風堕ちる先に「ごちそうさん」
和泉守兼定は箸を置いた。食後の茶も断りそそくさと盆を持って立ち上がる。
「あれ、もういくのか?ゆっくりしてきゃあいいのに」
入れ替わるように席についた豊前江が引き留めるように声をかける。少し時間を過ぎているからか食堂は混んでいるわけではない。お茶を飲みながら談笑している刀も多い。
「いやいい。もう食い終わったからな」
盆を持って振り向きもせず和泉守は厨に向った。
「なーんか、俺アイツに避けられてる気がすんだよなぁ」
無視されたわけではないが和泉守らしくない態度に豊前江はその背中を眺めて呟く。隣にいた堀川国広が相棒のフォローを入れる。
「兼さんあれで豊前さんのことけっこう気にいってますよ」
「そうなのか?あんま最近話してくんねーけど」
だからじゃないですか?
自分の言葉に首をかしげる豊前に脇差が意味ありげに笑みを浮かべる。
「好きだから避けてるんですよ。豊前さんのこと」
素っ気ない和泉守の様子はとても好かれているようには感じない。豊前との間にどこか線を引きたがっているように感じる。
「ふーん、まあ、よくわかんねぇけど。嫌らわれてねぇならいっか」
「良くはないんですけどね」
言ったそばから堀川は豊前の言葉を否定した。
「あん?」
「僕ら新選組ですから」
にっこりと笑って堀川が立ち上がると同時に後ろからドスの効いた声がかかる。
「国広、余計なこと言ってんじゃねえぞ」
そこには立ち去ったと思っていた和泉守が立っていた。機嫌は余り良くないらしい。
「変なこと聞かせて悪かったな。気にしねぇでくれると助かる」
豊前が振り仰げば浅葱色の瞳に微かな動揺が走り、目が合うとぷいっと逸らされた。
「なんだかよくわっかんねぇけど俺は別に構わねぇよ」
あっけらかんとしたその言葉を受取る間もなく和泉守は踵を返す。豊かな黒髪だけが名残を惜しむように豊前の前を掠める。
「いくぞ。国広」
「はい、兼さん」
その背中をちょこちょこと脇差が追っていくのを豊前は黙って見送った。
「ほんとに余計なこと言うなよ」
ドスドスと廊下を大股に歩きながら和泉守は相棒を咎める。小走りにそれを追いながら脇差が謝った。
「ごめんごめん兼さん。なんか豊前さんてちょっと昔の兼さんに似てて、ついね」
「そんなこと言ってっと斬りにくくなるぞ。いざって時」
和泉守は声と眉を潜めた。
「大丈夫。僕は兼さんほど情に厚くないから」
堀川が悪びれもせず答えるのは周りに誰もいないことがわかってのことだ。
「へぇへえ。どうせオレは詰めが甘えよ」
「そんなとこも好きだよ、兼さん」
いつだってこの脇差は和泉守を全面的に肯定する。それに慣れきってしまっている自分もどうかと和泉守も時々思う。
溜息をつく和泉守になんでもないように物騒なセリフ言い放つ。
「僕が斬るから兼さんは気にしなくてもいいのに」
まるで庭木でも片付けるように。この脇差は自分以外には驚くほど容赦がない。
「お前ほんとあっさり屠るからなぁ…尚更斬らせたくねぇ」
「妬けちゃうなあ。そう言われると」
にやにやと笑いを浮かべて堀川は和泉守の前に回った。気がつけば誰もいない廊下の突き当りまで来ていた。こういうところがこの脇差の怖いところだ。
「浮気したらその時が来る前に斬っちゃうかも」
一周りも二周りも小柄な脇差に詰め寄られながら和泉守は後退る。直ぐに背中が壁に触れた。
「お前が言うとどうも冗談に聞こえねえな」
「だってホントに兼さん豊前さん好きでしょ」
自分とよく似た青い瞳がじっと見つめてくる。
「だから避けてるんだ」
「あのな…お前…」
堀川の手が和泉守の頬に触れる。
嫌ではない。怖くもない。
「ヤラセないけど」
でもこの脇差の見せる執着が時々息苦しく感じることもある。
「オレはお前だけで手いっぱいだよ」
「昨夜もいっぱい可愛がってあげたもんね」
堀川の見せる執着と愛情。それを甘んじて和泉守は全て受け止めると決めている。
「死んじまうかとおもったぜ…」
「良すぎて?」
堀川の手が下に伸びてくるのを和泉守は掴んで止める。
「調子にのんな」
「僕は良すぎて離したくなかったけどね」
仕方ないなというように堀川はにっこりと笑って手をおろした。
「オレの身が持たねぇよ」
和泉守はほっと息を吐く。
「兼さんのせいでしょ。あんまり煽らないでよ。そういう顔されるとヤバいんだから」
「ったく…お前まじでこええわ…」
和泉守は肩から力を抜いた。相棒の激しすぎる悋気だけはどうしても慣れない。
新選組の刀達が極秘で審神者に呼ばれたのはつい先日のことだ。
杞憂ならよいのですが…と前置きで課された任務に和泉守は顔を曇らせた。
確かに闇討ち暗殺は新選組の領分だろう。内部の話なら尚更。
もし…いつか江の刀達が向こう側に堕ちるならその時は……。新選組が極秘に始末をつけるように。そう言い渡された。
江は少し変わったところもあるが気の良い刀達だ。だが何故か審神者はその存在に危惧を抱いているようだった。
その最たるものが豊前江だ。自分のあやふやな有り様さえ笑い飛ばしてみせる刀。彼ならもしその日が来てもいつもどおり笑って堕ちていくような気がする。
「やりたいようにやりゃあいいんだよ。
俺もアンタも」
風をきって走る刀の声が頭にこだまする。和泉守は自分の本体に目をやった。
あぁ…だから江は………。
その時が来ないように祈りつつ心のどこかに確信がある。
「国広…」
「わかってるよ、兼さん。僕には兼さんがいるから大丈夫」
脇差はそっと和泉守の髪をひいてその顔を引き寄せ口付けた。
「ううっ…お腹痛い」
「雲さん、大丈夫ですか…?」
一方こちらがわでは江の二振がいつもどおりの会話を繰り広げている。
「うん…でも…俺、新選組の刀なんて…まともにやってかなう気しない…」
「そうでしょうね…」
五月雨江が物陰からそっと寄り添う新選組の刀を見守る。
「豊前も篭手切も納得してるのかな」
「どうでしょう。まあこういう役目は私が一人で引き受ければ良いと思ってますが、豊前はそれを許さないでしょうね」
腹をさする村雲の肩に五月雨はそっと手を置いた。
「頭は怖い人ですから…案外双方に言ってるのかも知れませんよ」
「げっ、マジ?」
顔色を更に悪くする片割れに五月雨は柔らかく微笑んだ。
「その時は……豊前の言う通り、やりたいようにやりゃあいい…んです」
多分新選組も…特にあの脇差あたりは薄々察しているはずだ。お互い本当に護りたいものは一つだけ。
「大丈夫ですよ。雲さんには私がいますから」
でえじょうぶだよ。
爽やかに吹き抜ける風のような刀のセリフが呪文のように頭の中に響いている。その時が来ても選ぶ道など一つしかない。江の背負わされた呪いのような運命を切り拓くのはいつだってあの男の真っ直ぐな言葉だ。
片割れの刀を柔らかく抱き締めながら五月雨はそっと瞳を閉じた。