「愛している」って言ってみて「嘘でも言っておけばいい」
フェルディナンドの提案に、わたしは「そうですねぇ」と呟いた。
好きとか嫌いとか、政略結婚がデフォの貴族達のくせに、なんでわたし達のことをそんなに気にするんだろうね。
わたしの行動が貴族らしくないのはわかる。だって元々貴族じゃないんだから。この国の常識とも違う。それはそうだ、わたしの過ごした半分以上はこの世界じゃないんだから。
家族同然のフェルディナンドを助けに行ったのなら、わたしは彼を愛していないといけないらしい。対外的にはヴィルフリートと婚約していたのにも関わらず、内々には王族入り——ジギスヴァルトの第三夫人への話があったのにも関わらず、だ。どんな不義な子という設定なの!?
周りの人たちは皆わたしに言う。フェルディナンドに懸想しているんだろう? って。
違うって言ったら愛妾の斡旋が来た。……本当に何なの?
想い想われていなければいけないんだろうか。
それは家族の愛ではいけないんだろうか。
何枚も重ねられた釣書のような木札の山、つまりは愛妾だったり第二第三夫の推薦書を恨めしげに眺めていたら、フェルディナンドから先の提案をされたのだ。
「嘘でも、とは?」
「とりあえず君が私を愛しているとでも言っておけば良いのではないか?」
「あ、あいして……っ!?」
「君はそれらが面倒なのだろう? 手っ取り早く必要ないと言うには一番適してると思うが?」
「そうかもしれませんが。『愛している』なんて、わたくしわかりません」
「さもありなん。だが、懸想ではないと言った君が火消しに回るのが一番だろう」
開いた口が塞がらないとはこういうこと。
それにしても「愛している」だなんて。この人には愛がないのかもしれないと思うほどにはさらっと吐いたよ。
まぁ、好きでもないディートリンデにだって婚約の魔石を笑顔で渡せる人だもんね。
つまりは効率厨なのだ。そこには特段の感情なんで存在しない。
「わかりました。お芝居の本でも読むつもりで言ってみます」
「じゃあ、試しに練習をしよう。——ほら、『愛している』と言ってみなさい」
柔らかい表情で言われて、わたしは一瞬息を呑んだ。
お芝居のように、セリフを読むように。
いやです、とは言えなかった。
「『愛しています、フェルディナンド』」
この時のわたしの顔は、きっとものすごく赤くなっていたと思う。
*
愛情を伝える神様表現は意外にある。
「愛している」はかなり直接的で、一度使ったら目を剥くようにギョッとされた。
他に言い方がないのかとフェルディナンドに聞くと、それが一番効果的だからそれでいいとか言うので、結局神様表現はリーゼレータやクラリッサに教えてもらうことになった。
時々お母様の本でも目にした言い回しが並ぶ。
これがこういう意味だったのかと今更知るわたしも大概だが、それを飛ばして直接的な、いわゆる明け透けな言い方をさせるフェルディナンドにも若干怒りが湧いた。
「光の神に闇の神は一人しかおりません」
「あなたはカーオサイファに魅入られているのでは」
「ゲドゥルリーヒ以外を求めるエーヴィリーベがいるでしょうか」
いっそ神様表現の方が、本質がわからないのだからわたしには合っている。
決まり文句だと思えばいい。
でも、フェルディナンドは自分の前ではと、直接的な表現を求めてくる。
「貴族への牽制のために嘘をついているのではないのですか?」
「君のことだ。うっかりやらかすこともあるからな。常から言っていれば、間違うこともない」
ふん、と鼻を鳴らして、さもわたしが間違えることを前提として話すのはどうかと思う。馬鹿にしないで欲しいところである。
「……『フェルディナンドを愛しています』」
貴族に対して使う婉曲なものではない明け透けすぎる言葉は、言うだけで顔の熱が上がってしまう。嘘だと言ってくれたから、少しだけ気が楽になっているけれど、毎回のように告白を求められているようで落ち着かない。
わたしは懸想じゃないって言ったけれど、やらかした様々な事実を突きつけて「これは懸想だろう」と言われれば、それが自分じゃなければ確かにそうかもしれないと思う。
でも、「愛している」が嘘だとして、「愛していない」はその反対ではない。家族愛も愛だし、恋人の愛も愛だ。そして、少なくともどんな形であれ、わたしはフェルディナンドを愛していないわけではない。
だからこれが「嘘」だとするところに罪悪感を感じてしまう。
そんなふうに思っているのに、彼が望むままにセリフを言えば、よくできましたとばかりに彼は頭をポンと撫でるのだ。
その瞬間はホッとするような、不思議な安心感がある。
大きな手が優しく触れてそのまま頭のラインをたどり、髪を一房掴んでは指でくるくると遊ぶ。……本当にこの人はわたしの髪が好きなんだなあ。
王命による婚約をしたのだし、今更覆らない色々なことがあって、わたしとフェルディナンドが対外的にも家族になるのは決定事項だ。それを嫌だとは思わないし、他のどんな可能性よりも受け入れられるのだから、わたしはこの状況を幸せだと思うより他ない。
でも、少しの罪悪感。
嘘でもいいとは言われたけれど、それが嘘だとされる言葉を聞いてこの人は嫌に思わないんだろうか。わたしは言うたびに心がざわつく。嘘をつくことが嫌なのではなくて、嘘だと告げていることに心がざわついている。
だって、それは正しくないから。
「……なんだ?」
そんなことを考えていたら、声をかけられた。だから、恥ずかしいのだと言って誤魔化す。
「そんなことはないだろう。嘘なのだから。気にすることはない。貴族として君が取り繕うのと変わらぬ」
彼はそう言うけれど、それを良しとできるほどわたしの心は強くない。
嘘と言われるたびに、不思議な安心と少しの痛みが残る。
懸想だなんだと求められるものを拒絶するための言い訳にしてる自覚はあるし、それを言葉巧みに促されている。なんだろう? なんだか悔しいような気がしてきた。ちょっとやり返したい気持ちがむくむくと湧いてくる。
「では、フェルディナンドも嘘をついてくださいませ。好きとか、愛しているとか、わたくしに言わせてるみたいに言ってくださいませ」
そう言うと、フェルディナンドは表情を変えないまま目を瞬かせた。
「何を言っている? 私が嘘をつく必要はないだろう?」
「へ?」
心底不思議そうな顔でわたしを覗き込む目に思わずドキッと心臓が跳ねた。
「私が君を好きだと、君は知っていると思ったが……?」
「そ、そんなの……、聞いてませんよ……!」
*
「私が君を好きだと、君は困るのか?」
フェルディナンドの告白を聞いてからずっと、変に気になって緊張しているのを、困っていると誤解されてしまった。
違うと言ったところで信じてもらえるかはわからない。避けているわけでもないけれど。
いつものように、練習だと言って「嘘の告白」をする。
……アイシテイマス。
なんて上滑りな言葉だろう。好きだと言ってくれた人に対してもあまりにも失礼じゃないか。
貴族は、特に領主候補生ならば政略結婚が当たり前で、そこにはお互いの意思など関係ない。なのに、これを嘘だとして伝えるのに、心が痛んでしまう。嘘だと告げていることに心が軋む。
「フェルディナンドは嘘でもよいのですか?」
「何を今更。心を込めたところで君の本に対する情熱以上になることはないと諦めているからな」
「何ですかそれ」
まるで朗読の良し悪しを批評されてるみたいな。
わたしのこのモヤモヤした気持ちに対して、それこそあまりに失礼な言い分だ。
「前にも言った通り……、私は君の家族にしてくれればそれで良い。男女の機微は期待しておらぬ」
「……はいはい。じゃあ『愛しています』よ、フェルディナンド」
これでいいんでしょう?
そう言いながら、見上げると作り物の笑顔があってわたしは動きを止めた。
なんだか、ひどく彼を傷つけた気がしたのだ。
*
「そもそも、愛しているだなんて言わせた方が悪いんでしょ!?」
わたしはひとり、隠し部屋でクッションに八つ当たりしていた。
ぽすぽすと頼りない音が出てはクッションの綿に吸い込まれる。叩きがいがないクッションだ。
ひとしきり叩いてから胸に抱え込み、ため息をつく。
懸想なんてわからない。
ブルーアンファなんて見たこともないけれど、リーベスクヒルフェはそれでも星結びをしたよ?
でも、フェルディナンドはわたしのことが好きなんだって。彼はブルーアンファを見たのかな?
「あ」「い」「し」「て」「い」「ま」「す」
「愛しています」
ううん? と首を傾げて、一文字ずつクッションの上に指で書く。
これは文字でしかない。
わたしの言葉じゃない。
懸想。
ラッフェル。
ブルーアンファ。
どれもわたしの言葉じゃない。
「す」「き」
「好き?」
嫌いじゃないんだもの。好きかもしれないな。
でも、嫌いじゃなければ好きかと言われると、そう言うものでもない。だって、無関心なものは嫌いじゃない。
大切かどうか?
……大切だね。
「それは嘘じゃないもん……」
愛してる、はわからない。
嫌い、じゃない。
そもそも言葉にする必要があるんだろうか。言葉にしなければいけないんだろうか。
人は言葉にしなければわからないものだし、それを受け継ごうとして文字を発明したんだし本を作ったってのはわかってる。
愛しています、って言わされるたびに心が痛む気がするのはどうして。
あの時フェルディナンドが傷ついたのはどうして。
「嘘でも言ってみようって言ったのは」
……フェルディナンドだ。
なのに、愛していますって言って傷ついた顔をしたのも彼。
傷つけたくはない。わかりにくくても、わたしにはわかるから、わたしに諦めないでほしい。
わたしはフェルディナンドを愛していないわけじゃないし、嫌いなわけじゃないの。
それだけは、伝えなくちゃ……
*
「……ローゼマイン? こちらから行くから待つようにと言ったはずだが?」
六の鐘の後にまだフェルディナンドが執務室にいるときいて訪ねると、文官たちを下がらせた後のがらんとした部屋でフェルディナンドが仕事をしていた。
わたしを認めた後、もうすぐ区切りがつくから、とまた木札に目を落とす。
扉を守るよう護衛騎士を遠ざけてわたしは彼の机に近づいて、盗聴防止の魔術具を差し出した。
「何のつも……」
「『愛しています』」
被せるように言うと「……そうか」とため息まじりに返ってくる。
芝居と思ったのだろう。「こんなところで言わなくても良いだろう」と言いながら吐いた小さなため息に諦めが混じっていて、やはりずきりとわたしに刺さる。
「わたくし、フェルディナンドに『嘘』をつこうと思って来ました」
「嘘……? 今のが嘘ではないのか?」
あれを嘘だと言ったのはフェルディナンドだ。
わたしは一回もその言葉が嘘だとは言っていない。わからないと言っただけ。
「これから言うのが嘘です。——『わたくしフェルディナンドが嫌いです。愛していません。大嫌いです』!」
「……」
フェルディナンドが固まるけれど、構わない。
「……でも、反対が本当だとも言えません。それだけは、フェルディナンドにわかって欲しかったから」
嫌いじゃない。愛していないわけではない。大嫌いじゃない。
でもそれは好きだとか愛しているだとかと言うことと同じにはならない。
「嘘とか言わないでください。まだ嘘じゃないですから」
「……まだ……」
「——っ! あ、それは、言葉のアヤで……、っ!」
大きな手が伸びて、わたしの頭に置かれる。
彼は無言のまま何度か頭を撫でて手を滑らせ、髪を一房とると、また指先で弄ぶ。
この手は好きだ。今までもずっとわたしの手を引いてきてくれて、励ましてくれた大きな安心できる手。
「この手も嫌いじゃないです」
「嫌いじゃない……?」
「好きですよ? ——あ、う、嘘じゃありませんからね!?」
わたしのあたふたを見て、フェルディナンドは口の端を上げると机の木札を端に寄せると、立ち上がってわたしにエスコートの手を差し出す。立ち上がると結構高くなる彼の頭の位置。
「……もう、家族になるんですから、もう家族なんですから。『嘘』なんて寂しいことを言わないでくださいね」
見上げた彼の顔がちょっと楽しそうに見えたので、まあいいかとわたしは息を吐いてその手に自分の手を重ねた。
重ねた手のひらが意外にあったかくて、わたしは少し嬉しくなった。