ラムネ夏休みの暑い日。
部活は終わったが、あまりの暑さと疲れでカラムは珍しく他の部員たちと共に練習場の床に転がってはいた。けたたましい蝉の声に夏を感じ、汗が身体中から噴き出す。全開に開かれた扉と窓から入って来る生暖かな風でも汗を冷やして気持ちいい。目を閉じたら眠ってしまいそうだ。
彼らが通うのは幼稚園から大学まである王立学園、貴族であるカラムも当然のように幼稚園から社交科に入れられた。だが中学になり彼はとうとう親に反発し、大胆にも中学1年生の約2ヶ月目、今から約2ヶ月前に騎士科騎士部へ編入したのだ。同じ学園内とはいえ、変な時期に編入すればその場に溶け込めない可能性もあった。それでもカラムは騎士への羨望を止められず兄に背を押され突き進んだ。結果この2ヶ月、彼は騎士になるべく志し共にする仲間達に囲まれ充実した毎日を送れている。たが騎士科に来て間もない上、まだ周りと比べても身体の小さなカラムには鍛錬は体力的に厳しかった。
いつもならこんなだらし無いところを見せるわけにはと気を張り家まで重い脚を引きずってでも帰っていたが、今日はある〝クラスメイト〟と張り合ってしまった為、そんな余力も使い果たしてしまった。そしてその張本人は今「ここで走ったら邪魔になるから、ちょっと外行って来るわ」と爽やかな汗を額に煌めかせて灼熱の太陽の下へと出て行った。そんな鍛錬馬鹿を見送るしか出来なかった自分が悔しくて仕方ない。
分かっていた事ではあるが、彼と自分との体力の差は一生埋まらないだろう。そんな事は出会ってすぐに分かったのにアイツにだけは負けたくないと意地を張ってしまう自分がいる。
(アイツに追い付く事は出来なくてもこれ以上は離されたくない!)
嫉妬など生まれて初めてだ。今まで負けても自分に腹が立つ事はあっても相手を褒め称える事が出来ていたのに、アイツにだけは負けたくないと意地を張ってしまう。そんな自分が腹ただしくて仕方ない。
「ここに布団敷いて明日の鍛錬まで寝てぇな」
全くだ。同じく寝転んでいるクラスメイトの呟きに心で同意する。今日はもうこれ以上動きたくない。
ゴロンと横に転がりアイツが出て行った扉を見る。眩しい光がとても熱そうだ。
(明日はもう少し気温が下がればいいな)
殺人的な気候に水分補給した瞬間から汗として水分が抜ける。起きたらまた水を飲もうと決めるも身体が重く動きたくない。誰かバケツの水を頭から掛けてくれと思う程疲労していた。
「今外に鉄板置いたら肉が焼けそうだな」
横を見るとクラスメイトが笑いかけて来た。
「そうだな、とても精が付きそうだ」
「ああ肉食いてぇな」
「焼肉行こうぜ!アランの奢りで!」
「あんにゃろう!!まだいってぇよ!いつになったら手加減覚えんだ!!」
「全くだ!」
アイツ=アランの手加減無しの重い剣を受けたクラスメイトから次々に文句が出る。中学で初めて剣を握ったらしいアランの剣はド素人でありながらも思いっ切り振られると重く受け止め切れない、それがそのまま身体に当たれば打撲するのは当たり前で、先生からも講師からも常に指導が入る程だ。
(羨ましい……)
家庭教師に習っているカラムはアランのデタラメな剣を避ける事は出来るがあの剣を受け止める事は出来ない。
(やっぱり恵まれた体格、だよな……)
自分の家系も背は大きいが皆成長期は遅い。兄も今は背が高いが17才で一気に伸びた記憶がある。自分もそうなればいい、いや、なってくれと七夕の短冊に書いたばかりだ。
(同い歳なのになんでアイツはあんなに大きいんだ!!──もっと牛乳飲むか…他にカリウシムとタンパク質とビタミンDと……)
「おーい、カラム〜」
目を閉じ背を伸ばすのに必要な食べ物を考えていると、たった1人、この暑い中でもピンピンしているアイツの声がした。うるさいと思いながら目を開ければ、練習場の全開になっている扉から現れた奴は青い空、白い入道雲をバックに額から汗を垂らしてニカッと笑う。今ひまわりの花束担がせたら似合うだろうとカラムの蕩けた脳が勝手に考えてしまう程夏の暑さにも負けず元気だ。
彼は中学受験組、なのにこの約4ヶ月で学園の殆どの生徒に受け入れられている。それも上も下も関係なく、下手すると科すら飛び越えて。
凄いと本当に思う。今では騎士部は彼を中心に回っていると言っても過言ではない。変な時期に編入してしまった自分に一番に話しかけ即肩を組んできたのも記憶に新しい。
「なんだ、私は今倒れている」
「だからさ、これ貰ったんだ。飲むだろ?」
アランが見せたのは独特な形をした水色の瓶2本、冷たいのだろう水滴が付き二つの瓶が触れ合えばカーンと涼し気な音を出した。
それを目をしたカラムの目が輝き、練習で疲れ切った身体をゆっくりと起こす。小さい頃から憧れたそれは──
「らむね……」
「正解!!」
カランカランとアランが瓶を横に振る。
平民からすれば夏のド定番、然程珍しくない飲み物だが、貴族として特に厳しく育てられたカラムからすればテレビや本の中でしか見たことのない憧れだ。赤茶色の目をビー玉の様にキラキラさせ、手を伸ばす。初めて手にしたラムネは予想通りの冷たさだった。
独特のくびれた形状、ビー玉で栓をするというユニークで唯一無二の存在、そして何よりそのビー玉を落として飲むという行為、全てが小さい頃から一度は飲んでみたいと憧れた飲み物が今手の中にある事に興奮が止まらない。
アランはカラムに一本渡しながら、どんだけ好きなんだよ、と心の中でツッコミを入れて笑ってしまった。
カラムは頭固いけど、頭はいいし、自分をちゃんと持っていて、頭固いけど、頼り甲斐があって、しっかりしているようで何処か抜けていて、気付けばポカやらかしていて、頭固くて…、でもたまに見せる子供っぽい姿が可愛くて、ついからかっちまう、そんな放ってはおけない存在だ。
(弟って感じだな)
アランにとっては故郷に置いてきた妹弟を思い起こさせる存在でもある。今もたかがラムネにこんなにも喜んでいるのだから。
「アラン、ラムネなんて何処で手に入れたんだ?」
カラムに手渡ししている間に他の騎士達もなんだなんだと起き上がってきた。
「今外をランニングしてたら校門で近所のおっちゃんにバッタリ会ってな、頑張れ〜ってくれた」
「マジで外走っていたのかよ……」
夕方近いがまだ日は高くジリジリと全てを焼き尽くそうとしている中、走るなど騎士を目指す彼らにとっても自殺行為でしかない。それを軽々してしまうアランはやはり皆とは違う生き物なのでは?と思ってしまうのも仕方ないことだ。
「いいな、俺にもくれ」
「いや2本しかねぇし、1本は今カラムにやっちまった」
「ならお前の寄越せ」
「やだねー」
べーと舌を出すアラン。いくらアランが頑丈でも水分補給はしないと死んでしまう。折角貰った冷たいラムネを安々他の者に渡す気はない。
カラムにあげたのも夏休みの宿題を手伝ってくれているお礼だ。それに今日はちょっと揶揄い過ぎてバテらせてしまったお詫びだ。
「ならカラム俺達にも──」
「え……」
部員がカラムへ目を向ければ、カラムは絶望的な顔でラムネを抱きしめていた、それはそれは、大事に、大事に……。
「ス…スマン……」
「こっちは気にしないでくれ」
「お前は気にせず飲め」
身体は小さいがいつも大人びているカラムがたかがラムネ1本でそんな顔をするとは想像もしていなかった部員達は〝小学生をイジメている〟ような錯覚を起こしてしまった。
流石にそんな事は出来ない。そんな事をするぐらいなら全員でアランを襲撃する方がマシだ。
「カラム、ソレ飲んだことあるのか?」
「いや、だがビー玉落とせばいいんだろ?」
部員の質問にカラムは首を傾げながら答えるとその場にいる全員がニヤッと笑った。「ならやってみろ」とからかい混じった台詞とニヤニヤとした顔をする部員達にムッとした。
「これぐらい出来る!」
出来ないと思われたのが癪に障る。口を一文字に結びパッケージを破り捨てた。濡れてて絶妙にやりにくいがなんとか中から凸のキャップ部品を取り出す。凸の部品に付いている円を取り除き栓をしているビー玉に当てる。あとは力を加えてビー玉を落とせばいいだけだ。
そこで一息つく。
まだ部員達はニヤニヤしている。まるで失敗するのを分かっているような期待しているような顔にカラムも良い心地はしない。ならば絶対に成功させる!と息を吐いてキャップを思いっ切り押した。
ポンとビー玉がゴム栓を通る快感に心躍らされる。と瓶の中に落ちたビー玉がラムネの炭酸を泡立たせどんどんと真っ白になる様子を観察していると──
「ンッ゙!?」
突然吹き出したラムネがビシャっと顔に掛かり、溢れた中身が手を伝い座っていた服にモロに掛かった。
ドッと笑いが起こる。
「流石カラム、期待を裏切らないな!」
アランの言葉にムッとするもすぐに肩を落とした。
「身体がベタベタする……」
濡れたことも、笑われたことも面白くないが一番ショックを受けたのは、吹き出したことにより肝心のラムネが半分になってしまったことだ。
涙目になったカラムをアランが自分の首に掛けていた濡れタオルで顔や身体を乱暴に拭いてくれた、が、とても汗臭い。
社交科の香水の香りには慣れているが、まだ騎士科の男臭さには慣れていないカラムにとっては若干地獄だ。
感謝はしつつもラムネの甘い香りとアランの汗臭さに若干食欲が減る。
「最悪だ……」
「まーそう言うなって!」
無邪気に背中をパンパン叩き肩を抱いてくるアランの汗ばんだ身体の湿っけと漂う臭いに、自分の汗ばんだ身体も同じ臭いがしているんだろうと思えば拒絶する力も出てこない。それにこれからここで生きていく為にはこの環境に慣れる必要があることも理解している。
「次からはこうやって開ければ溢さねぇぞ」
アランは持っていたラムネから凸キャップを取り出すと瓶を床に置き手のひらでポンっと押し込んでそのまま停止した。瓶の中に落ちたビー玉が白い泡を作るもアランの手のひらによって堰止られ吹き出すことなくしばらく出口を彷徨いやがて静かに消えて行く。
なっ!と笑顔で言われてガクッと肩が落ちる。
「吹き出すのも楽しみの一つだ、ほら飲んで忘れろ」
アランの手によってラムネが自然と取り替えられる。
……そういうことをサラッと出来てしまうのがアランの凄さだ。このたった2ヶ月の間に自分が女性なら惚れてしまったかも知れないと何度思ったことか。実際アランの告白件数は凄いことになっているのも自然なことだと受け止める。
「ありがとう……」
失敗した苦い思いも、汗臭い臭いも、アランの前では全て〝些細なこと〟になってしまう。
また自分の額から汗が垂れる。まだまだ暑い日々は続く。早く飲まなければ折角冷たいラムネも温くなってしまう。
流れた汗を服の袖で拭い、貰ったラムネを口にすれば冷たい甘さと炭酸の爽やかさが身体を潤し冷やしてくれる。優しい甘さと炭酸が疲れた身体を解し元気をくれる。喉が渇いていたことを思い出せば止まらなくてイッキ飲みしようと角度を付けた途端に
「ンン!?」
今度は中のビー玉が出口を塞いでしまった。舌でつつくもボドッボドッとしか出て来なくて飲みづらく思わず眉を寄せてしまう。
「ほら、こーすんだ」
アランが半分になってしまったラムネを飲みながら教えてくれる。器用にビー玉を突起で動きを封じて飲んでいる。
「んー」
何度かトライすれば上手く出来るようになった。
イッキ飲みするとアランがニカッと笑って自分の分もイッキ飲みする。
「よっしゃー、ビー玉取るために割るか!」
「馬鹿、あぶねぇだろ!そのタイプはネジと逆に回すんだ!」
「へー、そんな事で取れんのか」
アランが青い部分をネジと逆に回せば簡単にはずれビー玉を取り出せた。「おー本当だ!」とわははと笑っている。
「ほらカラムも回してみろよ」
「うん」
部員に言われてカラムも逆に回すと簡単に綺麗なビー玉を取り出すことが出来た。
「カラム俺のもやるよ」
アランから渡されビー玉2つが手の中に収められた。
「割ってまで取り出そうとしてたのにか?」
それを見て呆れる部員に
「いや〜なんか入ってるの見ると取り出さないとと思うだろ?家では妹弟達が集めてたし」
と手を頭の後ろで組んだアランが答える。家では妹弟の為にアランが飲み終えた瓶を一個一個割ってビー玉を取り出していた記憶が蘇り、どうしても取り出さないと落ち着かなかった。
「でもカラムだって渡されても困るんじゃね?本物の宝石の方が見慣れてるだろうし」
「あ、そっか」
わりぃ、とアランが振り向き見たのは嬉しそうに手の中のビー玉を見つめるカラムだった。
その手の中のモノは価値のないただのガラス玉だ。だが、カラムにとっては見慣れた本物の宝石よりも大切な仲間とワイワイ楽しめた何の価値もないガラス玉の方が何倍も何十倍も価値のあるものに見えていた。
「なんか、嬉しそうだな」
「そうだな……カラムの価値観分からねぇな」
「ああ…ビー玉なんか貰って嬉しいか?」
部員達の呆れにも似た会話を聞きながらアランは笑いソイツらの肩を抱く。
「ま、カラムが喜んでんだからいいだろ?」
「ああ、そうだな」「間違いない」など部員達の納得した言葉を聞きながらもう一度振り向けば、カラムも笑顔で他の部員達と会話している。そのしっかりと握られた手の中にはビー玉を持って。
(だいぶ馴染めたようだな)
変な時期に編入した貴族の坊っちゃんは最初こそ、浮き孤立していたがも今では騎士科に染まってきている。自分が頻繁に声を掛けたのもあるだろうが何よりもカラムの真っ直ぐな眼差しと意志は騎士そのものだからだ、とアランは思っている。この2ヶ月で自分が散々世話になったのも真っ直ぐで、お人好しで、世話好きなカラムの性格のお陰だ。
(俺には出来ねぇな)
「カラム、ちゃんと水も飲めよ」
「ああ、ありがとう」
最後に声を掛ければ満面の笑みで礼を言われちまった。本当に、そういう素直な奴だからまた揶揄いたくなっちまう。
「てか、アラン汗クセェな!」
「離れろッ!!カラムは何で拒否しなかったんだぁ!!」
「わはは」
夏はまだ終わらない。
■後書き
終われ、夏!!ということで中1アラカラネタで一番最初に思い付いて書こうとしたのがこのラムネでした。1年でやっと形に出来ました☆
いつ編入したか分からなかったので勝手に相当変な時期にしてしまいました、どうしても中1で書きたかったので……予想では中2かな?と思ってます。
ラムネ噴き出すけどここまで酷くはならないですよね、アランがここまで走って来たから、ということにしておいてください。
ラムネの中のビー玉って特別感ありますよね。無駄に取り出してしまうwwwこれ以来カラムくんはビー玉集めている設定になっております✨
別の話で出てきたらこれが発端だと思ってください。
長々とお付き合い頂き、ありがとうございました。