眠れない夜を迎えるよりも 本日の営業が終了したモストロ・ラウンジのVIPルームで、アズールの言葉を聞いたフロイドは大きく不満の声を上げた。
「はあぁ?」
剣呑な顔を見てもオーナーは涼しげな表情のまま、机に並べられた書類をまとめた。
「どうしてお前が不服そうなんですか。僕はジェイドに頼んだんです」
「それにしたっていきなりすぎじゃね?」
「ようやく話がついたんです。早く正式に契約してしまいたいですからね。あいにく僕はほかにやることがあるし、ジェイドだけでも問題ないでしょう。ちょうど買い付けの用事もありますし、明日出て、イレギュラーのことも考えて、日曜中に帰って来れば問題ありません」
「そういうこと言ってんじゃねーんだよ」
デスクに両手をついて身を乗り出す。怒気を含んだ低音はほかの寮生だったら恐怖で縮こまりそうな迫力だ。
「ジェイド、必要な書類です」
長い付き合いの青年はまるで恐れず、封筒に入れた書類をフロイドの隣に佇んでいたジェイドに渡した。
「かしこまりました。ですがアズール、この対価はしっかり払っていただきますよ」
穏やかな表情のままきっちり要求する副寮長に、アズールは「わかっています」と答えた。
ふたりの間で決定してしまったことに苛立ったフロイドはデスクを蹴りつけた。
ギロリとアズールを睨みつけ、そのまま無言でVIPルームを出て行った。
「──どうしてあんなに怒ってるんです。そんなに一緒に行きたかったんですかね」
脱力した表情でジェイドを見やる。
「そうならいいんですが」
小さく苦笑したジェイドは片割れを追いかけるべく、書類を手に踵を返した。
寮部屋へと向かいながらフロイドの苛立ちはじわじわと広がっていた。
急な用事を言いつけるアズールはもちろん、すんなり言うことを聞くジェイドにも。
いくら早く契約を決めたいからって明日出発は早すぎるだろう。しかも金曜日だから普通に1日授業を受けたあとに、だ。
フロイドの怒りはそれだけではなかった。
部屋に戻り、自分のベッドに着ていたジャケットを投げつける。窮屈なカマーバンドも剥ぎ取った。さらにその上にうつ伏せに倒れ込む。
少しでも怒りを散らしたくて靴を履いたまま両足をバタバタ動かした。重みと振動にギシギシとベッドが軋む。
「服にシワがついてしまいますよ」
不意に入ってきたジェイドは片割れの様子を見て開口一番に言ったが、フロイドは無視した。
それでも足の動きを止めたフロイドの傍らに片膝をつく。
「アズールはああ言っていましたが、僕と一緒に行きますか?」
優しく問うた。経費は出ないのでフロイドの分は自腹になるが、行きたいのならいくらでも出せばいい。
けれどフロイドが言いたかったのはそうではなかった。首をねじって少しだけ顔をジェイドに向ける。片割れはフロイドの言葉を笑みとともに待っていた。
「──オレ、珍しく土曜日シフトないんだよねぇ」
唐突な言葉に一瞬の間のあと、そうでしたね、と同調する。フロイドの言動が変わりやすいのは熟知していた。
「見たい靴とか服あるし、ジェイドと週末出かけようと思ってたんだ」
ジェイドはフロイドの誘いを断ることは滅多にない。先に予定があるのがわかっていればフロイドも誘ってこない。アズールの言いつけが急すぎたのだ。
フロイドが誘ってくれようとしていたことにジェイドの胸が熱くなる。つまり、大事な片割れは自分とデートしたがっていたのだ。
しかし対価欲しさに先約してしまった。予測がつけられなかったジェイドのミスだ。
「フロイド…」
申し訳なさにうまい言葉が出てこない。かわりにそっと髪を撫でた。艶やかな髪がさらりと流れる。フロイドは気持ちよさげにゆっくりと瞬きした。
困らせたいわけじゃない。全部アズールが悪い。
すべてを幼なじみの寮長のせいにしたらなんだかどうでもよくなった。
ガバリと勢いよく体を起こす。驚いたように目を見開いた片割れに笑いかける。
「まあいーや。ジェイド、お土産買って来てね」
いつもの緩い笑みにジェイドは思わずフロイドに抱きつきそのまま押し倒した。もう一度下敷きになった上着とバンドがベッドに沈む。
「……なるべく早く戻ります」
片割れの首筋に唇を押し当てながら囁く。
くすぐったさに笑いながらフロイドも返した。
「はぁい」
そうしてふたり抱き合ったまま、眠るのがもったいないかのように顔を寄せ合い、しばらく他愛もない話を続けたのだった。