【ウリサン】よるべになりたい鼻先を僅かに潮の匂いが掠めて、顔を上げると。
チョコボキャリッジはホライゾンからベスパーベイに向かうトンネルへと入るところだった。
「にしても兄ちゃん、こんな時間にベスパーベイに行ってどうするんだい」
少しばかり呆れたような、疲れたような御者の声に。
俺は頬の筋肉を僅かに緩めて、“人好きのする青年”の顔を作る。
「明日の朝一番にリムサ・ロミンサ行きの船に乗りたいんだ」
「へぇ、リムサ・ロミンサへねぇ。傭兵稼業か何かかい?」
「いや」
頬に加えて、目元の筋肉を緩め、なにか“愛しいもの"を見るような顔を作る。
「恋人に会いに行くんだ」
努めて柔らかくした声で、俺は言葉を”紡ぐ”ように口にする。
「冒険者ギルドの仕事で、リトルアラミゴ近くの遺跡の調査に駆り出されてさ……3ヶ月ぶりに会うんだ」
俺の言葉に、御者は目を見開き、破顔する。
「そうかぁ……そりゃあ、朝一番に行かなきゃな」
「そうなんだ。この時間じゃ宿もあいてないってわかってるんだが……待ちきれなくて」
語尾に幸福感と隠しきれない嬉しさを滲ませれば、御者はどこか眩しいものを見るような顔をして。
「若いってのはいいねぇ。うちのカミさんと会った頃を思い出すよ」
うちのはすっかり口うるさくなっちまって、と零しつつも、どこかうれしそうな御者の顔を、俺は脳の片隅に焼き付ける。
この路線のチョコボ・キャリッジは、また利用する可能性が高い。その時に備えて、“設定”と御者の顔を結びつけていると。
見慣れたベスパーベイの門とロロリトの像が見えて来て、御者は手綱を引く。
「夜遅くにありがとう、助かったよ」
運賃を手渡して、キャリッジの荷台から飛び降りれば。
「兄ちゃん!」
御者はこちらに向かって、何かを投げて寄越す。
死角の側からの投擲に、一瞬、すっ、と腹の奥が冷えるような感覚を覚えつつ。
手を伸ばして、投げられたものを受け取れば。
「晩飯の足しにしてくれや!」
手の中に柔らかな感触が伝う。それがパンだと認識するとの、御者がチョコボの手綱を緩め、キャリッジが方向転換するのは、ほぼ同時で。
「おっちゃん、ありがとう!」
“人好きのする青年”らしく、そう声をかけて、手を振れば。
「恋人によろしくな!」
御者も手を振り返し、ホライゾンへと繋がるトンネルへと、キャリッジは消えていく。
荷台が暗闇に紛れるまで、手を振って。
ひとつ息を吐いて、柔らかなパンを装備に忍ばせると。
僅かに力を入れていた顔の筋肉を緩め。
足音を消して、ベスパーベイの広場を渡る。
夜更けにはまだ早い時刻、広場に面した家の窓からは、灯りと共に、酒盛りをする声や、子どもの笑い声が聞こえて。
灯りを避けるようにして港へ続く階段を下り、石畳を踏んで、観音開きの扉の向こうへと体を滑り込ませる。
そこにあるのは、確かな静寂と暗闇で。
俺は、ようやく。
深く深く、息を吐く。
(……2日走り通しは、流石に疲れるな)
帝国領で情報収拾中に、やけに視線を感じると思ったのは、3日前の朝のことだ。アルフィノ様とリオルに連絡を入れて、拠点のひとつを引き払ったのがその日の昼。そこからは、迂回ルートをとりながら、人混みに紛れ、荒野を抜けて、走り続けた。
(報告……は)
思考を巡らせて、急ぎの案件は無いことを確認する。ザナラーンに入った時に、リンクパールで連絡は入れてあるから、身柄の無事も把握されているはずだ。となれば、今日はこのまま、疲労に身を任せて、ベッドに倒れ込んでも構わない、が。
(……メシ食わないと流石に、か)
またひとつ、息を吐いて。
重い体を引きずって、近くの扉を開く。
軋む音ひとつなく開く扉は、いまも誰かが手入れをしている証で。
その事実に、僅かに息をつめる。
この場所の時は、止まった。
止まったはず、だった。
“彼女”がいなくなった時に。
あるいは、あの強襲の日に。
勿論、ここがまだ拠点として動いていることも、ここに来ている人間がいることも、理解している。
けれど。
俺が噛み締めなくてはならない静寂の中に、誰かの気配がするのが。
今日はひどく、癇に障って。
(今日は早く寝るに限るな……)
溜め息を吐きながら、廊下の先の扉へと近づく。
また、音もなく開く扉に。
もう一度辟易した、刹那。
扉の先のキッチンに、見知った気配を感じて。
僅かに、目を見開く。
いるだろう、とは思っていた。
けれど、あいつといえば、書庫で寝食を忘れて本に埋もれているか、第二の書庫と化した自分の部屋で本に埋もれているか、の二択だったから。
(料理くらい……まぁ、するか)
カラクールが草を食むがごとく、賢人パンをかじっている姿しか思い浮かばない自分に苦笑しつつ、静かに扉を開くと。
そこには、思った通りの相手が、予想通りの姿で、佇んでいた。
予想と違うとすれば、珍しくカウルを脱いでいるのと、普段と場所が違うことくらい、だろうか。
それ以外はいつもと同じように、ウリエンジェは本の世界に、浸り込んでいて。
俺は。
(……)
かけようとした声を、飲み込む。
ちりちりとランプの芯が燃える音と、ページを繰る音だけが響く部屋の中。
仄かな橙色の灯りと、その灯りを反射したウリエンジェの瞳だけが、点っている。
それは、時間が止まったこの家の静寂と寂寞を妨げない、ひどく静かで、穏やかな気配で。
音を立てないように扉にもたれて、静かにウリエンジェを眺める。
(……変わらない、な)
橙色のランプに照らされながら、古書のページをめくるウリエンジェの横顔は、どこか一幅の絵のように美しく。
けれど、“あの頃”から変わらない姿は、どこか懐かしさと、胸を衝く後悔を、呼び起こして。
声をかけてはいけないような。
声をかけてしまいたいような。
相反する感情が、胸の中で湧き上がる。
(……もう少しだけ)
誰にともなく、言い訳をすれば。
ふ、とウリエンジェが本から視線を上げ。
金色の瞳が、ゆるりとこちらを見て。
瞬時に、驚愕に見開かれるから。
「悪い、邪魔したな」
少々の罪悪感と共に、軽く手を上げて見せれば。
「いえ」
ウリエンジェは本を閉じ、椅子から立ち上がる。
「こちらこそ、あなたの気配に気が付かず。不明を恥じるばかりです」
「そう簡単に気がつかれちゃ、諜報員をお役御免になっちまうさ」
「こんな時にまで気配を消さなくてもいいのでは?」
「邪魔しちゃ悪いな、と思ったんだよ。今度からもう少し気配を出すようにする」
脳みそをまったく経由しないで会話をしながら、ウリエンジェがすすめるままに、キッチンのスツールに腰掛けようとして。
「あ、そうだ」
装備に忍ばせたパンのことを、思い出す。
「ウリエンジェ、」
夕飯は食べたか?と問おうとして。
「そこに腰掛けて、少々お待ちを」
ウリエンジェに先手を打たれる。
珍しく、有無を言わせない響きを纏った言葉に。
「あ、あぁ」
頷いて、キッチンのスツールへと腰を下ろす。
俺の視線の先、ウリエンジェはキッチンへと向き直ると。
静かに炉に火を点し、手近にあった鍋を火にかける。
炉の上についた棚から、少しおぼつかない手つきで、ウリエンジェはスープ皿を取り出し。
じっ、と鍋を見つめた後で、そろり、と擬音のつきそうな慎重さで鍋の蓋を取ると。
ふわ、と魚介のスープの香りが部屋に満ちた。
リムサ・ロミンサで暮らしていたあの頃、ビスマルクの下っ端料理人たちの住む部屋の前を通った時と同じ、芳しい香りに。
ほ、と体の奥の何かが緩むような気がする。
そんな俺の視線の先、精緻に調合した魔法薬を注ぐかの如く、ゆっくりとウリエンジェはスープをよそって。
静かに、スープ皿を置く。
「お待たせいたしました。拙い料理で申し訳ありませんが。ブイヤベースです」
様々な魚の切り身や貝が入ったスープは、見るからに美味しそうで。
(腹……減ったな)
ようやく、腹の奥から食欲が湧き出して来るのを感じる。
「お前が作ったのか?」
「ええ。料理においては非才の身ですが」
自分のスープ皿を手にしたウリエンジェは、俺と同じように、キッチンのスツールに腰をおろし。それを視界の端で確認しながら。どこか、待ちきれないような気持ちに急かされて。
「いただきます」
俺は、スプーンを手にして、スープを口へと運ぶ。
スープはいっそ熱すぎるくらい、温かく。口に含むと、鼻腔の奥まで海の香りで満たされる。
少し強めの塩気が舌先を刺激するけれど、ひどく濃厚な海の香りと出汁が、すべてを押し流して。
まるで海を口の中に入れたようだ、なんてのは散文的すぎるだろうか。
海を煮込んだような、熱いスープが胃に入ると、体が一気に温かくなるような気がして。
口の中の温度を逃がす振りをして、息を吐く。
塩味がやけに尖っているし、よくよく見れば見慣れない魚は入っているし、貝は口を閉じたままだし、明らかに料理に不慣れな人間が作ったスープだとわかるのに。
どうしてか、ひどく、体に沁みて。
「うまい」
浮かんだままの言葉を口にすれば。
ほ、とウリエンジェが安堵するように息を吐き。
ようやく、スプーンを手にする。
やけに優美な所作を見つつ、スプーンの先で白身魚を崩して、口に運べば。塩味の強いスープが、いい塩梅に染みていて。
「しかし、お前が料理をするようになるとはな」
賢人パンがないからか?と、軽口を口にすれば。
返って来たのは、沈黙で。
(……何か地雷踏んだか?)
思わず、視線を上げれば。
金色の瞳は、静かにこちらを見つめていた。
そこに潜んだ感情を読み取ろうと、視線を返すと。
「……寄る辺に、如何にしてなるのか」
思いもつかなかった言葉を、ウリエンジェは口にして。
俺は、目を見開く。
「私には……わかりませんでした」
思索に沈む時と同じように、ウリエンジェは目を伏せ。長い睫毛が、頬に影を落とす。
「字面や定義ならば私も解しておりましたが。あなたが言う“寄る辺”が、語の定義そのままでないことも、理解しておりましたから」
まるで難解な詩文を解釈するかの如く紡がれる言葉に、俺は、どんな顔をすればいいのか、わからなくなる。
【お前には、俺の“寄る辺”になって欲しい】
そう言ったのは、確かに俺だった。
“彼女”を見送って、石の家に戻ったあの時、いまにも罪悪感に押し潰されてしまいそうだったこの男を、なんとか立たせて、この世界に繋ぎ止めるためだけに、その言葉を口にした。
【諜報員ってのは、情報のためになら、何にでもなる。何だってする。だからこそ、“自分”へと繋がる糸を持ってなきゃならない。この世界に留まるだけの、理由を】
口にしたのは、半分真実で、半分嘘だった。例え何の糸がなくても、自分を保つことができなければ、一流の諜報員とはいえない。けれど、すべてを影の中に沈め続ける覚悟のために、繋いだ糸が必要なのも、確かで。
【“彼女”がいなくなった世界で、俺が世界に留まる理由であってくれ】
直裁な言葉を選んだのは、言葉を飾れば、妙な勘違いをされそうだったからだ。
【お前の手足だから、俺が世界にいなければならない、と思わせてくれ】
冷静になって思い返せば、逆に責任感で押し潰してしまいかねない言葉だった、とは思うが。他に、繋ぎ止めるだけの言葉が、思い浮かばなかったのが、正直なところで。だが。
「……私は、あまり、感情的な結びつきを解さない人間です」
目の前のウリエンジェは、おれの想像とはまったく違う方向で思い悩んでいた、らしい。
「兵士ならば家族や同胞を。騎士ならば忠誠を。冒険者ならば己の道を。知を究める者であれば知識を。詩文を、史書を、碑文を紐解けば、灯りのない夜に縋る“寄る辺”を、知ることはできます。そのような絆や愛情は、理解できますし、適切な方策や出典、論理展開も提案もできます。けれど……」
スープに、視線を落として。
ウリエンジェは、言葉を溢す。
「……あなたに。あなたの、よるべになるために、私が何をできるのか、わかりませんでした」
いつになく、弱々しい声で、ウリエンジェは言うから。
俺は、唇を開いて。
言葉を声に乗せようと、する。
けれど。
「あなたが、私がそこにいるだけでいい、と言うこともわかっていました」
ひどく静かな声が、俺が口にしようとした言葉を、先に紡いでいた。
「あなたは、本当のところ、よるべを求めてはいないでしょう」
そこまでは、と否定しようとして。
「ただただ、私を繋ぎ止め、奮い立たせるためだけに、自分を弱く見せただけ、理由をくださっただけだと、わかっていました」
否定ができない自分に、気がつく。
“寄る辺”がないのは、今更な話だ。
“彼女”の側は、とうに帰る場所ではなく、遠くから眺める場所だった。
嵐の日に、暖かな灯りの点る、格子の入った窓硝子の向こうを見る時のように。
手が届かないことも、相応しくないことも知っていて、それでも見てしまうような、そんな場所。
それ以外の“場所”……救世詩盟も、シャーレアンも、ルイゾワのじいさんの側も、俺にとっては、“居場所”というよりは、“仕える場所”であったり、“報いるべき相手”だったりで。
リムサ・ロミンサの裏路地のガキの頃から変わらず、俺は、いつまでも、夜の海で彷徨う運命なのだ、と。
いつからか、腹を括った。
だから。
「それでも、私は……あなたのよるべになりたいと、思ったのです」
どこか弱々しく。
けれど、ひどく真摯に、紡がれた言葉に。
胸が、詰まる。
「“彼女”を喪う契機を作った私を、繋ぎ止めるために。前を向かせるために。自分を理由にすることを厭わなかった、あなただから」
何と、言葉を返せばいいのか。
なんとか、頭を働かせようとするけれど。
疲労した俺の頭は、こちらを見つめる金色の瞳と、芳しいスープの香りと、ひどく温かいスープ皿とを処理するのに、精一杯で。
「そうやって捧げてしまうあなたの、よるべになりたいと、思いました」
今度は、俺が視線を下げて、スープの水面を見つめる番だった。
それは。
いつかの俺が、欲しかった言葉だった。
背伸びをして、周りの大人たちを真似て、“俺”と言うようになった頃、どうしても欲しかった言葉。
とうに、噛み砕いて、腹の底へと飲み下したはずの、手に入らない憧憬が、今になって、胸を締め付けて。
それを差し出したい、と言った男の顔を、真正面から見ることができなかった。
そこに嘘や、躊躇いや、偽善が混じっていることに気がついてしまいたくなくて。
そこに、心の底からの真摯な愛情があることを、知りたくなくて。
臆病なガキの部分を守るために、俺はスープを口に運ぶ。
まだスープは温かく、塩味が疲れた体に、じわじわと沁みるようで。
「……ですので」
ウリエンジェが、僅かに苦笑する気配がする。それが俺に向けられたものではないと、頭では理解しているのに。ほんの僅かに怯えてしまうあたり、俺は余程疲れているらしい。
「たまたまこちらにおいでになった冒険者さんに、尋ねてみたのです」
「……あいつに?」
ようやく顔を上げて口にできたのは、間抜けな問いかけで。そんな俺に、ウリエンジェは頷く。
「えぇ。冒険者さんにとって、よるべとは何ですか?と」
ふと頭に浮かぶのは、アルフィノ様やヤ・シュトラの顔だった。次は、ひどく嬉しそうに振り回していた武器や防具。その次は、溺れた海豚亭でテーブルを囲んでいた姿。仲間だとか。強敵だとか。民だとか。あるいはそれこそ、世界そのものだとか。あいつならそんな答えか、と思っていると。
「雪の夜に差し出された温かいカップ、だと。冒険者さんは仰っていました」
紡がれたのは、意外なような、ひどく馴染むような、答えで。
「その優しさを思い出せば、どんな暗闇も歩いて行けると」
誰かから捧げられたヒトとしての善性。
それを理由にどこまでも歩くような真摯さは、いかにも、あいつらしく。
「ですから……スープを作ることに、したのです」
深々と降る雪のように、静かで。
けれど、迷いない声で、言葉は紡がれる。
「あなたが、どんな敵地の中にいても、温かいスープのある場所で帰りを待っている人間がいる、と思えるような場所で、ありたかった」
それは、本来であれば、“家族”だとか、“恋人”だとかに捧げられるべき言葉で。
間違っても“同僚”に対してではないし、“罪人”同士の間で交わされるべき言葉ではなかった。
そんなことは、わかっていた。
返すべき言葉も、決まっていた。
そんな重大な決意しなくてよかったのに、とか。
大丈夫だから気にするな、とか。
軽くかわして、流す。
それが正しい選択肢だと、わかっていた。
わかっていた、けれど。
「……」
口にしたスープは、ひどく温かくて。
部屋は、橙色の優しい灯に満ちていて。
腹の奥に飲み込んだ憧憬を抑えられないくらいには、心も、体も、疲れ切っていて。
俺は。
「……なぁ」
ウリエンジェと同じように、静かに。
声に、言葉を乗せる。
「さっきもらったパンがあるんだが……一緒に、食うか?」
取り出した紙袋の中身は、ライ麦のバケットで。
あの頃、ひとりで路地裏で食べていたカビの生えたパンよりも、きれいで。
あの時、採掘から帰る“彼女”に渡してやれなかった、白パンよりも、固くて。
でも、この温かな場所に差し出すには、不釣り合いな気がして。
柄にも震えそうになる指先を、必死で抑えれば。
「えぇ」
目の前の男は、ひどく嬉しそうに目元を緩めて。
「いただきます」
俺の手にした紙袋から、バゲットを取るから。
なんだか俺は。
泣きたいような、気がした。
*
(……なーんてこともあったよなぁ)
ぼんやりとこちらに向けられた背中を見ながら、手にしたマグカップを口へと運ぶ。中身はポポトのポタージュだ。塩が濃くもなく、しみじみと出汁がうまい。ローブだけを羽織ったウリエンジェは、自分の分をスープをマグカップへよそっていて。ふと、気がついたように、俺へと視線を向ける。
「如何されました?」
金色の瞳に見つめられると、どきり、と心臓が跳ねるようになってしまったのはいつからだろうか。あの頃はまだ、そんな仕様じゃなかったはずだが、と思いながら。
「お前が初めて作ったスープの味を思い出してただけさ」
揶揄うような声でそう言えば、ウリエンジェは眉を顰めた。
「……仕方ないでしょう。ブイヤベースなんて作ったことがなかったのですから」
「あの後、入れた魚に弱い毒があった上に、生きた貝なら煮たら開くと知ったお前の顔っていったらなかったな」
「それを仰るなら」
どこか恨みがましい目をして、ウリエンジェは俺を見る。
「よすがになってくれと言って、私と寝た挙句、私には相応しくないだの、他に良い相手がいるだの言って逃げようとしたあなたの方が、余程ひどい」
う、と言葉に詰まるのは、その指摘が的外れではないからだ。
「それとこれとは……話が違うだろ」
ポタージュをすすりながら、そうとだけ返せば。
「いいえ、違いません」
完全に拗ねた顔でウリエンジェは言う。
「私としてはプロポーズの返礼くらいのつもりでしたのに、あなたと来たら」
「……うっ」
「心を明け渡された、と思っていたのですよ。その後、夜を忍んでいらした時にも、あなただからと」
「それは本当に……申し開きのしようもない」
両手をあげて降参すれば、ウリエンジェは深い深い溜め息を吐いて。
「……それでも」
おれの手からマグカップを奪うと、サイドボードへと、2つ並べて置き。
「私は、あなただから、よるべになりたいと思った。その事に、嘘偽りはございません」
ゆっくりと、頬に手が触れる。
咄嗟に目を伏せてしまうのは。
その金色の瞳に見つめられたら。
俺の罪も。俺の業も。あるいは、恋情までも。
何もかもが見透かされてしまうような、気がするからで。
「サンクレッド」
小さな子どもを呼ぶように。
ひどく、優しい、甘い声で呼ばれて。
逆らうことができずに、瞼を押し上げれば。
金色の瞳は、愛しいものを見つめる柔らかさと、僅かに浮かぶ情欲に、蕩けていて。
「……愛しています」
世界の秘密を囁くかのように紡がれた言葉に。
「……」
そっと、腕を背中に回して、ローブごと、体を引き寄せる。上等な布地で作られたローブは、触れた指先から零れていくけれど。それでも。縋り付くことのできる体温が、そこにはあって。
「あいしてる」
縋るようにして、言葉を返せば。
ひどく優しい口付けが、唇に降った。