楓可不『月と車輪』 ――タロットカード?
――うん! お土産屋さんで見つけて、絵柄が綺麗だったから!
そう言って、楓からタロットカードをもらったのが数ヶ月前のことだ。
初めは正直「占いなんて」と思った。けれど、本を読んだりインターネットで調べながらその日の運勢だったり、空いた時間の過ごし方だったりを占ってみるうちに面白さを感じるようになっていた。占いを決められた運命の答え合わせをするもののように思っていた可不可にとって、引いたカードをどう解釈し、どう読み解くか、同じカードでも占う人によって結果が変わってくるのは、曖昧だけれど人間らしくて嫌いじゃなかった。
「あれ? それ、この前あげたタロットカード?」
「うん。せっかくもらったから使ってみようと思って。楓ちゃんも占ってみる? 運勢でも悩み相談でも」
楓は一瞬言葉を詰まらせた。いつもだったらきっと「いいね!」と笑ってくれたのに、視線を落として何か言いたげに唇がはくりと動いては、音にならずに閉じる。膝に置かれていた手がきゅっと握られ、この二年ですっかり見慣れたスラックスの上で拳を作った。中学校入学の時に成長を見越して大きめにオーダーしたという制服は、結局楓の成長が上回り、一度買い替えたという。それでも毎日身につけているからだろうか、摩擦で少しテカテカとした表面に皺が寄る。
どうしたの? 何かあった? すぐにでも聞いてしまいたい気持ちを抑えて、楓の口が開くのを待つ。なんとなく、今はそうした方がいいような気がしたから。ベッドを跨ぐテーブルの上でなんとなくタロットカードを混ぜ、集めて、また広げて混ぜる。何を占うのか、本当に占うのかわからないまま。ただ、目の前で何かを抱えた大切な人の靄が晴れますようにと願って。
「……進路に迷っていて」
ようやく口を開いた楓の瞳はいつもと違って弱々しく揺れている。健康で社交的で、飛び抜けて勉強ができるわけではないけれど、真面目に授業を聞いていてひどい成績というわけではないはずだ。
「今みたいにJPNの高校に通うか、可不可みたいに通信制にするか……海外って選択肢もあるって両親は言っていて」
両親の仕事について国内外を飛び回り、可不可よりも広い世界でたくさんの人に囲まれて。その経験が楓を楓たらしめているのだと可不可は思う。「父さんと母さんは、俺も椛も高校生になったら海外での仕事に本格復帰するって言っていて、椛は世界を回っていても、どこからでも授業を受けられるから、と通信制にするって……でも、俺は……」
視線を上げた楓と目が合った。揺れる瞳の奥に、可不可が写っているのが見える。少し眉を寄せた楓がふっと頬を緩める。
「旅は好きだしあちこち行けるのも楽しいけど、HAMAがすきだからHAMAで高校生活を送るのもいいなって」
あ、ちがう。嘘、ではない。嘘をついているわけではないけれど、本当のことを全部は言っていない。視線が絡んだ時、楓の瞳が可不可を捉えた時、揺らぎが少し大きくなったことに可不可は気づいてしまった。
「占ってみようか。占いの通りに行動しなくても、考える助けにはなるかも。僕の占い、結構当たるって看護師さんたちの間で評判だよ」
気づかなかったふりをして、いつも通り……いつもより少しだけ軽やかに笑ってみせると、楓の拳が緩んだ。
「そうだね。お願いしてみようかな」
可不可が再び広げたカードを楓の手がそっと混ぜる。乾いた紙同士が擦れる音が静かに病室を満たす。
「楓ちゃんは雪風と同じ高校に行くんだと思ってた」
「あす高? あはは、俺の成績じゃ無理だよ。これと言った特技もないから推薦もないしね」
「でも雪風はずっとそう言ってたでしょう」
「まあ……」
よく混ぜたカードを集めて束にして、作った山をテーブルの端から撫でるように崩して広げる。可不可が広げるよりも均等に広がった扇状のカードの中から楓に一枚を選び取ってもらう。
「こういうのは直感で選べばいいんだろうけど悩むね」
「あはは。さっきも言ったけど結果が全てじゃないから気楽に選んだらいいのに」
そう言っても楓の指はうろうろと宙を泳いでいて、しばらく迷っていた指は中央より少し左側のカードの上で止まる。
「めくっていいの?」
「うん。あ、カードの上下が変わらないようにね」
選んだカードをめくろうと指をかけた楓は手を止め、ひとつ隣のカードをめくった。
ねえ、JPNに残ろうとしてるのって僕のため? 自惚れかもしれない。それだけが全てではないとも思う。けれど、楓と出会う前よりも、出会った頃よりも、この病院で過ごす時間の割合が増えた可不可は、楓がJPNから、HAMAから離れてしまえば、きっと会いに行くことはできない。今まで一ヶ月と空けば「久しぶり」と思っていた間隔が遠のき、もしかしたらやがて忙しさに紛れて可不可のことを忘れてしまうかもしれない。
「月の逆位置……」
「どういう意味?」
「んー不安が解消されるとか、悩みが解決するとか……直感の確信なんて意味合いもあるから僕は、楓ちゃんが出した結論が間違ってないってことだと思うな」
「そう……なのかな」
可不可がいなかったら、楓は妹と同じように両親について世界中を駆け巡っていただろう、と思っている。旅先から帰って来た楓は話し出すと止まらない。見たもの、聞いたもの、食べたもの、体験したこと……止め処なく溢れる土産話を聞くのが可不可はすきだった。時には「そんな危険なことしたの?」と言いたくなってしまうようなこともあったし、心配することもたくさんあったけれど、物怖じしない楓もすきだった。
「うん、楓ちゃんが決めたなら。きっとキミならどんな道でもそれを正解にできると思う」
楓の迷いの理由が可不可にあるなら、それは嬉しくて腹立たしい。たとえそうであっても、楓は可不可が気に病まないよう言わないだろう。そんな楓の優しさがすきだけれど、少し痛かった。
側にいてほしい。旅がすきなキミがすき。遠くに行かないでほしい。可不可のことなんて気にせずに、楓の心のままに自由でいてほしい。全部本当の気持ちだからこそ手放せない、そんなことを楓も思っているのだろうか。
楓が帰った後、残されたカードから一枚をめくる。楓が迷い、直前でやめたカードだ。
「運命の輪の正位置……」
チャンスの到来や人生の転換期、そんな意味を持つ巨大な車輪。可不可は楓がそれを選びかけてやめたことを、都合よく解釈してしまいそうになって、振り払うようにカードの束に戻した。