暇つぶしにコーヒーでも淹れるかと立ち上がったところで、玄関の方から物音が響いた。この家の鍵を渡しているのは、自分の他に心当たりのある人はひとりだけだ。
互いに忙しい身であることを理由に、会う時間を捻出する手間を無くすという強引な手段として同居を選んだけれど、それなりに愉快な生活ができているので今のところは順調だ。
「レイシオー? おかえりー!」
出迎えずともそのうち歩いてくるだろうと適当に大声をあげれば、なんだかドスドスと荒々しい足音が近づいてくる。
すると、リビングに続くドアを開けながら「くだらん」と吐き捨てたレイシオが入ってくる。が、しかし、その足取りはふらふらしていてなんだか怪しい。どうしたんだい?と聞く前に見てしまった顔は疲労を三度塗りしたような酷い形相で、思わず「うわぁ」と声が漏れてしまった。
「ひっどい顔だね、寝てないだろ?」
「寝る暇があるなら帰りたかったからな」
「あはは! 正しいね」
肌はくすんでいて、目の下の隈は色濃く、挙げ句の果てには顎の下にうっすらと髭まで生えている。ダウナーな色気が漂うレイシオにちょっとだけ心が跳ねたけれど、本人がかなり疲れているようなので余計なことは言わないでおいた。
「ある意味色男、ってやつ?……って、なに、うわ!」
まっすぐ歩いてきたかと思えば、疲労でくしゃくしゃになっているレイシオはそのままアベンチュリンをその両腕の中に抱え込む。ぎゅうぎゅうと手加減なく抱きしめられながらレイシオの耳元でくすくすと笑えば、大きな溜息がアベンチュリンの首筋をくすぐった。
「っふふ、くすぐったい」
「はぁ、疲れた……」
こんなことをされては、自分よりも大きい体の男を心から可愛いと思ってしまうのも仕方がないだろう。背中に皺の寄ったシャツ越しにトントンと背中を叩けば、レイシオは甘えるようにしてアベンチュリンの肩口に鼻先を擦り付けている。
「ご飯食べるかい?」
「いや、とりあえずシャワーを浴びて寝る」
「浴室で寝ないでくれよ? 僕じゃ運ぶの大変なんだから」
するとレイシオは「うん」とも「うう」とも聞こえる声で返事をし、抱きついていたアベンチュリンから気合いで自身をべりっと剥がした。
「えらいね」
「えらくはない、まだ風呂に入っていない」
「強情だなぁ」
そんな彼の言い訳ばかりを紡ぐ、少しかさついた口先に軽くキスをして、ほら!と浴室の方へ誘導するようにレイシオの背中をぐいぐいと押した。疲れ切っているせいで反抗もせずアベンチュリンのおもちゃになっているレイシオだったが、リビングの扉の前で突然ぐっと踏み止まった。
「うおっ」
「アベンチュリン、」
振り返ったレイシオに顎を取られ、そのままキスをされる。二、三度唇を重ねたところで名残惜しそうに離れていき、ふわりと穏やかに笑みを浮かべた。
「……ただいま」
レイシオはこれだから「天才」になれないのだろう。天才と呼ぶにはあまりにも豊かな感情を目の前にして、アベンチュリンは知恵の視線を浴びなかったことに安心している。
だって、おそらく神の一瞥を受けていたら、ここに彼はいない。
「起きたら、君の好きなカフェで朝食でもどうだい? 僕の奢りで」
「魅力的な提案をどうも。早く寝て支度を整えないとな」
気が早いよ、と笑えば、つられるようにしてレイシオもくすくすと笑い出す。
二人用に借りたこの家は、やはり二人で過ごすためにある。