満員電車「おーいカラム」
待ち合わせ時間より少し前に集合場所に着いたアランは既に着ていたカラムにヒラヒラと手を振った。カラムは読んでいた単行本から目を離し、アランを見て眉を顰めた。それでも第一声は「おはよ、アラン」と律儀な挨拶だった。
「あー、朝から暑いし、だりぃな。まだ校外100周の方がやる気出るわ」
アランは頭をガシガシ掻き、片足に体重を掛けながらながら言葉通り怠そうに文句を垂れる。
「仕方ないだろ。学生の本分は学問だ。野外活動もそれに含まれる」
「だからって写生になんの意味があんだ?」
「さあ、知らん」
「はぁ〜絵なんて描きたくねぇ」
「だが、欠席すればそれこそ個人で時間を作り描きに行かなければ無くなる。そっちの方が面倒だろ」
「はぁ、学生辞めてぇ」
「馬鹿なこというな。ほら行くぞ。ちゃんと制服を着て立て、人に見られている事を頭に入れろ」
「へいへい」
夏の暑さも残る秋、アランは暑さから制服のシャツを大きく開け、ネクタイも緩めていた。カラムは自分よりも背の高いアランの制服に手を伸ばして丁寧に整えてやる。最後にシワを伸ばして完璧になった事を確認し、自身の制服も整えて歩き出した。
「お前電車には乗ったことあるの?」
「ある」
「へー乗ってるイメージしかなかったわ」
「私をなんだと思っているんだ」
軽口を叩きつつ切符を買い中に入るとピタリとカラムの足が止まった。目をキョロキョロと動かし自分が何処に向かうのか探している。その様子からたぶん前は誰かに指示されるままか、後を付けて乗ったのだろう。教えるにしてもここで立ち止まるのは後ろの人の邪魔になる。カラムの袖を掴み歩き出した。
「◯番ホームはこっちだ。離れるなよ」
「アラン??」
カラムは驚きつつも大人しく付いてくる。
目的のホームにたどり着けば予想通り混雑していた。こりゃ電車の中も満員だなと予想しながらカラムを見れば人の多さに目を見開いてキョロキョロしている。
(コイツ身体小っせいけど潰されたりしねぇか?)
騎士として日々鍛えているとはいえまだ中1のカラムは周りより小柄で圧迫されたらと少し心配になる。もし危なそうになったら自分の身体でスペースを作ってやろうと決めた。
「カラム」
「なんだ?」
「俺から離れるなよ」
「??分かった」
理由は分からずともとりあえずこれで大丈夫だろう。まぁ最悪離れたとしてもカラムなら自身でなんとかできっだろとも思う。
電車が来る合図の音楽が流れてすぐに電車が到着した。降りる人達の後に、乗り込む人の流れに身を任せ2人は電車に乗り込んだ。
前を歩かせていたカラムはやはり人の流れに流されかけてよろめいた為、肩を掴んで出来るだけ空いているだろう電車の中央部分へと誘導する。入り口付近と違いやはり中央部分は隙間が出来るぐらいには空いている。
「吊り革届くか?」
「だ、大丈夫に決まってるだろ!」
ムッとした顔で手を吊り革へと伸ばす──が、何とか第一関節で捕まえたものの、つま先立ちの身体はプルプルしている。それではまだ捕まらず踏ん張っていた方が安全なのではないかと思える。
「俺に捕まっていいぞ」
「うッ!!」
カラムはものすご〜く、ものすご〜く不服な顔をしながら吊り革から手を離しアランの袖をキュッと握った。
いつもの事ながら心とは別に最善策と納得すれば行動は素直なものだ。顔はぶすっとしてるけど。だが、それはアランにだけ見せる素直な表情だと理解していれば、皆から頼られてばかりいるカラムが自分には常に甘えている状況に、とても可愛いと思う。
アランが吊り革を掴むと少しの揺れを伴いながら電車は走り出した。
不定期に横に揺れる度に隣の人と肩や腕がぶつかる。電車通学でないアランからすれば朝からこんなにも大変な目に会うのは御免だなと考える。なんなら仕事場まで走るか、自転車で通った方が鍛錬にもなりいいだろう。同じ疲れるなら身体を動かし、汗をかいた方が断然いい。
なんなら今日も電車でなく走って集合場所に行った方が良かったな。
なんなら今からでもカラムと───とそこまで考え横目で見る。
いつも通り完璧に整えられた服、髪もその性格を表すかの如く真っ直ぐで寝癖すら付いてない。徹底的に乱れを嫌がるカラムが朝から校外で大量の汗をかくのを嫌がるのは至極当たり前だ。
タオルで汗を拭くだけで後は気にしない自分と違い、着替えるとか言い出すだろう。
そんな2人が一緒にいるのを不思議に思い、いやだからか〜と納得もする。
だらしない自分の目付け役としてカラムが側にいるだけ、そう考えれば納得できる。
どっちにしろ今更電車を降りるわけにもいかない。そこまで考えたら「ふぁ〜」と大きな欠伸が出た。
「ここで欠伸をするなとは言わないが、最悪口を押さえろ」
「いや、無理難題だろ?お前今何処掴んでるか忘れてんのか?」
「……すまない」
マジで忘れてたらしいカラムは頬を赤くしながら今度はアランの制服の裾を掴んだ。不自由さはそこまで感じていなかったが、これでアランの片手は自由になったので、ついでにもう一度今度は手で口を押さえながら欠伸しておく。
「あ、アラン次の次の駅だな。ドアの側に移動した方がいいのか?」
「んー、そうだな降りる人の流れに沿って行こうぜ。流されて一緒に降りるなよ?」
「わ、分かってる!」
煩いと言う様に握られていた裾をクイクイと引っ張られた。
そして駅に付きドアが開けばやはり半分流され掛けた。アランに支えられながら移動する事にカラムは不服だった。事前に朝の満員電車のことは知っていたものの、まさかここまでとは思ってもいなかった。同じ年のアランは背も高く身体も大きいから流されずに立っていられるようだが、自分の背の低さと小ささは力に対して弱く、人と人に密着され挟まれたらそのまま流されてしまう。
(高校になれば私も!!)
自分の家系は背は高いが成長は遅い。兄は大体16〜17歳の時にぐんと伸びたのだから自分もその頃になれば──
「わっ!?」
そんなことを考えていると突然ぐっと肩を掴まれ引き寄せられた。自分にこんなことをしてくる男は一人だけだ。ムカつくほど筋肉質の大きく広い胸に収まる形になる。自分の身体とは全く違い逞しい身体が羨ましい。
「なんだ?」
顔を上げればいつものようなニカッとした表情で背中、そしてお尻を払らわれる。
「んや〜流されかけていたから、ここにいろ」
表情はいつもの笑顔だが、その声は小さくも珍しく有無を言わせないと言うもので、大人しくすることにした。
先程からずっと背中やお尻が他者と密着していたのが不快だった。この狭い空間では仕方ないのだろうと、出来る限り〝そのこと〟は考えないようにしていたが、アランに払われた事でその感覚もだいぶ薄れた。
もしかしなくても助けてくれたのだろう。アラ、ンはいつもそうだ。何かを言わなくても理解してくれることが多い。そんなアランだからこそ甘えてしまう自分はまだまだ子供だ。
それでも兄のようなその温かさに癒されているのも本当で、心地よいとさえ思ってしまう。知らない他人と触れ合うよりはアランと密着していたほうが自分も気が楽である。
ドアに近付いたアランはカラムがこれ以上流されないか電車の揺れでふらつかないかと、何かあった時にすぐに助けられるよう注意深く見ていた。
そして気付いた。
(コイツ痴漢されてんじゃね?)
カラムの近くにいる男が必要以上に身体を寄せているような気がした。手で触れているわけではないからカラム自身も痴漢とは思っていないだろうがアランの目からすれば、混んでいるとは言え、見知らぬ他人にこんなにも密着するのは不自然である。注意するにも満員電車で触れていただけと言い訳が通じてしまう状況だ。特に男性であり同性であるのだから痴漢されたなど信じて貰えるかも怪しい。それに気付いていないのに無駄に知らせて不快感を増やすのも得策ではない。
ならばと引き寄せ胸に抱く。元々他者からベタベタ触られることを嫌がるのだから、まだ自分と密着していた方がいいだろう、ついでに背中とお尻を払ってやる。
俺自身が不快だから。
カラムも少しは不快感が薄れたのか、表情が心なしか緩んだ気がする。嫌だったら最初から俺に合図を送ってくれれば良かったのにとも思う。そうすれば不快な時間をもっと減らせた筈だ。
しっかりしているようで何処か抜けているというか、自身の事になると我慢してしまうコイツは、本当に目が離せない奴だ。