たまには乗ってみてもいい 2月14日はナベリウス・カルエゴの誕生日だ。
祝日でもなんでもないこの日はカルエゴやナベリウス家の悪魔、腐れ縁と苦手な先輩ぐらいにしか意味がない。
だというのに。
「くだらない」
街にあふれたピンク色の装飾と甘い香りにカルエゴは眉をしかめた。
なんでもない、穏やかな日常が特別扱いされるのは、バレンタインデーなるイベントのせいだ。
買出しに寄ったマジカル・ストリートはチョコレートや花束、小洒落たアクセサリーの煌めきでいつにも増してカラフルだ。
「すっかり定着したよね、バレンタイン」
隣を歩いていたバラムは、賑わう露店をきょろきょろと見回している。
あっ、と小さく声をあげるとノシノシと足早にショーケースに近づいて、ニコニコと手招きをした。
見つめる先には黒い犬のぬいぐるみがあった。三つ首の犬はそれぞれの口にハートを咥えて、つぶらな瞳でショーケースの外へと愛嬌を振り撒いている。
「今年のデザインもかわいいね!」
「本当に嫌がらせでしかないんだが?」
「えー、いいじゃない。教え子の好意なんだしさ」
「……権力の無駄遣いだ」
ギシッと音がしそうなほどカルエゴの眉間にシワが寄った。
そう、魔界にバレンタインなんてものが流行っているのは現魔王であるイルマのせいだ。
バレンタインデーは人間であるイルマの世界の行事だ。この日は想い人への秘めた恋心を託したり、友人に親愛と感謝を込めてチョコレートを贈るという文化があるらしい。
直接言えばいいだろうとか、なんでわざわざチョコなのかとか、色々疑問に思う事はあれど、甘味に興味のないカルエゴにとっては至極どうでもいい話だ。
だが、なにが悲しいかその日はカルエゴの誕生日だった。
それを知ったイルマが甘いものの代わりに毎年贈り物を寄越してくるようになった。
魔王になってからもその習慣は続いていて、魔王の定例行事として魔界に周知されるという罰ゲームのような状況になっていた。
イルマの行いがバレンタインと合体して、身近な悪魔にチョコやプレゼントを贈る日として魔界に根付いてしまったわけだ。
この犬のぬいぐるみもその一環。プレゼントとして毎年作られる定番商品だ。
「あからさま過ぎて嫌だ」
目の前の犬のぬいぐるみにつけられたサリバン家の紋章に、おもしろいからとのほほんとした笑みを浮かべる三傑筆頭のふざけた顔を思い出してカルエゴは深々とため息をついた。
あっちの子は美形だね、こっちの子は眠そうな顔してる、とぬいぐるみ相手に表情の感想を言っている横顔を見上げる。
毎年毎年なにが良いのかこのぬいぐるみを買ってきてはカルエゴの家に飾っていくバラムの手を引いた。
「ゆっくり見るのは明日だ。さっさと食材買って帰るぞ」
「へーい」
名残惜しそうにしながらも素直についてくるバラムの手を握ったまま、目的のスーパー魔ーケットへと急いだ。
世間がどうあれ、自分たちの過ごし方は変わらない。
お互いの誕生日には一緒に食事をする。出会った時から変わらない大切な時間だ。
贈り物など無くても、この腐れ縁兼恋人の悪魔と静かに過ごせればカルエゴは満足だった。
ひとしきり買い物を終えて、後は家に帰るだけだというのにバラムは伺うように腰をかがめた。
一晩で食べきるには多い量の食材が入った袋を抱えてもまだ手持無沙汰なのか、もじもじとマスクの縁を掻いている。
「ねぇ、本当に今年はプレゼントいらないの?」
贈り物はいらないと事前に伝えていたのだが、どうやらそのことを気にしているようだ。
もう何百年も一緒にいるのに、毎年毎年律儀にプレゼントを贈ってくるのがこの男らしい。
こういう心配りに、大切にされているのだと実感が湧くが今回は思うところがあった。
「ああ、今年はもらう予定があるからな」
「えっ!?!?」
ドサリと袋が落ちる音とともに、強く腕を引かれてカルエゴはよろけそうになる。
「あ、のっ……誰から……? イルマくんたちじゃないよね? いつももらってるし。もらう予定って誰から? 僕の知ってる悪魔からなの?」
まくしたてるような言葉と掴まれた両肩にかけられた力にカルエゴは目を瞬かせた。
見上げたバラムは驚いているというより、少しだけ怒ったような顔をしていて、思わず吹き出してしまう。
「なんだ? ヤキモチか?」
「そうじゃ、なくもないけど!! 僕のプレゼント断ったことなかったのにどうして……」
怒ったような、悲しんだような複雑な顔。
とはいってもマスクで目元しか見えない。けれど、忙しく表情を変えていることが伝わってきてカルエゴはフハッともう一度短く笑った。
「久しぶりにみたぞ、お前のそんな顔」
痛いぐらいに掴んできたバラムの手をトントンと叩く。
無意識に強くつかんでいた事に気付いて、慌てて離れていくバラムの指先に指を絡めて握り返した。
「カルエゴくん?」
「家に着いてからと思っていたが……ほら」
ずっと手に持っていた紙袋から、薄い小ぶりな箱をバラムの目の前に差し出す。
「カルエゴくん、これって」
「あ? チョコだが?」
「えっ?」
「いつも貰ってるからな。たまには乗ってみてやっても良いかと思って用意した」
「えっ……でもカルエゴくんから、えっ?」
きょとんとした顔で箱を見つめる。
箱の包装紙にはバラムでも聞いたことがある有名ショコラティエの名前。かけられた緑のリボンは結び目が緩んで少し不格好にかたむいていた。
「リボンは……あまり見るなよ」
驚いて固まっているバラムから視線を逸らしつつ、グイっと押し付けるようにチョコを渡した。
バラムはきゅっと顔をしわしわにして箱を受け取る。
そのままカルエゴごと抱きしめた。
「この悪魔っ!」
カチャリとマスクを外すと、ちゅっとカルエゴの頬にキスをする。
「君のそういうとこ、ほんと大好きっ!」
「おおげさだな」
「だって貰えるなんて思ってなかったから……すごく嬉しい!」
ありがとう、と満面の笑みを向けられてカルエゴもああと目を細めた。
今年は物じゃなく、バラムの喜ぶ顔が見たい。
そう思って自分で仕組んだことだが、思わぬおまけもついてきた。付き合いが長いせいかあまり感情をぶつけられる事も少なくなって物足りなさを感じていたのかもしれない。こんな小さなことで一喜一憂するなんて。
向けられる愛情を感じてカルエゴはくすぐったくなるような気持ちになった。
力いっぱい抱きしめてくる大きな体を抱きとめて、大好きと耳元で囁く声をききならがカルエゴも満足気に笑った。