対抗心それは唐突だった。
「あんがぁとぅ、にぃたん!」
その少女はカラム先輩の頬にちゅっとキスをして手を振って両親の下に去っていった。一瞬の出来事で止める暇も無かった。
そしてそんな少女を見て私の中に芽生えた感情、それは〝嫉妬〟だ。
──恋人の私だってまだキスしたこと無いのに!!
それを見知らぬ少女に先を越されたのだ。無意識につり上がった目と膨らんでいた頬にハッとして慌てて両の手で抑える。
向こうは子供、お礼のキスぐらいで嫉妬しているなんてこの国の王女として恥じるべきだ。こっそりと息を深く吸って吐いてを繰り返して心を落ち着かせる。
「……参りましたね、最近の子供には驚かされます」
キスされた方の頬に手を当て嬉しそうに言うカラム先輩に私の両頬はまた勝手に膨らんだ。
「プライド様!?」
──しまった、見られた!!
「いえ、何でもありません」
こんな事で嫉妬するなんて子供じみている。なのに胸のムカムカは落ち着かなくて思わずプイッとカラム先輩に背中を向けて歩き出した。
──何よ!嬉しそうにしちゃって!!
恋人とテーマパークでのデートは高校生の私にとっては憧れたシチュエーションだ。忙しいカラム先輩の貴重な時間を貰っているのにこんな事で苛立ってしまうなど大人げない。
分かっていても私の足は止まらなかった。
──このまま走ってしまおうかしら。
瞬発力ならカラム先輩にも勝てる。人の多いここならカラム先輩であろうと巻けるだろう自信もある。
そんな事まで考えてしまうも、その後カラム先輩はとても心配するだろうと思えば足が止まった。心配されるのは大切にされている証、それはとても嬉しいが、やはり王族としてはそんな心配をカラム先輩にはさせられない。
高校生の未熟な私と王族としての大人な対応をしなくてはいけないそんな中途半端な精神に折り合いが付かず悔しくて口の中を噛んだ。
「プライド様、すみません。少し出過ぎた真似をしてしまいました」
──違う、そうじゃないの!!
眉を下げ困った顔のカラム先輩は私を放ってしまったことを謝ってくれるが私が怒っているのは違う。
3歳くらいの女の子が持っていた風船が風に攫われ木に引っかかった。それを見ていたカラム先輩が取ってあげたのは必然で、そのお礼があのキスなのだ。
困っていた少女を見過ごせないと手助けをする姿はカッコよかった。そんなカラム先輩だから好きなのだからそこに文句など無い。逆に惚れ直していた程だ。
「プライド様……」
不機嫌な私にオロオロとするカラム先輩。何も悪くないのに困らせてしまっている事に更に罪悪感が芽生え始める。
「……気にしないでください。それより」
一つ大きく息を吐いて式典で鍛え上げた表情筋を使い笑顔を作ってから振り返るとカラム先輩は驚いた顔をした。
「先程はありがとうございました。困っていたあの子もそのご両親も大変喜ばれてました」
この際お礼のことは忘れよう。折角のデートで互いに嫌な気持ちにはなりたくないし、何より民を助けるカラム先輩は本当に素敵な方だと心から思っているもの。先程の善行を思い出せば最後の方は自然な笑顔で言えた。
それにカラム先輩がしなかったら私が木を登っていた。カラム先輩はそれも分かっていて自分が動いてくれたんだと思う。
「いえ、私は大したことはしておりません」
少し顔を赤くして照れるカラム先輩がとても可愛かった。
自宅のマンションのエントランスまでカラム先輩は送ってくれた。
「今日はお忙しい中ありがとうございました」
「いえ、こちらこそプライド様と貴重な時間を過ごせて幸せです」
いつものように繋いでいた手をそっと緩めてくれるカラム先輩、でも私はその手を離さなかった。
「プライド様?」
「あのカラム先輩、お御髪に埃が付いてます」
「それは失礼しました」
繋いでない方の手で髪を触ろうとするのもそれを制す。
「あの、私が取りますのでソファに座って頂けませんか?」
「いえ、プライド様にそこまでして頂くわけにもいきません、後で鏡で確認しますので大丈夫です」
「いえッ!!とてもとても見えにくい場所ですので!それに私が取ったほうが早いです!!お気になさらないでください!!ゴミを取るだけですのでッ!!」
遠慮するカラム先輩に私は口が早くなるのを自覚しながら手を強く握る。その必死さに気付いてくれたのか「分かりました」とエントランスに備え付けされているソファに座ってくれた。
「は、恥ずかしいので目を瞑っててくれますか?」
「はい」
不思議そうにしながらも軽く目を閉じてくれるカラム先輩。特に疑問を投げられなかった事にホッとしながら顔を近付けた。
カラム先輩の肌は間近で見てもとてもきめ細かくて綺麗だ。今は睫毛に影が出来、更にその長さが強調されている。キリッとした勇ましい目も今は涼し気な印象だ。見た目だけでもカッコイイのに中身まで完璧な騎士部部長がこの国でモテないわけがない。最近はメディアの仕事も多くなっているのだから尚の事だ。
──恋人として不安にならないわけがない。
そっと赤毛混じる赤茶色の髪に指を通すとピクッと目元が反応するも開かれる事は無かった。癖のない真っ直ぐなサラサラの髪は触り心地がよくふわりと香るワインの芳醇な甘い香水の香りにうっとりしそうになる。何度も指を往復させると「プライド様?」と困ったような表情で名前を呼ばれた。
「あ、あの、も、もう少し待ってください!」
思わず撫でてしまったが、大人の男性が歳下女性から撫でられていい気はしないだろう。
早々に終わらそうとするもドキドキと心臓の音が煩い。
騎士の筋肉質な身体の中でも柔らかそうな頬、恥ずかしさから赤く染まっている。そっとお指の腹で撫でればやはり柔らかくて手触りがいい。
「ん?プライド様?」
「ま、つげが付いてました、ので……そのままで!」
苦しい言い訳をしつつ、目を閉じたまま不思議そうに怪訝そうに眉を寄せるカラム先輩の顔をそっと上げさせてその下にある形のいい無防備な薄い唇に目が引きつけられた。
──むにっ
と唇を合わせた。
「………………………………っ!!!???」
「ぁっ……と、と、取れましゃッ」
噛んだ。
ぶわぁぁあああと自分の身体を巡る血が沸騰する。鏡を見なくても今自分がとんでもなく真っ赤になっているのが想像つく。自分でしでかした事とはいえ、まともにカラム先輩の顔が見られない。
「ぷッらい………────」
「きょッ!?今日は!ありがとうごしゃいました!!き、き、気よ付けてお帰りください!!で、ででではッ!!」
もう居た堪れなくて、カラム先輩の顔も見られなくて、居た堪れなくて、カラム先輩の私を呼ぶ声を背に逃げた!!
エレベーターに乗り込み上昇を始めてからその場に蹲る。手は無意識に唇に。
──し、してしまった………ッ
ずっとしたいとは思ってはいたが、まさかこんな形でカラム先輩の唇に触れてしまうとは……何よりも誰にも取られたくないという嫉妬心からこんなことしてしまうなんて、完全にカラム先輩の気持ちやその後を考えていなかったと後悔が今頃やって来た。
する前は対抗心から〝恋人〟なら許されるような気がしていたが許可なくして良かったのかしら??
……相手の許可を取らないというのは王女としてだけでなく一人の女性としてもとんでもない事で……そういう事に厳しいカラム先輩はどう思っただろうか?
怒っただろうか?ドン引きしただろうか?もしかして嫌われた??
そんな事を考えながらもまだ感触も体温も香りも残っている唇をそっと撫でれば味わったことのない甘い甘い刺激にボッ!!と血液が沸騰する音が耳の奥でした気がした。
その日エレベーターの中で高熱を出して倒れている王女か発見されるという大事件が起こった。
夜、額に濡れタオルを置かれた状態でベッドで寝ていると携帯が着信を知らせた。ディスプレイを見ればカラム先輩で思わず身体を起こしてしまい、濡れタオルがシーツを濡らす。それにも気付かないほど慌て、通話ボタンを押すかどうか悩む。
あんな別れ方した故どうするか、話すのも話さないのも恐ろしい……まだ熱が引かない頭でぐるぐる考える中ら光るディスプレイの名前を見つめる。その結果、結局コールが切れてしまったことに「あっ!」と思わず声が出た。
残念のようなホッとしたような気持ちで携帯を眺めていると再び通知が来て驚きとともに床に落としてしまった。
拾い上げて恐る恐る見ればラインの通知だ。
『今話せませんか?』とだけ送られて来たのを見てようやく覚悟を決めてこちらから電話を掛けた。
「……あの……もしもし??」
『もしもし、すみません夜に。大丈夫でしたか?』
いつも通りの優しいカラム先輩の声だ。
それがあの唇から発せられていると思えばまた思い出して熱が上がり無意識に手は唇へ。自分からしておいてなんだが、ずっと熱が下がらない。
「カラム先輩が原因か!」と怒るみんなを何とか解き落ち着かせて、今までずっと部屋で休んでいたのだ。
『プライド様?』
「は、はひぃッ!!」
緊張から身体が硬直しガタガタ震えだす。カラム先輩の声を聞くだけで身体中の血が沸騰しそうだ。
『お休みになられてましたか?』
「いえッ!」
思わず否定してしまった。
私はこんなにも挙動不審になっているのにカラム先輩はいつも通りだ。
──やはり大人だな……。
いつも冷静沈着な流石は騎士様だ。あの程度のことでは何も動じないのだろう。それに比べて自分の情けなさに頭が自然と垂れてしまった。
『ラインに連絡したのですが応答が無かったので電話をしたのですが、ご迷惑でしたか?』
「いえ、迷惑など……ラインですか??」
『はい、いつものように寮に着いた事を報告したのですが……』
カラム先輩は毎回デート後にお礼と無事に寮に戻った事をラインで連絡してくれている。携帯を操作すれば確かに連絡が来ていた。丁度ステイル達の誤解を解く為に奮闘していた時間帯だ。
「〜〜ッすみません今見ました」
『そうですか、いえ、プライド様が無事であればそれで構いません』
「すみません、次からはちゃんと返します!!」
『構いませんよ。それより今日の最後の事ですが──』
ビシッと無意識に背筋が伸びた。反射的に怒られると思ってしまったからだ。
『ありがとうございました』
「へぇ?」
まさかの言葉に、帰りの事でなく今日のデート全般のお礼かと思ってしまった。
『〝不意討ち〟で驚きましたが、とても嬉しかったのでお礼が言いたかったのです』
「………えっと……??」
怒られると思った、嫌われるかもと恐れていたのに、返ってきた言葉と声色は予想と反してとても穏やかなで、私は用意していた謝罪の言葉を飲み込んだ。
あんな〝不意討ち〟というか、騙し討ちとヤリ逃げのコンボまでしてしまったというのに、カラム先輩から嫌悪感等の負の感情は一切ない事に凄く安堵した。
『プライド様には驚かされてばかりです。本当に〝目が離せない〟ですね』
甘い声色はワザだろう、元々上がっていた熱が更に上がり頭がクラクラする。
『プライド様』
「は、はい!!」
甘い声色はそのまま名前を呼ばれ背中がムズムズする。まるで先程嗅いだカラム先輩のワインの香りに酔っているようだ。
『これからもよろしくお願いします』
「え??あ、はい!こちらこそよろしくお願いします!!」
まるで告白後のような会話に少し首をひねる。
だが、カラム先輩の心からの嬉しそうな笑い声を聞けば私も自然と笑みが込み上がった。