蠍の心臓「ふむ……主人はどいつだ?」
「あれ」
男は指差した先へ視線を向けるとそちらへ歩き出した。なにかを話しているようだが会話は聞こえないしそもそも興味もない。商人同士の会話なんて打算まみれで辟易する。
見目の珍しさに声をかけられるのは慣れていた。そこまで含めて商売道具になり得ると、今の主人にはなかなか高くで買い取られたが結果はこうだ。扱いづらい性格を持て余されているのは言葉にせずとも伝わってくるし、声をかけてくる人だって言葉を交わすとすぐに離れていく。この見た目が売上に繋がったことなんて数えるくらいだ。
さて作業に戻ろうと材料を手に取ったところで床に大きな影が重なった。
「お前さん、今日から俺と一緒に来な」
「え?」
振り返るとさっきの男が何食わぬ顔をして立っている。今までも何度か売り飛ばされはしたけれど、それは主人が愛想を尽かして口利きをしてのことだった。戯れに少し話をしただけの奴隷を買い取るような人は初めてだ。
「僕のこと聞かなかったの?」
「詳しくは聞いてないが……喜んで引き渡された時点でおおよその見当はつくな。前の主人のほうが良かったか?」
「どっちも最悪ですー」
べ、と舌を出して反応するも、男は怒った様子もなく受け流す。態度の悪さに激昂されないのは初めてだ。
「商人さんのくせに見る目ないねー」
「"目"には自信があるんだがな」
夜明けの空のような色をした瞳が細められる。変な人、と視線を逸らした。
ー
「お前さん荷物は」
「無いよー。全部借り物」
「そうかい、じゃあまずは向こうの市場に買い物にでも行こうかね。すぐ出るつもりだが、挨拶しておきたい人はいるか?」
「べつにー」
ついてくるよう目配せをされたから大人しくついていくと、前の主人のところだった。彼は一言二言会話をすると僕に挨拶をするよう促す。僕は視線を合わせないまま頭を下げた。
「お世話になりましたー」
「……ふん、せいぜい可愛がってもらうんだな」
なるほど、元主人は男に買われた理由をそう解釈したようだった。確かにそれが理由というのが1番納得がいくかもしれない。僕はそういうのはあまり得意でないから違っていてほしいけれど。横目で見上げた表情は眩い日光のせいでよく見えない。
「なるほど、こいつはとんだ跳ねっ返りだな」
「手に負えない?」
「俺じゃなきゃな」
人目もなくなってきたしそろそろ本性をさらけ出すかと思ったのだけど、この調子だと男は本当になにも気にしていないようだ。訝しげに見上げると、彼はその視線に気づいて笑った。
「商売するのに従順であることなんて求めちゃいないさ」
「じゃあ何が必要なの」
「それは人によって違うだろう。自分で見つけるんだ」
未だ名前すら知らないが、変わった男なのはようく分かった。ふんぞりかえってこき使ってきたこれまでの主人とは違う。
「ところで、なんて呼べばいいですかー?」
「そういえば名前を言ってなかったか。葛之葉雨彦だ。お前さんは」
「北村想楽ですー。雨彦さん、よろしくお願いしますー」
「ああ。よろしく、北村」
ーー
「……ここで寝るの?」
「不満か?」
「いいえー」
前は床同然のところに寝ていたから願ってもないことだ。決して口にはしないけれど。
「大きいベッドですねー」
「まあ、これなら二人で寝ても大丈夫だろう」
「……ほんとにそういう理由で僕を買ったの?」
「まさか。他に部屋が空いてなかったんだ」
動揺する僕とは反対に雨彦さんはつとめて平坦だ。
「それともなんだ、相手してくれるのかい」
※まさかのR18※
「お前さんを買った理由だが」
「うん……?」
「子供の頃に、夢の中で煌々と燃える光を見たんだ」
倦怠感でまどろむ意識に柔らかい声が重たく響いた。淡々と語る声を聞きながら目を閉じる。
「その光に取り憑かれてしまったとでも言おうか。俺はあの輝きをこの手にしたくて、宝石を探すようになったんだ」
「陽の下で輝くお前さんの瞳はあの光によく似て見えた」
おとぎ話を語るようなその声は、溶けゆく意識にはあまりに心地よい。薄れゆく意識を手繰るように指先を雨彦の手に添えた。
「遠い昔に……おとぎ話で聞いたことがあるよー。蠍の心臓、消えない炎………」
「……北村?」