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    ふじたに

    @oniku_maturi

    笹さに♂

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    ふじたに

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    猫と怪物 5の裏 笹さに♂

    猫と怪物 5の裏 スマホが振動する音で目が覚めた。
     主を確認すると、穏やかな寝息が聞こえる。音を切っておいて正解だった。
     そっと部屋を出て、自室で身支度を整えて食堂に向かう。
    「おはよう」
    「おはよ」
     先に食べ始めていた蜂須賀と挨拶を交わしてから厨へ。朝餉の盆を受け取って蜂須賀の元に戻った。今日は白い魚の煮付け。
    「君が思わせぶりなメールをくれたから、気になって早く起きてしまったよ」
     いつもオレより先に来ている蜂須賀の早くは、いったい何時なんだろう。
     味噌汁をすすってから、頭の中で昨日のことを整理する。味噌汁の具はわかめとお麩。廊下は寒かったから、お腹が温まる。
    「たくさんは聞けなかったんだ。一個だけ、現世とは一切連絡取ってないってことがわかったのが重要だったかな。現世で使ってた連絡手段は全部不通にして、ここに来てから新しいものを用意したって言ってた。もし現世の人が政府に連絡してきたら繋がるかもしれないけど、それは絶対ないって思ってるみたいだった。それで、この話は蜂須賀にしかしちゃダメだって」
    「そんなような気はしていたが、やっとはっきりした。幸いこれまでにはなかったが、緊急時にどうすべきかとは常々考えていたんだ。それにしても、ご家族と仲がよろしくないのだろうとは思っていたが、現世の全てとの完全な断裂とはね。俺にしか話してはいけない理由は聞いたか?」
     煮付けの塩加減がちょうどよくて、ご飯が進む。
    「聞いたよ。ダメな奴って思われて首になったらイヤだからだって。蜂須賀は知ってた?」
    「ああ、最初から主はそう言っていたのでね。だから他の男士の前ではなるべく大人に見えるようにふるまってもらっている」
    「主の考えすぎだとは思わない?」
    「主は穏やかで優しげな風で、本人もあえて波風を立てたりはしないが、内実はなるべく誰とも話したくなくて、近づいて欲しくなくて、人目のない自室にこもって本だけ読んでいたいんだ。風貌だけ見ればみな懐くだろうが、それは主にとっては負担なんだ。だから多少は威厳があり凜としてみんなの上役、という顔を作ってもらうことで、もめ事を避けている。だから本人も気をつけているし、俺も気をつけさせている。こうして知ったからには君にも気をつけて欲しい」
     大人に見えるようにか。こどもじゃないのにいいんだろうか、という質問はあったけれど、いいんだよと言ったら納得したので、こどもに見られたくないというのとも違う気がする。大人だから、こどものすることはしちゃダメで、大人に見えなきゃいけない。誰かにそう言われたとか、そんな気がする。
     とりあえず蜂須賀の言うことはわかったので、了承を返した。
    「主は、自分で望んでここに来たけど、他に選択肢がなかったからで、もう行くところがなくて、空虚で怪物なんだって。橋の下の怪物って、蜂須賀は意味わかる?」
    「橋の下の怪物は俺も聞いたことがあって、これのことではと思っている本がある。それを読んで意味がわかるわけではないが、あとで図書室のものを君の部屋に置いておくよ」
     本なんだ。まあ、主のことなのでそれはそうか。蜂須賀でも、絶対この本とは断言できないんだな。礼を言って、ひじきの煮物を食べる。
    「あとは普段の主でも答えてくれるかもしれないことだなー。本を読むのが楽しいとか、本を勧めるのは嫌い、とか食べ物の好き嫌いとか。あ、冬が好きなんだって、この本丸に雪を降らせることできる?」
    「本を勧めてもらおうとして断られたものはかなりいるよ。雪は、現状でも年に一度か二度降るが、積もらないことの方が多いから、もっと寒い地方の天候を設定しなくてはならない。今は最初にその方が暮らしやすいだろうと、主が暮らしておられた地域を参照している。天候を変えるなら作物や厩の備えをしなくてはならないから、降らせるとしたら来年以降だな。ホログラフでいいならすぐできる」
     ホログラフで済むなら主が我慢する必要はなかっただろうから、ここはやはり本物を期待したい。少し時間はかかるみたいだけど、喜ぶだろうか。
    「いつもの主になんと言って気候を変えるかだな……」
    「元の主に戻ったらまた話してみる」
    「そうだな、頼む」
     それから、食べ物の好悪については光忠に伝えてあることを話して、ほろほろとした魚の最後の一口を食べた。
    「光忠と歌仙は主のご不調のことも知っているし、公言しないから問題ない」
     そう言って視線を落とした蜂須賀が、もう一度顔を上げた。その視線はオレではなくてオレの後ろを見ている。振り返ると、主がこちらに歩いてくるところだった。夜着ではなく、赤みがかった源氏鼠の着物をきちんと着ている。
    「おはようございます、目が覚めてしまったので、支度を済ませて来ました。朝食はいつもの時間でかまいません」
     穏やかな話し声は同じだけれど、落ち着いた言葉選びで顔には懐かしく感じる仕事用の微笑み。戻ってる?早くない?
     かろうじて挨拶は返したけれど、咄嗟に何を言えばいいかわからないでいる間に、村雲をつれて厨へ行ってしまった。蜂須賀も少し驚いた顔だったので、同じ感想のようだ。しばし厨のほうを見つめていたが、何かもらって出てくると今度はオレたちには声をかけずに行ってしまった。
    「そんなことある?」
    「今までに二度しかないが、あることはある。徹夜させてはいないんだよな?何か他に昨日のことで言っておいたほうがいいことは?」
    「オレが部屋を出るまではよく寝てた。オレが出てくる時に起こしちゃったのかも……昨日新しい本が三冊届いたんだけど、この分だと関係ないかな」
    「いや、今晩以降に徹夜する可能性があるので大事な情報だ」
     急いで厨に今日のおやつのキャンセルと、主の朝食を早めてもらうように言って、ふたりとも急いで自分の朝食を片づけた。それから昨日と同じにするつもりだった予定の変更、今日のシフト内容などを話し合っていると、主の朝食が届けられた。
     オレたちとは違うメニューの盆を持って部屋に入ると、主は本を読んではいなかった。正座で、姿勢良く座っていた。
    「さっきも言ったけど、おはよ。具合悪い?よく寝られなかった?オレが起こしちゃった?」
    「具合は悪くありません。とてもよく眠れたようで、すっきりしています。笹貫が様子を見に来たんですか?それは気づきませんでした。私が起きてしまったことで、ふたりの朝の仕事を邪魔してしまったのですか?」
     ぼんやりの時より、明らかにしっかりした返事。顔色も悪くないし、実は寝ていなかったとか、よく眠れなかったとかではなさそうだ。オレが隣で寝てたことには気づいてないみたいだし。
    「必要なことはちゃんと話したから、だいじょうぶ」
     いきなり隣に寝てて驚かせなくてよかった。
     蜂須賀から自分が何日記憶を失ったのか聞くと、主はオレたちに深く頭を下げた。
    「ご迷惑をおかけしました。特に笹貫は何の情報もない中で、大変だったでしょう。ありがとうございました」
    「頭上げて、主。蜂須賀と一期が手伝ってくれたから、オレが大変なことなかったよ。ご飯食べよ?」
     すごく焦った。だって主はオレの主人で、指揮官なんだから、頭を下げたりする必要はないのに。それに本当にオレは、迷惑だったとは思っていなかった。蜂須賀も問題なかったと言うと、主はやっと頭を上げて食事に手をつけてくれた。蜂須賀と順番に連絡事項を話している間、主は少しずつ、ゆっくりご飯を咀嚼していた。
    「笹貫は、二日間疲れたでしょう、今日はお休みにしてもいいですよ」
     これは予想内。さすがに今日のは遠ざけたいんじゃなくて労ってくれているんだと思いたい。
    「疲れてない。今日もいっしょにいていい?」
     オレの何が琴線に触れたのか、主はにこっとかわいらしい顔で微笑んだ。
    「笹貫がそれでいいと言うなら、こちらこそよろしくお願いします」
     それから本がたくさん出ている理由を聞かれたので、読んであげたことを正直に話した。主はすごくびっくりしていた。
    「主にも読もうか?」
     そう言うと、主は瞳を揺らして少し考えていた。
    「子供ではないので、やめておきます」
    「そう?じゃあどうしても寝られない時は呼んでね」
     つまり、こどもだったら読んでほしかったってことかな。大人でもこどもでも、オレは気にしないのに。他の人も見ていないし。いつか、大人の主に読んであげたいな。結論は違っても、どちらの主も同じルールに縛られている。やっぱり二人は同じ人間なんだ。
     早起きしても、朝は食欲がないのは変わらないみたいで、主はちまちまのろのろとご飯を口に運んでいる。
    「この二日間、蜂須賀がほめるなんて、素晴らしい働きぶりだったのだと思います。お休みはいらなくても、なにかご褒美をあげなくてはいけませんね」
     唐突に主がそう言った。蜂須賀が主に厳しい目を向けたのがわかったが、せっかくのご褒美チャンスを逃さないことにした。
    「えっ!いいの?!オレね、主にオレの煙草選んで欲しい!」
     これは近侍になってから考えていたことだ。煙草は気に入ったけれど、主のはオレには少し重たく感じるし、いつももらうのも悪い。四阿の長椅子の下にある皆の煙草はとりどりの色をしていて、種類がたくさんあるのはわかっている。主が選んでくれたらうれしいし、この口実で万屋デートしたい。主は月に一度か二度万屋に行くけれど、付き添えるのはくじ引きで当たったやつだけ。でもオレの煙草を買いに行くなら、オレは絶対行けるはずだし、できればふたりきりで行きたい。
     オレの思惑に気づいているのかいないのか、蜂須賀は怒るのをやめたらしい。主のお金を使わせるつもりじゃないから、贔屓じゃない認定してもらえたのかな。
    「いいですよ、じゃあ今度のお休みに、大きい煙草屋のある商店街に行きましょう」
     間違いなくオレを連れて行ってくれること確定。蜂須賀が主の盆を持って出ていったので、詳細な内容について話し合った。
    「主がコレ!って思ったのでいいよ。直感で」
     主がオレのこと考えて選んでくれるなら、今より重くなっても香りが強くなってもかまわない。
    「直感で一箱選んで、それが合うか合わないかと言うのは面白い遊びですが、吸い続けることを考えたら慎重に選びたいです。他の喫煙するものたちに、1本ずつもらえないか聞いてみましょう」
     細い指が本で出来た塔の上に置きっぱなしだったスマホを取り上げいじると、すぐに何件か受信音が鳴った。
    「グループで聞いてみたら、みんな笹貫に1本くれるそうです。笹貫も入るなら、今聞いてみますよ?」
    「なんのグループ?」
    「喫煙者の会です。1本交換してほしいときも、買い物に行くものに自分の分も頼みたいときも、便利ですよ」
     お願いすると、オレのスマホがすぐに鳴った。画面にはグループに招待された、という表示があった。はいを押して、またしまう。
    「いっぺんにたくさん吸うのは大変ですから、毎日少しだけにしましょうね」
    「慎重に選ぶのもいいけど、直感でどんなの選ぶかも知りたい」
    「わかりました。それも考えておきます」
     結論が出たところで、いっしょに執務室に移動した。
     昨日までと違って、傍らに立つようなことはせず空いている席に座ると、長谷部がこちらのモニターに書類を送ってきた。蜂須賀が一度だけ主の後ろに立ったけど、すぐに離れたところを見ると今日は問題ないのだろう。
     時間通りに餌皿を持って猫の食事場所に行くと、猫たちはあからさまにオレを警戒していた。昨日まではオレなんて眼中にないって態度だったのに。具合が悪いのかと思って離れて見ていたが、食事を終えると順番に主の膝で撫でまわされていた。二匹で無理矢理乗ったりしない。猫たちは、主が違うってことに気づいていたんだ。のんびりの主がなめられているか、やっぱり心配されていたのか、どちらだろう。主が立ち上がると、追いすがる様子は見せずに並んで藪の中へ駆けていった。
     昼ご飯はラーメン。ラーメンは二度目だけど、今回はスープが白っぽくて、見たことがない。前回は味噌バター、茶色くて濁ってた。本当はインスタントというやつを数えると三度目だ。インスタントのスープは茶色くて澄んでいた。山姥切国広が分けてくれて、夜中に食べたことがある。
     炒飯は大盛りにしてもらった。主は炒飯なし。
    「これって何味?」
     食べながら聞くと、とんこつだと伝聞で教えてくれた。とんこつが何味なのかはわからなかったが、主も知っている風ではなかったので、追求しなかった。今度山姥切に聞いてみよう。あの刀は食べ物のことをたくさん教えてくれる。
     とんこつラーメンというのが現世にどれほど普及しているのかわからないが、とりあえず主は現世で食べたことがないらしい。でも気に入ったのか、一生懸命食べている。主は一口が少なくて、何度も息を吹きかけてから口に入れる。オレが先に食べ終わったのに気づくと、急ぐ様子を見せた。
    「急がなくていいよ」
    「でも、お待たせしているので」
    「オレはがっついちゃったから食休み」
     そんな会話をしながら、麺を最後まで食べるのを見守った。スープは飲まなかった。
     四阿へ行くと、いつももらう主の煙草ではなく、誰かの一本を渡される。火をつけてもらって深く吸い込むと、新しい味がした。口にくわえるときも思ったけど、薄荷かな、スーッとする。
    「スースーするよ」
    「好きですか?」
    「好き」
    「じゃあ直感の一箱は決まりですね」
    「調査したら直感じゃないよ」
    「確認だけですよ」
     主が自分の煙草に火をつけると、いつもの強い香りがした。
    「大きい煙草屋さんがあるのって、何番街?」
    「三番街です。行ったことはありますか?」
    「ない。来たばっかりの時に国広たちが五番街に連れてってくれた」
    「ああ、服を買いに行ったのですね」
     顕現してすぐに、山姥切が連れて行ってくれたのだ。下着の替えがないとつらいぞ、と言って。勧められた下着を適当にまとめ買いし、冬の上着も適当に買った。その後は特に欲しいものもなく、冬服もうちょっとあってもよかったかもな、と思った時には近侍研修が始まったので、一度も行っていない。
     同じタイミングで吸い殻をもみ消すと、足早に内番を見て回って、支度部屋へ。主の煙草を吸い慣れてしまったら、今日の煙草は軽くて物足りなかった。こうやって本数が増えていくんだな。
    見慣れない白い着物に、袴も着せる。風で少し乱れた髪を梳かして、面布をつける。
    「これって、なんでつけるの?」
    「色々な意味があるそうですが、私は身元を隠すためにつけています」
    「外に行くときだけ?」
    「はい。本丸では、煩わしいので早々につけるのをやめてしまいました」
     いつもと違う出で立ちも似合うけれど、きれいな顔が見られなくなっちゃうのは残念だ。オレって思った以上に主の顔が好きなんだな。
     転移門に着くと、もう全員集まってるみたいだった。
     五虎退と虎が主に駆けよって、虎だけが主に触れた。五虎退は、大体大人の一歩分くらい離れた場所で足を止めた。虎が何度も主の脚に頭を擦りつけると、主はとろけるような笑顔で白い被毛に手を伸ばす。馬は大きすぎるけど、虎はいいらしい。やっぱりふわふわのところが決め手なんだろうか。主の長い指が耳の辺りをかくと、虎は猫のような音を出した。
     主が挨拶をすると皆が返事をして、転移門をくぐった。
     演練場は何時に行ってもいつもそれなりに賑わっている。
     全員で待合室みたいなところに向かい、主がしつらえられた椅子に腰を下ろす。演練に参加登録すると一室あてがわれるシステムらしい。主がいないときはみんな用がないから寄らないようだ。一戦ごとに話し合ったり、休憩を取ったりする本丸は利用するのだろう。オレが数回参加した限りでは、うちの本丸はいつもさっさと終わらせてさっさと帰ろう、反省会は帰ってから、だった。
     普段だったら持ったままか、いっそ持ってこない連中が、今日は主の隣の席に財布やらスマホやらを預けている。まあ、無人の部屋に置いていく気にならないのはわかるけど。
     主が口頭でモニターをセットする。前面の壁が大きなモニターになり、そこから三分割してカメラの位置が違う映像がそれぞれに映し出される。さっき別れた面々が演練場に入ってくるところだった。
     オレは護衛として主の後ろに立っていたのだけれど、主がふんわり振り返って、やさしい声で座るように言ったので、荷物が重ねられているのと反対隣に座った。
    「ここから見るの初めて」
    「そうですね、近侍か護衛でないとここからは見られませんね」
    「近侍と護衛って違うの?」
    「蜂須賀が近侍を兼ねている時は、連れ出すと仕事が滞るので、演練のために別の方に護衛をお願いします」
     なるほど、蜂須賀の忙しさはこの近侍研修でよくわかった。こうして研修を設けるのも、蜂須賀には本丸総括の役割に専念させて主のお守りは別につけたいってところかな。でも今まで何人も研修して専任がいないってことは、主がいやがってるのかな。オレは戦うのも好きだけど、主のことも好きになったから、できれば近侍に選ばれたい。それでもっともっと主に気に入られたい。
     今日の編成は少しいびつ。修行が済んでるのが半分なのはいつも通りとして、五虎退だけが飛び抜けて練度が高い。正国だけが戦闘狂のセンスで食らいついてるけど、機動だけはいかんともしがたいみたい。うちって短刀を積極的に育てていて、練度上位はほぼ短刀が占めてるんだよね。
     転移門のところで、主が一緒だから急に五虎退の参加が決まった、と言っていた。演練のメンバーを選んだのは蜂須賀だったけど、何か意図があってのことみたいだな。もう一人の護衛とか。もし万が一この刀剣男子だらけの場所で練度の高いやつに突然攻撃されたら、オレだけだと頼りないかもしれないし。とりあえず研修が終わったらめちゃめちゃ練度あげよう。手合わせとかもめちゃめちゃしよう。
     戦績は二勝三敗。二勝は太刀打刀多めだったので、五虎退が飛び回って余りは太郎が削った。三敗のうち二敗は短刀脇差部隊によるスピード勝負。イレギュラーの五虎退以外は重め長めの編成だったので、これはもう単純に運。残り一戦は、負けたあとに正国がすごい顔してたので、予想外だったか、何か盗めるものがあったかだろう。試合前に出た数値では余裕で勝てそうだったのに、うまくかわされたり大太刀を先に落とされたりして負けた。智謀があって、試合運びや技の使い方が軽妙だった。自分が参加するのはもちろんだけど、こうやって冷静に見ているのも勉強になる。
    「じゃあ、みんなの都合が良ければ、お茶を飲んで帰りましょうか」
     怪我一つない姿で部屋に戻ってきた男士たちをねぎらったあと、主はそう言った。面布の下で微笑んでる気配がした。オレ以外誰も驚いていなかったので、みんな主と演練に来るのは初めてではなかったらしい。ムスッとした正国以外はうれしそうな顔をしている。そんな正国も、移動を始めるとおとなしく殿についてきた。
     行き先は万屋モール。話には聞いたことあったけど、来るのは初めて。万屋の大きいやつ、って前に演練に来た時に鳴狐が教えてくれた。演練場から少し歩くとものすごくでかい建物があって、大きな入口を入ると演練場と同じくらい賑わっていた。
    「いつものお店でいいですか?」
     五虎退が振り返って問うと、他のみんながうなずいたので、オレもわからないけどうなずいた。
     エスカレーターで上がってすぐのところ、たくさんの人が並んだり座ったりしている。五虎退がたっと駆け出して、戻ってくるとメニューを数冊持っていた。オレにも一冊渡してくれる。
     中にはずらりと飲み物のお品書きが並んでいて、ここからひとつ選べということなのだろう。基本的には珈琲?に何かを入れる?紅茶もある?コーヒーも紅茶も知っている。どちらも飲んだことがある。どちらも砂糖とミルクを入れてもいい。厨に大きいコーヒーメーカーがあっていつでも飲んでいいし、紅茶はぼんやり主と一緒に飲んだ。どっちのときもこういう味なんだ、と思って、特に何も入れたことはない。
     それがここではどうだろう。ものすごい種類だ。しかもみんな知らない名前だ。無難に何も入ってないやつにしようとしても、それっぽいのも何種類かある。
    「笹貫さんはどうしますか?」
    「どう…?どうだろう…?」
     五虎退がみんなの間を飛び回っているのは見えていたのだが、いざ尋ねられてもどうしていいかわからない。何を選ぶのが正解なんだろう?
    「笹貫さん、甘いものは好きですか?冷たいのと温かいのどちらが飲みたいですか?」
    「え…甘いものは好き…ここは温かいから冷たいもの…?」
     落ち着いたゆっくりとした問いかけは、主に通じるものを感じて、反射的に答えた。顔を上げると主はみんなを挟んで少し離れたところで、楽しそうに微笑んでいた。目が合うと、軽く首を傾げる。
     五虎退に呼ばれてもう一度メニューを見ると、小さな手で指さしてどれが甘いか教えてくれる。コーヒー、紅茶、フラペチーノ。
    「うん…わからなくなってきた…」
    「じゃああるじさまと同じにしますか?」
    「うん…そうする…」
     全部諦めて降参して、五虎退が出してくれた提案に乗っかる。考えすぎて疲れた…。
     オレが悩んでいる間に、慣れている奴らは何か食べ物を持ってきている。ちょっと羨ましい。主からスマホを受け取ると、五虎退は食べ物を持って店員さんの方へ行ってしまった。スマホを持たせたってことは先払い?主のおごりってこと?他のみんなが店内に行ってしまうのを、慌てて追いかける。
     席を見つけると三池の二振りがすっとさっきの方へ戻っていった。五虎退を手伝うなら、オレも行った方がいいのかな。
    「座れ」
     先に座っていた正国が小さくオレに言ったので、主と正国の間に座る。もっと空いてる方に座るべきか一瞬迷ったが、主の隣にいたかったのでそこにした。反対側は虎が陣取っていて、主に撫で回されて気持ちよさそうな顔をしている。
     三振りはそれほど待たずに戻ってきて、テーブルの上を埋め尽くした。五虎退が冷たいプラスチックカップを渡してくれたけど、匂いからはなんの飲み物なのかわからない。五虎退は頼む前に説明してくれたんだろうけど、なにがなにやらわからなかったので、オレが覚えていないのだ。主がいただきますと言うと、みなが唱和して、迷いなく食べ始めた。主もストローを口にくわえている。
    オレはというと、甘ったるい匂いにひるんでいた。
    「おい、それすげー甘いぞ。甘くない食いもん見に行くからいっしょに来い」
    唐突に立ち上がって正国がオレに言った。主が心得ているというように机に置いた札をつかむと、さっさとカウンターの方へ行ってしまう。迷ったけれども、結局後を追いかけた。せっかく正国がオレを気遣ってくれたのだから。
     さっきはメニューに一所懸命で見ていなかったけれど、レジの横にサンドイッチが積み重なっている。上のガラスケースにはケーキ。正国が無造作にサンドイッチを二つ掴んだので、同じものを一つ手に取る。すぐにそれも取り上げられて、正国が会計してくれる。
    「ここの飯、腹にたまらないんだよな」
     会計後は位置をずれて、並んで待った。正国がそんなことを言った。オレも米のほうが腹にたまると思う。
     サンドイッチは結構おいしかったので、結局飲み物もためらいなく飲めた。正国の言うようにすごく甘かったけど、しょっぱい甘いで交互に食べるとおいしかった。
     本丸に戻ると慌ただしく猫のご飯。猫はまたオレを警戒したまま。こっちの主の時はずっとこうなのかな。とはいえ、ぼんやりの主の時も気にされてないだけで多分オレが近づいたり触ったりはできないんだろうな。
     猫を見送ると、気になっていたことが頭をもたげる。昼はいっしょに食べてくれたけど、夜はどうなのかな。
    「どうしましたか?」
     オレの歩調が鈍ったのに気づいたのか、主が足を止めてオレの顔を覗きこんだ。
    「うん、えっと、主はご飯どこでたべるのかなって」
    「笹貫が近侍の間は、食堂で食べる約束でしょう?」
     主は可笑しそうに笑ったけれど、違うよ、その約束をしたのは別の主なんだ。でもそれはあの主とこの主がやっぱり同じものの証で。やっぱりオレも笑った。
     夕餉はオレが情報を流したので主の好きな煮物がついていた。当然煮物だけおかわりして、でも他のものもちょっとずつ食べさせることに成功した。
     たった二日だったけれど、もう主の部屋でいっしょに寝られないのはさみしい。けれどそれを面には出さず、主が扉を閉じるのを見送った。
     執務室に行くと蜂須賀が中で待っていた。今日も合間合間にメールはしたんだけど、なんとなく待っているような気がした。
    「お疲れ様、今日は順調だったようだね」
    「今日はサボろうとしなかったし、本も読まなかった」
    「まあ、明けはそんなものだね。反省しているんだろう。徐々にもとに戻るよ」
     蜂須賀の前のモニターだけが光って、彼の白い面を照らしていた。
    「記憶がないのに約束を覚えてた…」
    「ふうん、それは初めてだね。主にとって大事なことだったのか、はたまた気まぐれか。今回は思ったより早かったし、君が何も言わなかったから継続してもらったけれど、一気に主の明暗を駆け抜けてどうだった?やめたくなったかい?」
     やめたくない。主から離れたくない、もっといっしょにいたい。
    「やめるなんて選択肢があるの?」
    「あるよ、特に記憶のない主を経験したものは自分には務まらないと思うことも多いのでね」
    「オレは、別に大変じゃなかった…どっちの主もかわいかったよ」
    「じゃあ、予定通り継続だね。君は主の扱いがうまいし、正直助かるよ」
     その後は暗く静かな部屋で、これから三ヶ月の間の動向の予想を聞いた。記憶喪失は規則的ではないので次がいつか読めないこと。長ければ半年ないこともあるとのこと。冬の間に最低一回は風邪を引くこと。まめに日に当てたいこと。オレは鍛刀も刀装も今のところいまいち、という報告を受けているけれど、研修期間中はなるべく行って本当にダメかどうか見極める、ということ。
     自室に戻る時、廊下は暗くて影が蠢いていた。しんと冷えていて、こたつのことを思い出した。主はちゃんと布団をかけているだろうか、室内用の上着を探して着せるべきだっただろうか。そんなことを考えながら、襖を開くと大きな本が置いてあった。朝言っていた本だろう。子供向けなのか鮮やかな絵が前面に描かれていて文字も大きい。ぱらぱらとめくったらあっという間に読み終わってしまった。橋の下に住んでる怪物を、山羊の兄弟がやっつけてめでたし、みたいな話。主はこの怪物が自分に見えるんだろうか。
     あまりに短くて、怪物のことは何も詳しくは書かれていなくて、結局よくわからなかった。夜着を引っかけて、冷たい布団に入った。
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    ふじたに

    PROGRESS猫と怪物 8の表 笹さに♂
    猫と怪物 8の表 笹貫に直に会って触れてみた効果はすごくて、読書も仕事も捗った。会わないと決めたのは自分だし、もう怪我なんてしてほしくないから、またしばらくは会えないほうがいい。そう頭では理解しているのに、彼がすぐそばにいた日のことを何度も思い返してしまう。
     研修のものがいないときは、基本的に蜂須賀が近侍を兼ねている。とはいえ蜂須賀は忙しいので、簡易版と言うべきだろうか。起こしてもらって、朝の支度はひとりでして、戻ると食事があるのでそれを食べ、器を厨に返してから執務室へ行く。猫のところはいっしょに行ってくれて、昼食は自室で取り、東屋へは執務室の誰かがついてきてくれる。蜂須賀に余裕があるときは内番を見に行ったり、私の仕事に余裕があるときは誰かを護衛に立てて演練へ。いっしょに猫に行って風呂に入ったら、部屋に食事を運んでくれて終わり。簡略化しても蜂須賀は残業をしている気配なので、私としてはもっとひとりでもいいと思っているのだが、本丸初期の本当に手が足りていないときに、私が不意に湧いたあやかしと遭遇してしまって以来、蜂須賀は常についていられる近侍に向いているものを見つけるのに熱心だ。
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