置き去った男 5カキツバタの帰還から一ヶ月半が経った。
元々身体が丈夫な男だったからか医者も驚くほど怪我の治りが早く、間も無くリハビリも始まって。退院もそう遠くないだろうと、俺達は彼をサポートしながらこれからのことを本人抜きで話し合っていた。
「行方不明からの死亡扱いだったのに加え、イッシュリーグの協力もあり諸々の届け出自体についてはどうにかする手筈を整えられましたが……」
「問題は年齢の方やな。七年のブレをどう説明せいっちゅーのか。役所の人間相手とはいえ『タイムスリップしてました』は流石にマズい気ぃするわ」
「そうですかね?世界には"ときわたりポケモン"の存在も確認されてますよ?変に隠すよりも、偉い人くらいには伝えるべきでは?」
「…………自分は、ある程度信頼可能な人間以外には黙っているべきだと存じますが。なにせ本人が別の時間での出来事を話したがっていないので」
「ううむ、確かに……ハルトくんの意見も尤もですが、根掘り葉掘り訊かれてしまう可能性もありますですよ」
「そもそもあの人タイムマシン通ってるし。話すならそこの説明も避けられんでしょ」
「いっそ別人として生きてもらうとかどうですかね?」
「それも一つの方法ですね。本人の意思次第にはなりますが」
あれやこれや話す俺達パルデアリーグの意見は中々纏まらない。
同席していたシャガさんは、険しい顔で沈黙していた。
「既に不特定多数の人間に帰還自体は知られています。別人とするにも彼らの協力も…………」
「なんにしても、一番優先すべきなんはカキツバタくんの希望やけど。あの調子やしなあ」
「『好きにしろ』とか言い出しそうですよね。というか言いますよあの子は」
ここまで迷走して困ってる最たる原因は、当人が自分の扱いに無関心だからだ。それとなくどうしたいか尋ねても「なんにも考えてない」だし考える気も無さそうだし、そもそも自分が死んだことにされていた点にさえ興味ゼロで。
本当に、俺達が七年、彼が半年の時を過ごす間に、その内側にあった筈の希望も心も全て奪われてしまったのだろう。
なにがあったのかは未だに分からないままパルデアで預かり続けているが、ただ『共にヒスイを出た二人』の家族に会う為だけに今生きているのは明らかだ。
それが果たされた瞬間、アイツの支えは失われる。叶わないならそれもそれで生きる意味を失くしてしまうだろうから、会うなと言うわけにもいかない。
俺達はカキツバタに生きて欲しい。今更でも、ちゃんと大人になって、幸せになって欲しい。
彼にとって簡単なことじゃないのは分かってる。でも、だけど……沢山の理不尽に見舞われてきたんだ。平凡に時を過ごすくらい、許されてもいいじゃないか。許されるべきじゃないか。
まだたった17歳の少年が、あんな昏く澱んだ目で作った笑顔を浮かべ続けるなんて、そのまま終わるなんてあんまりだろ。
「どうしてやったら、アイツは進む気になってくれんだろ……」
置き去りにした俺達じゃダメなのかな。もうアイツにとって俺達は他人でしかないのかな。
結局その日もロクな進展無く、会議はお開きになった。
「お、ハルト!スグリ!シャガさんもおかえりー!」
居座り過ぎて最早宿同然と化してるカキツバタの病室に戻れば、リハビリを見守ってやってくれと頼んでいたペパーが笑顔で出迎えてくれた。
彼は面倒見が良いので分かっていたが、今日の治療は無事に終わったらしい。手に持っていた料理本を閉じながらベッドの上を見遣る。
「カキツバタ、大分お疲れちゃんみたいで寝てるんだ。七年前はあんな調子だったってのに、頑張ってて偉いよな!」
最初と比べれば大分顔色の良くなった寝顔にホッとするが。素直な褒め言葉に、俺はちょっと複雑にもなる。頑張りは認めるけど、でもそれは……
「ああ、そうだな。きみも孫を見ていてくれてありがとう」
「気にしないでいいっスよ。オレも、まあ関わることは少なかったけど……ハルトとスグリの大事なダチだし。こんな状態の子供を心配しないほど人の心失くしてねーし」
「昔は同い年だったヤツを『子供』っつーの変な感じすっけど」、とペパーは頬を掻く。彼はいつもの面々の中では一番カキツバタと誕生日が近かったので、尚更不思議な感覚なんだろう。
「つーか良いことだけどよ、怪我の治りも動けるようになるのも早過ぎてドクター皆ひっくり返ってたぜ。シャガさんの遺伝子の所為か?」
「いや私も人間なのだが???」
「まあ、テラパゴスと接触したりタイムマシン通ったりしたみたいだし、連れてるポケモンも特殊っぽいから、なんかの恩恵受けてたりする、の、かも?」
「ハルトも伝説のポケモンいっぱい捕まえてるべ」
「僕はちゃんと『人外にはならないよ』って言い含めてあるから」
「待て待て言い含めてなかったらなるのか????」
「え?ああ、大丈夫大丈夫!見たところツバっさんはそんな様子無いし、関係あったとしてもちょっと回復の手助けされてる程度みたいだから!」
「怖い怖い怖い」
「なんでそんなこと分かるんだよ」
「ハルトくん……ちょっと来なさい」
「えっ」
なにやらトンデモな発言を繰り返したハルトは、怖い顔をしたシャガさんに連れ出されていった。ペパーは呆然として、俺は親友の無事を祈り両手を合わせた。
「えっ、え、ちょっ、理解出来てる自信無えから確認させてくれ。……カキツバタ人間辞めてんの?」
「ハルトの言うこと信じるなら辞めちゃねえみたいだべ」
「あ、ならよかった…………全く、アイツの説明不足も困ったちゃんだぜ」
……タイムスリップして俺達と違う時を生きた時点でどうかと思うけど。もしも今のカキツバタが本当に人間じゃなくなったとしたら、その時は、次こそは、俺も一緒に同じ世界に行きたいな。
あーいや二人っきりもカキツバタが気まずいか。まあ、ハルトは嫌みたいだけど、でもねーちゃんとか、あと鬼さま達ポケモンっこは付き合ってくれるべ。多分。
そう思うと案外悪くねえかも。だってもう誰も置いて行かなくて済むし。逆に置いて行かれるのが難点だけど。
「スグリ、お前なんか怖えこと考えてねえか……?」
「考えてねえべ」
「な、ならいいけどよ」
全然他の誰でも同じことをするだろうから友情の範囲内だろ。怖くない怖くない。少なくとも俺は怖くない。
良くも悪くも素直なペパーは胸を撫で下ろした。この友人は大人になっても変わらず純粋だ。
「あ、そうだ!悪ぃけどオレそろそろ帰らねえと」
「仕事かなんか?」
「そ。オレ、去年からアカデミーの教員やってるだろ?そっちでちょっと」
「ああ……先生って忙しいって聞くもんな。時間無えのにありがとな!今度ご飯でも奢る!」
「いやいや、気にすんなって!ダチの為ならなんでもするからな!またいつでも呼んでくれ!」
ペパーの『友達の為ならなんでもする』はガチ感あってそれこそおっかねえけど。人のことを言えない気がしたので再三お礼を告げ、出て行く癖毛の友人を見送った。
俺はなんとなく一つ息を吐き、さっきまでペパーが座っていた椅子に腰を下ろす。
退室した二人はまだ戻って来ない。シャガさんのあの剣幕からして、ハルトは暫く捕まっていそうだ。問題発言したとはいえ特に直接悪影響を及ぼしたわけではないので、ゲンコツはされてない……と、思うけど。アレわや痛えからなあ。余計なこと口にしていないよう願おう。
「んん…………」
そこでカキツバタが唸りながらもぞもぞ身体を丸めた。
ヒスイでの経験からか、彼の寝相は恐ろしいほど良くて眠ってる間に動くなんて滅多に無いのに。驚いたが、そういえば心無しか室温が低い気がした。
「カキツバタ?寒いの?」
寝てるから返事なんてあるわけないが、そういうことっぽいので毛布を掛けてやる。ボタンのブランケットを借りっぱなしにするのは、ということでハッサクさんが持って来てくれた物だ。
少しすると暖まってきたようで、カキツバタはまた静かに休む。
……学園に居た頃は「寒いのが好き」って言いながら雪の中を半袖でウロウロしてたのに。服とかそういう環境の変化で耐性無くなったのかな?それともあの頃もただの痩せ我慢だったとか?アレもアレで大分異常だったし、真っ当な感覚になったなら別にいいんだけど。
いいんだけど、違う場所に馴染んでいた証明な気もして複雑だ。
「……、」
「ん?」
身体を折って小さくなったまま眠る彼は、不意になにやら呟いた。
寝言?また珍しい。立ち上がって顔を覗き込んだ。
「…………さい、……ごめんなさい」
「え」
途端に届いた謝罪に、俺は硬直してしまう。
「ごめんなさい、ごめんなさい……ごめん、ごめんな」
「か、カキツバタ?」
泣きそうに顔を歪めながら次々紡がれる。誰になにを謝ってるかは分からなかったが、とにかくどうにかしなきゃと肩を揺すった。
「大丈夫?やな夢でも見てる……?」
「っ、ぁ、ごめん、ごめんなさ、」
「カキツバタ、大丈夫だから。謝んなくていいから」
起こさないと。
「カキツバタ!」
得体の知れない嫌な予感を覚え、更に大きめに揺らすと、やっと目が開いた。
俺はホッとするも、
「……ノボリさん……?ショウは…………」
カキツバタの悪夢は、まだ終わっていなかった。
「ノボリ?ショウ?」
「………………え。あ、す、すぐ、り……?なん、え、」
「大丈夫、大丈夫だから落ち着け。ゆっくり呼吸しろ」
酷く混乱しているらしい。過呼吸寸前だったのに気付き、俺はゆっくり背をさすった。
息苦しさからか夢見が悪かった所為か、彼の目には涙が滲んでる。泣きたいなら泣いてくれてもよかったけれど、それは言わないでやる。
宥めながら考えた。
『ノボリ』に、『ショウ』。人の名前だよな、これ。ショウさんって人は知らないが、ノボリさんって確かイッシュのバトルサブウェイってとこに居た人じゃなかったっけ?
でも俺は会ったことが無い。というか俺が本土に初めて行った頃には、その人はとうに失踪して、
…………失踪?
「なあ、カキツバタ。もしかして今言った名前って」
「っ、ひゅ、ぁ、」
カキツバタと一緒にヒスイを出た二人。もう確信を得ていた。
「ぅ、う、ぼたんにしか、言わない、つもり、だっ、た、のに、ちくしょう、」
俺が察したのを悟ったようだ。理不尽な恨み言を吐かれながら溜め息を吐く。
「なして?確かにボタンは凄えけど、でもご家族を探すなら俺達も頼れよ。皆もうお前が思ってるほど子供じゃねえんだ。一緒に探すって」
「だ、って、だって、」
あのひとたちはもどれないから。
それだけつたえて、おれもとおくへいってしまいたかったから。
「…………!!」
ぐちゃぐちゃな呼吸の合間に辿々しく言われて、俺はカキツバタを抱き寄せた。
分かってたよ、俺も皆もちゃんと分かってたって。本当にコイツにとってはそれしか無いって。『会った後に死ぬ気か』と問われて『NO』を言わなかったんだから、そうなんだろうって。幼い身に抱く希死念慮もちゃんと知ってるつもりだった。
しかし、変わらず飄々としているこの男はこうも明確に絶望を吐くことは無かった。最近は手持ちのポケモン達の為に色々考えてくれてて表情の変化も増えてたから、リハビリも頑張ってるから、ほんのちょっとだけ期待してしまっていた。
なのに。
「言ったろ!独りにしないって!何処にもっ、行くなよ!!」
お願いだ、もう独りぼっちにならないで。俺達を置いて行かないで。
またお前が居なくなったら、今度こそ自分の意思で消えるなんて事態になったら、俺は正気を保てる自信が無い。
「行かないでよ……」
「………………ごめん、なあ、すぐり」
あ。
だめだ。
俺達にコイツは救えないんだ。
思い知って、腕に込める力が強まってしまった。
「っバカ……もう、謝んなよ。謝るべきなのは、俺だよ。ごめん、ごめんなさいカキツバタ」
ごめんな。見つけてやれなくて、助けられなくてごめんな。いつもいつもお前にばかり背負わせて。なにもしてやれなくてごめん。
俺までそんな言葉を繰り返していたら、疲れてしまったようでカキツバタは糸が切れるように意識を失った。
慌てて受け止め、シーツに横たえる。
「ペパー!スグリー!聞いてよ、シャガさんがゲンコツしてきたー!」
「いやキミも十分悪いだろう。報連相がなっていない上にああもズケズケと…………」
そのタイミングでハルトとシャガさんが入室してきた。もうちょっと早くに来てほしかったんだけど。
「あれ、ペパーは?帰っちゃった?」
「……どうしたスグリくん。もしやなにかあったのかい?」
俺は満足に泣くことさえ出来ないカキツバタの目元を拭い、頷いた。
「ちょっと、色々。カキツバタが……」
それからコイツの寝言や口走ったものを伝えて、それで。
……俺には無理でも、カキツバタがこんなにも会って償うことを願う相手ならば。
もう、そんな面識も無い人達へ淡い希望を抱く他なかった。