夜のひととき白く細く長い指が持つワイングラスが傾けられた。中に入っていたピンク色の液体が彼女の口へと含まれるのを見届ける。それは数秒だが、緊張のあまりスローモーションに見えてしまう。
もし口に合わなかったらどうするべきか不安で仕方なく、手に持つワイン瓶が出した小さな波の音すら大きく聞こえる。
だが一口飲んだ彼女の顔が輝いたことでそれは杞憂で終わった。
「わぁ!こんなにも甘くて飲みやすく、口の中で弾け飛ぶロゼワインなんて初めてです!!どうやって造られているのですか?」
「ありがとうございます。兄も大変喜びます」
気に入ってくれたことにホッとし、それを笑みで誤魔化しながら製法の説明をした。プライド様は興味津々な様子で「へぇ」「そうなんですねー」とニコニコと陽だまりのような温かな笑顔で私の顔とワインを交互に見る。
飲んで頂いたのは実家から贈られてきた新しいワイン、こんなにも興味を持って下さった事がとても嬉しく、胸が温かくなる。
プライド様が喜んでくださる物を贈ってくれた兄にお礼を言わねば。
「飲みやすさもですが、何よりも見た目がピンクで可愛らしいです。これは式典で出したらとても映えますね!」
「それはッ!兄も大変喜ぶと思います!!」
これから売り出そうとしているワインを式典で使われたら格も上がる。考えてもいなかった提案に思わず前のめりになるが、幼い頃から迷惑ばかり掛けている兄に恩返しもしたいが身内贔屓になるのは考えものだと頭を冷やす。
「ですが、正当な判断でお願いします」
「ふふ、大丈夫よ。ステイルともよく話し合うわ」
そう言うとプライド様はまたワインを一口召し上がる。
「贔屓しなくても本当に美味しいから提案したの。これからワインを飲む楽しみが増えたわ」
プライド様はそう言うとグラスをグイッと傾け一気に飲んでしまわれた。
「とてもジュースみたい。これならお酒の苦手な女性も飲めるわ!今すぐティアラにも勧めたいもの!!」
ニコニコと大切な妹君を語るプライド様の顔はとても愛らしい。
「かしこまりました。ティアラ様達にも直ぐに手配しましょう」
「ありがとう、カラム隊長!」
プライド様が飲ませたいと願うのはティアラ様だけではない。贈呈用のワインが何本必要になるか頭で数えながら、ワインに上機嫌のプライド様のグラスにもう1杯注いだ。
「飲みやすいとはいえ、アルコール度はとても高いので飲み過ぎにはお気をつけください」
「はーい」
そう返事をするもののプライド様はジュースを飲むかのようにあっという間に飲み干してしまった。アルコールには強い筈だが心配になる飲み方だ。
(まさかすでに酔っていらっしゃるのでは?)
隣に座る彼女を見ると、空のグラスを掲げて満足そうに微笑まれていた。
「ふふっとても美味しいわ」
妖艶と言えるうっとりとした美しい横顔にドキリと心臓が跳ねた。
キラキラ輝く太陽の女神のような神々しい美しさに思わず触れたくなる。だが触れたらこの美しさを穢してしまう気がして、思わず伸ばしかけた手を理性が寸前で止めた。
「……もう一杯いかがですか?」
「ええ、頂くわ」
注いで貰う為にプライド様が近くへと身を寄せられる。それだけで先程とは違うドキドキ感を覚える。
元々他者との距離感が近いプライド様だと分かっていても好きな人が今にも触れてしまえるほど近くにいるだけで気持ちは高揚し
───穢したくて仕方なくなる。
そんな私の感情を知らないプライド様はまたしても早いピッチでワインを飲み干してしまわれた。
「どうしましょう、とても美味しくて止まらないわ」
「ではこれで最後にしましょう」
気に入ってくれた事はこの上なく嬉しいが、新たに注がれたワイングラスの気泡を面白そうにクスクス笑いながら見つめているプライド様の頬は赤らみ目もトロンとさせている様子に、そろそろお休みになられた方がいいだろうと判断した。
そうしなければ私が何をしてしまうか分からない危険がある。
「カラム隊長……」
「プライド様?」
プライド様はグラスを持ち上げると共に私の肩に頭を置かれた。温かく柔らかな重さに心臓が大きな音を出す。
「えへへ、カラム隊長〜♪」
ご機嫌で陽気な様子のプライド様は私により掛かりながら一気にワインを飲み干し、くるくると空のグラスを回し歌い始めた。
「〜〜♪」
知らない曲、知らない言語で綴られたその歌の意味を計ることは出来ないがとても温かい曲だと思えた。
「とてもお上手ですね」
「へへへ、そうでしょ?」
「素敵な歌ですね。なんて曲名ですか?」
「ん〜、教えない〜♪」
そう言うとグラスのワインを飲もうと口をつけるが既に空である。そこに今度は水を注げばむぅと頬を膨らませられた。その表情はあまりに子供っぽくて、先程までの妖艶な女神様とのギャップに笑ってしまう。
「もうおしまいです」
「むぅ!!」
頬を膨らませながらも素直に水を飲むプライド様は飲み干すとぽてんと私の肩に頭を置かれた。
「プライド様!?」
プライド様の寄りかかる重さと温かさに誘われ手が出かかったがまた寸前で止めた。
プライド様はそんな私を気にせずにまたワイングラスをクルクルと回しながらポツリポツリと話し出した。
「この曲好きなの。生まれ変わっても好きな人と共に歩きたいと願う歌詞で……私もそう……生きたいです……」
「プライド様??」
先程よりも重くなった肩を見ればスゥースゥーと穏やかな眠りにつかれている。
酔いが回ったのだろう、正直助かった。
手入れのいき届いた真紅の髪へと手を伸ばす。絹のような艷やかでしっかりとしたコシのある深紅の髪に触れる。
彫刻よりも美しい横顔を見ながら上から下へとゆっくり撫でれば胸がぽわんと温かくなる。無遠慮に触っても目を覚ます気配はない。
私の目と意識は誘われるように髪からぷっくらと艷やかな赤色の唇に目が留まる。薄く開き規則正しくゆっくりと息が吐かれている。
目が離せない。
急激に口の中が渇き無意識に喉仏が上下する。
(プライド様……)
そっと倒れないように身体を支えながら誘われるままに顔を近付け──
「………カラ………ぃちょ…………」
ハッと意識が戻った。
慌ててプライド様の様子を見れば先程と変わらず穏やかに寝息を立てている。起きた様子もない、寝言だと理解すれば。
心の底から良かったと安堵した。
唇を許可なく奪ってしまうところだった。
「愚か者が……」
自分も相当酔っているのだと認識する。
この世で最も甘い甘い果実の劇薬に。
「愛してます、今までもこれからもずっと。生まれ変わっても共に歩きたいのは私も一緒です」
無防備に可愛らしい寝顔のその額にちゅっと音を立てた。
「……カラム、たいちょ??」
顔への刺激で目覚めたプライド様だが、ぼんやりと開いた目は焦点が合っていない。
「ベッドに運びますね」
「……はい」
寝ぼけているプライド様を抱きしめれば大人しく私の腕の中で目を閉じた。
(この信頼を裏切るわけにはいかない)
流されそうになる欲を抑えつつ、愛しい人をそっとベッドに下ろした。
(あーーーやってしまったぁーーー)
プライドは朝目覚めてすぐに己の失態に頭を抱えた。
(カラム隊長ともっとお近づきになる為に酔ったふりで近付いたのに本当に酔っ払って寝てしまうなんて呆れさせてしまったわ)
カラム隊長が持って来てくれたワインがあまりにも美味しすぎて、ジュースのようにガブガブ飲んでしまった。
王女としてあるまじき失態だ。
とんでも無いことを口走ってはいないだろうか?
未だに酔いが覚めていないのかふわふわする頭で思い出そうとしても上手く思い出せない。どうやってベッドに寝たかも思い出せないほど酔い潰れてしまった。
ただ、何となく額が温かい気がして、その不思議にそっと触れるのだった。
■後書き
婚約者になりたての積極的なプラ様と硬派なカラちょの攻防です。
婚約者ってどこまでOKなのかな?
ベッドに押し倒してもいいんじゃない?と考えながらもカラちょはしないだろうな……でこうなりました。
2人の甘いやりとりがどうしても思い浮かばない。本編でもう少しお話………いえ、お話しなくても出演して………(願望)
プラ様が歌ったのは昔の映画の主題歌です。サビのストレートな言い回しがあまりにも印象的なとても耳に残る曲です。今でもたまに聞くほど好きで思わず歌わせてしまいました。
曲名は出せない方がいいと思ったので、各々の好きな曲を当てはめてくださると大変有り難いです。