隔たりありて肉の壁 煙草に火をつけて、思い切り吸い込む。アイランド・フォーの動乱によって起こされた混乱が漸く落ち着きを見せ始め、同業者たちは次々とこの場所を去っていく。ふと、此処でであった星のことを考える。
天然の怪物、鬼才、天上の星、フロイトとの出会いはオキーフにとってそれだけ強烈だった。真人間のAC乗りといえば英雄ミシガンではあるが世代が異なっていたし、半ばAC乗りは強化人間が主流の時代で、そんな怪物と組むなんて、この場所に来た時は予想もできなかった。オキーフも、オールマインドも予測出来なかった変数、それがフロイトであった。
「よぉ、オキーフ。食料買ってきたぞ。」
屋上に上がって来たフロイトが、市から仕入れたであろう紙の包みをオキーフに投げる。それをキャッチすると、オキーフは吸っていた煙草を出していた携帯灰皿に入れた。
オールマインドからの指令も来ず、独立傭兵と変わらずこの混乱に乗じた依頼をこなす日々をあとどれ位続けれるのだろうか、とオキーフはフロイトから投げ渡されたハンバーガーを食べながら頭の隅で考える。ぬるま湯に揺蕩う気持ちのまま、リリースも何もかも投げ出してここでフロイトと共にAC乗りをしていても悪くないのでは?と思い始めていて。アイランド・フォーでの出会いと仕事は、オキーフの凝り固まった思考を崩し、顔を見に来た同士には「顔つきが変わったな。この世に未練でもできたか?」と笑われるくらいには、オキーフはここの暮らしを気に入っていた。
だからこそ、問わねばならないことがあった。
「……フロイト、お前は、どこまで弄ったら人間は人間で無くなると思う?」
「……哲学の話か?」
「違う、定義の話だ。」
興味のない話が長くなりそうだと流そうすればオキーフがいつになく真剣な顔をしていたので、フロイトはそのまま大人しく座って自分の考えをまとめる。
「別に、人間であることを捨てなきゃ、それは人間のままだ。認識が人間なんだからな。例えば、テセウスの船だって、人間がパーツが散々変わったその船を『テセウスの船』と認識しているなら、それは間違いなく『テセウスの船』ということには変わりないだろ。」
そう言ってフロイトがもう一つのハンバーガーに口をつければオキーフが頭を抱えだした。
「なんだ?お前は認識の問題だと言いたいのか?」
「まぁ、そういうことだな。何を難しく考えているか知らんが、案外そういう答えって簡単なものだと思うぞ。」
自分はな、と付け加えれば食べ終わったのか包み紙を綺麗に畳む。
「なら、お前の目には俺はどう映る。」
オキーフの目がフロイトを見る。フロイトは視線を離さず「おっさん。」と、答えた。
「は、」
「過労で倒れかけてるおっさん。」
「人間」として見ているという意に少しオキーフは笑いがでてきたが、それはそれとしてオキーフの右手がフロイトに伸ばされる。「あとは健康不良中年街道待ったナシってところか?」とフロイトが付け加えればオキーフの右手がフロイトの頭を鷲掴み力を入れた。
「っ、おまっ!アイアンクローはなっ、いだだだだだ!」
「誰がおっさんだ。誰が。」
「痛ぁ……!あ、そうだ。」
オキーフのアイアンクローから開放されたフロイトが思い出したように瞬きをする。何かを宣告されるような感覚にオキーフはフロイトから目を外せなくなる。
「自分、来週からアーキバスに行くからお前も来いよ。」
「は?」
オキーフの疑問の声も聞こえていないようにフロイトは「いや、ものすごく熱心な勧誘があってな?だいぶ面白い奴だったから、誘いに乗ったんだ。」と語る。
アーキバス、企業所属、ここより自由が効かなくなる代わりに、計画も難航する可能性がある。それより──。
「お前、強化人間手術を受けるのか?」
オキーフの一番の恐怖は、フロイトが手術を受けるかもしれない事だった。声は震えていないだろうか、動揺は隠せているか、じわじわと手に汗が滲む。そんなオキーフをフロイトは笑う。
「ふは、酷い顔だな。そんなに自分に受けて欲しくないのか?」
「……お前の意思を聞いてるんだ。」
「安心するかはわからんが、自分は手術適正がないそうだ。やれないし、やらないだろうよ。それに、俺は成長を楽しみたい方なんだ。簡単なんてつまらないだろ?」
「というわけで安心しろ。」というフロイトに、オキーフは頭痛がする。それはそれとして、どこかに身を固める選択をしたフロイトにどこか寂しいものを覚えた。自分から飼われることを選ぶくらいにはいい出会いをしたらしい。
「それでオキーフ、どうするんだ?」
フロイトの翡翠の目がオキーフを見る。いつかと逆だと思いながら、オキーフが見つけた星の行く末を見届けたくて、星の手を取った。