幸せのおすそ分け 学園内のあちこちに花が咲き誇り、柔らかな青い空と心地よい風が吹く季節になった。いわゆる【春】というやつだろう。こちらの世界にも季節はきちんとあるようで寒さに震えていた時期を思い出すととてつもなく幸せに感じた。
「あったかい……このままお昼寝したい」
草むらに寝転んで指先に青々とした葉を絡めていると近くでグリムがため息をつくのが聞こえる。
「そんなことしている場合じゃないんだゾ。食料を見つけなきゃオレ達腹ペコで死んじまう」
「いざとなったら土下座してリドル先輩に頼んだらご飯やお菓子を恵んでくれるよ」
「何回も同じ手は使えないんだゾ」
学園裏の森にきて三十分。食べられる野草は一通り手に入れたしたんぽぽまで乱獲した。これで今日は凌げるが学園長から次の生活費が振り込まれるまで後二日、これではまだまだ足りない。もう寮には少しの米と調味料ぐらいしかないのだ。
「ん~とはいえもうこれぐらいしかないねぇ。違う場所へ行く?」
「あ!」
突然離れたところから声がした。それも聞き覚えのある声だった。振り向けばラギー先輩が私達を見ていてツカツカと歩いてくる。なるほど、どうやら我々が手に入れたタンポポを見ているようだ。しかしこれは渡すわけにはいかない。
「ちょっとちょっと、まさかここのタンポポ全部取ったんスか?」
「タンポポどころか食える草は全部取ったんだゾ」
「あ、全部じゃないですよ。少しは残してあります。繁殖の為に」
「いやいやそれほとんど取ってるってことでしょ!」
くそ、油断してたと零してラギー先輩は頭を掻いた。どうやら先輩も金欠のようだ。タンポポが食べられると聞いたのもラギー先輩からだし、学園のどの辺に咲いているかも教えてくれたのもラギー先輩だ。さすがに恩人に何もしないわけにもいかず私は少し分けますねと言うとグリムは文句を言い始めたがラギー先輩は目を丸くしていた。
「良いんスか? アンタも金欠なんでしょ、タンポポまで食べようとしてるんだから」
「そうですけど……まあどうにかしますよ。他にも野草は摘んだしお浸しにしたりスープにしてお腹を満たします。大丈夫、水は出るので」
「なかなか逞しくなったッスねぇ」
タンポポを渡すと先輩は苦笑いをする。それでもちゃんと受け取るんだからやっぱり先輩もギリギリなんだなとこちらもつられて笑った。
「監督生くんはきちんと自炊してるんスね」
「自炊しないと生きていけませんが?」
「オレが悪かったッス」
「謝罪はいいので食材をください」
「金じゃないところがまた本気な感じッスね」
正直料理は嫌いじゃなかった。私の両親は共働きだったし、必然的に私は料理をすることになるのだがこの経験がまさかこんなにも早く役に立つとは思いもしなかったのだ。いやぁ人はいつどうなるかわからないものだ。
「料理やそれ以外の家事もやっておいて損はなかったなと思うんですけどやっぱりどうしてもこちらに来て困るのはお金です。学園長に時々催促はしますけどどう考えてもこちらが無理を言っている状況ですし……魔法を使えないからできるバイトも限られちゃって」
「アンタわりとしっかりしてますね」
貰ったお金をなるべく計画的に使うようにはしているがなんてったって魔獣がいる。計画通りになんていかないことがほとんどだ。食堂やサムさんのところでアルバイトをしているがそれでもなかなか安定した生活とはほど遠い状況だった。
「はあ……おいしいものが食べたい」
「あ、みいつけた」
お腹の虫が鳴りそうだったその時。またどこからか声が聞こえて私とラギー先輩は声のほうを振り向いた。ぞわりと一瞬だけ恐怖が襲ってきたが幸い一人きりではなかったのでその感覚も長くは続かなかった。
「あれ、フロイドくんじゃないッスか」
「コバンザメちゃんじゃん。なんか珍しい組み合わせだね」
「フロイド先輩、こんにちは」
「小エビちゃん、探してたんだよぉ……って何でコバンザメちゃんの後ろにいんの。小エビちゃんもコバンザメになったのぉ?」
「いや、そんなことは」
じりじりとラギー先輩の後ろに隠れるようにして返事をすると、気に入らなかったのかフロイド先輩にむんずと頭を掴まれて前に引きずり出された。私はこの人が苦手である。理由は言うまでもなくこういうことをするからだ。
「オレ、小エビちゃんを連れて来いってアズールに言われたんだ。ちょっと来てよ」
「えぇ!?」
何をしたんだとラギー先輩が目で訴えてくる。私は無罪ですと首を振れば私達のアイコンタクトを遮るようにフロイド先輩が入ってきた。
「まぁそういうことだからぁ。ちょっとついてきてね」
「ちょっ、まっ、ラギー先輩!」
俵のように担がれた私を見てグリムは早々に逃げ出した。縋るような目でラギー先輩を見ればタンポポのお礼のつもりか、それとも気の毒に思ったのか私が摘んだ野草が入った袋を持って渋々ついてきてくれた。ラギー先輩がついてくることは特に問題がないのかフロイド先輩は何も言わずにオクタヴィネル寮へと歩き出していた。
モストロラウンジの厨房に着くなり私は床に降ろされた。正直とても辛かった。ここまでの道のりを何人もの生徒に見られているのだ。ついに監督生が三枚に卸されるのかと囁かれていたのを知ってる。穴があったら今すぐに入りたいと言うとフロイド先輩はアズールの蛸壺借りてあげよっかなんて斜め上の回答をしてきた。そういうことじゃない。
「監督生さん、わざわざ来ていただきありがとうございます」
「いや、見てました? 拉致ですけれども」
「ありがとうございます」
「圧が強い」
アズール先輩はあの胡散臭い笑顔で私を迎えてくれた。厨房にはジェイド先輩もいて他にも数人オクタヴィネルの生徒がいた。開店準備をしているのかすでに料理の仕込みも始まっている。
「おや、ラギーさんは今日シフトが入っていなかったはずですが?」
「あ、私がついてきてくださいって言いました」
「監督生くんにはタンポポの恩があるんで」
「まぁいいでしょう。あなたを呼んだのは他でもありません。こちらの食材、見覚えがありませんか?」
「……」
実はずっと目に入っていて気にはなっていた。この世界の厨房に異質な存在であるそれは私にとっては故郷を思い出す懐かしい存在だった。しかもこの季節にぴったりである。
「タケノコ?」
「小エビちゃん知ってんだぁ~」
おそらくタケノコ。いや、どう見てもタケノコ。でもこの世界にあるのかは定かではないので多分タケノコとしか言えない。立派なタケノコが笊の上にドンと置かれていて私は思わず手に取った。
「ちょっとした伝手でここから東のほうにある島国の食材が手に入りましてね。この間、貴方の故郷のレシピを教えていただいたでしょう? お礼と言ってはなんですがおすそ分けをしようかと思いましてね」
「え!!」
お、おすそ分け。何て素敵な響き。この立派なタケノコ、二つでも貰えればタケノコご飯に土佐煮、お肉さえあれば青椒肉絲に春巻き、炒め物と色々なレシピが味わえる。私が頭の中でいくつもの料理をしているのが伝わったのか、アズール先輩がこちらを見て微笑んでいた。
「え、代価がいります?」
「まさか。この間のレシピのお礼と言ったではありませんか……まぁもしこのタケノコを使ったレシピを教えていただければさらに他の食材もおすそ分け致しますが」
「今すぐメモを取ってください」
「やる気に満ち溢れていますね」
嬉しそうにジェイド先輩がメモを取り出した。私は知っている限りのタケノコレシピを伝えると特に土佐煮やタケノコご飯に興味があるのか熱心にアズール先輩と話をしている。
「まぁ男子高校生には青椒肉絲とか春巻きのほうがいいとは思いますよ。正直他のレシピはあっさりしているのでガッツリ食べたい人には不向きです。ただヘルシーなのでダイエット中の人にはいいかもしれませんね。意外とたんぱく質もありますし。取りすぎは禁物ですけど」
「なるほど、ではヘルシーメニューとして出してみましょうか。意外とそういうメニューも需要があるので」
多分一番知りたいのはアズール先輩なのでは? と思ったけれど黙っていた。沈黙は金、いや、沈黙は食材なのである。
モストロラウンジのメニューが無事に決まり、私は食材を抱えてほくほくと寮へ戻った。私があまりにもニコニコして入ってきたからグリムが逆に震えていた。オクタヴィネル寮で怖い目に合って頭がおかしくなったと思ったらしい、助けなさいよ。
「なんでラギーもいるんだ?」
「グリムくんがご主人を置いて逃げ出したから、オレが付いて行ってあげたんスよ」
「親分はオレ様だゾ!」
「ラギー先輩、ありがとうございました。少しタケノコいります?」
なんやかんやで最後まで付き合ってくれた先輩に野草だけ持たせてサヨナラするのも気が引けた。差し出したタケノコをじっと見た後、先輩は軽く首を振った。先輩が食料を断るなんて槍が降るのでは? と告げれば形のいい眉を吊り上げて口を開いた。
「できれば監督生くんが作ってくれたやつが食べたいなぁ」
「え」
私が作ったものをラギー先輩が食べたことは一度もない。ラギー先輩とは食材を分け合う仲間であり、互いの作ったものを食べるということはしたことがなかったからだ。
「でも、さっきもモストロラウンジで言いましたけどあまりガッツリしたものにはなりませんよ」
「オレが好き嫌いを言うと思うんスか?」
愚問だなと思い了承した。私はキッチンに貰った食材を並べる。タケノコはモストロラウンジであく抜きしてもらった。ラッキーラッキー。
まずはお米を研ぐ。浸水する時間が必要だからこれは一番最初にやらなくてはいけない。米の入ったボウルは隅に置いて私は他の食材に手を伸ばした。東にある島国はもしかしたら日本に似ているのかもな貰った食材を眺めて思う。小さな鍋に水とだしの素を入れて煮立てそこに食べやすい大きさに切ったタケノコを放り込む。醤油とみりんを入れて落し蓋をして煮込んだ後、鰹節をまぶせばタケノコの土佐煮の完成だ。最初に作っておけば冷めていく過程で味が染みる。
次はフライパンに油をひいて、薄くくし切りしたタケノコを炒めた。ある程度火が通ったら醤油とバターを入れて絡めるように炒めればバター醤油炒めの出来上がりだ。木の芽はないのでさきほど摘んできた野草をみじん切りして飾る。
タケノコと一緒におすそ分けしてもらったアサリが入ったタッパーを手に取った。砂抜きまでしてあって至れり尽くせりである。
「フロイド先輩が一睨みするとアサリが自ら砂を吐くって本当なんですかね」
「本当だと思ってるんスか」
私にアサリを渡してくれたフロイド先輩がそう言っていた。もし本当なら何て簡単な砂抜きなんだと感動していたのに。騙された。嘘だろって顔でラギー先輩がこちらを見ている。なんですか、食べさせませんよ。
「アサリはお味噌汁にしよう。久しぶりに食べられる」
「アンタの地域のスープだっけ?」
お味噌汁を作るための小さな片手鍋に水とアサリと昆布を入れて火にかける。
「そうです。ほっとしますよ。沸騰する前から灰汁が出てくるのでそれらを取ってあげます。沸騰したら昆布を取ってあげて……全部のアサリの口が開いたら火を弱めます。味噌は沸騰したところに入れると風味が落ちてしまうので」
「へぇ。いい匂いッスね」
お味噌汁ができたらみじん切りにして冷凍しておいた小ねぎを散らす。やっぱり緑があると見た目が美味しそうになるから不思議だ。
「よーし、タケノコご飯作りますよ」
浸水しておいたお米をザルに開けて水気を切る。お鍋にお米、食べやすい大きさに切ったタケノコ、人参、油揚げを入れて出汁と醤油、みりんを足す。蓋をして強めの中火にかけて沸騰するのを待つ。
「鍋で炊いてるんスか?」
「炊飯器ないので……それにお鍋のほうが美味しいですよ」
沸騰したら火を弱めて十分ほど待つ。その後は火を止めて十五分ぐらい蒸らす。これで美味しいご飯の出来上がりだ。
「蒸らしている間に貰ったお魚焼きましょうか」
「野草から随分豪華な飯になったッスねぇ」
「めちゃくちゃいい匂いなんだゾ!」
久しぶりのまともなご飯についつい張り切ってしまう。それでもまだ食材は残っているしこれで後二日は過ごせるはずだ。またこれからもアズール先輩にレシピをちょこちょこ提案しようと思った。
魚も無事に焼き上がり、私はテーブルに食事を運び始めた。ラギー先輩も自然とお皿やカトラリーを並べてくれている。何もせず子供のように席について待っているのはグリムだけだ。
テーブルの真ん中には鍋。焼き魚やお味噌汁をそれぞれの位置へ並べ、煮物とバター醤油炒めは小皿に分けた。
「オープン!」
「おぉ!」
「へぇ、美味しそうな匂いするじゃないッスか」
鍋の蓋を取れば広がる出汁の香り。しゃもじで混ぜれば底にはおこげもちゃんと出来ていて満点の出来である。最高、何倍でも食べられる。二人にご飯を取り分け私は手を合わせた。いただきます! と叫ぶように言うとグリムもそれに続く。
「いただきます。……タケノコご飯美味いッス! あっさりしてるけど出汁が効いてる」
「オレ様何でも食うんだゾ! 飯に魚に味噌汁なんてこんなに食べ物があるのは久しぶりなんだゾ、子分! おかわり!」
「グリム、ゆっくり食べないとお腹壊すよ」
「監督生くん、お母さんッスね」
ラギー先輩が苦笑いをしている、が、その手は全く止まることがなかった。ご飯、魚、汁物、炒め物と次々と口に運んでいく。グリムもかなりのスピードだが先輩も負けていない。私は早々に自分の取り皿におかずを先に取ることにした。あっという間に消えてしまう。
ご飯を一口頬張れば久しぶりに食べるタケノコの感触に涙が出そうだった。空腹は最高のスパイス、こんなに美味しいご飯が存在するなんて。油揚げも人参も味が染みていてとても美味しい。おこげもたまらなかった。次にアサリのお味噌汁を一口。日本人で良かったと叫びたくなるお味噌の味にアサリの出汁が口中を駆け巡る。こんな美味しいお出汁を出すのに身まで食べられるなんて貝は偉大である。タケノコのバター醤油炒めも土佐煮もたまらなかった。実家に帰った気持ちになれた。本当にありがとう、アズール先輩。
じっくりゆっくり食べていると目の前で繰り広げられるご飯を巡る争いも微笑ましく見えるものだ。やはり腹が満たされれば大抵のことは許されるものだ。
「ちょっとグリムくん、食べすぎ! これはオレのッスよ!」
「ラギー! オマエ寮に戻れば何か食えるだろ! これはオレ様の食料だ!」
「もう二人とも、ゆっくり食べないから満腹にならないんだよ。お茶飲んで落ち着いて」
「いやいやグリムくんその体格でそんなに食べたら益々狸になるッスよ」
「ふなぁ!? オレ様、狸じゃない!」
「何だか懐かしいなそのセリフ……青い猫も言ってた」
青い猫というワードに二人がはてなマークを浮かべていた。争いが止まって何よりだ。私はしっかりと自分の分のご飯を食べると立ち上がって温かいお茶を準備する。サムさんのところで買った緑茶だ。あのお店は不思議なことに私の国の食べ物も普通に手に入るからありがたいようなちょっと不気味なような……。
「はい、先輩もどうぞ」
「あ、どうも」
手渡したお茶をラギー先輩はゆっくりと口に運んだ。少し温めだからすぐに飲めるだろう。紅茶ではないけれど問題ないだろうか?
「緑色」
「あ、こっちのお茶でそのまま緑茶って言います。紅茶の親戚みたいなものですよ。発酵の具合が違うだけなので」
「飲みやすいッスよ」
「は~~オレ様お腹いっぱい、少し寝るんだゾ」
そう言うとグリムはソファに移動して大の字で眠り始めた。野生の本能はどこへやら、隙だらけで眠っている。
「アンタ、料理上手なんスねぇ。節約料理だけじゃなくて本当は材料があれば色々作れるんスか?」
「普通には作れると思いますけど……。モストロにレシピ提供したり食堂でバイトもしているので」
「ふーん。……また、食べに来てもいい?」
「え?」
「あ、いや。タダとは言わないッスよ? 食材持ってきたりするんで」
目をキョロキョロと泳がせてラギー先輩はそう言った。少し気まずそうな、でも決して引く気もないその感じに思わず頷いてしまう。別に断る理由もない。
「地味なご飯でもよろしいですか?」
「腐ってなけりゃ何でもオッケーッス」
ハードルが低すぎる。でも今日はなんだかとても楽しかった気がした。誰かと食べるご飯は美味しいんだってこと、美味しいって言ってもらえると元気が出ること、それを改めて感じた気がする。
「じゃあ先輩も、時々作ってくださいね」
「監督生くんが材料調達してくれたらね」
シシシと笑った先輩に、心がほんのりと温かくなった。