やわらかな午後 庄左ヱ門は茶筒の蓋を取り、葉を熱した土鍋に移した。
油も何も引いていないので木べらでかき混ぜると深い緑はさらさらと心地よい音をたてて、端から茶に染まっていく。
香ばしさに食堂が包まれる。
火加減は大事だ。焦がしたりしないよう混ぜる手はゆっくりと、しかし休めない。実家の職業柄炭を作るのは得意だが、そこはそれ、これはこれ。
食堂の窓から太陽の位置を確認する。彦四郎がそろそろ戻る頃だろう。
今朝、日が昇ると同時に庄左ヱ門の部屋にやってきた彦四郎は今日こそ絶対になんとかしなくちゃと半分涙目で訴えてきた。
かわいそうな彦四郎。それでも外出する彼を見送りに行ったらすっかり元気を取り戻していて、一番おいしいやつ買ってくるから待っててねと走って行った。なんだかんだで、彦四郎も学級委員長だと思う。
少し古い緑茶は煎ると香り高いほうじ茶になる。笊にあけて少し冷ましてから茶筒に戻した。
鉄瓶に水を入れる。よく晴れていい陽気だったが、触れる水の冷たさにはっとする。
そういえば、いつの間にか空も高くなった。
カンカンに熱くした鉄瓶の湯に気を付けながら廊下を渡る。学園は休みで、静かだった。
「ただいま、庄左ヱ門。」後ろから呼ばれて振り向くと、彦四郎がいた。
手には竹皮に包まれた饅頭がひと山。
「おかえり彦四郎。お疲れ様。」
「これからだよ、お疲れは。」
彦四郎は恨めそうに言う。それを見て庄左ヱ門も苦笑した。
見慣れた障子を前にため息をひとつ。
「一年は組、黒木庄左ヱ門入ります。」
「一年い組、今福彦四郎入ります。」
返事がないのは分かっているからさっと障子を開けた。
長机が三つ、コの字型に並べてある。その端と端に不機嫌がそれぞれ、そっぽを向いて座っていた。
庄左ヱ門は構わず、お茶の用意を始めた。
急須に煎ったばかりの茶を適量入れ、熱い湯を注ぐ。
しゅうと音がして茶葉がふっくり反り返る。一瞬で部屋中が香ばしくなり、不機嫌の一つがぴくりと動いた。
彦郎が包みを開ける。
評判の饅頭はその日できたての限定品で下手をすれば並んでも買えないという一品だ。
もう一つの不機嫌から腹の虫が聞こえた。
お茶と饅頭、それぞれ四つ。おやつの準備が整うと、二人はお行儀よく座った。
「いただこうか。」「そうだね。」
いただきます。手を合わせてからお茶を飲む。やはり煎りたてのほうじ茶はおいしい。
彦四郎が買ってきた饅頭には少し味噌が入っていて、餡の甘さを引き立てる。
忍びにあるまじき気配の乱れは気にしないことにして、今はおやつに集中することにした。
「これすっごく美味しいね。」
「朝一で並んだのに買えたのぎりぎりだったもの。次はもう買えないかも。」
「じゃあきっとこれきりだね。」
「うん、これきりだ。」
いつの間にかそっぽを向いていた二人が恨めしくこっちを見ている。
少しいい気味だなと思った。
「ねえ彦四郎。」
「なに、庄左ヱ門。」
「お饅頭とお茶、余ってるね。」
「もらっちゃおうか。」
「もらっちゃおう。」
「庄左ヱ門!だめだ!」
「彦四郎!待った!」
鉢屋三郎と尾浜勘右衛門が同時に叫んだ。
彦四郎と庄左ヱ門は黙ってお茶を飲む。
三郎は腕を組んで「君たち、ちょっと卑怯じゃないか。」と言った。
勘右衛門は机に上半身を突っ伏して「俺もお饅頭食べたい!」と叫んだ。
一年生二人はにっこり微笑んで、身長も経験も実力もはるか遠くにいる先輩を見つめる。
屈託のないその笑顔にはしかし問答無用の問いかけが含まれる。
食べたいなら、どうすればいいか分かりますよね
三郎が組んでいた手を膝に添えた。勘右衛門もがばりと顔を上げ、居住まいを正す。
「私が悪かった勘右衛門。」
「俺も言い過ぎたよ三郎、ごめん。」
三日ぶりに会話する二人の上級生を見て、彦四郎と庄左ヱ門はやれやれと顔を見合わせる。
まったく、なんて世話の焼ける先輩たち!
いい加減喧嘩の興奮が覚めているのは分かっていた。それでも謝るのは癪で、普段の調子に戻るのもよそよそしく、きっかけもなく、気ばかりぶっせいで黙り込んでいた二人なのだ。
庄左ヱ門は彦四郎が出かけた後、相談があるのでこの時間ここへ来てくださいと文を書いて先輩二人の部屋へ滑り込ませておいた。忍たまとはいえ、5年生の長屋へ忍び込むのは骨が折れた。おそらく、気づかれてはいた。見逃してくれたのだ。そんな気遣いがあるならさっさと仲直りしてくれと、冷静につっこむ。
「はい、どうぞ先輩方。」彦四郎がおやつを差し出すと二人は子供みたいに喜んだ。
おいしい、おいしいと饅頭を頬張る先輩を横目に、庄左ヱ門は急須に湯を足す。
そうして、今度お使いで町へ行ったら二人にうんと奢ってもらおうと密かに決めた。
しんべヱが町のうまいものマップを持っていたはずだ。それを借りて、あとで彦四郎と一緒に計画を練ろう。四つの湯呑に茶を足して庄左ヱ門は悠然とほほ笑んだ。
学級委員長委員会のやわらかな午後はゆっくりとすぎてゆく。