タダイツワリヌアイデ「どうやってここまで来たんだ?」
頭からすっぽりと白衣を被らせたまま所長室まで連れて歩く。
「どう……? 歩いて」
意思疎通はできるが、会話の精度は高くない。口調も辿々しい。
部屋の扉を閉めてようやくホッと一息つく。
「とにかくもう二度と勝手にひとりで外に出るな、イサミ」
白衣を外してやる。
アオによく似た顔が現れた。
「サタケさん、怒ってる?」
「あぁ、怒ってる。危ないことをするんじゃない」
「……ごめんなさい」
言葉は合ってるが表情が合っていない。表情を作れる設定のはずなのにイサミは基本的に無表情だ。
「心配した」
イサミの頭を撫でてみる。
「心配?」
「何かあったら困る」
イサミの表情は変わらない。
「来てしまったものは仕方ない、今日はここから一歩も出ずにおとなしくしてろ。定時になったら一緒に帰るから」
「一緒に帰る」
普段は俺が使っている椅子に座らせる。
いっそスリープモードにすべきか悩んで、やめた。
「いいな、この部屋の中なら自由にしていていい。ただし、誰が来てもドアを開けるな。電話にも出るな」
「サタケさんは?」
「俺はこのあと打ち合わせがある……クソッ、今日に限って」
思わず悪態をついてしまう。
「おとなしく、待ってる」
「よし、いいこだ」
イサミを部屋に残してドアと鍵を閉めた。
廊下を足早に歩いて気持ちを落ち着かせる。
開発にあたり俺自身もモニターになった。
恋人タイプのアンドロイドの開発を大義名分にアオをモデルに設定した。
年齢差のある同性の恋人のデータも必要だというのは建前で、俺が恋人にするならアオがよかった。
アオ本人には想いを伝えるつもりはないし実際に恋人になろうなんて考えていない。
ただ少しだけアオが恋人になった擬似体験をしたい欲が上回った。
だが、アオのように「本物と話してるのかと錯覚する」再現度とは程遠い。
他にもモニターを頼んだ職員3名についても俺とほぼ変わらない結果だ。
なぜ、アオだけが……?
アオの担当は初号機。プロトタイプの中でも最初に開発したものだから、俺の担当の五号機より性能が上回る筈がない。
やはり初期設定でのデータ量の差なのか。アオがそこまで詳しく知っている相手……誰なんだ。特定のパートナーはいないと、誰とも付き合ったことがないと言っていた。長く片想いを続けている相手だろうか。
あと考えられる可能性としては、初号機のみ動作チェックのため俺のデータを入力して起動させたことがある。そのデータが何らかの影響を与えているのか。
検証してみないことには答えは出ない。
打ち合わせ前に気分を切り替えようと自動販売機に寄る。
コーヒーを買おうとしたら近くに誰か立った。
「お先に失礼」
缶を取り出して隣を見る。
「イサミ!?」
あれだけ大人しくしてろと言ったのに……!
部屋に連れ戻そうと腕を掴む。
「サタケ所長……!?」
たじろぐイサミの顔が赤い。それに俺を所長と呼んだ。
「アオか……」
ぱっと腕を離した。
「すまない」
「あ、いえ……なんか俺のほうも驚かせてしまったみたいで……すみません」
腕をさすりながらアオが謝ってきた。
「痛かったか? 悪い、そんなに強く握ったつもりはなかったんだが」
「だ、大丈夫です! 痛くなかったんで。それより、これ落とさなくて良かったです」
小脇に抱えたタブレットを俺に差し出してきた。
「アンケート項目、全部埋めました」
「あぁ、助かる……ありがとう」
「では俺は仕事に戻ります」
軽く会釈して踵を返そうとしたアオを呼び止める。
「アオ、よかったら飲んでくれ」
確かこのブラックコーヒーはアオも好んでよく飲んでいたはずだ。
投げ渡した缶を難なく受け止めてアオは控えめな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます」
今度こそ一礼して立ち去る。
後ろ姿を見送る。
本物のイサミはこういう反応をするんだな……。
やけに長く感じる1日を終えて、ようやく定時になった。
やることは山積みだが全部明日に後回しにせざるをえない。
「イサミ、帰るぞ」
所長室を開けて中に入る。
キィと椅子が回る音がした。
「おかえりなさい、サタケさん」
「ずっと座っていたのか?」
こくりとイサミは頷いた。
それもそうか、この部屋の中ではやることがない。
「おとなしく、してた」
「あぁ、そうだったな。いいこだ、イサミ」
頭を撫でる。
特に反応はないが、これ以外にどう接していいのか分からない。
「帰ろう」
白衣を脱いで赤いライダースジャケットに袖を通す。
予備のヘルメットをロッカーに置いていてよかった。
他の職員に顔を見られないようにイサミにかぶせた。建物内でフルフェイスのヘルメットもそれはそれで目立つが背に腹は代えられない。
「はぐれないようにしろ」
「はい」
イサミの半歩前を歩く。
通り過ぎる職員がぎょっとした顔をするが、致し方ない。
あと少しで駐車場というところで呼び止められた。
「サタケ所長!」
「アオか」
「今日は早いんですね」
嬉しそうな顔で駆け寄ってくる。
「赤いライダース、初めて見ました。これからバイクで帰られるんですか」
「あぁ、急ぎの用があるんでな……!?」
俺の半歩後ろにいたイサミが突然俺の腕にしがみついてきた。
「早く、帰ろ……」
アオから距離を取るようにジリジリと押してくる。
なんだこれは、初めての行動だ。
「すまない、アオ。また明日な」
「はい、おつかれさまです」
イサミに引っ張られるようにバイクを停めてある場所まで歩く。振り返るとアオはもういなかった。
「イサミ、どうしたんだ?」
「……わからない」
まいったな、俺にも分からない。頭部を覆ったことによる熱暴走か?
ちょうどアオから貰ったデータもあるし、アップデートも兼ねて今夜メンテナンスをしてみるか。
俺のバイクの後ろに座ったイサミがぎゅっと抱きついてきた。
「一緒に帰る」
「あぁ、帰るから落ちないように掴まってろ」
力加減の調整はうまくできてる。さっきの行動だけが不可解だ。これまでのイサミらしくない。
他のモニターにも似た事例がないか確認が必要だな。
***
「ただいま」
「おかえり、イサミ」
玄関を開けてすぐ出迎えてくれるリュウジさんに抱きつく。
「ん? どうした、やけに機嫌が良いんだな」
「分かります? これ、貰ったんです」
大事に持って帰ってきたコーヒーの缶を見せる。
「イサミはそのコーヒーが好きなのか?」
「コーヒーっていうより……あ、まぁ、そんな感じ」
そうだった、リュウジさんは俺の恋人って設定だった。
「ふーん」
珍しく拗ねたような反応。
「あ、そうだった。リュウジさんに着てほしい服があるんで、見つけたら買ってきますね」
赤いライダースジャケット。サタケ所長にすごく似合ってた。サタケ所長が持ってるものはきっと高価すぎて俺の給料では買えないだろうけど似たのがあれば……。
「そうか。楽しみにしてる」
リュウジさんは優しく微笑んでくれる。
それにしても、あれは誰だったんだろう。サタケ所長にぴったりくっついていた相手は。まるで俺に取られないようヤキモチやいてるみたいだった。
昼に見かけた人物と同じなら左手に05の刻印があったからサタケ所長がモニターをしているアンドロイドかもしれない。
喋り方は機械じみた印象だったけど、リュウジさんと比較するとそんな気がしたぐらいで会話として成立はしていた。
そうだとしたら、ヤキモチなんて感情まで再現できるなんてさすがサタケ所長だ。
「イサミ?」
「あっ、すみません。ぼーっとしてました」
「俺といるのに他に考え事か?」
「……ごめんなさい」
胸がキューンとした。サタケ所長と同じ顔と声でそんなこと言われたら、よそ見なんてできない。
「夕飯を先にするか? 風呂か?」
「今夜も作ってくれたんですね、何だろ……チーズの焼けるにおい? グラタン?」
「ほぼ正解だ」
「それじゃ、冷めないうちに先にいただきます」
食卓に出てきたのはとてもおいしいラザニアだった。
驚いた俺が「グラタンじゃないんですね」と言うとイタズラが成功したような顔で「ほぼ正解だと言っただろ」と返してきた。俺達……サタケ所長は、こんな高度なやり取りができるアンドロイドを作ってるんだ。本当に生身の人間と会話をしてるみたいだった。
夕食のあとはいつも通り風呂に入って、リュウジさんにくっついて他愛もない話をした。
寝る前、サタケ所長に貰った缶コーヒーをベッドの枕元に置いた。
もったいなくてなかなか飲めそうにない。
ここ数日のサタケ所長はいつにも増して忙しそうで、俺個人のアンドロイドについて相談に乗ってもらう暇は無さそうだ。
もしかしたらあまり寝てないのかもしれない。
もうすぐ当初の予定期日だ。継続か終了か、どうなるのか俺には予想がつかない。
サタケ所長が忙しくしてるのは調整やメンテナンスなどに向けて準備しているからかもしれない。
細かな調整とか俺の方でやるつもりにしてたけど、もしかしたらアンドロイド本体を研究所に持ち込まなきゃいけないのか?
今さらながら、サタケ所長をモデルにしてしまったことをどう弁明しよう。
それより、このモニター期間が終わったあと、俺はリュウジさんと離れて暮らせるのか……。
アンドロイドだと分かっているのに離れがたいと思っている俺がいる。
「おかえり、イサミ」
「……ただいま」
いつまでこのやり取りができるんだろって考えながら帰ってきたせいで、リュウジさんの顔を見たら泣きそうになった。
ぎゅっと抱きついて「ただいま」ってもう一度言った。
「イサミ? どうした? 何か取り返しのつかないミスでもしたのか?」
首を横に振る。
「……さみしくなっちゃって」
リュウジさん相手に取り繕う必要はないから素直に伝えた。
「リュウジさんに、おかえりって出迎えてもらえるの……嬉しくて……ずっとこうならいいのにって」
リュウジさんは何も答えずにただ抱きしめてくれた。
なんで何も言わないんだろう。
「イサミ」
「はい」
目元にキスをされた。
よしよしと頭を撫でてくれる。
「俺にも体温があればイサミのことをあたためてやれたのにな」
「ちゃんとあったかいですよ」
手足に血が通い始めたのが分かる。氷を抱いたようだった胸はもう冷たくない。
「イサミ、買い物に行かないか?」
リュウジさんが俺の両頬をはさむように手を添えた。
「泣き腫らした顔なら無理だったが大丈夫そうなんでな」
「いいですよ、泣いてないんで」
ギリギリ耐えた。
部屋の奥へ一度引き返したリュウジさんは帽子を目深にかぶって戻ってきた。
「行こうか」
どこにでもいる恋人達のように手を繋いで歩く。
この瞬間、確かに俺達は恋人同士なんだ。
食べるのは俺ひとりだけど、ふたりでメニューを相談して食材を選んだり、新商品を見つけて試しに買ってみたり、売り場の一画に出店している花屋で花を眺めてみたり、買い物の終わりに出入り口付近に並んだカプセルトイを回そうか悩んでみたり……。
「リュウジさん」
さりげなく荷物を持ってくれている。これもプログラムなのかもしれないけど、俺はそれを優しさだと思っている。
サタケ所長ならこれをどう判断するんだろう。
「どうした、イサミ?」
「すみません、帰る前にちょっとトイレに……ここで待っててくれますか」
一度リュウジさんとの別れを意識してしまうとダメだ、気持ちのコントロールがうまくいかない。少し落ち着いてこよう。
「大丈夫だ、行ってこい」
リュウジさんの喋り方、どうしてこんなにサタケ所長にそっくりなんだろう。
今日は朝からやる気が起きなくて、あまり仕事が進まなかった。注意力も散漫になっているのが自分でも分かっていたからミスだけはしないように気をつけていたけど。
明日ついに予定期日がきてしまう。
定時になると同時に退勤した。
「ただいま」
ドアを開けて立ち尽くす。
「リュウジさん?」
いつもなら部屋の中は明るくて玄関を開けたらすぐそこにいてくれるのに。
「リュウジさん? いないんですか?」
おそるおそる部屋の中に入る。
「リュウジさん?」
電気をつけようと壁側に手を伸ばすと、後ろから抱きしめられた。
反射的に鳩尾に肘鉄を食らわせようとしたが思い止まる。
冷たい体。低いモーター音。
「リュウジさん……驚かせないでくださいよ」
「サプライズ」
ふっ、と耳元でリュウジさんが笑った。
「恋人ができたら、一度やってみたかったんだ」
リュウジさんが電気をつけた。
テーブルの上に並んだ俺の好きな料理と、白い竜胆の鉢植え。
意外だ。
現実主義者っぽいサタケ所長はサプライズとかやらないと思ってた。当然、俺はそんな設定はしていない。この行動はリュウジさんが俺との生活で学習した結果なのか?
「ロウソクを灯したケーキで出迎えたかったんだがイサミはケーキよりも花が似合うと思ったんだ」
この鉢植え、いつの間に買ったんだ?
この時期に竜胆も珍しいけど白色なのも珍しい。これ竜胆だよな……まだ蕾だけど。
「イサミと買い物に行った日に見つけたんだ、後日自宅まで届けてもらえるよう注文した」
俺はそこまで設定した覚えはないのに、そんなことまで出来るのか……。
「イサミはサプライズはあまり好きじゃなかったか?」
「あっ、いえビックリしてただけです。嬉しいです、ありがとうございます」
色んな意味で本当に驚いたけど、俺のためにしてくれたことが嬉しい。
「イサミ、愛してる」
リュウジさんが俺を抱きしめてくれた。
「……うん」
頬にキスを受けて、俺も返す。
「でも何で急に?」
「あぁ、明日で2週間経つだろ?」
半月記念ってことかな、とぼんやり聞いていた。
「俺がイサミの恋人でいられる期間が終わる前に」
「え……っ」
「俺をつくったヤツならこれぐらいのスパンで一旦データを集約したがるはずだ」
何を言っているんだ。
「俺は恋人タイプのアンドロイドだ。おそらくプロトタイプなんだろ。そのモニターに選ばれたのがイサミ、違ったか?」
「違わないです」
俺はリュウジさんのこと何も分かってなかった。リュウジさんが自分のことをどう認識していたのか考えたこともなかった。
俺の恋人としての自認しかないと勝手に思っていた。
「そんな顔するな、イサミ。俺はイサミの恋人になれて良かった」
「リュウジさん……」
「イサミは?」
俺は、どう思っている?
「俺は……」
片想いをこじらせて、開発にかこつけてサタケ所長の恋人になってみたかった。
なんて自分勝手で浅はかだったんだろう。
今になって分かった。俺は間違えていた。こんなことするべきじゃなかった。
リュウジさんはサタケ所長とは違う。
「俺も……リュウジさんが恋人になってくれて良かったです」
笑えよと表情筋を動かしてみるけど、うまく笑えた気がしない。
「そうか。優しいな、イサミは」
アンドロイドに言うのは違うかもしれないけど、優しいのはリュウジさんの方だ。
「リュウジさん」
俺は覚悟を決めた。
「リュウジさん、明日一緒に俺の職場に来てください」
*** ***
当初の予定通り、2週間分のデータが揃った。イサミ以外の。
持ち帰っていた俺の部屋から元のラボに戻したカプセルの前で深いため息をつく。
コツコツとカプセルをノックする。何の反応も返ってこない。
アップデートした結果、イサミは起動しなくなった。
人間にあてはまる表現をすれば、眠り続けている。
連日泊まりがけで原因を調査しているが何故こうなったのか分からない。
まるでイサミ本人が起きることを拒絶しているかのようだ。
まさに不測の事態だが、はじめからこの可能性も考慮しておくべきだった。
「何がダメだったんだ……」
うまくデータを収集できた俺以外の4名にはモニターを続けてもらうべきだろうか。
この2週間の所見を聞いて続行か終了か本人の選択に任せればいいか……。
終了ならば初期化してアンドロイド本体のみを戻してもらえばいい。
イサミを残して所長室へひとり戻る。
少し疲れた。寝不足のせいかもな。
「サタケ所長!」
イサミの声……?
所長室の前にアオがいる。隣に立つ背の高い男は誰だ。帽子のせいで顔が見えない。
「大丈夫ですか!? 顔色が優れないようですが」
俺を支えるようにそっと両手を添えてきた。
「少し寝不足がたたったかもな。ははっ、私も歳だな」
イサミなら「大丈夫……?」と無表情のまま俺の顔を覗き込んでいたんだろうな。
アオをモデルに設定したはずだったのに、アオとイサミは全く違う。
俺にとってもイサミはアオと違う存在になってしまった。
「ここで待っていたということは私に用があるんだよな、待ってろ、すぐ開ける」
「イサミ」
ふいに聞こえた声。
「あ、あぁ。そうだな、頼めるか? 場所は分かる?」
アオに向けて手を差し出している。
「さっきここに来る途中にあった」
アオはそれだけで察したようで、首から下げていた社員証を渡した。
背の高い男はアオの社員証を持ってどこかへ行った。
俺は所長室のドアを開けた。どこかで見たような男だが、誰だ?
部屋にふたりきりになって、前にもこれと似たようなことがあったことを思い出す。
アオは物珍しそうにキョロキョロと室内を見回している。
こんなところにも違いを感じて、俺はフッと笑った。
「アオ、先に私から切り出して悪いが、この2週間の所見を聞かせてくれないか」
「俺の要件もほぼ同じです」
アオに掛けるよう言って俺も自分の椅子に深く腰掛けた。
ゆっくりとアオは深呼吸をして口を開いた。
「結論から言うと、人間の恋人と暮らしていると錯覚しそうになりました。実物と比べても、アンドロイドとは思えない」
やはりアオの初号機だけが群を抜いて再現率が高いのか。収集したデータ量も比較にならない。
「そうか。アオは今後もモニターを続行するかここで終了するかどちらを」
コンコンとドアがノックされた。
「入れ」
ドアが開く。さっきの帽子を目深にかぶった背の高い男だ。手にはアオの社員証と缶コーヒーとペットボトルの水。
男はアオにコーヒー、俺に水を渡してきた。
なるほど、体調が悪そうな俺のために買ってきてくれたのか。
社員証決済のことまで知っているなら、ここの職員か。
ハッとした。
左手の甲にある「01」の刻印。
「これがそうか。アオとの意思疎通も含めて……気付かなかった」
アオは腹を括ったような顔をして立ち上がると男の帽子を取った。
「……俺?」
もしや動作確認のために起動させた時の俺のデータが残っていた?
俺によく似た顔でフッと笑った。
なるほど、ようやく判明した。ここまで差が出た要因は初期設定ではなくアンドロイド本体の元データの有無か。
「サタケ所長」
アオが俺を真っ直ぐ見ていた。
ギュッと握りしめた両手の拳が小さく震えている。
俺と同じ顔の男がアオの肩をそっと支えた。
ほっとしたようにアオの緊張がとけた。
「アオ」
こっちに来い、と言いたくなった。
「俺、サタケ所長のことが好きです」
何を言われたのか理解が追いつかない。
「お預かりしたアンドロイドはサタケ所長をモデルに設定しました、勝手なことしてすみませんでした」
つまり、どういうことだ。元々俺が動作確認で入力したデータと、アオが入力した初期設定のデータが相乗効果となって他よりも高い再現率をうみだした……?
いや待て、今はそんなことより俺はアオに告白をされたんじゃないか?
「サタケ所長、先程の続行か終了かの質問ですが……」
アオは肩に置かれた手に自分の手を重ねた。
「俺はここでモニターを終了します」
俺と同じ顔をした男は「よく言えた、がんばったな」とアオの頭を撫でた。
「リュウジさんと……お別れするの、つらいです……でも、俺はサタケ所長が好きだから……」
「それでいい、イサミは間違っていない」
しかし本当に驚くほど流暢に喋る。動作確認の時はここまでじゃなかった。
「泣いてくれるんだな、イサミ」
俺もアオがこんなに涙もろいなんて知らなかった。だが、その涙はどちらに向けてのものなんだ。俺か、恋人として過ごしたアンドロイドか。
「リュウジさんと……話し合ってお別れを決めました……俺はサタケ所長とちゃんと話をした方がいいって……」
アオの肩を抱く男を見ていると、まるで鏡を見ているような気持ちになる。むしろ、俺の方が機械人形なんじゃないかという錯覚に陥る。
目の前でアオが泣いているのに、なぜ抱き寄せて涙を拭ってやれないんだ。
「アオ……」
名前を呼ぶとビクッと怯えたように肩を震わせた。
「違う、怒ってない」
うまく言葉が出てこない。
俺もアオに言わなければいけないことがある。
「ふたりとも付いてきてほしい」
ロックを解除して地下のラボのドアを開く。
電気をつけて、イサミが眠り続けているカプセルの前に立った。
「アオ、カプセルの中を見てくれ」
「……? はい」
おそるおそるアオが近付いてきた。
俺の隣に立って、そっと中を覗き込んだ。
「俺……?」
驚いた声を上げる。当然だろうな。
「俺もアオと同じだ。勝手にアオをモデルに設定した。断りもなくすまなかった」
一歩後ろに下がったアオを俺と同じ顔の男が受けとめた。
「似た者同士だな」
優秀な人工知能だ、喋り方も言葉の選び方も似てる。
「待って、どういうことだ? サタケ所長が俺のこと……?」
「愛してる」
もうこれ以上隠し立てはしない。
「おめでとう、イサミ」
俺に似た顔の男が包み込むような声で言った。
「えっ、なんで? もしかして、リュウジさんは……知ってた……?」
はぐらかすように肩をすくめた。
「俺はイサミが喜んだり笑ったりするのを見るのが本当に好きだったんだ。恋や愛なんて感情、ただの電気信号だと思っていたんだけどな」
俺の目の前でアオを抱きしめた。
「愛してるよ、イサミ」
「うん」
「白い竜胆の花を見たら……たまにでいい、少し思い出してくれたら嬉しい」
「うん」
トン、とアオの背中を押した。
よろめいて数歩進んだアオを両手を広げて抱きとめた。
「泣かすなよ」
俺と同じ顔同じ口調で釘を刺された。
「リュウジさん……! これだけは言わせてください! 俺の初めての恋人はリュウジさんです!」
「よせよ、俺が嫉妬する」
くしゃっとした笑顔を見せた。
「さてと……改めて、サタケ所長。俺の全ての機能を停止してくれ」
俺と同じ顔の男が俺を見据えて言った。
「分かった」
俺の腕に抱かれているアオは唇を噛んで声を殺していた。
「だけど、その前に……ひとり残してはいけないからな」
何をはじめるつもりなのか警戒しつつ数歩下がった。
俺の許可も取らずイサミのカプセルを開いた。
「思った通りだ……」
そう呟いて、コツンとイサミと額を合わせた。
それはまるで、棺の中で眠る姫をキスで目覚めさせる童話のワンシーンのようだった。
二体の額が交互に淡く青く光る。
まさか、同期してるのか……!?
信じられない思いで淡い光を見ていた。
ふっ……と、イサミが目を開いた。
何をしても起動しなかったのに。
「イサミ、迎えにきた」
「サタケさん!」
イサミが、初めて笑った……。
手を引かれてカプセルから起き上がる。
「お迎えありがと、嬉しい、一緒に帰ろ」
「あぁ。かえろう」
首に腕を回して抱き寄せてくるイサミをしっかり抱きしめた。
体を滑り込ませるようにして、ひとつのカプセルに二体きちっと納まった。
イサミはようやく欲しかったものを手に入れたように微笑んでいた。
思わず名前を呼びそうになった。
衝動を拳を握りしめておさえる、爪が皮膚に刺さった。
「全機能を停止する」
名前の代わりに事務的な言葉を発する。
イサミを抱き寄せる俺に似た男が俺達ふたりの顔を見上げた。
「二度と起こすなよ」
アオに向けた優しい微笑み。
声を上げずアオはハラハラと涙を流していた。
初日にアオにも教えていた初期化コードを読み上げる。
「穏やかな顔してますね……」
しっかり抱きしめあった二体を弔うようにカプセルの蓋を閉めた。
「アオ……」
胸が痛い。
どうして俺はイサミに優しくしてやれなかったんだ。イサミが求めている言葉をかけてやれなかったんだ。
「このプロジェクトは凍結する」
「そうですね、それがいいと思います」
泣き腫らした顔でアオがカプセルの蓋を撫でた。
「また別の観点から開発の見直しが必要だな」
電気を消して扉に鍵をかけた。
黙ったまま並んで歩く。
見慣れたはずの廊下がさっきまでとは違って見える。
「アオ……」
「はい」
いつもの習慣で戻ってきてしまった所長室を開けた。
アオに入るよう促す。
デスクの上に口をつけないままだった缶コーヒーが置いてある。
迷いなく選んだであろうアオが好きな銘柄のブラックコーヒー。
恋人としては先を越されたかもしれない。
だけど……。
「俺の方が先に愛してた」
アオを抱き寄せる。
「イサミ」
「リュウジさん」
背中を抱き返してくれた。
「俺も愛してます」
泣き腫らしたイサミの目元にキスをする。
イサミが少し笑った。
見つめ合って、抱きしめあう。あたたかい体温を感じた。
窓の外を白い雲が流れていく。「泣かすなよ」と俺に似た声が聞こえた気がした。
言われなくても……。
「イサミ、今日は一緒に帰ろうな」
「はい」
あたたかな唇を重ね合わせた。
end