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    片想いを拗らせて一回だけキスをねだった🦚と、それに応じたものの🦚に逃げられる🛀(ハピエン)

    #ratiorine1w より お題「一度だけ」をお借りしております。

    ##レイチュリ

     冷房の効いた飲食店を出ると、レイシオは湿度の高いぬるい外気に包まれて思わず眉を寄せた。すぐ隣からも「暑いね」と笑う声が聞こえ、眉間に皺が寄っていることを指摘される。
    「せっかく整ってる顔が台無しだよ、レイシオ」
    「そんなことを言うのは君ぐらいだがな」
     それは君が石膏で隠しちゃうからだろ?とくすくす笑いながら歩く姿は、普段の彼がいる苛烈なポジションを感じさせない程度には朗らかで隙のあるものだった。
    「うーん、暑いのは苦手かい?」
    「暑さというよりは湿度だな。本も髪も具合が悪くなる」
    「あはは、確かに毛先は踊ってるけど」
     かわいいと思うけどなぁ、と目尻を下げながら見上げてくる姿に、まるで口説かれているような気持ちになる。ただのビジネスパートナーに感じ取るものではないのかもしれないが、もしかすると彼の氏族特有の美しさがそうさせるのかもしれない。
    「可愛くはない。面倒なだけだ」
    「そうかい? チャームポイントにしても良いくらいだけど」
     アベンチュリンが歌うようにそう言うと、跳ねた毛先を指先で摘んで笑いかけた。何がそんなに楽しいのかは知らないが、特に指摘することもせず好きに遊ばせてやる。
     しばらく経つとそれにも飽きたようで、アベンチュリンが毛先を解放した後は再び二人で並んで夜道を歩いていく。一度黙ると妙に静けさが重く伸し掛かってくる夜の中で、二人分の足音だけが大きく響いていた。
     そうして歩いていると、不意に互いの手の甲同士がこつんとぶつかった。それ自体はどうということもないが、二回目も同じようにぶつかった際には意図的なものを感じて彼の目を見た。
     すると、彼はレイシオとぱちんと視線を合わせた後、何か言い淀むようにして視線を泳がせた。
    「ねぇ、レイシオ。一個だけお願いがあるんだけど」
     するりと握り込まれた手は、少しだけ汗ばんでいるように感じた。
    「……キスしてもいいかい?」
     一回だけ、と呟く唇を眺めながら、本当に口説かれていたらしいと理解したのは彼の言葉から五秒ほど経ってからだった。人より優秀らしい脳だとしても、驚いた時くらいは思考回路が止まる時もある。
    「何の賭けだ」
    「やだなぁ、これはギャンブルじゃないし誰も関わっちゃいない。強いて言うなら、まぁ……思い出作りってとこかな」
     さっきまでは程よい満腹感と酔いで気づいていなかったけれど、人通りの無い路地は思っているよりも自分の声が跳ね返ってくる。
    「思い出?」
    「ーーそう、思い出。僕が自分の心に一区切りするためのね」
     へらりと何かを誤魔化すように笑ったのを見て、彼の心の闇を覗き込んでしまったような気がした。息をするように嘘を吐けることは知っているけれど、おそらくこれはその手の類の嘘ではない。
     さっきまで楽しそうだった目元からは急に感情が読み取れず、彼に何を質問したところで用意された回答が返ってくるだけということは直感で分かっていた。
     相手からの拒絶、同情、何もかもをシュミレートした上で行われているアベンチュリンの駆け引きからは、どう転んでもレイシオが得られる情報はない。全てが彼の掌の上で、彼の中で完結してしまう。
     例えそれが、レイシオから向けるアベンチュリンへの好意だったとしても、だ。
    「それだけで良いのか」
    「……え?」
    「好きにするといい。……どうせ、君は何も答えない」
     その言葉に、アベンチュリンは呆れたように笑う。
    「本当に、よく僕を理解してるんだね」
     そう言いながらも、その先の言葉を紡ごうとしない。やはり自分の本心は何を言われようとも語る気がないようだった。これ以上言葉のやり取りが意味を持たないのであれば、レイシオとしては別のアプローチで対話するしかない。
    「うわ、」
     勝手に繋がれた手を引いて、そのまま自分の腕の中に彼を閉じ込めた。彼から香水のラストノートがふわりと香って、いつかのタイムラインに載っていたその商品名を頭の中に思い浮かべていた。
    「っはは、いきなりハグされたらびっくりするって。まぁ、僕の方がおかしな事は言ってるけど……僕はね、君のその優しさが他人に付け込まれないことをずっと祈ってるんだ」
    「今、僕が付け込まれてるんじゃないのか」
    「そう。だから……僕以外の誰か、かな」
     そう言うとアベンチュリンは少しだけレイシオから体を離して、恐る恐る瞼を下ろす。
     街灯に照らされたその顔はいつ見ても美しいもので、整った顔は君もだろう、と喉まで出掛かった言葉を飲み込んだ。
     そうして、レイシオはその唇の上にそっと自身の唇を重ねたのだった。
     
     ***
     
     あんな事があってから気軽に連絡を取れるほど神経は図太くなく、とはいえそのうち仕事で顔を見合わせるだろうと想像していたレイシオは、トパーズから聞かされたスケジュールに目を剥くこととなった。
    「ああ、ちょうど今日からですね。ーー星系の案件のために二ヶ月ほどピアポイントを離れる予定で……あまり通信状況も良くないので、実質二ヶ月音信不通、という感じです。もし伝言があれば定期連絡の際に伝えておきますが……」
    「いや、いい。大した用ではないし、もし何かあればお願いするとする」
     わかりました!と快活なトパーズの声に背を向けた後、レイシオの口元から漏れたのは盛大なため息だった。
     
     ***
     
    『ーー定期連絡は以上。それとアベンチュリン、アンタ何したのよ』
    「え? なんだいトパーズ、この僕が遠くにいるからって気を引こうとするのは良くないねぇ」
    『誰がアンタの気なんか! ……はぁ、今日Dr.レイシオが来てたわよ。アベンチュリンはどうした、ってね。ちょっと目付きが怖かったんだけど』
    「あっはは……昨日ちょっとイタズラしただけ。まぁ大した事じゃないし、多分怒っちゃいないさ。何か言われたかい?」
    『いいえ、何かあれば言うとは言ってたけど……特には』
    「そう、それなら良かった。そうだ、何を言われるか分からないから、帰る日は彼に伏せといてもらえると嬉しい。よろしくね、トパーズ総監」
    『はいはい、面倒ごとには巻き込まないでよね。じゃあまた明日』
     
     カンパニーの船の中にある固定端末の通話を切り、アベンチュリンもまた盛大なため息を漏らしていた。昨日のそれは良い言い方をすればドラマチックな別れだけれど、悪い言い方をすれば突然キスをせがんで逃げた男だ。
    「はぁ〜……」
     せっかくだからしばらくピアポイントを離れる前に彼の顔を見ようと思って食事に誘い、気分よく店を出たところまでは良かった。そこまでは良かったのだが、問題はその後だ。
     湿気を嫌う彼の髪がふわふわと纏まらないのを見て、うっかり可愛いなどと口を滑らし、その勢いでキスまでせがんでしまったのはさすがに誤算だった。
     早くこのプロジェクトを終えて彼と食事でも行ければいいな、などと考えていた自分はもうどこにもおらず、今はただこのプロジェクトが一生終わらなければいいとさえ考え出す始末だ。
     ーーバカすぎる、と一頻り回想を終えたところでセットした髪をグシャリと握り込んだが、起きてしまったことに取り返しはつかない。
     不幸中の幸いなのはレイシオが拒否しなかったどころか、ハグをしてくれた上に向こうからキスしてくれたことだ。だが、おそらくあれは雰囲気に飲まれてくれたのと、同情から動いてくれたものだろう。
     ああ、スターピースカンパニーの看板を背負うエリート部隊? 自分のことながら鼻で笑ってしまう。気持ちの一つすらも制御できずにやらかすぐらいには愚かで、どうしようもない。
    「……帰りたくないな〜」
     情けない声で吐き出した弱音は、誰の耳に届くことなく船の中に溶けて消えていった。
     
     ***
     
     あれから二週間が過ぎたものの、相変わらずふとした時に思考回路を邪魔してくるのはあの夜のことだった。
     ーーぬるい夜風、街灯を反射するグラデーションの光彩、香水のラストノート、重なった唇の感覚、どれもが昨日のことのように鮮明に思い出されるのは、それだけレイシオに衝撃を与えたからだろう。
     目の前のことに集中することも許されず、かと言って状況を変えることすら許されないこの状態に、レイシオはただ苛立ちを募らせる以外にできることはない。
    「……はぁ」
     ただ、彼に会ったところで何を伝えるのだというのだろうか。
     あのキスの意味を聞くのか?ーーいや、答えるわけがない。彼は彼自身で諦めているし、当事者だというのにその殻に触れることさえ許されなかったのだ。言葉ひとつでは何もできない。
     では、なぜあの夜だったのだろうか。
     こうして無理矢理にでも逃げられるからか?ーーいや、逃げたところで彼の任務には期間がある。カンパニーの中でも簡単に居なくなることができる立場でもないし、彼の一生は良くも悪くもカンパニーと共にある。
     思い出作りの一端を担わされ、逃げられ、こうして悩まされる。大概のことは解明してきたレイシオの頭脳とて、相手がいることとなるとその力を発揮することはできない。
     なぜなら、他人の心はいつになっても読むことができないからだ。
    「……勝手に思い出にしてくれるな」
     思わず口に出た言葉を噛み砕いて、レイシオは顔を顰めた。
     彼のあの行動に対して拒絶や同情といった感情はない。あるのは、レイシオの考えを聞かずに置いていった彼ーーアベンチュリンへの苛立ちだった。
    (でも、なぜそれに拘ろうとするのだろう)
     別に、キスの一つをしたところで何かが減るわけではない。もしかすると友人が減りかけているのかもしれないが、今はまだ友人のつもりでいる。無論、口に出して認めたことはないが、彼の態度や自分自身の態度からしてそれを疑う余地はないだろう。
     口先では言い合うことも多いけれど、それは言葉遊びの類であって本当に喧嘩をしているわけではない。そもそも、アホと話しても会話のレベルが合わないのだから、彼はそういう意味でも稀有な存在と言えるだろう。
    (ーーだから、何だ)
     レイシオにとってアベンチュリンとは何者なのか。つい一週間ほど前までは簡単に口に出せたはずの答えも、今は何もかもが拗れて、何も分からなくなってしまっていた。
     
     そんなレイシオの様子を知ってか知らずか、カンパニー内でトパーズに出会すと、どうしてかアベンチュリンの近況を伝えてきた。
    「ああ、こんにちは。……アベンチュリンは元気ですよ」
    「何故アイツのことが出てくる。僕は何も聞いていないが」
    「あはは、失礼しました。どちらかというと、アベンチュリンの方が『イタズラしちゃったから』って気にかけてるんですよ。ま、どうせくだらないことでしょう?」
     くだらないこと、と言えばそうなのだろう。やってることは学生たちの恋愛と何ら変わりはないようにも感じてしまう。
    「……そうだな。彼らしいイタズラではあるが……別に怒ってはいない。が、許してもいない。それはいつか帰ってくる時に本人から聞くとする」
     そうですね、と笑ったトパーズに失礼と一言だけ返して、レイシオは自分の持ち場へと去っていくのだった。 
     
     ***
     
     あれから一ヶ月程度が過ぎたが、プロジェクト自体は順調に進んでいる。
     
     その星の権力者ともそれなりの関係を築くことができているし、連れてきた部下は想像よりもずっと良い動きをしてくれていた。この調子であれば、カンパニーにとっても良い条件で契約が結べそうだ。
    (ーー仕事は順調。手柄も上手く立てられるし、彼もこれを終えた後に昇進させてあげられそうだ。家族もいるんだ、稼ぎは多いに越したことはないね)
     分かりやすい進捗報告と共に去っていった部下を思い返しながら、アベンチュリンは定期連絡用の材料を頭の中で整理する。
     行く前には二ヶ月程度と見込んでいたプロジェクトは、おそらく一週間ほど早まって終わる。普段であればコストカットもできて良いことなのであるが、今回に限ってはそうとも言えないのだった。
    「……はぁ」
     この星に来てから何度目か分からないため息をつくと、急に力が抜けていくのを感じる。仕事をしている時はいいのだけれど、こうしてプライベートに戻った瞬間に、ぐにゃぐにゃと芯を失ってしまう。
    「あ〜……」
     椅子の背もたれに体重を預け、虚空を見つめながら意味のない言葉を吐き出す。それ自体に意味はなく、本当にただぼんやりするだけである。
     何を考えたところで解決するものではない。できるとするならば、あの時の自分を心の中で殴りつけることぐらいだろうが、それをしたところで何の意味もない。
     少し前にトパーズの定期連絡で「怒ってもいないが許してもいない」といった内容をレイシオが口にしていたことは聞いているが、許さないというのは何に対してなのだろうか。
     キスをねだったこと?ーーそれならば、その時に「冗談はよせ」などと止めているに違いない。レイシオはそれを逆手に取って弱みを握ろうとするはずもないので、おそらくこの点については違うのだと信じたい。
     では、何も言わないで逃げたこと?ーーこれは可能性が高い。あの時の自分は彼の言葉の一切をシャットアウトしたし、歩み寄ろうとしてくれていた気持ちさえも拒絶した。それなのに、自分が何も語ろうとしないことを詰ることもせず、ただ望みを叶えてくれたのだ。
    (何か勘付いていた? でも、何を?)
     それを愛情なのだと仮定して浮かれることができたなら、おそらくこんな仕事はしていないし、あんな頭の切れる面倒な男に惚れることもないのだろう。
     抜きん出た頭脳を持ち、宇宙の真理を解明しながら人々の生活に光を与えるのに、バカは見たくないと石膏を被り出すような変人。だというのに、成り上がりでカンパニーに居座る自分のような存在を「周りから比べれば幾分マシ」と言ってしまうような、そんな男だ。
     あの夜抱きしめられた時に鼻腔をくすぐった彼の香水も、厚みのある体躯も、記憶に残った何もかもがずるくて、その背に縋りたいと願ってしまう。
    「……だから勘違いされるんだって。教授」
     弱々しい口振りは、アベンチュリンを知るものが聞いたら目を剥くのだろう。けれどこれがアベンチュリンであり、華やかな見た目に隠した臆病者の本心だ。
     どうしてあんな男を好きになっているのだろう。見目だけで選ぶなら宇宙にはたくさんの人がいるのだろうし、頭脳だけで言ってもーーそれは見つけるのが難しそうであるが、自分より秀でた者は多い。
     結局、あれこれ理由を並べたところで、好きになってしまったら取り戻しはつかない。バカな行動をしてしまうくらいには浮かれて、その後にやらかしたと一ヶ月も頭を抱えてしまうのだから。
    「う〜ん……」
     いくら悩んだって意味はないのに、やっぱり悩んでしまうのはこの星に連絡手段が無いのがいけないのかもしれない。気軽にお喋りできる相手は定期連絡のトパーズくらいしかいないし、それも回線として会社に筒抜けなのだから、当たり障りのないことぐらいしか言えない。
     まぁ、言えたところで、ただの気晴らしになるだけだ。
     やらかすのなら本当の別れの時にすればよかったと後悔するには遅く、口先ではもう会いたくないと何度願おうとも、その本心ではその顔を見たくて仕方ないのだった。
     
     ***
     
     さすがに悶々とした日々も時間のおかげで薄れ去ってくる頃ーー時期として二ヶ月が経たない程度が過ぎ、レイシオの精神的にもすっかり落ち着いた日常を取り戻していた。
     依然として思考に彼の姿が脳裏にちらつくことはあれど、それでも脳のリソースを圧迫するようなことはなく、この世の事象を解明することに時間を割きながら日々を繰り返していく。
     彼のいないカンパニーは埋められない穴が開くわけでもなく、今日も変わらずに業務が巡っている。その椅子に座るものがいないというだけで、良くも悪くも「いつもと同じ」なのだった。
    「……ふん」
     まるで気にかけているのはレイシオだけ、と思い知らされるような日常に鼻を鳴らし、今日もまた技術開発部の研究室へと足を運んだ。
     
     技術顧問としていくつかの案件に口を出した後、昼食を取ろうと席を外したタイミングで端末がメッセージの着信を知らせる。
     その相手は珍しいものであったが、仕事相手からのものだった。何かあったのかと後回しにせず開けば、彼にとって有益な情報がそこに書かれていたのだった。
     
     ***
     
     とうとうこの日が来てしまったと、アベンチュリンはカンパニーの船を降りてから空を仰いだ。ここを離れてから五十四日目ーーおおよそ二ヶ月振りだった。
     久々にここの空気で肺を満たしたせいか安心感を覚えたものの、これから自分の席に戻れば報告書などに追われる予定となっている。手応えも成果も想像以上に良いものを持ち帰れたので、事務作業だとしてもそこまで面倒に思う気持ちはなかった。
     
     気がつくと空は暗くなり、自席の窓から外を見下ろすと人工的な光が街を照らしている。そろそろ良いだろうと席を立ち、アベンチュリンは久々に個人端末のメッセージ欄を開いた。
    「うん、まぁ……大したものはないね」
     開拓者からの近況報告、贔屓にしてる店からの入荷情報、あとは預けていた創造物ことケーキたちの状況など、取るに足らないものたちが未読としてそこにあった。
    (レイシオからは……流石にないか。翌日にトパーズから伝わってたしね)
     少しだけがっかりする気持ちに自分で苦笑いを向けると、スーツケースと鞄を手に取ってカンパニーのエントランスへと向かったのだった。
     
     ***
     
     仕事を終え、すっかり気を抜いて大きなエントランスを抜けたところで、アベンチュリンは落ち着いた男の声に呼び止められる。 
    「ギャンブラー」
    「うわっ! えっ、なんで……」
    「さぁな。僕も知りたくて知り得たわけではないが、知った以上は少し会話をしたいんだ。時間は取れるか?」
     有無を言わせないオーラに圧倒され、吃りながらも承諾の返事をすれば、レイシオはふんと満足そうに鼻を鳴らした。さすがにここで捕まえられたら逃げれないだろう、と思う気持ちとは裏腹に、前と変わっていないその姿を認めて少しだけ安心する。
    「……で、どこに行くんだい? 荷物くらい置いてから行ってもいいかな。さすがに大荷物でね、移動するのは大変なんだ」
    「構わない。場所はメッセージで送った」
    「え? ここ、店でもなんでもない……」
     そう言いかけたアベンチュリンは一つの可能性に気づいて語尾を萎ませた。ここにあるのは店ではなく住居だ。それはアベンチュリンのものではないとすると、行き着く答えは一つだけだ。
    「もしかして、君の家だったりする?」
    「よく分かったな。決して他者に口外しないように」
     しないよ!と反論すれば、愉快そうに口元を歪めてくつくつと笑うレイシオがそこにいる。なんかもっと不自然な会話になるのだろうと思っていたのに、彼の計らいもあって普通に会話ができていた。
     
     初めて抜けた玄関のドアの先には、レイシオらしい装飾品とシンプルさに包まれた空間が広がっている。こんなタイミングで来たくなかったと思いながらも、プライベートな空間に招かれたことに対しては少しだけ心が躍っていた。
     とはいえ、座る場所にレイシオの横ーーソファの上を指定されれば、嫌でも緊張感が走る。どうせあの件だと分かっていても、まだ覚悟は決まっていないのだ。
     静かに腰を下ろしてその辺に視線を漂わせていると、静かな部屋の中でレイシオの声が響く。
    「……随分と大人しいんだな。さすがに忘れたわけではないようだが」
     そんなの、一度たりとも忘れたことはない。むしろ、忘れたいぐらいなのだから。
    「逃げた側が忘れるわけないだろう? ……まぁ、少し調子に乗りすぎたのは認めるよ。ごめん」
    「ーー違う。謝罪が欲しいわけじゃない」
     ぴしゃりとレイシオが言い切れば、二人分の沈黙がその場に落ちる。
    「キスをしたことも、君が翌日から音信不通だったことも、最早どうでもいい。問題なのは、他人の話を聞こうとしない君の姿勢だ」
     怒られているというのに、レイシオの横顔からはなんだか切なさのようなものが感じ取れた。勝手に振り回したのに、まだ彼は許そうとしてくれている。
    「そりゃあ、君の口から嫌だとか言われたら辛いだろう? こっちは散々拗らせてるんだ、悪い返事なんか聞きたくない。……それでも、君に触れたかったんだよ」
     心につかえていた本音を吐き出せば、二ヶ月振りにようやくまともに呼吸できるような気がした。友人だと思ってくれている相手に、違う意味で目を向けていることを口にするのは、どうしたって勇気がいるのだ。
    「君はなんだかんだ言っても優しいから、縋れば許してくれる。だから、卑怯な僕はそれを利用したんだ。仕事でいくら嘘をついたって何とも思わないのに、いざ自分のことになるとこれだ。……臆病で、どうしようもない」
     言いながら語尾が震えていく。どんなに富を得たって、華やかに着飾ったって、出自も人間性も変えることはできない。太陽の下を歩く彼に憧れたところで、所詮はただの奴隷なのだ。
    「それが理由か?」
     表情ひとつ変えることなくレイシオがそう言うと、ふーっと息を吐いてから少しだけ体をアベンチュリンの方へと向ける。淡々としている言葉の割には、目の奥が揺れている気がした。
     アベンチュリンがレイシオの問いに頭を縦に振ると、いいか、と前置きがあった上で言葉を続けた。
    「一体誰が優しいんだ。そうだとしたら僕はもっと他人に好かれていて然るべきだろう。何とも思っていない相手にあんな提案をされたら、そもそも取り合わない。時間の無駄だ」
     はぁ、と短くため息をついて、さらに言葉を続ける。
    「そもそもあんな瞳で見つめられて、君が好意を寄せていないのだとしたら、もう僕は何も信じられない。ーーああ、教えてくれ。君が僕に向けた『かわいい』に一体どういう意味を含むのかをな」
     一気にレイシオに捲し立てられて、アベンチュリンは理解までに少しだけ時間を要した。何か大事なことを言われている気がするのに、混乱した頭はうまく言葉を紡ぐことができない。
    「分かってて詰めてくるのは、ずるいだろ……」
    「逆に、そこまで分かっているなら、どうして拒絶した」
     悪い返事を想像して、レイシオを黙らせてしまった理由。彼の口から拒絶されたくないだなんて、そんな高尚なプライドはなく、もっと簡単な理由がひとつだけある。
    「……自信が、無かったんだ」
     ぽつりとそう言葉にすると、レイシオから伸びてきた両手に抱き留められる。あの時香ってきたものと同じ香水が鼻腔をくすぐって、少し経ってからようやく彼に抱きしめられたのだと理解する。
    「僕が、あの雰囲気に飲まれただけだと、本当に思っていたのか?」
     掠れた声で鼓膜に吹き込まれた言葉は、言外に「違う」と言っている。
     彼の気持ちの強さに耐えかねて、アベンチュリンの心臓は急にばくばくと跳ね上がりはじめていた。散々なことをしたのに、それでも都合の良い言葉ばかりが向けられている。
    「そんな、つもりじゃ」
    「じゃあどういうつもりだったんだ。君だけ良い思いをして、僕のことは置き去りか?」
     縋るようにより強く抱きしめられてしまえば、安心感からか一気に目頭が熱くなってくる。拗らせた感情もぐっと込み上げてきて、唇がわなわなと震えてしまう。
     そうして一頻り抱き締められた後、レイシオはその力を緩めてアベンチュリンと向き合った。自分は情けない顔をしているというのに、レイシオは変わらず精悍な顔つきをーーなどと考えていると、その顔がふっとアベンチュリンに近づいてくる。
     とっさにキスをされる、と瞼を閉じたけれど、いつまで経っても感覚に変化は訪れない。恐る恐る瞼を開けば、穏やかな彼の顔がそこにあった。
    「そういえば、大事なことを聞いていないな。何か君から言うことがあるんじゃないか?」
    「もう言ったよ」
    「言っていない。……いや、言ってくれないのか」
     わざとらしく眉を寄せて悲しむような素振りを見せるレイシオは、ここぞとばかりにアベンチュリンを追い込んでくる。
    「二ヶ月も待たせられたな」
    「待ちすぎだよ」
    「そっちが悪いんだろう」
    「それは、そうだけど」
     埒が明かない問答に痺れを切らせて、アベンチュリンはレイシオの減らず口を黙らせるべく、自身の唇をそれに重ねた。
    「……これでいいかい」
     恥ずかしくて目が見れないままでそう言うと、再びレイシオにぎゅうぎゅうと抱き締められてしまう。
    「うわ、びっくりした……」
    「誰かのせいで、この頭が焼き切れそうだった」
    「それは考えすぎだろ!」
    「君はすっきりした状態であっちにいたのか」
    「そんなわけないだろ? 毎日反省会してたよ。……まさか、二回目があるなんて思ってなかったなぁ」
    「君が藪を突いたからな」
     くすくすと笑い合いながら、離れていた間の状況を答え合わせすれば、張り詰めていた緊張の糸がぷつんと切れてしまった。よかった、どうにかなったと安心したところで、アベンチュリンは急に眠気を自覚し始める。
    「なんだか安心したら眠くなっちゃったよ」
     それを聞いたレイシオは、間髪を入れずに提案をする。
    「なら、一緒に寝るか?」
    「寝られるわけないだろう!明日も仕事なんだ!」
     
     想いを通じ合わせた後にも一時間ほど他愛もない雑談をして、アベンチュリンは名残惜しい気持ちを押し殺して玄関で靴を履いていた。例え明日が休みだったとしても、心臓の負荷を考えたらここは帰っておきたいところだ。
    「じゃあね、また明日……は会わない気がするけど、何かあれば連絡してくれ」
    「ああ、また」
     彼の短い返事を聞いて去ろうとすれば、不意に名前を呼ばれてパッと振り返る。すると、想像よりもずっと近い位置にレイシオの顔があり、言葉を発する間もなく唇に軽いキスが落とされる。
    「……流石にもう逃げないよ」
    「だと、いいがな」
     
     ***
     
     アベンチュリンは出勤した社内で見慣れた頭を見かけると、ボリューム大きめの声でその名前を呼んだ。
    「トパーズ総監〜!」
     その声を聞いたトパーズは分かりやすく「げっ」という表情を浮かべ、アベンチュリンに向けて眉間に皺を寄せている。
    「なによ」
    「言っただろ!わざわざ僕が口止めしたのに!」
     少しだけ考え込んだあと、トパーズは合点が入ったようにああ、と相槌を打った。
    「人聞きが悪いこと言わないで。ジェイドさんに送ろうとしたら『たまたま』間違えてDr.レイシオに送っちゃっただけ。どう?仲直りできた?」
    「それは、まあ、問題ないけど……」
    「じゃあ良いじゃない。あっ、私この後打ち合わせ入ってるの。じゃあねアベンチュリン、よろしく〜」
     ひらひらと手を振りながら逃げていったトパーズが見えなくなるまで睨みつけた後、ぱっと後ろを振り返ると居てはいけない人物がそこに立っていた。
    「うわ!レイシオ……」
    「やはり口止めしていたんだな」
    「あはは、いや〜、まぁ、うん。そういうこともあるよね」
    「まあいい、終わったら食事でもどうだ」
    「えっ、いいのかい?」
     思ったより期待で跳ねてしまった声に自分でもびっくりしてとっさに口を覆ってしまうと、ふん、とレイシオが笑っている。
    「店はーーでいいか?」
    「……ねぇ君、もしかして思ったより性格が悪かったりする?」
    「君よりはマシだろうな。なんだ、不満か?『思い出』の場所が」
     レイシオが揶揄うようにそう言うと、アベンチュリンは口よりも先に手が出てしまい、割と力を込めて彼の肩をばちんと叩いた。
     けれど、レイシオには全くダメージは入っていない。むしろ楽しそうに口元を歪めて、予約は取っておいたぞ、と返事をしたのだった。
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