高校卒業後、それぞれの進路を進むこの機会に彰人は地元から遠く離れた街に一人旅立つ。
彰人は冬弥に片想いしており、この気持ちがバレてしまう事も、バレてしまった時に拒絶されるのも、拒絶は優しい相棒だからしなくとも、気を使われてしまうだろうと恐れ、”大学が忙しくて連絡が取れなくなる”と嘘をついた。
未開の地でふと目を引いた、色鮮やかな花が街の一片を彩る花屋で、店主の頼みから働くことになる。
その街は花や季節感を好む人が多いからか、繁盛しており、彰人が勤めてから少し肩の荷が降りたと年齢はそこそこの店主から感謝を伝えられた。
そんな目まぐるしく日々を過ごす中で、冬弥への想いを断ち切ろうと目論んでいたものの、意志とは反対に余計に”会いたい”気持ちが強くなる彰人。
人生を彩ったと言っても過言では無い歌の練習は今でも欠かさないが、冬弥や杏とこはねといった仲間は当然居ない。なんだか活気溢れていた歌も味気なく感じていた。
また、学生時代にこはねが撮り、安心に押し付けられた思い出溢れる写真たちを何やかんや大切に保管し、見返す事もしばしば。
「こんな感情さえ無かったら、今でもアイツらと笑えてたのかもな。」
そう呟きながら頬に一筋の涙が零れた。
「…会いてぇよ、とーや。」
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一方その頃、彰人といくらなんでも全く連絡がつかない、自分以外にも連絡を取っている人がいない事を不審に感じた冬弥は絵名の元へ相談に行く。
「彰人ならどこかで一人暮らししながら働いて食ってくって出てったわよ。」
聞いていた話と食い違いっており、動揺を見せた。
「俺は大学が忙しくなるから連絡が取れなくなるだろうと伝えられたのですが。」
「え?あのバカ、家族以外には言わなかったのね。」
それなら彰人は今どこで何をしているのだろう、心配や不安が冬弥の心を渦巻く。
「彰人が今どこにいるかはご存知ですか。」
「ごめんね、そこまでは言わなかったのアイツ。と言うより、出ていくまで決めてなかったんじゃないかな。今聞くことも出来るけど、アイツ頑固って知ってるでしょ、簡単には教えてくれないかも。」
絵名の呆れたような困った表情を見て、状況を飲み込む。そして決意した。何としても彰人を見つけると、もう決して離しはしないと。
「待っていてくれ、彰人。もう逃がしはしない。」
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過ぎ去っていく日々。気付けばこの街に来て半年以上が経過していた。この暮らしが肌に馴染んできたが、寂しさも恋心も拭えず、仕事が終わると海と夕焼けが混じる海辺に足を運ぶ事が増えていた。
ある日、店主に「彰人くん。ここ最近元気が無いようだけれど、何か気になる事でもあるのかい。」と気付かれてしまう。
「オレ、そんなに態度に出てました?」
「もう半年の付き合いになるんだ、些細な変化くらい分かるさ。」
さすがっすね、と観察眼に優れた店主に観念する。
「オレ、相棒がいるんですよ、もう出会って5年目の最高の相棒なんすけど。オレはそいつが好きなんです。最初はただの友愛だと思ってました。でも違った。アイツの隣を違う奴に取られたくなかった。これから先もずっと隣にいたい、もっと時間を共有したい、知らないうちに恋、しちまってたみたいで。でも、オレもアイツも男だし、良いとこの息子でもあるアイツの、足枷にはなりたくなかった。オレがこの街に来た理由はこれです。恋心を捨てたかった。それだけ。まぁ、結局今も引きづって捨てられてないんですけどね。アイツから頻繁に連絡来てるのは知ってますけど、全部見なかったふりして。」
「すみません、こんな話して。気持ち悪いっすよね。男が男を好きだなんて、かけがえのない相棒に欲情してるなんて。」
彰人の瞳には知らぬ間に涙が溢れていた。店主は言葉を紡ぐ。
「私もね、好きな人がいたんだ。男性だよ。彼は才能に溢れていた。いや、努力が身を結んだのだろうね。時間さえあれば音楽に身を捧げていたんだ。私は彼の友人だった。彼の奏でる音楽を聴いて、いつも心が豊かになっていた。そんな彼の姿に惚れてしまってね。だが、私も彰人くんと同じだよ。彼の華やかな未来を潰したくなかったんだ。だから、今も友人という関係を続けているし、私はそれで満足している。しかし、彰人くん、君は違うのだろう?君のその想いは尊いものだ、卑下してはいけない。それに相棒くんは君に連絡してくれている、彼にとっても彰人くんは大切だと言うことが伝わるよ。無理にとは言わない、その想いを大切にして欲しいな。」
彰人はその日初めて、自分の想いを受け入れてくれる人と出会い、想いを涙とともに溢れさせた。
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それから程なくして、店主からある1枚の紙を譲り受けた。それはクラシックコンサートの招待券。
「クラシックには興味はないかもしれないが、生の音楽を聴いて今の彰人くんの心にゆとりを持たせてくれるかもしれないと思ってね。もし良ければ行って見てほしい。」
出演者の情報はなく、小さい街の小さい会館での公演。冬弥が人生の大半を共に歩んだクラシックの世界に触れられるのなら、と有難く受け取った。
そして、公演日当日。ライブハウスの雰囲気とは全く正反対の空気に息を飲む。
舞台の中心にただずむ一台のピアノ。今回の主演と思わしき男性が姿を現した。彰人は思わず目を見開く。
様々な感情が全身を駆け巡る。相棒が、冬弥が、観客席越しに、舞台の真ん中にいるのだ。
動揺と混乱で思考が追いつかない。気付けば冬弥はお辞儀をし、椅子に腰を掛け、ピアノに指を置く。
そして、音を、奏でた。
「__!!!」
冬弥の演奏をしっかり聴いたのは初めてだった。この事はタブーだと思い込んでいたからだ。だが、今の冬弥はあの頃とは違う。クラシックに捧げた日々を自分の糧にし、あの日諦めてしまった自分を受け入れた冬弥は、力強くも繊細な1音1音で、動きは軽やかに表情を和らげ演奏している。それが音からも伝わってくる。
の姿から目を逸らさず聴いていた。
無事演目は終わり、観客がぞろぞろと退場していく。
ふと聞こえた”出演者の特別お見送り”のアナウンス。
つまり、出るには冬弥と対峙しなくてはならない。
彰人は全身が冷えていくのを感じた。何か別の方法で外に出られないだろうか。
そうしているうちに小さい会館に訪れた数百人の人々は退場を済ませて行った。残るは彰人ただ一人となってしまった。
必然的に冬弥は彰人の姿を認識する。驚いたような、それに嬉しそうな表情で彰人の元に行く。
彰人は今にも逃げ出したい気持ちだった。
「よ、よう。とーや…」
「彰人!聴きに来てくれたのか。それに…やっと会えたな、嬉しい。」
ボロが出ないように必死に取り繕う。
「ああ。すげぇいい演奏だった。知り合いからの勧めだったが来て正解だったな。聴けて本当に良かった。」
「まさか彰人に聴いてもらえるとは思ってなかったからな。いや、聴いていたら良いなとは思っていたが。」
言葉の裏が見え隠れし、彰人の表情が陰る。
「…っ、なぁ冬弥。そろそろ撤収作業の時間だろ?行ってこいよ。」
「そうだがまだ時間は…」
「…じゃあな。」
「っ!待ってくれ、あきとっ!!」
全てをこの場所に捨てていくかのように、冬弥を見向きもせず、その場から駆け出した。
冬弥はそんな彰人の姿を寂しそうに見つめていた。
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撤収作業を終え、観光という名の彰人の捜索の了承を得た冬弥は街中を駆け回る。
住民に聞き込みをしていく中で有益な情報を得る。
”オレンジ髪の少年なら、角の花屋で見るわよ。快活で素敵な子よね。”
そう和やかに話す女性に感謝を伝え、花屋へ向かった。
色とりどりの花が映える正面口の扉を開くと、ベルの音が軽快に鳴る。
「いらっしゃい。」
人当たりのよさそうな男性が花の手入れをしていた。
「唐突にすみません、こちらにオレンジ髪の青年が居ると伺ったのですが。」
「彰人くんのことかな。ごめんね、今日は来ていないよ。」
「そうですか…。あ、俺の名前は青柳冬弥です。彰人の相棒です。」
そう名乗ると、男性は少し目を見開いたあと、すぐ目尻を和らげる。
「そうか、君が…それに青柳、という事は春道の息子さんかい?」
次は冬弥が目を見開いた。自分の父親の名を出されるとは思ってもみなかったからだ。
「っ、はい。俺の父です。父さんとお知り合いですか?」
「あぁ。もう長い付き合いになるね。今回の君の公演も春道から息子が数年ぶりにクラシックの舞台に立つと、チケットと共に連絡を貰ってね。」
「そうだったんですね。父さんがお世話になっています。チケットが贈られたといっても先程の公演には彰人が来ていましたが…」
「実はね、彰人くんにチケットを渡したんだよ。少しでも彰人くんの抱える気持ちが軽くなれば良いと思って。まさか、主演が噂の相棒くんだとは思ってもいなかったが。」
噂の、という事は彰人から俺の話をされている、という事なんだろう。それに、抱える気持ちというのは…?引っかかる点をすくい上げるように男性は言葉を続ける。
「色々と気になることが多いようだね。君の事は彰人くんから沢山聞いているよ。本当に相棒想いな子だ。自分の意志さえも君の為に捨ててしまえるほどに。」
「…!俺の為に意志を捨てるなんてそんな…っ!」
「それくらい君を想っているんだ。だが、君もそうなんだろう?東京から遠く離れたこの場所に、君の復活と言える公演を開くなんて、一縷の賭けでもしていたんじゃないかい。彰人くんに会えるかもしれない、と。」
「!」
冬弥は自分の考えていた事を的確に当てられてしまい、動揺する。
「はは、やはりそうか。だが、結果的に逃げられてしまいここに辿り着いた、と。」
「っ……そう、です。」
反論する言葉も出ず、口を固く閉ざす。そんな様子を見た男性はからからと笑った。
「君を責めているわけじゃないよ。むしろ、安心して欲しい。君達なら大丈夫だよ。私が保証しよう。」
「どうして、そう断言出来るんですか。」
「私は彰人くんの抱える気持ちに似たものを持っていたからね。私は捨ててしまったが、君の様子を見れば、大丈夫だと思えるんだ。そうだ、冬弥くん。君の気持ちを聞いてもいいかい。彰人くんは君にとってどんな存在かを。」
この人になら話してもいいと、直感的に思えた冬弥。
真っ直ぐな瞳でこの場に居ない相棒を想って告げる。
「俺にとって彰人は、居場所をくれた、俺に夢をくれた誰にも替えられない最高の相棒です。いや、それだけじゃ足りないんです。俺は…彰人を愛しています。俺や仲間に何も言わず居なくなった彰人を、もう離したくない。また共に歩めるように、俺は彰人がこの街に居る可能性を信じて来ました。」
男性は冬弥の姿と言葉で安心しきった表情を見せた。
「そうかそうか。こりゃ彰人くん、杞憂に終わりそうだね。さて、冬弥くん。きっと彰人くんは今西側の海岸にいると思うよ。」
「海岸、ですか。どうしてそこに。」
「以前言っていたんだ、『空と海の青と夕焼けのオレンジが混じり合う景色が、オレと相棒の色みたいで落ち着くんです。』とね。」
「っあきと…!」
もう居てもたってもいられなかった。今すぐ彰人に会いたいと、抱きしめたいと。遠く離れたこの地でも自分を想っていてくれたという事実に胸の鼓動が高くなっていく。
「さあ、行きなさい。彰人くんはきっと待っているよ。」
「はい…!本当にありがとうございました。次は花を買いにお伺いします。」
「ああ。彰人くんとの元気な姿を見せにおいで。」
冬弥の背中を後押しするようにベルの音が再び店内に響き渡る。
「はは、まるで祝福の鐘の音のようだ。」
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ザクッザクッと足音を立て、砂浜を彰人は独りごつ。
冬弥に居場所が割れてしまったから、次は別の所を探さないとと、気に入っていたこの街と離れ難い気持ちを抱えながら思う。…それでもきっと冬弥は自分を探して追いかけてくるんだろう。追いかけてきて欲しくない、なんて表面上だけで、本音を言えば、嬉しかった。しかし、この恋心を葬り去れない限り、あの場所には戻れない。冬弥とは最高の相棒でいたいから。
彰人の足音と波や風の音だけが流れていた中に別の音が混じった。
それも彰人と似たような、砂を掻き分けるような足音。
誰か来た事を告げられる。そしてその人物は言う。
「彰人…!やっとっ…見つけた…っっ!」
聞き馴染んだ心地よいテノール。 咄嗟に路面の方へ振り返った。
「とーや…!」
気付けば至近距離に冬弥はいた。足場の悪い中、彰人を目掛けて足を進めていたようだ。
そして、彰人が逃げてしまうより先に両腕の中に閉じ込める。
「おいっ…頼む、離せよっ、」
「離す訳がないだろうっ!もう、どこにも行かせない……」
彰人の身体を強く抱きしめ、肩口に頭をぐりぐりと押し付ける。
「どうして、こんなに遠い所にいるんだ、どうして…っ…嘘をついてまで…」
「っ…嘘、ついたのは悪いと思ってる、ただ、将来を見据えてるお前の邪魔になりたくなかったんだよ。」
彰人の発言を聞いた冬弥は顔を上げ、抱きしめていた手で彰人の顔を包み込み、視線を交わす。
「いつ彰人が邪魔だと言ったっ…!俺は、おれは、少しの時間でも彰人に会いたかった。大学で忙しいと聞いていたから、あまり頻繁には連絡しなかった。だが、彰人に避けられているような気がして苦しかった。寂しかった。ただただ会いたかったんだ、おれは。それに、おれだけでなく、白石や小豆沢、他の誰にも連絡を取っていないと知って、肝が冷えた。だから、絵名さんに会いに行ったんだ。聞けば、大学に行ったことは嘘で、何処かで一人で生きてるなんて…。不安で気が狂いそうな毎日だった。こんなに苦しくなるなら早く言えばよかったんだ…。彰人、っおれは、あきとがすきなんだ、あいして、いるんだ。もう、どこにいかないでくれ…」
大粒の涙を流しながら冬弥は想いを紡ぐ。
冬弥の抱えていた想いを知り、彰人も不安にさせていた後悔や冬弥が自分の事が好きという真実を知った喜び、様々な感情が渦巻いて涙を落とす。
「っ、とーや、ごめん、おれ、そんなにとーやを苦しませてるなんて、知らなかった。おれも、とーやがすきだ、あいしてるっ…。とーやにこの気持ちがバレるのが怖くて、捨てたくて、にげたんだよ。とーやといると好きが溢れちまうから。とーやっておれのこと、よく見てるから、気づかれちまいそうで、軽蔑されるのが、気を遣われるのがいやで、にげたんだ。ごめん、ほんとうに、っ…ごめ…ん…」
「あきと…!っ…いいんだ。あきととこうして会えたんだ。それにあきとの気持ちを知れて、両想いだって分かったんだから。こんなにも、幸せなこと、他に無いだろう…。大好きだ、あきと。これからも俺の傍に居てくれませんか?」
「…!あぁ、喜んで。もう、離れたりはしない。幸せを築こうぜ、とーや。」
「ふふ、あぁ。もちろんだ。」
沈みゆく太陽が、静かに影を落とす海辺が二人の恋路を暖かく見守っていた。
青とオレンジのコントラストが2人の姿を色付ける。
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「どうやら、幸せにやっているようだね。」
店主はある一件のメールを開く。
文面と共に一枚の写真が。そこにはそれぞれ青とオレンジが良く似合う二人が幸せな表情を浮かべ写っている。
「彰人くんがこの地を離れて2年が経つのか。月日は早いものだ。…春道はいい加減素直になるべきだが。」
文面には”冬弥と東雲くんから送ってくれと頼まれたから送ったのだが。息子を彼に取られた気がしてならない。”と綴られている。
「言葉が足りないというのは難儀なものだ…。また冬弥くんと揉めても私は仲立ちしないからね。」
そう言いながら、メールを閉じ、立て掛けている一枚の写真を手に取る。
「…私が君に想いを告げていたら、未来はどうなっていたのだろうね。はは、これだから人生というものは不思議なものだ。」
今でも小さな街の小さな花屋は色鮮やかな花たちに囲まれ、街を色付けていた。