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    jigahabetsu

    @jigahabetsu

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    jigahabetsu

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    男装監督生が沼にどっぷり落ちてどうしようもなくなってアズールに気が狂ったお願いをしに行く話。ちょっと下世話。ずっと小学生みたいなこと話してる。わるぐちじゃないです
    ネームレス。

    #twst夢

    【トレイ・クローバー】とは沼の名前である。「今日も沼男がかっこよかった」
    「その呼び方で褒めるって発想がサイコパスすぎてお前怖いよ」
    「傍から聞いたらただの悪口だもんな」

    午後の授業が一つ休講になり、私たちがやってきたのは図書室だ。明日の小テストのために勉強会をする予定で集まって、席についてまず私はゲンドウでお馴染みのポーズで会話の口火を切った。グリムもいるけど席について即寝た。超可愛い。
    沼男とはあだ名である。
    あだ名というかコードネームに近い。
    沼男、もといトレイ・クローバー先輩。ハーツラビュルの副寮長で3年生でサイエンス部で得意科目は錬金術で特技は調味料当てで好きな食べ物はスミレの砂糖漬けで苦手な食べ物がからしで眼鏡で長身短髪で笑顔が素敵なその人。
    このコード―ネームは私が付けた。もちろん悪意は一切ない。本当にない。
    だってこの人、どこをとっても非の打ち所がないパーペキな人すぎてケチのつけようがなくない?
    かっこよくて優しくて頼れて、頭が良くて運動も出来て、その上お菓子作りが上手でって、何を目指しているのかわからない。アイドル?
    もうこんな人沼でしょ。
    落ちたら終わりの底なし沼っしょ。
    そんなわけで敬意をこめて私は彼を陰でこっそり『沼男』と呼んでいるわけだ。別に名前まで格好いいから、名前を呼ぶだけでときめいちゃって心臓もたないからせめて呼び名でときめきを落ち着かせたいとかそういうことではない。断じてない。断じて。
    は? なんですか?
    私トレイ先輩のこと好きですけど、なんか問題あります?

    ――っておおありなんだけど!

    「好きならコクれば?」
    「無理でしょ」
    「なんで」

    なんでもクソもない。逆になんで二人ともそんな不思議そうな顔してんのさ。
    だいたいね、真正面から告白出来たら陰でこんなこそこそしないよ。私好きな人には結構アグレッシブだし、少しくらい意識してもらう努力とかするよ。
    でも今は絶対無理じゃん。
    だって。

    「今の僕、男ってことになってるじゃん」

    そう。
    何を隠そうここナイトレイブンカレッジは男子校。
    何の因果か異世界召喚される羽目になった私は生まれたときから女だったのだけれど、この学園で生活するにあたって先生方と相談の上男装し、頼れる担任クルーウェル先生が用意してくれた認識阻害の香水を使って男として過ごしている。
    今の私はどこからどうみても男子なのだ。まぁもともと女子にしては身長があったのと、お人形さんのように可愛らしい顔立ちと言動はしていなかったおかげで、それなりに男子として違和感なく生活できていた。困るのはトイレと体力育成のときの着替えのときに目のやり場に困ることくらいだけど、なんとかしてます。慣れって大事。
    ちなみにこのことを知っているのは先生方と各寮長、マブたちだけ。ジャックやエペルは仲は良いけど話していない。信頼できる相手ならと話す許可はもらってるけど、無理に話す必要もないと思っているから黙ってる。多分、あの二人は本当の性別を知っても変わらず接してくれると思うんだけどね。

    とにかく、本来の私はまごうことなく女子。今をトキメク女子高生。
    元の世界ではちょこっとだけ彼氏がいたこともあるし、かっこいい先輩やアイドルにキャーキャーしてたこともある。
    しかもなぜかこの学校、右を見ても左を見てもイケメンしかいない。入学試験に顔審査あんのか、と問いただしたいくらいにはマジで顔がいい男しかいない。
    別に恋多き女だったわけでも惚れっぽいとも思っていなかったけど、こんだけイケメンに囲まれたらうっかり恋に落ちたりしちゃいそうじゃん? でも私は所詮異邦人、いつか元の世界に帰る身で惚れた腫れたに現を抜かすほど楽観的じゃないんです。
    だからずっと気を付けてたし、自分に云い聞かせてた。まぁ顔が良くても性格に難ありな人たちばっかりだったからちょっと安心してたのに。

    「沼男はさ~、ずるいんだよ……」

    勉強なんてもうやる気が起きない。私は机に突っ伏して今日の出来事を思い出した。
    まず朝だ。
    朝グリムが寝坊して時間がないのにゆっくりしっかり朝ご飯を食べるものだから遅刻ギリギリになってしまい、寮から学校までダッシュしていたら、躓いて顔面スライディングしそうになった。この学校石畳なところが多いから日頃から躓き気味ではあったけど、ダッシュのスピードで顔面からはG指定入りかねない。というか女として終わる。
    しかし衝撃の予想に思わず目を閉じても、いつまでたっても痛みはこない。それどころか転んだ気配もない。恐る恐る目を開けると、私の身体はなにやらキラキラと光を纏って浮いていた。驚いて固まっていたら後ろから『大丈夫か』と声が聞こえ、振り向くとそこにいたのはトレイ先輩。どうやら先輩も寝坊していたようで、私よりもうしろからきていたらしい。
    おかげで私が無様に転ぶ場面に遭遇し、助けてくれたというわけだ。ありがたいけど情けなくて恥ずかしい。ちなみに結局授業には遅刻した。

    次に昼休み。
    先生に頼まれて資料を運んでいたら、大食堂の席取り合戦に負けた。呆れるほどに人がいっぱいで、一人分の席すらも空きはなさそうだ。今日はデラックスA定食の日だから狙ってたのに、残念無念。デラックスA定食というのはシェフの気まぐれで発売される定食で、山盛りミートボールスパゲティとポテトグラタンに白身魚のフライ、コンソメスープにデザートのティラミスまで付いて700マドルというお得なセットのこと。もちろんグリムと分けて食べる。
    が、この様子では昼休みが終わるまで席は空きそうにないし、その前にデラックスA定食も売り切れてしまうだろう。
    仕方なく購買でサンドイッチでも買おうかと考えていたら、少し離れたところでトレイ先輩がこっちに手招きしていることに気付いた。朝のこともあったしちょっと恥ずかしかったけど、間違いなく自分を呼んでいる。うううう嬉しい。よくわかんないけど嬉しい。顔がニヤけないよう気合いを入れて人波を縫ってトレイ先輩の方に行くと、なんと席が二人分空いている。どうしたのかと思えば、リドル先輩とケイト先輩が用事で来られなくなってしまったらしい。なら一人で食べようかと思ったところに、席がなくて途方に暮れている私とグリムを発見した、と。そして呼んでくれた、と。天使? 神?
    ただでさえ席が確保できただけでありがたいのに、思いもよらずトレイ先輩とお昼まで一緒に食べられた私の幸運は今日尽きた。明日から毎日雨でも毎日転んでも受け入れよう。
    しかもトレイ先輩、自分で作ったお弁当があるのにデラックスA定食を頼んでしまったとかで、私たちにそれを分けてくれた。やっぱり先輩は天使だと思う。崇めよう。しっかり者なのにとんだうっかりでしたね、と笑ったら、トレイ先輩はニコニコ笑ってた。笑顔かわい~~~。すき。

    とまぁ、今日だけでこんなですよ。
    朝から顔が見られて嬉しかったし、ご飯も一緒に食べられたし、笑顔ははちゃめちゃかわいいし、もう本当トレイ先輩って沼。足を踏み入れたらもう終わりってわかってるのに、気付いた時にはもう片脚どころか両足つっこんじゃってどうしようもない沼みたい。
    超好きマジ好き。
    出会いこそちょっとアレだったけど、私がトレイ先輩を好きになるのにそう時間はかからなかった。
    駄目だってわかってるのに。
    私ってホント馬鹿。某魔法少女のセリフがこんなに身に染みる日が来るとは思わなかったよ。
    一応図書室なので小声でぼそぼそと呟けば、呆れたようにエースが云う。

    「だからマジ一回コクってこいってば」
    「そうだぞ監督生、お前らしくもない。潔く当たって砕けろ!」
    「砕けたくないからコクりたくないんだけど!?」

    グッと拳を握ってカツを入れてくれるデュースくんには申し訳ないんだけど、砕けたくないんだわ。砕けるくらいなら遠くから黙って見てるだけでいいんだわ。なんなら麓の街だとかイベントで学校に来て出会った可愛い女の子に告白されて付き合い始めるところまで見て泣くまでセットでいいんだわ。
    だってそれなら『後輩』という位置は変わらずにいられるし。告白して振られたら、私の性格からして絶対に距離を取る。極力顔を見ないように心掛けて過ごす。振られたところですぐ嫌いになれるほど私は自分の心をコントロールできないから、きっと顔を見るたびにまた好きになってしまうから。
    そんなの辛いだけだ。
    だから告白したくない。
    もごもごとそんなことを云えば、デュースは黙ってしまった。優しいよねデュース。
    が、何故かエースは違った。

    「いや、砕けるともかぎらねーだろ」

    なんでだ。
    しかし多少興味はあるので、続きを促す。
    私たちの視線が集中したことを確認したエースは、満足そうに続けた。

    「まずトレイ先輩は基本的に誰にでも優しくて面倒見がいい人だけど、監督生には特にその傾向が強いだろ」
    「……常識なさすぎて不憫に思われてるんじゃない?」
    「でも確かにそうかもしれない。クローバー先輩、僕とエースが一緒に寮に戻ると、ちょっと周りを見るんだ。あれって今考えると監督生を探してるのかもな」
    「いや、んなわけ」

    ないだろ。
    だってあのトレイ先輩だよ? モテという概念を人間にしたらこう! みたいなトレイ先輩だよ?
    なんでそんな人が私なんかを気にかけるのさ。やっぱ常識もないし頭も悪いから気になっちゃって目につく、とかそういうことだと思うよ。
    いや、まぁ、もしね、もしトレイ先輩が私のことちょっとでも気にかけてくれてるならそれは嬉しくないのかって云われたら、嬉しいに決まってるんだけど、ほら。

    「第一、僕、男と思われてるんだし……」
    「何云ってんだ監督生! 好きならそんなの関係ないだろ!?」
    「いやあるよあるある関係大ありじゃない!? 恋愛対象突き抜けられるほど好かれてる自信とかないからね!?」
    「トレイ先輩、男と付き合ったこともあるってよ」
    「マジ!?!?!?」

    何それどこ情報だよ。さらっとぶっこんできたエースがキメ顔でサムズアップしてるけど、それだせぇよ。この世界の流行り?
    男と思われてる今の状況でその情報は私にとって朗報では、と一瞬テンションが爆上がりして、秒で爆下がりした。

    「……やっぱ駄目だよ」
    「なんで」
    「だってさ、僕のことを男だと思って付き合ったら実は女でした、てなるわけでしょ。ついてるものがついてなくて、ついてないものがついてんだよ。興ざめじゃん」
    「安心しろ監督生、男はみんなおっぱい好きだよ」
    「このおっぱい星人め!!」
    「お、大声でなんてこと云うんだ……!」

    なんて馬鹿みたいな話をしているうちに二人とも部活に行く時間になってしまった。このときになってようやく起きたグリムは最近マジフト部の練習に混じっているらしい。まぁ部員になっても試合には出られないし、朝練なんて絶対無理だろうから、たまに人数合わせで試合をさせてもらうくらいだけど、グリムが楽しそうなのでそれはそれでおっけー。
    というわけで片付けを始めたけれど、図書室に来た時と変わらずノートはまっさらなままだった。そりゃそうだ、結局恋バナにもなれない愚痴で終わったんだから。

    「あー結局微塵も勉強しなかった。明日の小テスト死んだわ」
    「誰のせいだよ」
    「監督生だな」
    「誰でもいいから魔法薬学教えてくんないかなー、なんでもするから」
    「本当か?」
    「ホントホント。明日のテスト乗り切れたらチューでもなんでもしちゃう」
    「そうか。それは楽しみだ。なら俺が教えてやるよ」

    ギシリ、と。
    電源の切れた機械みたいに自分の動きが止まったことを自覚した。
    待て。
    待て待て待て。
    今の声は誰だ、どこから聞こえてきた?
    エースじゃない、デュースじゃない、起きたグリムでもない。
    じゃあ、背後から聞こえてきたさっきの声は――私の肩に置かれたこの手は、一体誰のもの?
    おそるおそる振り返り、そこにいたのは。

    「……へ?」
    「く、クローバー先輩!?」
    「あれートレイ先輩なんでここに?」
    「なんでって、俺が図書室にいたらおかしいか?」
    「そうじゃないッスけど……って、トレイ先輩が監督生に勉強教えてくれんの!?」
    「ああ。魔法薬学は得意科目ってわけでもないが苦手でもないし、小テストくらいの範囲なら十分教えられるからな」
    「だってよよかったな監督生!」
    「え、あ、いやその」
    「俺じゃ不満か?」
    「そ、そういうわけでは」
    「なら決まり。行こうか」
    「え!?」

    気付けば私の荷物はまとめられてトレイ先輩の手の中だった。早業過ぎん? 前世大泥棒とかだった?
    そして展開についていけず固まっている私の手首を、トレイ先輩ががしっと掴む。わぁ大きな手。私の手首ぐるっと回っちゃってるじゃんとか考えてたらするっと普通に手を繋がれた。ほ、ほげぇ。
    咄嗟にエースとデュースを振り返ればなんとも微笑ましそうな顔でこちらを見ており、寝起きでまだ眠そうな顔でグリムは白いハンカチを振っていた。嘘でしょ、私、売られてる? 気分はドナドナだ。
    言葉が出なくてされるがままにしているうちに図書室から連れ出され、ハッとしたときに私はもうハーツラビュルのトレイ先輩の部屋にいた。瞬間移動でもしたのか、あるいは記憶を消されてるのかどっちかしか説明つかないんですけどどういうこと。
    しかし、トレイ先輩の部屋。
    レオナ先輩の黒歴史真っ盛りのときに一度来たことがあるけど、あれ以来初めて訪れる。だって学年も寮も部活も違えばほとんど関わりなんてないし、自分からはなるべくトレイ先輩に関わらないようにしてた。
    だって沼だし。
    ただでさえ好きなのに、積極的に関わってもっと好きになってうっかり告白なんかしちゃったら死ぬし。
    だというのに、何度も云うけど普段はほとんど関わりなくて、たまに【なんでもない日のパーティー】に呼ばれたときに話したり、廊下ですれ違ったときに挨拶する程度だってのに、いきなり部屋。
    やばいやばいいい匂いする。私の部屋よりめっちゃいい匂いする。マイナスイオンとか出てそうな雰囲気すらある。深呼吸したら日頃のストレス全部吹っ飛ぶと思うけど、絶対引かれるからなんとか我慢した。むしろ呼吸を止めるべきか考えた。死ぬ。
    駄目だ。
    長時間ここにいたら私の精神は崩壊する。

    「あ、あの、トレイ先輩。ここまで来てからなんですけど、僕大丈夫です、一人で勉強できますんで」
    「でも不安なんだろ?」
    「いやまぁ……それは……」
    「さっきちらっと範囲を見せてもらったけど、確かにややこしいところなんだよな。でも覚えるコツがあるから、それを教えてやるよ」

    善意しかない綺麗な笑顔を見て、思わず私は息を飲む。
    やばいかっこいい。
    というかマジで私には難しい範囲で一人で勉強しても意味なさそうだから、正直な話、コツ、知りたい。
    人として終わりたくない気持ちと、純粋に勉強を教わりたい気持ちが心の天秤の中で激しく揺れる。
    結局、あれよあれよという間にお茶を出され席に座らされた私は、いろいろ我慢してトレイ先輩に勉強を教わることにした。勉強、そう、私はここに勉強に来ているのだ。真面目に勉強していたらトレイ先輩かっこいいキャー! とかやってる暇はないはず。というかそんなことやってるほど成績に余裕はないので真面目にやれ私。
    そんなわけで小一時間、本来の目的である魔法薬学に加え、ついでに魔法史もちょっと教えてもらった。無事発狂せずに済んだ。

    「……なるほど! 理解できたと思います!」
    「よかった。覚えてみれば簡単だろう? 苦労して覚えたことは忘れにくいしな」
    「はい。本当にありがとうございます、これなら明日のテストも大丈夫そうです!」

    トレイ先輩の教え方はとても丁寧でわかりやすかった。
    授業は私の頭に合わせていられないから、結構ついていくのが大変なのだ。板書しているうちに次に進まれて結局何も頭に入らないことがままあって、エースやデュースに助けてもらったり、放課後先生に訊きに行ってやっと理解出来たり、というかなり効率の悪い勉強の仕方になっていた私には、トレイ先輩に教えてもらえるのは本当に助かった。
    ややこしいと思っていた部分も先輩の云う通りに覚えたらすっと頭に入ったし、これなら明日の小テストもなんとかなりそうだ。
    改めてお礼を云うと、なぁ監督生、とトレイ先輩に呼ばれる。
    なんですか、と首を傾げると。

    「勉強教えたらなんでもしてくれるって、さっき云ってたよな」
    「ぅえっ!? いやまぁ、はぁ、その、私に出来ることなら……」

    そんなことも云ったっけな、と思い出しながら首を縦に振ると、トレイ先輩は満面の笑みを浮かべて云った。は、かわい。

    「明日のテストでいい点取れたら、俺と付き合ってくれないか?」


    ◇◆◇◆


    翌日の小テスト。
    授業終わりの10分で解いて、最後の5分でクルーウェル先生が答えと解説を教えてくれた。
    つまり結果はその場でわかる。
    私は手元のテストを見て頭を抱えるしかなかった。

    「監督生、どうだった?」
    「トレイ先輩に教えてもらったんだからばっちりだろ?」

    今日は席が取れなくてちょっと遠くに座っていた二人が、授業が終わっても立ち上がらない私のところまできて声をかけてくれた。
    結果。
    結果ですか。
    私は無言でテスト用紙を二人に見せた。

    「……満点。やるじゃん」
    「なのにどうしてそんなにへこんでるんだ?」

    結果と行動が真逆な私に首を傾げるマブ二人に、同じく満点を取って満足そうに胸を張るグリムが、『この小テストの結果がよかったらトレイ先輩に付き合おうって云われた』ということを丸っと話してしまった。昨日どうやって寮に戻ったのか覚えてないけど、談話室で顔を合わせたグリムに相談したのだ。誰にも云わないでねって云ったのに!
    しかしその話を聞いたマブたちは何故か一気にテンションを上げた。

    「へぇ、よかったじゃないか!」
    「大人しく付き合えばよくね?」
    「簡単に云わないでよぉ……」

    この二人、私の事情を知っているくせに簡単にこんなことを云ってくれる。
    やったー満点だートレイ先輩と付き合っちゃお! となれたらどんなによかったことか。

    昨日のトレイ先輩の言葉をもう一度頭に思い浮かべる。
    嬉しい。
    先輩はたまにちょっと悪質な冗談は云うけれど、こういうタイプの冗談は云わないと思う。
    でも、仮に本気だったとして、そんなの、無理じゃん。
    私は好きだよトレイ先輩のこと。
    嘘でも冗談でも嬉しかったよ、付き合おうって云われて。少なくとも、冗談でもそんなことを云われる程度には好かれているってことだし。
    付き合いたいかどうかと云えば付き合いたいに決まってる。だって好きなんだから。
    でもさ、でもさ、やっぱ何回考えても無理なんだって。
    だったらわざと悪い点数を取ればよかったのかもしれないけれど、そんなことも出来ない私はどっちつかずすぎる。

    「そんなに悩んでてもさ、監督生はクローバー先輩のことが好きなんだろう?」
    「好きだよ。超好き。付き合いたい」

    トレイ先輩を好きになってから、トレイ先輩の彼女になる日を夢に何度見たことか。
    朝待ち合わせて一緒に学校に行って、お昼も一緒に食べて、廊下ですれ違ったら秘密の挨拶とかしてみたり、休み時間にベンチでおしゃべりしたり、理由をつけなくても会いに行ける喜びをかみしめてみたり。
    それはきっととても幸せで満ち足りた日々だろう。

    トレイ先輩の恋人になりたいよ。
    でも今の私では『彼女』にはなれない。
    だって男だから。
    先輩の望む『彼氏』にもなれない。
    だって女だから。
    私は中途半端なのだ。
    結局のところ、単なる後輩の一人でいるしかない。それが私に残った選択肢。

    だから、いくら私がトレイ先輩を好きでも、きちんとお断りをしなければ。
    私ごときがトレイ先輩を振るとか、世のトレイ先輩ファンから刺されても文句は云えないなぁ……。
    と、ちょっと泣きそうになって思いっきり目をこすっていると、ぽん、と肩に手が乗った。
    デジャヴ。
    涙が引っ込んで、振り返ると。

    「なら、問題ないな」
    「へっ」
    「俺も好きだよ、監督生」

    神出鬼没のトレイ先輩は、ものすごく嬉しそうな顔でそう云った。
    私がトレイ先輩を好きだと云ったのを聞かれてしまったらしい。
    かくして私はトレイ先輩の恋人になった。

    ――なって、しまった!


    ◇◆◇◆


    「取引をお願いします」
    「嫌です」
    「そこを何とか!!」
    「面倒くさそうな予感しかしないんですよ、あなたからは」
    「アズール先輩、冷たい!!」

    バイト終わりのVIPルームで、私は必死こいて貯めたポイントカードを5枚ほどアズール先輩の机に叩きつけて頭を下げた。だというのにすげなく、たったの三文字で断った冷酷商人に私は食い下がる。
    すると本気で心の底から嫌そうなため息を吐き出したアズール先輩は、めんどくさそうに口をへの字に曲げて頬杖をついて云った。

    「一応聞くだけ聞いておきましょう。何がお望みですか?」
    「男根」
    「は?」
    「だから、僕に男根を生やしてください。そういう魔法薬の一つや二つ、あるんでしょう?」

    目が点になっていた。顔文字みたいな顔だ。レアだ。
    アホ面なのに格好いいって、本当にこの人の顔は整ってるなぁとぼんやり思う。性格ももうちょっと整ってたらよかったのにね。
    なんて失礼なことを考えていると、ハッとした様子のアズール先輩が一つ気まずそうに咳払いをした。

    「……あなた女性でしょう」
    「そうですよ。あ、確かめたいんですか?」
    「そんなこと云ってないでしょう!!!」

    思ったより怒られた。しょんぼり。冗談なのに。
    ちなみにアズール先輩は私が本当は女だということを知っている。というか寮長とマブたちは知っている。何かあった時の保険として、そして有事の際には協力してもらうための措置だ。
    先ほどとはまた違ったため息を零したアズール先輩は、今度は呆れたように眉を顰めて云う。

    「なんでそんなものが欲しいんです?」

    そんなものっていうけど、あなたにもついてるでしょう、そんなもの。今の私が欲しくてたまらないもの。下ネタじゃないよ。
    アズール先輩に依頼をしようと決めたときにすでに腹は括っている。とはいえいざ口に出すとなるとやっぱり緊張して、何度か深呼吸をしてからやっと私は口を開く。

    「……実は、トレイ先輩とお付き合いすることになりまして」
    「ほぉ。それはよかったですね。あなた以前からトレイさんにご執心なご様子でしたから」

    うっそバレテーラ。恥ずかし。
    いや今は照れてる場合ではない。
    ゴホンとひとつ咳払いをし、なんとか私は真面目な顔になる。アズール先輩も一応聞いてくれるようで、静かに私の言葉を待ってくれた。

    「……でもトレイ先輩は僕のこと男だと思ってるわけじゃないですか」
    「はぁ」
    「ということは、トレイ先輩が付き合いたいのは、男の僕ってことじゃないですか」
    「……はぁ?」
    「だから必要なんですよ。ちんちんください」
    「少し落ち着きなさい」
    「これが落ち着いていられるか!?」

    宥めるような云い方のアズール先輩。しかしそれが今の私には逆効果だ。
    思わずテーブルを乗り越えてアズール先輩に肉薄し、その胸倉を思いっきりつかむ。まさか私がそこまで切羽詰まってるとは思っていなかったのであろう先輩は、ギョッとしたように目を見開いた。
    こんな相談してる時点で切羽詰まってると思ってほしい。伊達や酔狂で生やしてくれなんて頼まない。

    「好きな人といちゃこらしたいと思うのは当然でしょう!? がっかりもされたくないでしょう!? 僕はトレイ先輩にがっかりされたくないんですよ、だからちんちんください!! トレイ先輩のためならおっぱいなんてなくなってもいいから!!」
    「普通逆じゃないんですか!? 僕、陸の雄はみんな胸が好きだって聞きましたけど!!」
    「何情報か気になるけど、そりゃ女子が相手ならそうなんでしょうが、残念ながら今の僕は徹底的に男にならねばならないんですよ……!!」
    「だからまずその辺をちゃんとトレイさんに確認してきなさいよ!!」
    「そんな恥ずかしいこと訊けませんよ!!」
    「今のあなたの方が相当恥ずかしいですけど!?」
    「あなたに恥ずかしいところ見られてもなんのダメージもありませんから」
    「上等だ、相手になりましょう」
    「ごめんなさいアズール先輩、僕、あなたのことそういうふうには見られなくて……」
    「あなたが本当に雄だったら容赦なくぶん殴ってやるのに」

    心底悔しそうに云うアズール先輩怖すぎ。女でよかった。いやよくないわ。
    しかし私もここで大人しく引き下がるわけにはいかないのだ。
    私にはなにがなんでも男根が必要だから。

    トレイ先輩の恋人と云う世界がうらやむ地位に昇格してそろそろ一か月になる。
    私たちは、非常に、とても、かなり清いお付き合いをしている。
    朝待ち合わせて一緒に登校して、教室まで送ってくれて、昼は時間が合えば一緒に食べて、放課後は部活がない時は一緒に勉強して、ハーツラビュルの門限前に寮まで送ってもらって、夜に少しメッセージのやり取りをする。こんな日々。
    恋人らしいかと云われたら疑問だけど、それでも私は幸せだった。今まで生きてて一番幸せな一か月だったと断言してもいい。
    好きな人の隣にいられることがこんなにも幸せだとは思わなかった。
    キスは、一回だけした。
    つい先日のことだ。
    少し早めの時間に寮まで送ってくれたトレイ先輩が、珍しく喉が渇いたからお茶をもらいたいと云ってきた。もちろんお安い御用なので、前にアズール先輩にバイトのご褒美にともらったとっておきの紅茶を用意した。
    ハーツラビュルと違ってお菓子は常備していないので紅茶だけになってしまったけれど、トレイ先輩がうちの寮の談話室にいるという状況だけでなんだか私は胸いっぱいになっていた。
    だから、会話の途中で不自然に言葉を切ってカップを置き、私の手を握って、じっと私の顔を見つめてきたトレイ先輩の顔が近付いてきたときは、何が起きているのかわかっていなかった。
    キスされたのだと気付いた瞬間、ぶわっと顔から火を噴きだすかと思った。
    触れるだけの子供みたいなキスだ。
    そんなキス、元カレとならしたことがある。
    でもきっと、こんなに心臓が痛くなるほど緊張もしなかったし、幸福感もなかった。
    トレイ先輩とキスをした。
    赤くなって固まって言葉も出ない私を抱き締めてくれたトレイ先輩は、耳元で『好きだよ』と云ってくれた。
    喘ぐようになんとか息をしながら、私もこわごわと先輩の背中に手を回して、震える声で『ありがとうございます』と云った。私も好きだと云えばよかったのに、どうしてか言葉が出てこなかった。

    私は独りよがりだった。
    私はトレイ先輩の傍に居るだけで満足だったけれど、そりゃあ、だって、トレイ先輩は普通の男子高校生なのだ。恋人がいるなら触れ合いたいと思うに決まっている。私は馬鹿だから、その時になってやっと気付いた。
    トレイ先輩と触れ合うことはもちろん嫌じゃない。緊張するし恥ずかしいけど、嫌なわけがない。だって私はトレイ先輩のことが好きなのだから、そう思うことははしたないことじゃないと思う。
    が、そこで発生するのが性別問題だ。
    私には必要なものがある。
    そう、ちんちんだ。
    トレイ先輩の恋人でいるために、必要なもの。男同士でやるときにどう使うのかは知らないけど、男と付き合ったことがあるというトレイ先輩が教えてくれるだろう。
    とにかくそれをなんとかして手に入れなければならない。
    そのためなら、アズール先輩の胸倉を掴んで締め上げる程度の悪行は喜んでしよう。どうせ本気で振り払われたら私の力では勝てないし、ポーズと云うのは重要だ。私はこれだけ必死なのだというポーズ。いやまじで必死なんですけど。

    「だからお願いしますよアズール先輩、僕にちんちん生やしてください」
    「嫌です面倒です」
    「なんでよケチ、ケチ人魚!」
    「ケチで結構、とにかく一度冷静になるべきですよ、あなた」
    「僕はずっと冷静です。ちんちん生やしてくれるまで諦めないから」
    「連呼するな!! とにかく一度どきなさい、少し話を」
    「アズール、お客様です」

    唐突に、ノックと共に声がする。
    ジェイド先輩のものだった。
    そして。

    「あ、ちょっと待ちなさいジェイド、今――……」

    ガチャリ。
    無慈悲な音を立ててドアが開く。
    アズール先輩のストップに意味はなく、必死すぎた私はこの体勢を維持することしか出来ず。

    「――何をしているんだ?」

    低い、声だった。
    ひゅん、と喉が鳴る。
    一瞬で体温が下がり、冷や汗をかく。

    「と、れいせんぱい」
    「監督生、こっちに来い」

    ジェイド先輩と一緒に現れたのは、なんとトレイ先輩だった。
    笑顔ではあっても、怖い。あれは時折見る、怒ってる顔だ。
    何でいきなり、と思うのはあとにして、私は急いで云われた通りトレイ先輩の傍に行く。逆らってはいけないと本能が叫んでいた。
    私から解放されたアズール先輩は襟元を直しながら重く息を吐く。

    「誤解がありそうなので説明させて頂きますが、僕は」
    「いやいい、監督生に話を聞く。アズールは何も悪くない」
    「へ」
    「悪いが今日は出直させてもらうよ。案内してもらったのにすまないな、ジェイド」
    「いえいえ、お役に立てたようで幸いです」
    「それじゃ」

    私は何も言葉を挟む隙がなかった。
    あっという間にVIPルームから連れ出され、そしてトレイ先輩の部屋へ。これもデジャヴだ。あれはそう、確か小テストのための勉強を教えてもらったとき。
    もうあれから一か月かぁと呑気に感傷に浸ったのは、多分現実逃避だろう。
    やんわりと背中を押されて部屋に足を踏み入れて、すぐに聞こえた施錠の音。ごくり、と喉が鳴った。
    や、やばい。
    何故か怒っているトレイ先輩に、掛ける言葉がみつからない。
    ごめんなさい? 何に対して怒ってるのかわからないのに謝るのもおかしい気がする。
    なんで怒ってるの? 火に油を注ぐのは趣味じゃない。
    どうしよう。
    トレイ先輩は私をベッドに腰掛けさせ、その前に立つ。扉は先輩の後ろ、窓までの間にはベッドがあるし、よしんば出れてもここから飛び降りて無傷でいられる自信はない。
    つまり、逃げ場がなかった。
    背中を嫌な汗が伝う。
    トレイ先輩が今どんな顔をしているのか確認するのが怖くて、顔を俯けたまま上げられない。

    「アズールと何を話していたんだ?」
    「いや、えっと、そのぉ」
    「随分距離も近かったな。いつもああやって話すのか?」
    「ち、違います、今日はちょっといろいろありまして」
    「いろいろって? 俺にも教えてくれないか」

    無理!!
    云えるか!!

    叫びそうになる自分を抑え込み、唇を噛みしめる。
    だってアズール先輩に男根生やしてくださいって頼んでました、なんてバレたら、私が男でないことがわかってしまう。
    折角、トレイ先輩の恋人になれたのに。
    本当はトレイ先輩の恋人になる資格がないって、バレちゃう。
    そんなの、やだ。

    付き合う前ならよかった。
    手に入る前ならよかった。
    でももう私はトレイ先輩と付き合っていて、この立場の甘さを知ってしまった。
    一生は無理かもしれなくても、せめて私がこの世界にいる間だけでも、私はこの立場にしがみついていたい。
    トレイ先輩の特別でいたい。
    だから、ちゃんと男にならなくちゃ。

    「……なぁ監督生。お前が俺を好きだって云ってくれたのは、嘘だったのか?」

    ハッとして顔を上げる。
    だって今のトレイ先輩の声は、なんだかとても悲しそうだったから。
    見れば、いつものにこにこと優しい笑顔を浮かべているトレイ先輩の顔から表情が消えていた。
    その目に浮かんでいるのは、寂しさと、悲しさと、怒り。
    私は目が離せなくなって、固まる。

    「俺はお前が好きだよ。最初は危なっかしくて目が離せないだけだったのに、いつの間にかただお前を見ていたくて、どこにいてもお前の姿を探してる自分に気付いた。性別なんて関係ない、異世界人だってどうでもいい。今俺の目の前にいるお前のことが、好きなんだ」

    呆然とトレイ先輩の言葉を聞いていた私に、手が伸びてくる。
    怖いとは思わなかった。
    先輩の手が私の頬に触れて、唇に触れて、首に、肩に、それから覆いかぶさるように抱き締められる。
    視界がトレイ先輩でいっぱいになる。

    「だから絶対他の奴になんて譲らない。お前は俺が好きで、俺もお前が好きなんだ。絶対、譲らない」

    ぎゅう、ときつく抱き締められて、苦しい。
    けれどこの苦しさの理由は、それだけじゃなかった。

    「ごめんなさい」

    掠れた情けない声が出た。
    一気に目が熱くなって、ぼろぼろと涙が零れた。
    身体を離して私を見たトレイ先輩が、ぎょっとしている。
    ああ、ごめんなさい。
    泣くつもりなんてなかったのに。
    きっと私が本当に男だったら、こんなふうに泣かなかったかもしれないのに。
    それでも。
    私は、溢れる思いを口にせずにはいられなかった。

    「ごめんなさいトレイ先輩、僕、本当は男じゃないんです」

    トレイ先輩の目が大きく見開かれる。
    そりゃそうだろう。
    男だと思って告白した相手が実は女だったのだ。
    驚くに決まってる。

    「こ、香水が認識阻害薬になってて、男装してて、だから本当は女で、みんなに……トレイ先輩に嘘吐いて、だま、だ、騙してて」

    駄目だ、泣くな。
    そう自分に云い聞かせても無駄だった。
    あとからあとから涙が溢れて、ひゃっくりあげてしまう。
    ちゃんと聞こえるように話すのが精いっぱいで、涙を止めることが出来ない。
    悔しい。
    情けない。
    こんな私は、やっぱり今のままではトレイ先輩の恋人でいる資格なんかないのだ。

    「先輩が僕のこと好きって云ってくれたの嬉しいのに、でも先輩が好きになってくれたのは『男の僕』だから、お、女だってバレたら嫌われちゃうかもしれないから、だからアズール先輩にお願いしに行ったんです」
    「な、なにを」
    「ちんちん生やしてくださいって」
    「は」
    「だってそうしないといざって時にバレちゃうじゃないですか。僕先輩に幻滅されたくないから、だから」
    「待て待て待て待て、待ってくれ!!」

    聞いたことないような焦った声に、私は思わず口を閉じる。
    トレイ先輩は額に手を当てて、考え込むように眉間に皺を寄せて目を閉じていた。
    ややあってゆっくりと上げた顔に浮かぶ表情は、なんだかとても複雑そうなものだった。

    「……俺のため?」

    頷く。

    「俺に幻滅されないために、アズールに迫ってちん……いや、その、生やしてもらおうと?」

    頷く。

    「でもアズール先輩、なかなか首を縦に振ってくれなくて。だからどうにかしていうこと聞かせようとして掴みかかってました」
    「そこを丁度俺が目撃したってことか……」

    三度頷く。あれは最悪のタイミングだった。ほんとアズール先輩って不運というかタイミングが悪いというか空気が読めないというか。トレイ先輩は悪くない。悪いのはアズール先輩だ。わかってます八つ当たりです。
    あとジェイド先輩もいつもだったら勝手にドア開けないくせに、今日はアズール先輩の許可を待たずに開けたあたり確信犯な気がする。あの人には絶対女だってバレたくないと改めて思った。

    全部吐き出してすっきりできたからか、ようやく涙は止まってくれた。
    制服の袖でがしがし目元を拭いてたら、トレイ先輩がタオルを差し出してくれたのでありがたく受け取る。うわいい匂いするっていうかトレイ先輩の匂いするやばい。ホッとする、安心する匂い。折角止まった涙がまた零れそうになって、また私は慌ててタオルを目に押し付けた。

    「……監督生」
    「だからごめんなさいトレイ先輩、僕、何とかしてちんちん生やすのでもうちょっと待っててください。アズール先輩が駄目なら他の人に頼んで、そうだ、もしかしたら性転換手術とかってこの世界にもありませんか? 魔法で一時的にゲットするより、恒久的に自分のものに出来た方がいいですよね。カリム先輩あたりならそういう知り合いいないかな……僕、ちょっと訊いてきます!!」
    「頼む監督生、俺の話を聞いてくれ」

    善は急げと部屋を飛び出そうとして、それは出来なかった。トレイ先輩の手ががっちり私の肩を掴んでいる。その手がちょっと震えてた。あれ、先輩もしかして笑いそうになってる? こちとら本気なんですが? 先輩のためなら性別変えるのくらいやってやりますけど? 元の世界で待っていてくれているであろうお父さんお母さん弟よ、お姉ちゃんはお兄ちゃんになりますよろしくね。

    「単刀直入に云うと、お前はそのままでいい。生やそうとしなくていいんだ」

    ガンッと頭に衝撃が走る。
    それは。

    「……つまり僕にはもう興味がないと」
    「なんでそうなる。興味ありありだからちょっと聞いてくれ」

    ありありなのか。云い方可愛い。は、好き。
    私は大人しくトレイ先輩の言葉を待った。

    「俺、云っただろう。性別なんて関係ないって。お前が男なら男のお前が好きだし、女だってカミングアウトされたら女のお前を好きになるよ。そりゃ、どうしても監督生が男になりたいって云うなら……応援するけど。違うんだろ? 俺が男を好きだと思ってるから生やしたいって、そういう話なんだろ? だったら必要ない。ありのままのお前が好きだよ、俺は」

    すとん、と力が抜けた。

    「……いいの?」

    言葉が、零れた。

    「僕……私のまま、あなたを好きでいいの? 私でも、トレイ先輩は私を好きでいてくれるの?」
    「もちろん。好きだよ」

    途端、世界が薔薇色に染まった。
    自分でもわかるくらい馬鹿みたいにテンションが上がって嬉しくなって、思わず私はトレイ先輩に抱き着いた。

    「嬉しい。トレイ先輩大好き」

    本当はずっと、こうしたかった。
    好きだって云われて素直に喜びたかった。
    ありがとうございます、私もですって云って抱き締めてもらいたかった。
    だけど本当の性別がバレて嫌われるのが怖くて、私はトレイ先輩の手を何度も振り払ってしまった。
    ちゃんと話を聞かなかったから勝手に誤解して、傷付けてしまった。
    でも、それでもトレイ先輩は私でいいって云ってくれた。

    どうしよう、嬉しい。
    どうしよう、幸せ。

    異世界転移なんて笑えない冗談に巻き込まれて私の人生終わったと思ってたけど、もうこれで全部チャラになった気がする。
    だってトレイ先輩、私のこと好きだって。
    私が好きな人が、私のことを好きだって。

    今までの彼氏は、向こうから告白してきたからなんとなく付き合い始めた程度だった。まぁまぁ見た目もかっこよかったし、別に嫌いな人じゃなかったからまぁいっか、っていう軽い気持ちで付き合った。
    多分向こうもそういう私の気持ちに気付いていたみたいで、最初はそれでも楽しくしてたのに、そのうち自分と同じくらいの熱量で自分のことを好きじゃないってことに疲れたようになっていった。そうして、ちょっとずつしんどそうな顔をし始める。だから別れた。
    付き合ってみれば好きになれるかとも思ったんだけど、嫌いではないし好きかもしれなくても、相手が私を想ってくれるようにはどうしても想えなくて、私もしんどかった。
    でも、しょうがないって思ってた。
    きっといつか彼にも同じくらい自分を好きになってくれる人が現れますように、なんて勝手に願ってた。

    だから、多分、私の初恋はトレイ先輩なのだ。
    こんなに好きだと思った人は初めてで、好きだと云われて嬉しいのも初めて。
    ドキドキしてわくわくして、そわそわして胸がいっぱいだ。
    好きな人が同じくらい自分を好きなことがこんなにも幸せだなんて、私は初めて知った。
    私はトレイ先輩が好き。
    トレイ先輩は私が好き。
    正真正銘の両想い。

    ああ、なんて素敵なの!

    ぎゅうぎゅうと抱き着きながら私は幸せの絶頂で、この気持ちをどうにか伝えたくて少し身体をを離すと、トレイ先輩の手が私の頬に触れた。大きな手。男らしくてちょっと指の皮がざらついてて、でも優しい手。少し甘い匂いがする気がするのは、いつもお菓子を作っているからだろうか。それがまるでガラスを触るみたいに慎重に私に触れるのが嬉しくて、すり寄せるように先輩の手に首を傾ける。

    「あのね、トレイ先輩、私んむっ!?」

    途端、唇に柔らかいものが押し当てられた。
    キスだ。
    私は今、トレイ先輩とキスをしている。
    さすがに二度目ともなると前回よりはましで、死ぬほど固まるということはなかった。
    何より本当の意味の両想いだと確信した今、このキスは前回よりもずっとずっと心が満たされるもので。
    嬉しくなってそっと先輩の背中に腕を回した――その瞬間、少し開いていた口の隙間にぬるりと熱く質量感のあるものがねじ込まれた。
    一瞬真っ白になった頭は、しかしそのまま呆けている暇などない。
    舌だ、と気付いたそれは私の舌を器用に絡めとり、吸い上げる。息が苦しくなって逃げようとしても、今度はがっちり頭を抑えられた。

    「待っ、と、れい、せんぱっん!」
    「ごめん、待てない」
    「んぅッ」

    これは、やばい。
    いろいろと、やばい。
    え、キスってこんなに気持ちいいものだっけ?
    というかトレイ先輩の舌何、生きてる?
    舌が触れる場所すべてが気持ちよくて、背筋に鳥肌が立つ。どうしたらいいのかわからないからせめて先輩の舌を追いかけたら、そこから更に深く口付けられた。舌を吸ったり軽く噛んだり、歯をなぞられたり。
    気持ちがいい。
    溶けてしまいそう。
    無意識に固く握りしめていた手にトレイ先輩の手が触れて、解されて、絡まり合う。
    どれだけそうしていたのかわからないほど気が遠くなり、ふと解放された私の舌と、離れていくトレイ先輩の舌の間に銀色の糸が繋がって、プツリと切れた。

    「……とれい、せんぱい」
    「……監督生、かわいい」

    云って、先輩は私の目元にキスをしてくれた。
    罪悪感の涙ではなく、快楽の涙が浮かんでいたのだ。
    だってあんなの、泣いちゃう。
    嬉しくて、幸せで、多分私、今なら死んでも後悔はないってくらいだ。
    どうしよう。
    何か云わなくちゃ。
    そう考えているとまた唇を塞がれて、ベッドに押し倒される。
    ちょっと待ってさすがに心の準備が。
    でも嫌なわけじゃないから拒否も出来ないし拒否したいわけでもないし、どどどどどうしよう。
    さっきとは違った意味で焦っていると。

    ――コンコンコン

    「トレイ、いるかい?」

    ノックと、声。
    リドル先輩のものだった。
    さすがのトレイ先輩もこれは無視できなかったようで、ピタリと動きが止まる。よ、よかった。

    「寮に監督生が来ていると聞いたのだけど、一緒にいるんだろう?」

    さすが寮長、お見通しだった。ここで初めてトレイ先輩が焦ったような顔をした。
    ハッとして私は念のため耳打ちする。

    「あ、あのトレイ先輩、リドル先輩は知ってます。というか寮長と先生とエースデュースは知ってます。普段からいろいろ協力してもらってて……」
    「……そうか」

    うわ声ひっく。
    初めて聞くタイプの声に思わず息を飲むと、それに気付いたようにトレイ先輩は困ったように笑った。あ、それは知ってる顔。

    「ちょっと待ってくれリドル、今開ける」

    身体を起こしたトレイ先輩は、私のことも手を引いて起こしてくれた。優しい手。やっぱりこの手、好きだなぁ。
    それからドアの方に一緒に行こうかと思ったら、手で制された。待っていてほしいということだろう。
    でも私も当事者だし、もし知らないうちにハーツラビュルの寮則違反とかさせてたら申し訳ないと思ったんだけど。
    まぁその時は改めて謝ろう、と考え直し、私は大人しくベッドの端に座って待つことにした。
    ドアを開けるとそこにはリドル先輩がいて、少し厳しい顔をしていた。
    トレイ先輩の顔を見て、それから部屋の中にいる私を見て、ホッとしたように息を吐く。無事です大丈夫です何もされてません。そういう意味を込めてヘラリと笑って見せるのが今の私に出来ること。
    それから改めてトレイ先輩を見たリドル先輩は、静かに息を吐いた。

    「その顔は、もう知っているようだね?」
    「ああ。たった今聞いたところだ」
    「なら寮長としてボクからは一つだけ。監督生が自分の判断で君に話したのなら、君は信頼されているということだ。監督生の信頼を裏切らないように」
    「わかってる」
    「それからこれは、幼馴染としてのボクから」

    一度言葉を切ったリドル先輩は、私に視線を移して、そっと優しい笑顔を浮かべてからもう一度トレイ先輩に顔を向けて。

    「お幸せに」

    それだけ云って、リドル先輩は行ってしまった。
    私はポカンと間抜けに口を開けたまま固まってしまって、戻ってきたトレイ先輩が隣に腰を下ろしてようやくハッとした。

    「……リドル先輩、男前すぎません? あんなに可愛いのに」
    「俺の前で他の男を褒めるとはいい度胸だ」
    「ま、待って待ってトレイ先輩そんなキャラじゃないですよね!?」
    「どんなキャラだと思ってたんだ。俺は普通の男だよ」
    「普通なわけないでしょ!!」

    常々思っていた。
    トレイ先輩は自分のことを普通だ普通だというけれど、普通なわけがないのだ。
    普通とはなんぞや。
    自覚して云ってるのか本気で云ってるのかどうかは置いといて、普通という概念に真っ向から喧嘩を売っているとしか思えない。

    「乙女ゲーの攻略対象のいいとこ全部詰め合わせましたみたいな設定もりもりで落ちたら二度と抜け出せない沼みたいな人が普通なわけなくないですか!? 鈍感設定まで欲しいんですかこの欲張りさんめ!! トレイ先輩は十分かっこよくて最高なんですから自覚してください、そして自重してください!! イケメンオーラ抑えて生活して!!」

    ガシッと先輩の手を両手で握り締め、この際だからこれまで云えずに溜め込んできた思いのたけを私は思いっきり口にした。我ながらキモイ。長文早口、まさにオタク。もし私に寮の適性があったらイグニハイドかな~と思ったこともあったけど、私は好きなものに対して一直線なだけで勤勉ではないから無理だ。楽しそうだとは思うけど。
    本当はまだまだ先輩の魅力について語りたいところだけれど、ちょっと驚いたように目を瞬いていたトレイ先輩が急に破顔したから、その顔がかっこかわいすぎて息を飲んでしまった。いや本当に顔が良い。顔も良い。もう本当にいいところしかない。この世界に宗教観があるかどうかは謎だけど、神が与えたもうた至高の存在がトレイ先輩だと思う。

    「よくわからないけど、監督生が俺のことをものすごく褒めていてくれているのはわかった」
    「それは何より!!」
    「ところで監督生、ここはどこだ?」
    「記憶喪失ですか? ここはトレイ先輩のベッドの上――……」

    あ、ヤッバ。
    そう思ったときには遅かった。
    私の背中はベッドに縫い付けられ、トレイ先輩の奥にあるのは部屋の天井。
    心臓が跳ねる。
    確かに両想いだしそもそも付き合ってるわけだけどいきなりですか!?
    彼氏がいたことはあってもソウイウことはしたことなかったんではちゃめちゃに緊張するんですけど!?
    一応知識はあるけどうまくできるかわかんないし出来ればシャワー浴びさせて……!!
    と、叫ぼうとしたその瞬間。

    「好きだよ監督生。俺の恋人になってくれ」

    私を見下ろすトレイ先輩の目が優しくて、本当に私のことを好きなのだとその目が云っていて、胸がいっぱいになった。

    「……今云うの、ずるい」

    手を伸ばし、両手で先輩の頬に触れる。
    触れる。
    今まであんなに遠かったトレイ先輩が、今はこんなにも近い。
    私はトレイ先輩が好きだ。
    大好き。
    この気持ちに嘘はない。
    でも、だから、云わなくちゃ。
    口を開いて、でもなんて云ったらいいかわからなくてすぐに閉じる。トレイ先輩はそんな私のことを辛抱強く待ってくれた。急かすこともなく、遮ることもなく。ただ待ってくれた。
    何度かそうやって閉口してから、ようやく絞り出した私の声はちょっと震えていた。

    「私、結構重い女ですよ。多分めちゃくちゃとか嫉妬するし、面倒くさいこと云っちゃうかも」
    「愛されてる証拠だろ。むしろ我慢しないでなんでも云ってくれるほうが俺は嬉しい」
    「……魔法使えないし、頭も別によくないし、いつか元の世界に帰っちゃうかも」
    「魔法なんて使えなくていいよ。頭だって悪いわけじゃないだろ。元の世界のことは……その時また考えるよ。帰れるとしても帰れないとしても、監督生が一番納得できる結果にしような」

    やっぱやめとくなら今のうちだよって、そういう意味だった。
    自覚ある部分は自己申告しておけば、あとから『こんな人だとは思わなかった』って云われても免罪符に出来ると思ったし。
    でも先輩は、ことごとく私のことを肯定してくれる。
    それでいいよって、云ってくれる。
    元の世界になんて帰らないでとは云わないで、私が納得できる結果を選ぼうって、そう云ってくれる。

    もう、それだけで十分だった。

    「好きです、トレイ先輩。私をあなたの恋人にしてください」

    頬に添えていた手を首に回し、引き寄せるように抱き締めれば、優しいキスが降ってきた。
    満たされる。
    幸せだと思う。
    嬉しくて仕方なくて、涙が出た。

    諦めてた恋は、諦めずに済んだ。
    優しい手が私に触れて、私も望んで手を伸ばす。
    いつか元の世界に帰る日が来る私には、時限爆弾が付いたような恋だ。
    それでも。

    トレイ先輩の手を取ることを、きっと私は後悔しない。


    ◇◆◇◆


    晴れて隠し事もなく本当の意味でトレイ先輩の恋人になった翌日。
    今日はやけにみんなに注目されるな、と思いながら登校したら、授業が始まる前に深刻な顔をしたクルーウェル先生に準備室に連行された。

    「あ、あの、クルーウェル先生?」
    「…………。」
    「授業、遅刻しちゃうんですけど……」
    「……今日も香水はつけているな?」
    「え? あ、はい、もちろん。毎朝ワンプッシュ、昼にももう一回つけてます」
    「よろしい。……が、問題が発生した」
    「え」
    「お前に今、香水の効果はない。つまり認識阻害されていない、ただの男装した女子に見えている」
    「え! な、何故!? まさか粗悪品……!?」
    「いいや違う。昨日までは間違いなく香水の効果はあったはずだ。変わったのは、仔犬、お前の方だ」
    「ええ……?」
    「この香水はもともと特定の者にしか効果が出ない仕組みになっていた。作れるのもごく限られた者で、俺にも作れない。これは女性が自分の身を守るために考案した魔法薬でな。ある条件を満たした者でなければ使えない」
    「じょ、条件って?」
    「…………。」
    「あの、クルーウェル先生?」
    「……セクハラと訴えられないことを切に願うぞ」
    「はい???」
    「条件は、まず女性であること」
    「え、あ、はぁ」

    「そして――処女であること」

    「――えっ」

    「香水の効果がなくなったということは、そういうことだな」
    「ビェ」
    「相手が誰かは訊かんが、まず認識阻害薬を変える必要がある。今から用意するから今日の授業は出られないと思え。始業の時間になったら寮に戻って待機だ。俺が薬を持って行くまで一歩も外に出るな。いいな?」
    「ぅえ、あ、はいっごごごごごご迷惑をおかけいたしますうわあああああああああああああ」
    「一応確認だが」
    「はい!?」
    「合意の上だな? でなければ俺は今から強姦魔を探して粛清しなければならない」
    「もももも勿論ですトレイ先輩は強姦なんてしません!!!!!」
    「そうか、クローバーか。……思ったよりあいつも堪え性がないな」
    「ぎゃあああああああああああちちちちがうんですまちがえましたいやまちがえてないんだけどまって先生忘れてください!!!!!」

    墓穴掘って恥ずかしくて死ぬかと思いました。
    つーか特定の人しか使えない特別な薬とか云ってるけど要は『処女発見薬』ってことでしょヤベェもん作ってんな昔の人は!! 発想が怖すぎて震えるわ。
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