「あります。蜂須賀が設置してくれました」
    「じゃあ、寝なかったら朝まで読むよ」
     主のきらきらした目を見て、約束した。そんなにうれしそうにするなら、寝るかどうかなんてもうどっちでもいいか。
     主がオレを見て、すごく無邪気な顔で笑った。これは、昨日猫に向けていた笑顔。笑顔と一緒に片手がこちらに伸べられて、なんのつもりかはわからなかったけど、オレはその手を取った。一度包んで、くるりと回して、手を繋ぐ。オレの願いは割と簡単に叶った。
    「つかまえた」
     そのまま上機嫌で手を繋いで、支度部屋に入った。いいこで着替えも済ませて、部屋の前にいた夜番の水心子に挨拶をする。水心子は一度演練でいっしょになったことがあるので知っていた。
    「今晩は、笹貫が部屋にいます。朝までいるかもしれないのですが、時間はわからないので外はお願いします」
     水心子は少し驚いた顔をしたけれど、わかった、と言って頭を下げた。ちょっと得意な気持ちになった。
     部屋に入ると主は持っていた本を枕元に置いて、すーっと朝とは逆側に消えていった。
    「この本じゃないの?」
     主の方を向いて問いかける。あんなに熱中していたのに。
    「その本には、あなたに声に出して読んでもらうには不適切な部分があります。あなた方にそういうものを朗読させるのは、あまりに不道徳だと思うので」
     不適切って…今更オレたちに血なまぐさいとかの配慮はいらないと思うから、性的なこと?あんなに白昼堂々読んでたのに、エッチな本なの?いや、まあそれが主眼の本ではないんだろうけど。それに主だったらほんの些細な描写でもオレたちに読ませるとかはしないか。予想してなさ過ぎて、少し動揺してしまった。
    「この本にしましょう、この本はだいじょうぶだし、導入部が眠くなりそうです」
     主がお目当てを見つけたのか、一冊の文庫を掲げて戻ってくる。すごく楽しそうにしていて、オレは徹夜で話し続ける覚悟を決めた。蜂須賀には努力したと言おう。
    「新しい本じゃなくていいの?」
    「今この部屋には新しい本がないのです。きっと、明日届きます。それに、新しい本だと読んでもらうのに不適切かどうかわからないので、今日はそれがちょうどいいです」
     明日届くんだ。そうなんだ。つまり明日からは、一期が言っていた方のぼんやりが始まると。ぼんやりの主には最初驚いたけど、慣れてしまえば素直で無邪気でかわいい。
     主はいそいそと布団に入って目を閉じた。それを確認して、部屋の電気を消して枕元の読書灯だけにする。
     主が選んだ本は、退屈だった。種族の歴史みたいなのがずっと書いてある。それを大きすぎず、小さすぎない声を保って読み続けていると、主は序章って書いてあった部分を読み終わらないうちに眠りについたようだった。念のためもう数ページ読んでから、本を置いた。主はぴくりともせずに、安らかな寝息を立てていた。まあ、そうだろうな、前日寝てなくて、少し昼寝しただけで、主は体力がありそうには見えない。寝ていないとわかって日中は働かせた蜂須賀の狙いもこれなのだろう。目的は達成した。徹夜の覚悟だけが空振りで。
    「主は寝た
     今は部屋にいる
     途中で起きる可能性があるならこのまま部屋にいようと思う
     夕飯は完食
     明日新しい本が届くって」
     蜂須賀に報告。待っていたのか、すぐに蜂須賀の返信。
    「ご苦労様。よくやった。寝る時に部屋にいられたものが今までにいないので、どうするかは任せる。寝入ったなら、途中で起きても夜番がいるので、部屋に戻ってもかまわない。明日もよろしく頼む」
     どっちでもいいなら、部屋にいられる特権を満喫しようかな。読みかけのこの本が、本編も歴史だけなのかも気になるし。主もここまで読ませておいて続きは読むなとは言うまい。
     本編は歴史じゃなかったけれど、なんか村の生活だった。誕生日会という言葉が題にあったので、がんばって読み進めていって、それがやっと始まったところでオレもうとうとした。

     視線を感じて細く目を開けると、主が起きていた。気配を殺して寝たふりをしていると、オレをじっと見た後で毛布をかけてくれて、読書灯を消して、少ししてまた眠ったのがわかった。これは、どちらの主なんだろう。
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    Replies from the creator

    ふじたに

    PROGRESS猫と怪物 8の表 笹さに♂
    猫と怪物 8の表 笹貫に直に会って触れてみた効果はすごくて、読書も仕事も捗った。会わないと決めたのは自分だし、もう怪我なんてしてほしくないから、またしばらくは会えないほうがいい。そう頭では理解しているのに、彼がすぐそばにいた日のことを何度も思い返してしまう。
     研修のものがいないときは、基本的に蜂須賀が近侍を兼ねている。とはいえ蜂須賀は忙しいので、簡易版と言うべきだろうか。起こしてもらって、朝の支度はひとりでして、戻ると食事があるのでそれを食べ、器を厨に返してから執務室へ行く。猫のところはいっしょに行ってくれて、昼食は自室で取り、東屋へは執務室の誰かがついてきてくれる。蜂須賀に余裕があるときは内番を見に行ったり、私の仕事に余裕があるときは誰かを護衛に立てて演練へ。いっしょに猫に行って風呂に入ったら、部屋に食事を運んでくれて終わり。簡略化しても蜂須賀は残業をしている気配なので、私としてはもっとひとりでもいいと思っているのだが、本丸初期の本当に手が足りていないときに、私が不意に湧いたあやかしと遭遇してしまって以来、蜂須賀は常についていられる近侍に向いているものを見つけるのに熱心だ。
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