借金閣下(仮題) 宛もなく、目的もなく、何かを成すわけでもなく、色彩は奪われただ死んだように生きる日々。ルビコンが火に覆われた時。否、フロイトがハンドラー・ウォルターの猟犬に撃ち落とされた時から、スネイルは何かが腐り落ちるような音が頭から離れなかった。
フロイトの存在は上層部の半数にとって目の上のたんこぶだったが、また半数にとっては理想の偶像でもあった。アイランド・フォーで流星の如く現れた「それ」が自分達と同じように天然モノで、世代であろう「木星の英雄」の再来かと思わせる手腕を欲しがらない俗物はおらず。また、スネイルもそれを利用した。フロイトを手に入れるために上層部に取り入り、手を尽くして自分の首を代償にヴェスパー首席隊長という檻と枷を着けた。
ルビコンで甚大な被害を被った上にその理想の偶像を失ったのだ、処理は決定事項であろう。しかし強化人間手術関係においてスネイルの功績も大きく、正式な処分については未だに言い渡されていなかった。
決断というものは、不意に訪れるものである。スネイルの一介の社会人として過ごした生活習慣はなかなか乱れず、その日も普通に目が覚めた。
目覚めに水でも飲もうと、あるだけのキッチンに向かえば誰かがいた。見覚えのあるような無いようなそれは水筒からわざわざティーカップに注いで紅茶を飲み。「ここまで来ないと気づかないなんて、勘が鈍ったんじゃないか。」とスネイルを見ずに言う。
護身用の銃は所定の場所にはなく、椅子に座っているそれが手持ち無沙汰を解消するように分解しており、かと言ってなにかこの家に武器になるようなものは置いていたかとスネイルは思い出そうとする。
「そんなに怖い顔するなよ。自分は君と取引しに来たんだ。」
「まぁ、座れよ。ここ君の家だけどさ。」
こんと音を立ててテーブルを挟んで向かい側を指すそれにスネイルは既視感を覚えつつ大人しく座る。アーキバスに対しての交渉材料を得ようとしているのか、それなりに疎まれている自覚はあるので直接消しに来たか。取引と言いつつ、相手の本意かさておきスネイルと会話を引き延ばそうとしているというのは目に見えてわかる事実だった。そして、それに構ってやるほどスネイルは機嫌がいい訳では無い。
「……それで取引とは?」
「本題に入るのが早いな、少しコミュニケーションを取ろう。取引の判断をするにも、少しお互いを知ってからというのが都合がいいだろ?というわけで、飯は三食を食べているか?」
「は?」
何を言っているんだこれは、という顔をスネイルがすれば「……必要項だ、したくてしてる訳じゃない。」と覚えしかない表情で返された。
「貴様、ルビコンのがっ!」
「しー……。君ん家どこで録音されてるか分からないから、声を大きくするのはやめてくれ。」
顎を掴まれ、無理やり黙らせられる。質問以外の返答は求めていないらしい。
腕を掴んで無理矢理外す。「食べてはいます。」とスネイルが答えれば、それは「そうか。」と言ってその後も軽い健康診断のような質問をしていく。
「健康状態は少し痩せた程度で問題なし、と。」
タブレットを数度タップしてそれはスネイルを改めて見た。
「さて、必要項も聞いたし。本題へ入ろうか。」
じとり、とスネイルもそれを見る。整形手術と言うよりは再生手術だろうか、火傷跡で覆われていた顔の右半分はすっかり一般的な容貌になり、真っ白だった髪は青めいた黒髪へ、コーラルの影響で赤かった目は碧眼へと変わっていた。
「貴方にとって、今更私と取引したとて価値があるとは思えませんが?飼い主の仇討ちでもしますか?」
「……それで納得するのは自分とお前だけだろ。今はそれを話している場合じゃない。」
こつと指でテーブルを叩いて苛立ったようにスネイルを見る。が、咳払いして何事も無かったかのように話し始めた。
「別に今回の取引に君の世間的価値というのは必要ない。」
「ほう、聞くだけ聞きましょう。」
「……君には、とある人が自分から借りた金を代わりに支払って欲しくてね。自分としてはどちらでもいいのだけど、そのとある人がモチベーション出すのに君が必要って、ゴネ……た訳じゃないけど……。」
頭が痛くなってくる内容に、思わず眉間を抑える。
「その内容で、私になにかリターンがあるんですか。」
「死人に会える。」
「は?」
スネイルが驚いた顔でそれと目を見る。それはしっかりとスネイルを見据えたままもう一度「死人に会える。」と言った。
「まぁ、借金だけじゃなくて様々なものを失うことになるが、死人にもう一度会うっていう代償にはぴったりなんじゃないか?それに、今みたいに死んだように生きるよりマシだろうよ。」
それは悪魔の取引の様で、借金ができるやら今までの自分を捨てるやら不利な条件が出ているがスネイルにとっては魅力的な取引に見えた。震えた声でスネイルはそれに尋ねる。
「あれは、生きているのですか。」
「……君が取引を受けない限り、その情報は伏せさせてもらう。ただまぁ、君を指定したのはあれだ。」
「そう、ですか……。」
生きているならばなぜ連絡を寄越さないのか、彼の身は保証されているのか、色々問いただしたい所が無い訳では無い。あの輝く星にもう一度出会えるのであれば、スネイルの答えは一つだった。
「その取引、受けましょう。金額はいくらです?」
「受けてくれるか、それは助かる。」
ホッと息をついて、それはテーブルを三回指でこつこつこつと叩く。それはヴェスパーで決めた突入の合図では無かったかとスネイルが思考を巡らせれば頭に強い衝撃が走り意識が落ちた。
「……これ死んでねぇ?」
「この程度で死んでくれたら楽。」
ゴトゴトとキャリーが引きずられる音で意識を取り戻す。しかし視界は真っ暗で身動きを取ろうにも狭い上に拘束され、隙間を埋めるようにクッションを詰められており身動ぎすら出来ない。声を上げようにも口の中に詰め物をされ発声も叶わない。
どう打開するか考えていると電子操作音がする。閉じ込めた犯人の目的地に着いたらしい。横向きにされ、カチカチとロックが外れる音と明らんだ視界にスネイルは目を細めた。
「あれ、起きたのか。」
するすると気絶させた犯人がスネイルの拘束を解いて行く。
「ゴホッ、ゲホッ、っ、貴方、これを外した瞬間に殺されるとか思わないんですか。」
「君は取引条件を飲んだし、さすがに自分に協力者がいるってわかってるからそんな無駄なことはしないと思うが。」
スネイルをスーツケース内にどうやって押し込んだのか疑問に思いつつ、拘束されて固まった筋を解していれば「しばらくしないと来ないと思うし、コーヒーでも飲む?あ、ついでにテレビつけといて。」とテーブルを指してキッチンに消えた。
渋々言われた通りにテレビのリモコンを見つけてつければ、ニュース速報が映し出される。
『ニュース速報です。本日正午頃に起きたアーキバス・グループ居住区の火災事故ですが。焼け跡から男性一人の遺体が発見されました。身元は火元住宅に住む───────』
「はっ。」
テレビに映っているのはスネイルの自宅だ。自宅が燃えた上に遺体が、スネイルはここでニュースを見ているが、ニュースは火元の住宅からスネイルの遺体が見つかったと伝えている。
「どう、いう、」
「あぁ、もうニュースになってるんだ。早いな。」
「さすがにアーキバスのお膝元での騒ぎだからみんな気にするか。」とコーヒーをテーブルに置いたそれの襟を掴む。
「どういうことか、説明して頂きましょうか。」
「それが人にものを聞く態度かよ。」